ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」 作:三木えーっと
私とベルトルさんの馴れ初め? まあ、自然と……って感じだな。勘弁してくれよ。二人だけの思い出ってやつだ。シャイな男なんだよ。赤くなってかわいいだろ?
ユミルはわらわら集まってきた同期たちに囲まれて、適当な惚気話を口先で答え、心の中では舌を出した。アニがこちらを見ているのに気付き、ユミルはすかさずベルトルトに擦り寄る。鼻腔に広がるウイスキーの微かな香り。
「もっと水飲んどけよ。匂いでバレるぞ」と囁いた。慌てて水をあおる彼氏がバカワイイ感じで笑える。ちょうど食堂に入ってきた馬面野郎は巨人でも見たような顔で驚愕していた。
「あーん♡」
ユミルはにっこり微笑んで、ベルトルトの鼻先に芋を突きつける。顔面蒼白。ベルトルトは虚な瞳で機械的に口を開けた。
被害者面とは感心しねえな。覚えてないだろうが、そもそもの責任はお前にあるんだぜ。ベルトルさんが悪い。じゃなきゃ、こんな茶番もなかったんだからな。
*****
昨晩は盗みやすい夜だった。月夜で目はきいたし、教官の見回りも少なかった。食料庫には何度か忍び込んでいるが、芋女と違ってバレたことはない。手に馴染むボトル缶に教官方専用の上等なウイスキーをなみなみと注いで、ユミルは気分良く寮に戻るはずだった。
ところが帰路の途中でベルトルトを見つけたのだ。一人でふらふら歩いて、明らかに挙動がおかしい。いつもなら声なんてかけないのに、酒が手に入って気が大きくなったんだろう。
「よーお」なんて声をかけると、ベルトルトにボトル缶の中身を聞かれた。ユミルが華麗な盗みの手口を武勇伝混じりに話してやると、突然、ベルトルトは貴重な酒を奪い取って一気にあおり、そして泣き崩れた。流れるような暴挙だった。
ユミルはあっという間の出来事にしばし呆然としたが、後の祭りだ。もともと沸点の低いユミルが怒りで震えたことは言うまでもないが、それも数時間続けば虚無感に落ち着く。
「ううっ……だから、ぼくはつきあいたいとか……! ぜっんぜんおもってなくってえええええ」
「そうだな。勢いってあるよな」
「ああああそうそう! ヒック、う……なのになのにあああバカか! うぇッ……ちょーしにのって――きえたいいいいいあああ!」
「奇遇だな。私も早くここから消えたい」
「でくのぼう……よくいきてられるな! ああああアニがなんで――」
「そりゃーひどい女だな」
「アニはやさしいよ! きみにアニのなにがわかるんだ!」
「私はどうすりゃいいんだよ」
酔っ払いがめでたく何度目かの吐瀉物を樹木にぶちまける。
帰りたい。が、これを放置すれば私の盗みもバレるだろうな。アホみたいにベラベラ喋っちまって、こりゃ明日になったら記憶飛んでるだろ。
木に背中を預けて、ベルトルトが座り込む。かしづくように項垂れた。無防備なつむじが晒されていて、ユミルはそれを恨みを込めてグリグリ押してやる。無反応。強めに堅い短髪を引っ張る。無反応。デコピン。無反応。
「ぼくは」
やがてベルトルトがぼそりと呟いた。ユミルは彼のつむじを見つめながら「何だよ」と尋ねる。
「いちばんに、なりたかったんだ。アニの……いちばんに」
消え入るような声だった。さっきまでギャーギャー騒いで泣き喚いてたくせに。力なく投げ出された両足とだらりと垂れ下がる両腕。頭部は深く沈み、落ち込んでいた。
一番か。いかにもガキ臭いくだらない悩みだと思った。なのに、困った。こいつの気持ちがほんの少しだけわかってしまう。
好きの意味が違うけれど、それとよく似た感情ならユミルも知っていた。金髪碧眼の美少女が脳裏に浮かぶ。
ユミルは屈み、至近距離からベルトルトの顔をのぞき込む。痛々しく泣き腫らした目。また一つの涙が彼の頬を流れた。
「じゃあ、ベルトルさん。私の一番になるか?」
「……え?」
彼の瞳に、ぼんわりとした光が灯る。
「ずるくて偽物の一番でも、ないよりマシだろ? 少なくとも今よりは惨めじゃないはずだ」
ユミルは彼の頬を軽くつねって、
「その代わり、ベルトルさんの一番にも私を置いてくれよ。それぐらいいいだろ?」
一番の意味をわかっているのか、いないのか。ベルトルトはへにゃりと笑った。
答えになってないが、まあいいか。そうだ。酒が抜けてから言い逃れされてもつまんねーな。
ふと思いついて、ユミルは無防備なベルトルトの首筋に証拠を残した。赤い印――ちょっとした契約だ。正気に戻って慌てふためくベルトルトの姿が目に浮かび、耐えきれずに吹き出す。
せいぜい慌てろよ。私だって迷惑かけられたんだ。これでイーブンだろ?
****
最近の私は変だ。ユミルとベルトルトが付き合ってるって聞いた時から、胸の奥がもやもやしてうまく笑えない。なんでこんな気持ちになるんだろう。自分のことなのによくわからない。
「お前さー何で怒ってんの?」
だからユミルにそう問われた時、クリスタは面食らった。自分でもわからなかった胸のつかえを、ぴたりと言い当てられた気がしたからだ。
水汲みの当番は、ユミルと二人きりだった。彼女が話しかけてくれないから、自分から口を開くのも気まずくて、黙々と作業を進めてようやく終わりに差し掛かったところにこの質問。
動揺して、危うく桶をひっくり返すところだった。水が桶の中で飛び返って、波打ちながら次第に静かになる。それを見守ってから、クリスタは答えた。
「私……怒ってるように見えるかな?」
「ああ、見えるな」
石造りの井戸に腰掛けて、ユミルがため息をつく。
「私のこと避けてるだろ。バレバレなんだよ」
「避けてるなんて――」
否定しようとして言葉につまった。クリスタは頭を振って、
「ごめんなさい。避けてるつもりはなかったの。ただ……その、話しづらくて」
「何で?」
「なんでって……」
「つまり、私と話すどころか顔も見たくないぐらい怒ってんだろ? 何でだよ」
「……わからないの」
クリスタは長い睫毛を伏せた。自分のことなのに、わからない。
私だってずっと困ってたよ。クリスタはいい子だから、いつも笑顔で誰にでも優しいから。なのに――そっか。私、怒ってたんだ。ユミルのこと、ずっと怒ってた。
一方的に避けるなんて、ユミルはどんなに傷付いたんだろう。悪いことをしている自覚だけはあって、なのにどうしても彼女の前に立つと喉がきゅっと締まる感じがした。
私の中身は空っぽだ。
クリスタならああする。クリスタならこうする。心の中の大半を占めている偽物の人格は、まるで綿菓子のように柔らかくて大きい。その周りに塵芥の――本当の自分がいる。風が吹けば、舞い上がって鬱陶しく主張してくる。捨ててしまいたいのにそれもできなくて、ずっと見えないフリをしてきた。ユミルに怒っているのは、たぶんその部分。汚くて触りたくない、掴みどころのない塵芥。
俯いてしまったクリスタを見つめ、ユミルが意地悪く言う。
「当ててやろうか。お前は、私がベルトルさんと付き合ってるのが気に入らないんだよ」
「ち、ちがう! そんなこと思ってるわけないよ!」
「裏切られたって思ったろ?」
「……え?」
ユミルの射抜くような視線が、心臓に刺さる。
「要するにお前は、私に恋人ができるなんて納得いってないんだ」
「ちがう……」
「いいや、違わないね。性格が悪くて愛されたこともないくせに、誰かを愛せるはずねえって、そう思ってるんだろ?」
「ちがうってば!」
思わず声を荒げた。頭が真っ白でうまく息ができない。苦しい。
なんで? なんで私はこんなに苦しいの?
「なあ、クリスタ。お前の生き方に口を出す気はねーけどな。お前が思うよりも世界ってのはいい加減だ。いい子も悪い子も、人間性なんて関係ねえ。自分勝手に誰かを好きになってもいいんだよ」
ユミルは寂しそうにそう言った。