ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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十八話

 頭が真っ白になった。汗がどっと噴き出る。呆然とするジャンに構わず、教官が命じた。

 

「独房にぶちこめ。開拓地に戻るまでの間、己の未熟さをせいぜい見つめ直すことだ」

 

 弁解する間もなく拘束され、ジャンは連行された。馬小屋を通り過ぎ備品庫をなぞるように進むと、教官方が事務作業や泊まり込みで使用する宿舎が見えた。何かまずいことをすれば決まって呼び出される――訓練兵にとってはなるべく近寄りたくない場所だ。長い廊下の突き当たりに、地下に降りる階段があった。言動はともかく、優秀なジャンがこの階段を降りるのは初めてのことだった。

 

 一段降りるごとに空気は寒く湿っていた。レンガ作りの壁は劣化してヒビ割れ欠けていて、そこから覗く土壁のせいか水分を含む土の臭いが主張するように漂っていた。独房の中には小さなベッドが一つ。それだけで破裂しそうな檻の中にジャンは詰め込まれると、背中で錠を下ろす音が鳴った。教官の気配が上階に消えると明かりはなくなり、暗闇に閉ざされた。

 

 どのぐらいココに入れられるかは、教官方のさじ加減次第だ。当人に知らされることはない。なぜなら、その方が効果的だから。朝なのか夜なのかすらわからない暗闇で時間の感覚をなくし、終わりの見えない恐怖が精神を追い込む。

 

 ジャンはベッドに腰を下ろした。頭の中では、様々な考えが巡っていた。

 

 成績の操作がバレたんだ。俺ほどの実力で開拓地送りなんて、それ以外考えられねえ。だが、なぜだ⁉︎ 証拠を残すようなヘマはしなかったはず――ッ! 一体何が起こった⁉︎

 

 開拓地送りを言い渡され、それが覆った者は今までいない。今までと言うのは104期だけでなく、訓練兵団発足時からずっとという意味だ。要するに詰んでいる。

 

「畜生! どうしろっつーんだよ!」

 

 ジャンは怒りに任せて、思いきり壁を殴った。拳の皮がめくれたのか血が指をつたう感覚があった。

 

 冷静になれ! 何か策があるはずだ! なんとかしねえと――ッ! そうだ。このまま俺が開拓地に送られたらどうなる?

 

 激情に駆られた頭が急速に冷えた。自分のいない未来を想像して。

 

 もしかしたら、いや間違いなく、壁内人類は世界の真実を知らぬまま滅びることになるだろう。ジャンがいなければ、調査兵団は憲兵団との抗争に負ける可能性が高いからだ。

 

 あの一件は、エレンとヒストリアを奪還する少数精鋭の作戦が肝だ。よって、各々の役割は重く、誰が欠けても成功率はグッと下がる。さらに言えば、マルロとヒッチを引き込んだのはジャンだ。彼らの働きがなければ、二人の救出に間に合わない。となれば、行く末は二択。ヒストリアがエレンを喰って壁の中は再び初代王の思想に支配される、もしくは巨人化したロッド・レイスにエレンを殺され、壁内の切札がなくなる。どっちに転んでもバッドエンドだ。

 

 怒りを忘れ、絶望的な現実にジャンはよろめいた。崩れるようにベッドに腰を落とす。こんな形での終わりは、予想だにしていなかった。次の一手を考えなければならないのに、そんな力はどこにも残っていない気がした。

 

 

 

****

 

 

 

「ジャン! 起き――さ――ッ!」

 

 いつのまに眠ってしまったんだろう。自分の名を囁く声に、ジャンは飛び起きた。反射的に声の方を見やると、明かりに目が眩む。鉄格子の向こうで、フードを目深に被った人物がこちらを伺っていた。

 

「クリスタか⁉︎」

 ジャンが呼びかけると、そいつは飽きれたように言った。

「寝ぼけるのもいい加減にしてくださいよ」

 ランタンを床に置いてフードをさっと外し、サシャが顔を見せた。

「なんでお前がここに⁉︎」

「私だって、好きで来たんじゃありません。クリスタがどうしてもジャンの様子を見に行くってきかなくて……ユミルに脅されて、仕方なくです。私の隠密スキルはすべて食料確保のためであって、馬の世話のためじゃあないんですよ! まったく……」

 サシャは不機嫌そうに不満を漏らした。

 

 なるほど。ユミルの入れ知恵か。たしかにここまで忍び込むには、サシャじゃないと無理だ。わざわざ来たってことは、現状を打破する妙案があるってことだよな⁉︎

 

 思わぬスケットの登場に、ジャンは近寄って鉄格子を握りしめた。しかし、サシャは厳しい表情でジャンを睨みつけている。

 

「……なんでクリスタだと思ったんですか?」

 なんだよ、その無意味な質問。

「別に理由なんかねーよ。なんとなくだ」

 サシャは舌打ちをして、

「どこまでも最低な馬面野郎ですね」

「はぁ?」

「ミカサのことが好きなくせに、クリスタにまでちょっかい出して。最近はアニにご執心じゃないですか。有名な話ですよ。アニを女にしたのはあなただって」

「ぜんぜんちげーよどんな噂だ! つーか今はどうでもいいだろ!? そんな話してる場合じゃねえから!」

「そんな話⁉︎ さすが自分に正直な男はちがいますね! 三股――いえ、四股とは恐れ入ります」

 サシャは声を震わせ、

「そうやって……私のことも弄んだんでしょう⁉︎」

「マジで何しに来たんだテメェは⁉︎」

 小声で怒鳴り返すと、サシャはボロボロ泣き出した。

ジャンはギョッとして、

「な、泣くことねえだろ!」

「あなたが約束を破るから! 兵団卒業まで、毎朝パァンをくれるって約束だったじゃないですか! なのに、勝手に開拓地送りなんて――ッ自分勝手にもほどがあります! 卒業まであと三ヶ月もあるんですよ⁉︎ 三ヶ月分の私のパァンが……どうしてくれるんですか⁉︎ あんまりです!」

「あんまりなのはお前の頭だ」

 

 同期に対してパン以上の感情はねえのかよ。このバカに期待する方が悪いってわかってたのに……。俺はなんてアホなんだ。

 

 ジャンはガックリと肩を落とす。やっと落ち着いたのか、サシャが鼻をすすって思い出したように言った。

 

「……ああ、そうでした。ユミルが」

「ユミルが⁉︎」

「田舎に帰っても元気でやれよジャンボって言ってました」

「サシャ。頼むから帰ってくれ」

「まあまあ、今までのはちょっとした冗談です。パァンとユミル以外は」

「ほとんど本気じゃねえか」

 

 本当に何しに来たんだよ、こいつは!

 

 サシャはごほんと咳払いを一つ。急に真面目な顔を作ると、今さら忍ぶように周囲を伺って、「クリスタから伝言を預かってきたんです」と囁いた。

 

「クリスタが?」

「ジャンのことは私が絶対助けるから。心配しないでね……とのことです」

 サシャはドヤ顔で、ふふんと笑みを浮かべた。

「クリスタは頑張ってますよ! ジャンを擁護する嘆願書を教官に提出するって、同期全員に署名をお願いしてるところです」

「それで成果の方は?」

「え……あああ〜まあ、それは……こ、これからですよ! ほら、私も手伝いますし!」

「つまり、全然集まってねえんだな」

 

 そう確認すると、サシャは気まずそうに目をそらした。ジャンは今度こそ深いため息を吐いて、鉄格子に寄りかかった。サシャは「大丈夫ですよ!」とか「なんとかなりますって!」とか、散々期待させて裏切っておいて、今さら必死にフォローを入れてくる。

 

 嘆願書か……そりゃ、誰も賛同しねえだろ。俺なら絶対に署名なんてしないぜ。ヘタなことして、巻き添えくらって仲良く開拓地送り……なんてことになったら今までの努力が水の泡だ。だいたい訓練兵からの嘆願書で教官の命令が覆るはずもねえ。

 

 そして、悟る。

 

 万事休すだ。もうどうにもならねえ。

 

 開拓地送りになる現実を、ジャンは受け入れるしかなかった。判断の速さは、調査兵団の指揮官として自然と身についた。諦めが肝心だ。

 

 しかし、ジャンの目はまだ死んでいない。大事なことは、まだ最悪の状況ではないということ。どんなことがあっても死ぬよりはマシで、生きている限り、抗うことはできる。

 

 ジャンの右手は自然と己の心臓を掴み、灰汁色のシャツが苦しそうに歪んでいた。

 

 ……未来のことを仲間に伝えよう。たとえこの心臓が破裂するとしても。ジャンの瞳には、まさしく調査兵団としての使命が宿っていた。

 

 どうやって伝えて何を残す? 書くのもダメ、話すのもダメ。だが、幸運なことに前に試した時は即死じゃなかった。痛みに耐えて死ぬまで話せば、一言、もしくは二言ぐらいなら伝えられる。けれど、たったそれだけで何を残せるだろう。しかも、残したところで誰が信じる? こんな突飛な未来の話。

 

 ジャンはちらりとサシャを観察した。落ち込んだ同期を励まそうと、百面相を続けている。平和ボケしたアホ面と緩んだ眉。そこに、未来のサシャの面影が被って見えた。

 

 ……サシャだったら。こいつはアホでバカだが、勘は鋭く、情に厚い。サシャなら気付く。今は無理でも、超大型巨人の二度目の襲来の後。俺の奇妙な言動を思い出すだろう。

 

 ジャンは意を決して、大きく息を吸った。

 

「サシャ。これから人類にとって重大な話をする。俺は本気だ。信じられねえと思うが、真剣に聞いてほしい」

 

 死ぬ。俺はまた死ぬのか。

 

 一瞬だけ、まぶたの裏にミカサの後ろ姿が浮かんだ。

 

 再び口を開こうとした時、鋭い痛みがジャンを襲う。心臓を握られるような感覚。氷のような手で優しく包むように握られる――激痛だ。耐えられず、ジャンは呻き声をあげてその場に倒れ込んだ。

 

「ジャン⁉︎ どうしたんです⁉︎ 痛むんですか⁉︎」

 サシャは慌てて、

「待っててください! 今すぐ、教官を――」

 

 驚愕し、走り出そうとしたサシャの足をジャンは掴んだ。

 

「いいから聞け! 俺は」

 

 激痛に構わず、声を振り絞ろうとした時だった。口の中に何かが飛び込んだ。次々に飛び込んだ何かは、一瞬にして増殖し、喉奥から体内へ入り込もうとする。声を出すどころじゃない。強烈に迫り上がる嘔吐感。蛇口でもひねったように、ジャンは吐瀉物をぶちまけた。

 

「えええ⁉︎ ちょっと! 本当に平気なんですか⁉︎」

 

 サシャに返事をする余裕もなく、ジャンは口元を手で覆ってえずく。言葉を発するどころじゃない。

 

 おいおい……前より判定厳しくなってねーか⁉︎ ズルは許さねえってことかよ! 未来の情報――訓練兵時代の俺が、知らなかったことは話せねえってことか。こんなんじゃ、未来なんて知ってても意味ねえだろ!

 

 サシャはジャンの背中をさすりながら言った。

 

「無理しないでください! キース教官は必ず説得しますから! ほら、なんか弱みでも握って……そうです! 愛用の育毛剤とか証拠見せてやって、ハゲ気にしてるのバラしてやる〜とか、ちょっと脅せば一発ですよ! だから、ジャンは何も心配せず、大人しくて寝てて――」

 思いつくままに、サシャは適当な慰めを垂れ流す。ピクリとジャンの肩が震えた。彼は鋭く問う。

「いま……なんつった?」

「へ? だから、寝ててくださいと……」

「その前だ!」

「キース教官は必ず説得します?」

「バカ! 戻りすぎなんだよ、その後だ!」

「弱みでも握って?」

「その次だ」

「ええーっと、愛用の育毛剤とか証拠を見せて……?」

「それだ」

「ええ⁉︎ ……あの、確かに私も勢いで言っちゃいましたけど、さすがに無理だと思いますよ? というか、そんなことしたら教官に殺されます」

 

 サシャは真っ青になって言う。

 

「ちげーよ。証拠が必要なのは俺の方だ」

 ジャンは瞳をギラつかせ、

「喜べよ、サシャ。あと三ヶ月分のパンをお前にやれる算段がついたぜ」

「マジですか⁉︎」

 

 俺の考えた通りなら、キース・シャーディスと取引ができるはずだ。取引材料は、俺の頭の中。それを引っ張り出すには――。

 

 ジャンは口元を拭って立ち上がり、サシャに向き直った。

 

「お前に頼みがある。書庫室から持ってきてほしい本があるんだ」

「こんな状況で読書ですか? まあ、それぐらい構いませんが……」

「あとエレンに聞いてほしいこともある」

「エレンに?」

 

 本の名前とエレンへの質問内容を告げると、サシャは不審そうに首を傾げ、渋々うなずいた。

 

 

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