ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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十四話

 ……待て待て待て。俺は寝ぼけてんのか? いくらなんでもありえねーだろ! ベルトルトが振られたのは昨日だぞ⁉︎ そんで次の日には彼女いるってどういう状況だよ! んで、相手がユミルって! ユミルって! ユミルだぞ⁉︎ あのガサツで、口も性格も悪くて、男か女かわかんねえぐらいで――マジでなんでだあああ⁉︎

 

 激しく目眩がした。

 

 お、落ち着け。とにかく現状を正しく理解しねえと。これは何かの間違いだ。ああ、そうに決まってる。

 

ジャンはそっと目を開けた。しかし、視線の先には変わらぬ現実があった。ギャラリーに煽られて、ユミルがベルトルトに「あーん♡」しているところだった。芋を。

 

 ジャンは頭の中の何かがぶっとぶのを感じた。突き動かされるようにずんずん歩いて、人混みをかき分け、ちょうど芋を食べさせ終わったバカップルの真横に立った。ものすごい剣幕で。ただならぬオーラに驚いて、二人が弾かれたように顔を上げる。目を丸くしたユミルが、ジャンの顔を見て安堵した。

 

「ったく驚かせんなよ。すげえ勢いで来るから、教官様かと思っただろ?」

 

 へらりと笑うユミルを無視して、ジャンはベルトルトを凝視した。

 

 ベルトルトはまだ目を見開いたまま、驚きで固まっていた。額に浮かぶ汗もデフォルトだ。ベルトルトらしいと言えば、らしい反応。驚いて、固まって、冷や汗の三点セット。いつものベルトルトだ。

 

 しかしよく見ると、目の辺りが腫れてほんのり赤いことに気付いた。薄らクマもあり、どんよりしている。恋人ができて幸せというには憔悴しきった顔だ。

 

 そりゃそうだ。長年の片思い相手にこっぴどく振られて、そう簡単に立ち直れるはずがねえ。やっぱりユミルと付き合ってるなんて何かの間違いだろ。

 

 ジャンはホッと胸を撫で下ろして、馬鹿げた話を笑い飛ばそうとした時、ベルトルトの首筋に目が留まった。首筋のある一点に。逞しく太い首。少し日に焼けた褐色の肌。そこに、一点の赤い印があった。

 

 ピシャーーーン!

 

ジャンの脳に衝撃が走った。

 

 おいおいおい。なんだよそれ。……虫刺されか? そうだ! そうだよな! 虫に刺されたんだよな! それ以外なんだよっつー話だろ! そうだろベルトルト!

 

 ジャンの視線に気付いたのか、虚な瞳をしていたベルトルトがハッとして赤い印を手で隠した。ベルトルトはすぐに俯いてしまい、その表情は分からない。が、赤い印から移ったかのように耳が真っ赤に染まっていく。

 

 おい……嘘だろ。まさか……本気かよ。

 

 ジャンは狼狽えてよろよろと後ずさった。もう疑いようがない。決定的証拠だ。

 

 ベルトルトてめえええええええ! やりやがったな! この裏切り者が! この糞みてえな世界で104期のほとんどが夢叶わぬまま散っていったっつーのに! 俺だって……俺だってなあああああああ!

 

 ジャンの目が血走る。心の中で血の涙を流しながら、殴りかかりたい衝動をギリギリ抑え込み、代わりにユミルの手首を握った。

 

 突然の行動にユミルは一瞬驚いたが、すぐにニヤついて、

「おいおい。人の女に気安く触るなよ。ベルトルさんが黙っちゃいねーぞ?」

「……いいから。ちょっと来い」

 

 絶賛インタビュー中だった野次馬共のブーイングを置き去りにして、なんとかユミルを人気のない廊下へ引っ張り出した。訓練兵たちの喧騒が遠のく。朝日の中でキラキラ光り落ちる塵埃が、唐突に現れた侵入者によって再び宙に飛散した。

 

 ようやく解放されたユミルが不満げに言う。

 

「何のつもりだよ。せっかく楽しく飯食ってたのに」

「本気でベルトルトと付き合ってんのか? いつから付き合ってる? いや、何でだ? つーか、どっちから告白してどういう流れでああなったんだよ⁉︎」

 

 矢継ぎ早の質問に、めずらしくユミルがたじろいだ。切れ長の目が限界まで見開かれ、白目の面積がぐっと広がる。この油断ならない三百眼を、ジャンは苦々しく思っていた。

 

 ユミルは信用できない。性格が悪く、気まぐれで、利己的な人間だ。平気で仲間を裏切り、嘘をつく。ユミルについて断言できるのは、クリスタを大事に思っていることぐらいだろう。ベルトルトと付き合ってるのだって、正直かなり疑わしい――いや、待てよ。

 

 その時、ジャンはちょっとした引っ掛かりを覚えた。

 

 本当にそうだろうか? ユミルにとってベルトルトは無価値なのか?

 

 渾沌の時代に兵士となった104期訓練兵は、そのほとんどが壮絶な死を迎えたが、中でもユミルの最期は特殊だった。ユミルは自らの意志でライナーとベルトルトについて行き、巨人の力を渡して死んだ。しかも、クリスタと共に生きる未来を捨てて。

 

 あれだけ異常な執着を見せていたのに、ユミルはクリスタを選ばなかった。ユミルが最後に選んだのはベルトルトだ。正確に言えばベルトルトとライナーだろうが、ヤツの「助けて」という叫びにユミルが応えたのは明白。そう考えるなら、ずっと前からベルトルトに好意を持っていた可能性はある。少なくとも気にはかけていたはずだ。

 

 この間のダブルデートで、二人の仲が急接近する何かがあったんだ。それしか考えられねえ。そりゃつまり……俺の努力がついに実を結んだってことだろ!

 

 ジャンの胸に熱いものがこみ上げた。

 

「おめでとう。本当におめでとう。ああ、ユミル。俺はどうすりゃいい? とりあえず赤飯は炊いた方がいいよな?」

「遠慮しておく。とりあえず離れろ。気持ち悪いんだよ」

 

 勝手に盛り上がるジャンを冷めた目で見下して、ユミルは肩に置かれた手をあっさり振りほどいた。

 

「私の恋愛事情によほど興味があるらしいな。いいぜ。少しだけ答えてやるよ」

 

 声質は高いのに不思議な低音。本人を知らなければそこそこセクシーに聞こえる低音ボイスで、思いっきり皮肉っぽく言われた。ユミルは刺々しい視線をついと逸らし、張り詰めた空気を幾分か緩める。

 

「こう見えて、私は弱くてずるい人間なんだ。選ばれないことがむなしいって、普通に思ったりする」

 

 それは投げやりにも聞こえた。適当さを演出しようとしてうっかり本気すぎた、みたいな声色。

 

 今更何言ってんだよ。お前が弱くてずるいってことぐらい、俺らの間じゃわりと有名な話だったぜ。酒を飲むたびに、ヒストリアがくだを巻いてたからな。「ユミルは本当は優しい」とか「ちょっと不器用なだけ」とか「寂しがり屋」とか――まあ色々言っていたが、「そりゃ対ヒストリア限定の話だろ」と俺は思ってたけどな。

 

 だけど、本人からストレートな弱音を吐かれて、いきなりで動揺した。

 

「じゃあ良かったじゃねえか。付き合ってるんなら、ベルトルトに選ばれたってことだろ?」

 

 ジャンは動揺を隠そうとして聞いた。ユミルはいつもの調子に戻って「ミカサに選ばれないお前はさぞ惨めだろうな」と笑った。

 

 うるせえよ! 嫌なこと思い出させんな!

 

 ミカサのことを考えると死の間際のことを思い出す。

 

『エレン』

 

 蘇る声。呪縛のような声。拷問のような声。嫉妬でどうにかなってしまいそうだ。

 

 選ばれないってことはその他大勢だ。選ばれなかったすべての一部だ。ミカサにとって、俺は何でもなかった。俺が死んだ瞬間その事実が転がっただけのこと。

 

 ジャンはユミルに言うでもなく、独り言のように「関係ねーだろ」と呟いた。

 

 そうだ。俺はやり直す。そうすればあの未来は跡形もなく消える。この苦しみも消えるはずなんだ。

 

 耳をすませば、いつのまにか訓練兵のざわめきは静まっていた。代わりに慌ただしい靴音が床の振動と共に伝わってくる。ユミルが呟いた。

 

「つまり私もお前と一緒だ」

「は? どういう意味だよ」

「惨めな思いをするのも、惨めなヤツだって思われるのも、馬鹿らしいっつーことだ」

 

 そう言って、ユミルは踵を返した。ジャンは呼び止めようとしてやめた。どうせ聞きたいことには答えないだろうと思ったからだ。ユミルはそのまま立ち去るように思えたが、ふいに立ち止まり肩越しに振り向いた。

 

「私と違ってクリスタは手強いぞ。なんせあいつは自分から傷付きにいく馬鹿だからな」

 

 カカッと軽い笑い声を立てて、今度こそユミルは振り返らなかった。

 

 

 

*****

 

 

 

 両思いなんて本当に存在するのかよ。好きなヤツが同じように自分を好きになるなんて奇跡すぎるだろ。

 

 ジャンはバシャバシャ水滴を飛ばして顔を洗った。早朝の水はやたらと冷たく、毛穴を刺激して皮膚が突っ張る感じがした。マルコとコニーはまだイビキをかいていて、ジャンは起こさないように注意しながら手早く準備を済ませ、静かに部屋を出た。

 

 まだ少しボーッとする。ユミルの言葉が頭に残ったせいか、昨晩は寝付きが悪かった。卒団式も近付き、ターゲットの恋愛模様もいよいよ動き出したというのにいまいちシャキッとしない。

 

 廊下はしんと静かで、朝の冷気が漂っていた。立体機動の朝練のための早起きだったが、それにしたって早すぎたみたいだ。音を立てることさえ忍びなく、ジャンはゆっくりと足を進める。

 

 やがて長い廊下の奥の方に、少女の後ろ姿が見えた。可愛らしい小柄なシルエット。まだ薄暗い明け方の微かな光を集めて、美しい金髪に天使の輪ができている。

 

「クリスタ」

 

 ジャンが控えめに名前を呼んだ。反応はない。

 

 聞こえなかったのか?

 

 不審に思いつつ、ジャンは小走りに駆け寄って彼女の肩を軽く叩いた。セミロングの髪が波打つ。

 

「何?」

「……は?」

 

 目が覚めた。完璧に。

 

 唖然とするジャン。少女の瞳が凍りつく。背筋に冷たいものが走り、ジャンは反射的に身を引いた。次の瞬間、眼前を過ぎる彼女の靴先。ジャンはバランスを崩して尻餅をついた。壁に頭を強打、目の前にブーツの裏が迫り――それを紙一重で首を傾げて躱した。ジャンの顔の真横を、ブーツが凄まじい音を立てて踏み抜く。

 

「へえ。よく避けるね」

 壁に足をかけた状態で、アニが感心したように言った。

「お、お前なあ!――ッ殺す気かよ⁉︎」

「アンタが悪いんでしょ? 女の子の顔を見て、幽霊でも見たみたいな反応。失礼なんじゃない?」

「だからってやりすぎだろうが!」

 

 まだ心臓がバクバクいっている。アニは何事もなかったように足を下ろして乱れた髪を手で払うと、金糸のような髪がさらりと踊った。

 

「それで感想は?」

「は?」

「だから、今日の私に感想はないのって聞いてるんだけど」

 

 出会い頭の無差別殺人女型巨人。

 

 なんて本音を言えば、本当に殺されることだけはわかる。こんなにわかりやすい正解があるのに、心理的な抵抗がものすごい。ジャンは怒りを抑えて立ち上がった。

 

「その髪型……似合ってるな」

 ジャンは絞り出すように言った。

「……ありがとう」

 

 女型の巨人の瞳が氷からシャーベットぐらいになって、その視線がまだ寒いんだけど結構柔らかく感じて、途中から普通の女の子みたいに変わった。ストレートに下された髪と、微かな微笑み。

 

 ちょっとマジでかわいいじゃねーか。

 

「愛の伝道師さんに褒められると、自信がつくよ」

 世間話みたいにさらりと言われて、ジャンは反応に遅れた。

「……何で知ってる」

「怖い顔しないでよ。大丈夫、チクるつもりなんてないから。私はただ相談に乗ってほしいだけ」

「俺に相談?」

 

 アニはこくりと頷き、「恋愛相談だよ」と微笑んだ。

 

 

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