ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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十話

 その喫茶店は大通りから少し外れた隠れ家みたいな場所にあった。木目の温かみで統一された店内。所々に鎮座するベンジャミンも天井からぶら下がる色ガラスのランタンも絶妙にうるさくなくて、はじめて来るのに妙に落ち着けた。

 

 いい店だな。相手がアニとはいえ、一応リサーチしておいてよかったぜ。マルコに聞いたのも正解だった。

 

 いかにも老舗っぽい初老のマスターがコーヒーと一緒にアップルパイを持ってくる。その表面はつやつや光って、編み目の間からずっしり詰まったリンゴが顔を覗かせていた。焼き立てのパイに、アニがナイフを入れる。サクサクと軽やかな音。彼女は眉一つ動かさず、一口大になったパイを黙々と口へ運んだ。

 

 手が止まらないってことは、美味いってことか? ……マジでよくわかんねーな。

 

 居心地の悪い間を埋めようと、ジャンは無意識にコーヒーカップに口をつけた。口内に広がるブラックの苦味にむせてしまう。本当は飲めないくせに、アニがブラックコーヒーなんて頼むから、つい「同じものを」と注文したのを忘れていた。

 

「大丈夫?」

 

 アニが問う。せめてパイから目を離して言ってほしい。

 

 可能性は低いとわかっていても、こうして二人きりになると生きた心地がしなかった。アニがその気になれば、俺なんて簡単に殺される――そう思うと背筋が凍った。訓練兵生活の平和ボケで忘れかけていた恐怖心がじんわりと起こされる。

 

 落ち着け。何も問題はないはずだ。人間が巨人化できることを壁内人類が知らない以上、こいつらも正体がバレるとは思ってねえだろ。つまり俺はノーマーク、ただの同期だ。

 

 ジャンがパイを口へ放り込む。バニラビーンズの甘みが広がって、コーヒーの苦味を和らげてくれた。

 

 にしても、男と二人で出掛けるっつーのにその格好はどうなんだよ。

 

 フード付きパーカーにスキニーパンツとブーツ。アニはよく食堂で見かける服装のまんまだった。

 

 いや、別にいいけどよ。こっちだってデートしようと思って誘ったわけじゃねーし、俺にはミカサがいるし、人類の未来かかってるし。けどな、普通は普段着で来ねーだろ! ちょっとは()()()()してスカートとか履いてこいよ! 髪とか下ろしてこいよ!

 

 真新しいシャツを整えて、ジャンは溜息をついた。窓から差し込む光に溶けるようなまつ毛が、アニの肌に影を作った。根元から立ち上がった鼻筋はなだらかに伸びて、下向きにツンととんがっている。

 

 (こえ)え顔してるけどよく見ると結構美人だよな。問題は性格か。ベルトルトもよくこんな怖い女に惚れるぜ……あいつやっぱりマゾか。

 

 微妙に失礼なことを考えていると、アニがふいに顔をあげた。

 

「何? そんなに見られると気持ち悪いんだけど」

「あ、いや、私服でも変わんねーっつうか、いつものアニだなと思って」

 ジト目で睨んでくるアニに、焦ったジャンが口を滑らせた。

「なんでアンタと出掛けるのに、私がオシャレしなきゃいけないの」

 

 いつのまに食べ終わったのか。アニはナイフとフォークを揃えて置き、口元を紙ナプキンで拭って、机の上に硬貨を置くと立ち上がった。

 

「おい待てよ! 俺まだ食い終わってねーんだけど!」

「私は別にアンタとご飯食べに来たわけじゃないよ。たまたま町に用事があったから、ついでに付き合ってあげただけ」

 ジャンを見下ろして、アニは冷ややかな視線を向けた。

「ゆっくり食べてなよ。せっかくの新しいシャツに染みでも付けたら、男前が台無しだからね」

 

……この女かわいくねぇぇぇぇえええ!

 

 羞恥で染まった顔をひくつかせ、ジャンはヤケクソでパイをかっこんだ。パサパサになった喉に、ブラックコーヒーを気合で流し込む。ジャンの勢いに呆気にとられるマスターに金を払うと、アニを追って喫茶店を後にした。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 ジャンは知らなかった。女の買い物がとんでもなく長いということを。

 

 まずはアクセサリーショップに入る。指輪、ネックレスをじっくり眺め、ヘアアクセサリー類に移動してまたじっくり眺める。次に服屋を何件も()()()する。ジャンの目にはほとんど同じように見える洋服を手に取っては戻す作業を延々と続ける。次に雑貨屋に寄った。バッグやらポーチやら文房具やら――とにかく片っ端に目を通していく。次に紅茶屋、花屋、本屋をめぐって、結局何も買わずに一番最初のアクセサリーショップに戻ったところで、ついにキレた。

 

「お前、マジでいい加減にしろよ! 何時間見りゃ気がすむんだ⁉︎」

「嫌なら帰りなよ。私は()()()()()なんて言ってない」

 

 苛立つジャンを気にもせず、アニはヘアゴムを手に取った。

 

 日々の訓練で体力はあるはずなのに、買い物に付き合うのはめちゃくちゃ疲れる。精神的な疲れだ。女性向けの店に足を踏み入れるだけで男のメンタルはゴリゴリ削られるのに、それが数時間続くなんて地獄でしかない。

 

 ここまで我慢した俺の苦労も知らねーで、ちょっとぐらい労いの言葉があってもよくねえか⁉︎ ……待て待て待て、ここで怒ったら負けだろ。アニと親睦を深めることが、今日の目的だしな。ここは友好的な姿勢を見せるべきだ。

 

 桃色の小さな花飾りがついたヘアゴムを眺めるアニに、ジャンは笑顔を作った。

 

「そのヘアゴムなかなか良いな。もう()()()いいんじゃねえか?」

「……()って何? あんまり可愛くないけど、今まで見てきた中ではまだマシな方ってこと?」

「そ、そういう意味じゃねーって! ただ俺は――そう! こっちの方がアニっぽいなって思っただけだ」

 ジャンは色違いのヘアゴムを指差す。

「アニのイメージ的には青かな〜とちらっと思っただけで、もちろん今見てたピンクの方も逆に似合うと思うぜ! マジで!」

 

 って、なんで俺がショップ店員みたいになってんだよ!

 

 馬鹿みたいなテンションで機嫌を取ろうとする自分に頭が痛くなってくる。すると、アニが小さく呟いた。

 

「……私のじゃないから」

「は? お前のじゃねえってどういう――」

「だからプレゼントなんだってば!」

 

 アニは頬を紅潮させて言った。低い位置から睨み上げてくるが、彼女にしてはめずらしく迫力がない。意外な展開に、ジャンは面食らった。

 

「誰にだよ?」

「……ミーナ」

「お前ら仲良かったっけ?」

「別に。たまにあの子から話しかけてくるぐらい」

「じゃあ何で?」

「……前に誕生日プレゼントもらったから。お返しした方がいいのかと、ちょっと思っただけ」

 

 ちょっと思ったぐらいで、貴重な休日潰して何時間も探し回ったりするかよ。

 

「けど、私の柄じゃなかったね。これだけ探しても見つからないんだから」

 

 すっかり無表情に戻って、何とも思ってないみたいにアニは言った。

 

 アニはどんな奴なんだろう。正直なところその問いに上手く答えられない。アニが女型の巨人だと判明した後、彼女に最も近かった者として同期全員が報告書を提出した。その時だって何を書けばいいか分からなかったし、たぶん同期全員同じだったとジャンは思う。

 

 104期の4位卒。対人格闘術が得意。性格はクールで孤立しがち。女型の巨人。壁内人類を殺し、104期の仲間を殺し、挙句、捕まりそうになったら硬質化で水晶の中に逃げ込んだ引きこもり。

 

 壁に穴を開けたくせに、巨人に襲われたコニーを体を張って助けたこと。すっかり肉塊になった死体を見て、呆然と謝っていたこと。エレン奪取の時、女型の巨人として殺すべきだったのに、アルミンとジャンを見逃したこと。

 

 アルミンほどじゃないが、何年も水晶に引きこもるアニのもとにジャンもひっそり通っていた。怒鳴り散らして恨み言をぶつける日もあれば、壁外人類を殺したと懺悔する日もあった。その言葉に、アニが答えることはもちろんなかった。

 

 だが、今はちがう。俺の言葉が直接届く。今ならまだ届く。本当のアニをこれから知ることができる。

 

 アニが置いたヘアゴムを、ジャンは手に取った。

 

「お前が選んだんだ。ちゃんとミーナに渡せよ」

「人の話聞いてた? もういいって言ったでしょ」

「嘘つくな。この店に戻ってきて真っ先に手に取ったろ。これが一番良いって思ったんだろ?」

 アニは少し沈黙して、

「ミーナが気に入るかわからないよ。趣味じゃないもの貰ったって、あの子も困るでしょ」

「そうか? ミーナなら、お前からのプレゼントなんて飛び上がって喜びそうだけどな」

「だったら()()()()だよ。ただのお返しなのに、後々変に絡まれるようになっても面倒だから」

 

 面倒なのはお前の方だろ。

 

 まだ何か言いたげなジャンを無視して、アニは踵を返し店を出ていく。

 

 それでいいのかよ、アニ。ミーナは死ぬんだぞ。お前のせいで巨人に喰われて死ぬんだ。何の意味もなく、地獄のような恐怖を味わって、(くせ)え巨人の口の中で何を恨めばいいかもわからずに死ぬんだ。もう一度同じことを繰り返す気かよ。俺はごめんだぜ。あんな地獄はもう終わらせなきゃならねえ。

 

 

 

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