ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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十一話

 トロスト区の大通りの市場では、店主たちの大声が飛び交い、一つでも多く売ってやろうという活気が溢れていた。野菜や果物はもちろん、所狭しと並ぶ屋台には兵舎じゃ絶対に出ないようなめずらしい料理が販売されている。

 

 壁外とは違う独自の食文化。焦がし醤油の香ばしい匂いがそこら中に漂っていた。兵舎の食事の一週間分ぐらいに相当する塩分が鼻を通って胃袋に届き、ベルトルトは()()()()のどを鳴らした。

 

 質素で窮屈な訓練兵舎から賑やかな町に出ると、つい開放的な気分になる。食べたばかりでお腹はいっぱいなのに、あれやこれやと心惹かれる気持ちにもなる。

 

 なるんだけど、やっぱり彼女は異常だと思うよ。

 

 まるで獣だ。高い位置で一つに結われた髪を、尻尾のようにびゅんびゅん回す。獲物を狙う目は爛々と輝き、大きく開いた口からよだれが滴って、干し肉を守るガラスケースを濡らしていた。

 

 止めないと!そう思うのに足が動かない。

 

 ベルトルトのでかい図体は固まったままだ。サシャに飛びかかったのはやはりライナーだった。

 

「やめろおおおおサシャ! 干し肉なんて買う金はねえだろ!」

「ウウウウウウウウアガアアアアアッ!」

「落ち着け! 思い出すんだ! 飯ならもう十分食っただろ⁉︎」

「グルルルルルギャアアアアア!」

 暴れるサシャを羽交い締めにして、ライナーが叫ぶ。

「黙って見てないで、こいつを抑えるの手伝ってくれ!」

「バカ言うなよ。そういう手荒いのは男の仕事だろお? あと目離すとあぶねーぞ」

 

 ユミルが忠告した途端、サシャがするりと拘束を抜けると、四つん這いになって人混みに飛び込んでしまった。あっという間の出来事だ。真っ青になったライナーが、血相を変えてサシャの後を追っていった。

 

「ゴリラもたまには役に立つぜ。芋女のお守りがいるおかげで、クリスタとゆっくりデートできるんだからな」

「もう、そんな言い方よくないよ。せっかくみんなで来たんだから、みんなで仲良くしないと楽しくないでしょ?」

「……なんか二人とも慣れてるね」

 ベルトルトがぽつりと言った。

「慣れたかねえけどな。町に出るたびにこうなるんじゃ、嫌でも慣れるね」

「驚かせちゃってごめんね、ベルトルト。でもね、ちゃんと解決方法があるから大丈夫だよ。すぐそこに美味しいパン屋さんがあるんだけど、こ〜んなに大きいパンがあってね。とっても甘くて美味しいの!」

 

 クリスタは両手をいっぱいに広げて、パンの大きさを伝えてくれる。けれど、その大きいパンが今の状況にどう役立つかわからず、ベルトルトは首を傾げた。クリスタは得意げに微笑む。

 

「サシャもそのパンが大好きだから、ちぎって食べさせてあげるの。そうすると、暴れたりしないでちゃんと兵舎まで帰れるんだよ」

 

 それってどうなんだろう。目の前にニンジンぶら下げられる馬みたいな扱いなんだけど……。

 

 にこやかなクリスタに、ベルトルトはなんとも言えない気持ちになった。

 

 呑気に遊びに来てよかったのかな。男2、女2(獣1)なんてダブルデートみたいだし、浮かれているみたいでなんか嫌だ。アニにバレたらすごく気まずいよ。僕になんの相談もなく、ライナーが勝手に決めちゃうから……。

 

 額に汗を浮かべて、ベルトルトは溜息をついた。

 

 新しくできた喫茶店は、こじんまりとして可愛らしい雰囲気だった。薄い桃色の店内。ショーウィンドウに並ぶカラフルなスイーツ。意外と女の子らしいアニがいかにも好きそうな感じ。どうせ出掛けるんならアニと行きたかったと、ベルトルトはお土産の袋を握りしめて思った。

 

「あれって……アニじゃない?」

 

 え? アニ?

 

 まさかの名前が登場して、ベルトルトは弾かれたように顔をあげた。クリスタが指差す先には、小柄な少女。屋台の端っこで、人混みから避難するようにひっそりと佇んでいる。ユミルが目を細める。

 

「あの目付きの悪さは、間違いなくアニだな」

「声かけてくるね! せっかくだからアニともっと仲良くなりたいもん」

 

 え、嘘。ちょっと待ってよ!

 

 内心焦る。しかし、止める理由が見つからない。

 

 ああ、どうしよう! これってちょっとまずいよ! 不用意に僕たちが絡むのもどうかと思うし、何よりこの状況をアニに知られるのは嫌だ! こんな時に君は何をやってるんだライナー!

 

 ぴしりと体は固まったまま、ダラダラと冷や汗が流れる。頭の中で思考がぐるぐる回る。もうダメだとベルトルトが諦めかけた時だった。アニに駆け寄ろうと数歩行った先で、クリスタがぴたりと止まる。

 

 どうしたんだろう?

 

 クリスタの視線の先を追うと、ちょうどアニが歩き始めたところだった。行き交う人たちで、アニの姿が点滅するように見え隠れする。そして、人混みの隙間から見えた。アニの隣にはジャンがいた。

 

「なんでアニとジャンが……」

 衝撃のあまり、ベルトルトが呟く。

 

 もしかして二人きり? でも、アニに限ってそんなことあるのかな……ジャンだってミカサのことが好きなはずだし。他に誰かいるんじゃないの? でも、アニは屋台の隅で立ち止まってた。誰かを待ってたってこと? ジャンを待ってたの? それってデートなんじゃ……。

 

「そっか。先約の相手ってアニだったんだね。邪魔しちゃ悪いし、声はかけないほうがいいよね? ――そうだ。パンを買わないと。ユミルとベルトルトはここで待ってて。すぐに買ってくるから」

 そう言って、クリスタは小走りにパン屋に入っていった。

 

 ベルトルトは呆然とアニがいた辺りに視線を戻した。だが、既にアニの姿はない。頭がぼんやりして、喧騒が遠くに聞こえる。

 

「あーあ。何だよこの湿っぽい空気は。めんどくせーなあ」

 めんどくさいと言う割に、ユミルは楽しそうにニヤついていた。

「まあ、そんなに落ち込むなよ」

「何のこと? 意味がわからないんだけど」

 

 ベルトルトがぶっきらぼうに言うと、突然ユミルがベルトルトの耳元に唇を寄せた。温かい吐息が彼の耳朶をなでる。

 

「好きなんだろ? アニのこと」

 

 なんで知って――というか近いって!

 

 ベルトルトはこそばゆい耳を押さえて、思わず飛び退いた。

 

「だははははッ! 何だよその反応! そりゃ肯定してるのと同じだぜ、ベルトルさん!」

 

 ユミルが腹を抱えて笑った。よほどツボったらしい。ベルトルトの背中を笑いながらバシバシ叩いて「みんなには黙っといてやるから!」と上機嫌だ。ベルトルトはその痛みに耐えながら、いつまで経っても戻らないライナーを恨むしかなかった。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

『ねぇねぇ、知ってる? 聞いたことある? 104期のあの噂』

『あの噂? 七不思議とか、そういうもの?』

『ちがうよちがうの。本当にいるんだよ。愛の伝道師ってやつ。目をつけられたら最後、運命の人と絶対くっつけられちゃうんだって』

『なんだかロマンチックだね』

『ちがうよちがうの。ちゃんと代償があるんだよ。大きな代償。辛い代償。辱めを受けて、体はどんどん衰弱して、逆らう気力もなくなって、最後に残るのはあら不思議……』

 

 まことしやかに囁かれる。104期のあの噂。『愛の伝道師』の前では、誰も逆らえない。逆らえば、殺される。従えば、飼い殺される。ほら、君の後ろにも――。

 

 暗い兵舎の廊下を、二人の男が歩いていた。

 

 一人は104期を代表する冴えない男、トーマス・ワグナー。成績は中の上。特筆すべきことはもみあげが長い。その程度の男。

 

 彼の背後に続くは、顔色の悪い男、ダズ・クーパー。成績は中の下だったが、最近になってメキメキ実力を伸ばしている。

 

 しんと静まる廊下に、二人のブーツの音だけが響いていた。沈黙を破ろうと、トーマスは何気なく口を開いた。

 

「そういえば最近やたらとカップルが増えてないか?」

「ああ、そうだな。増えたかもしれないな」

「絶対増えたって! どいつもこいつも恋愛にうつつ抜かしやがって」

 

 トーマスは吐き捨てるように言った。後ろを歩くダズの表情はわからない。だが、モテたこともない野郎だ。自分と同じようにさぞ腹を立てているだろうとトーマスは思った。しかし、ダズは言う。

 

「実は、俺も彼女ができたんだ」

「はあ⁉︎ お前に⁉︎ 老犬みたいな顔面のダズに⁉︎ どういうことだよ!」

「ハハッ……俺はただ選ばれただけさ。愛の伝道師に」

「愛の伝道師? ああ、最近よく聞くな。暇な訓練兵が流した、ただの噂話だろ」

 ダズの方を振り向きもせず、トーマスは歩を進めた。

 

 なんだよ、ダズのやつ。いつのまに彼女なんて……。そういや最近やたらと立体機動も上手くなったよな。俺の成績じゃ、もうすぐダズに追いつかれる。クソ! 女作るような浮ついた野郎に、成績まで負けてたまるかよ!

 

 トーマスは苛立ち、背後で蠢く影には気付かない。

 

 ダズが慰めるように言った。

 

「気を落とすなよ」

「くだらないんだよ! そんな子供騙しの噂なんて」

 

 月明かりに照らされて、影が濃く深くなる。何本もの黒い手がトーマスに伸びる。トーマスはぶつぶつ文句を言いながら、ずんずん先に進んでいく。そして、ダズは言った。

 

「おめでとう、トーマス。お前は選ばれた」

 

 次の瞬間、一斉に襲いかかる。トーマス・ワグナーの叫び声は、複数の影に吸われて消えた。

 

 

 

 

 

 

 どれぐらい気を失っていたのか。

 

 トーマスが目を覚ますと目の前は真っ暗だった。手足の自由が効かない。イスの上で縛られ、麻袋を被せられている。

 

 呻き声が聞こえたのだろう。にわかに人の気配がすると、乱暴に袋を剥がされた。

 

「やっと起きたか。トーマス・ワグナー」

 

 ランタンがトーマスを囲むように置かれている。四方から照らされ、まるで生贄の儀式のような異様な雰囲気。その周りに複数の影が揺らめいた。

 

「静かにしてろよ。でかい声を出せば、困るのはお前だぜ」

 

 奴らが姿を見せる。現れた五人組に、トーマスは目を見開いた。

 

 104期の落ちこぼれ集団だ。寄り集まって人を蹴落とすことしか考えていない、クソみたいな連中だ。

 

「俺に何の用だ。このふざけた真似は――説明しろ!」

 

 牙のような犬歯が特徴的な男――リーダー格のアイザック・テイラーがクツクツと笑う。

 

「テメーは選ばれた。愛の伝道師にな。噂ぐらい聞いたことあるだろ?」

 

 愛の伝道師?バカな。まさか本当にそんなことが……。

 

 アイザックは続ける。

 

「愛の伝道師は、すべての訓練兵に愛をもたらす。トーマス、お前には好きな女がいるな?」

「まさか! 訓練で手一杯だ。恋愛なんてしてる暇――」

「ミーナ・カロライナ」

 一人の女――オリビア・フローレスが進み出る。

「トロスト区出身。おさげの黒髪があざとい。自らを豚小屋出身の家畜以下と評する、正真正銘のメス豚。トーマスとは、先月に第一倉庫室の掃除当番がかぶり、急接近する。その後、トーマスは、絵が得意なラリー・クックにミーナの絵を依頼。夜中になると、ミーナの絵を持って誰も寄り付かない最奥のトイレへ――」

「うわあああああああああやめろやめろやめろやめてくれ!」

「どうやら、やっと自分の状況がわかったらしいな」

 

 アイザックが楽しそうにトーマスを見下ろした。

 

「ああ、クソ……俺に何をしろって言うんだ」

「テメーがすることはたった二つ。一つ目は、立体機動の朝練に参加し、愛の伝道師の指導を受けること。二つ目は、ミーナと付き合え。以上だ。簡単だろ?」

 

 その要求に、トーマスは驚愕した。

 

 立体機動の朝練? なんでそんなことを。それにミーナと付き合えって、できるならとっくにやってるよ! というか、なんで他人に強要されなきゃいけないんだ!

 

「さっきから黙って聞いてれば、愛の伝道師って誰なんだ⁉︎ いるんだろ⁉︎ こそこそ隠れてないで出てこいよ!」

 

 ランタンの灯りが届かない闇の向こう側へ、トーマスが叫ぶ。すると、呼びかけに応えるように、土を踏み締める音が聞こえた。闇の中から風が舞い込む。ランタンの火がちらちらと揺れる。ゆっくりと歩み寄ってきた人物の顔が、ようやく灯に照らされて、トーマスは言葉を失った。

 

「そんな……お前なのか、ジャン」

 目深にフードを被って、ジャンは冷たい視線を向けた。

「諦めろ。104期のほとんどは、既に俺の手中にある」

 

 極悪と呼ばれていた104期の落ちこぼれ集団を従えて、ジャンは悪役面を歪ませた。

 

「安心しろよ。俺の言うことを聞いてりゃー、悪いようにはしねえから」

 

そう言って、愛の伝道師はニヤリと笑った。

 

 




やっと急展開……か?
ちゃんと説明します。

ちょい役と落ちこぼれ組でオリキャラ出ますが、あまり出張る予定はないです。
あとダズの名字も創作です!
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