ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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二十話

 冷酷な判決に、ジャンの怒りは絶望に変わった。

 

 終わりだ。もはやどうすることもできない。俺は開拓地に行って、役立たずのまま――

 

 耳鳴りと共に、ザアッと音が遠ざかっていく。鼓膜がイカれたんじゃないかと疑い始めた時、扉を叩く音がかろうじて聞こえた。キースは青ざめるジャンから視線を外し、いつもの調子に戻って「入れ」と高圧的に命じる。もはやジャンなどこの場にいないかのような振る舞い。立ち去るしかないとわかっていても、ジャンの足は未練がましく固まっていた。にわかに背後で気配が近付く。

 

「何の用だ」

「ハッ。恐れながら、ジャン・キルシュタイン訓練兵について嘆願があり、参りました」

 

 聞き覚えのある、抑揚のない声色だった。反射的に振り向いて、ジャンは驚愕する。張り付いた喉が剥がれるように動き、「お前……なんで?」と掠れた声を漏らした。

 

 彼女の美しい黒髪が、鎖骨をくすぐって揺れる。冷静沈着ながら意志の強さを秘めた瞳は、ジャンを見ることはなく、真っ直ぐに教官へ向かっていた。

 

「ミカサ・アッカーマンか。意外な人物が来たものだ。……だが、今しがた結論は出た。貴様らがどう動こうが、何も変わりはしない」

 

 教官の突き放すような物言いにも動じず、ミカサは無表情で歩み、机の上にいくつかの書類を置いた。

 

「彼は愚かにも成績の操作を行い、訓練の妨害をしたことは事実です。しかし、その愚行を裁くならば、平等に彼の功績も評価すべきではないでしょうか」

 

 ミカサは機械的に述べた。

 

「その資料は、ここ数ヶ月のジャン・キルシュタインの功績をまとめたものです。彼は立体機動の技術を独占することなく、104期に広くその知識を分け与えました。結果、訓練兵の立体機動技術は、目に見えて向上しています。彼の指導力は群を抜いている――その限りにおいて、教官も認めざるを得ないのではないですか」

 

 キースがパラパラと資料をめくる。グラフや数値を用いてまとめられた資料は、各訓練兵ごとに実績と考察を並べており、何ページにも渡っていた。その詳細さに、ジャンは目を見張った。

 

「なるほど。つまり貴様はこう言いたいわけか。今まではこちらの指導力不足であり、この男のおかげで訓練兵は実力を伸ばしていると」

「概ね、その通りです」

 

 ミカサは平然と肯定した。

 

 おいおいおい! 挑発してどうすんだよ⁉︎ お前まで罰則食らったって、プラスになることなんて一つもねえだろ!

 

 ジャンは乾燥した喉に唾液を送り、恐る恐る様子をうかがう。キースは無表情のまま、口を開いた。

 

「元同期への思いやりはたいしたものだが、立場を弁えろ。今すぐ退出すれば、上官に対する無礼な発言は聞かなかったことにしてやる」

「その必要はありません」

 彼女は無機質に答えた。

「ほう。罰を受ける覚悟は出来ていると?」

「はい。ジャン・キルシュタインの処分が覆らない場合、私も開拓地へ移る覚悟です」

 

 彼女の言い分に、ジャンだけでなくキースまでも言葉を失った。

 

 ッ――はあ⁉︎ 何言ってんだよ! お前がそこまでする理由なんてどこにもねえだろ⁉︎

 

 だがしかし、案外いい手かもしれない。万が一、彼女が本気なら104期は卒業目前で首席を失うことになる。しかも、ミカサ・アッカーマンといえば訓練兵団始まって以来の天才だ。彼女の名は既に訓練兵だけに止まらず、卒業後はどこに所属する気なのか――上官方の注目を集めている。そんな人類の希望が開拓地送りにでもなってみろ。並の追求じゃ、収まりがつかないはずだ。

 

「貴様は……自分が何を言ったかわかっているのか? 脅しや、冗談では済まされないと――理解してるだろうな」

「はい」

 ミカサは即答した。迷いない姿勢に、キースは問う。

「なぜだ。……なぜそこまでして、この男を庇う」

「人類の未来のために、彼の指導力――いえ、ジャン・キルシュタインの存在は必要不可欠だからです」

 

 キースが値踏みするように、睨みつけた。彼女の美しい敬礼は崩れない。しばし両者の睨み合いが続いた後、ついにキースが折れた。

 

「……わかった。その嘆願を検討しよう。提出された資料にも、目を通しておく」

 

 ミカサは「ありがとうございます」と初めて人間らしく、息を吐いた。

 

 は? いまなんつった?

 

 ジャンは固まったまま。二人のやりとりに完全に置いていかれ、頭がついていかない。キースは渋い顔で、唸るように言う。

 

「ジャン・キルシュタイン」

「は――ハイッ!」

「貴様の処分は、再検討することになった。両名とも早く退出しろ」

 

 ジャンは気の抜けた返事をすると、ミカサに連れられて部屋を後にした。彼女が颯爽と目の前を歩いていく。久しぶりのような――けれど見慣れた光景に、ようやく緊張の糸が緩んだ。

代わりに訪れた別種の緊張に顔を紅潮させて、ジャンはハネた声を出す。

 

「待てよ、ミカサ! 俺は――」

「お礼なら後にした方がいい。私よりも先に言うべき人たちが、あなたにはたくさんいるはず」

 

 ミカサはめずらしくジャンに微笑んだ。

 

 

 

****

 

 

 

 外に出ると真っ暗で、ジャンは今が夜だったことに気付いた。キースによると独房には三日間入っていたはずだ。ということは、たしか今日は非番で明日の早朝には訓練がはじまる。にも関わらず、食堂には多くの訓練兵が集まっていた。

 

 ジャンが姿を見せると、まるで一切れの干し肉がもらえるぐらいのテンションで皆がワッと集まってきた。「どうなった⁉︎」と口々に問い詰められ、その熱量にジャンはポカンと立ちつくした。面食らって押し黙るジャンに、業を煮やしたんだろう。アルミンがミカサに噛み付くように問いただす。

 

「上手くいったの⁉︎ まさかミカサまで本当に開拓地送りになったんじゃ――ッ⁉︎」

「落ち着いて、アルミン。問題ない。あなたの計画通り、全て上手くいった」

 

 ミカサが答えると、アルミンはホッと胸をなでおろした。次の瞬間、訓練兵たちが歓声を上げ、ハンカチやら帽子やらカップやら――様々なものが宙を舞った。その光景を、ジャンは呆気にとられて眺めていた。それは不思議な光景だった。以前の彼では見たことのない景色だった。

 

 かつて訓練兵だった頃のジャンは口が悪くて、自己中で、正直者で、だから敵も多く、まあそこそこに嫌われていた。超大型巨人が襲来した日――ろくに話したこともなかった大勢の同期たちと死に別れた。そいつらが、ジャンの肩をバシバシ叩きながら、処分の撤回を喜んでいる。ひとしきりもみくちゃにされた後、ジャンはようやく輪の中心から抜け出した。主役がいなくなっても気付いた様子はなく、宴のような不思議な熱が盛り上がっていた。どこから調達したのか、料理も並んでたりしてちょっとしたパーティー状態だ。

 

 火種が消えても、燃え移った炎はなかなか消えない。まあ、集団とはそんなもんだろう。他人事のように観察して、思う。

 

 壁際に避難してやれやれと溜息を吐くと、その音が被って聞こえた。いつのまに隣にいたのか。金髪のおかっぱ頭――アルミンと目が合う。タイムリープ後、彼との絡みは立体機動のアドバイスぐらいだった。こうして穏やかに話すのは、ほとんど初めてだ。

 

「ははっ……すごい人気だね」

「バーカ。どこがだよ。場の空気に酔ってるだけだろ」

「そうかな?」

「こっちは知ってんだよ。嘆願書の署名、ほとんど集まらなかったらしいじゃねえか。ったく、調子いいんだよな。どうせ余興ぐらいに思ってんだろ。当事者はマジでギリギリだったっつーのによお。訓練の鬱憤を、騒いで解消したいんだろーぜ。もしくはハゲ教官に一泡吹かせてやったのが、よほど嬉しいんだろ」

「そのわりにはジャンも嬉しそうに見えるけど」

 

 笑い混じりに返されて、ジャンは無言でアルミンを見やる。と、慌てて目を逸らされた。見るからに気弱そうな少年だ。

 

 この時点では、調査兵団で大活躍する未来なんて嘘みてえだな。

 

「お前が作戦の立案者だって?」

「え⁉︎ ああ、うん。実は僕なんだ。ハハ……上手くいったからよかったけど、僕なんかの案じゃ、ジャンも不安だったよね」

 

 軽く握った拳をアルミンの左胸に押し当て、ジャンは語気を強める。

 

「何言ってんだよ。お前の作戦なら、俺は一番に命をかけられるぜ。ありがとな、アルミン」

 彼は一瞬目を見開いて「あはは……ジャンに褒められるなんて、意外だよ」と照れ臭そうに笑った。

 

 にしても、よくやりきったな。駆け引きなんだろうが、下手すりゃ、ミカサまで開拓地送りになるところだった。たしかに首席様を引き合いに出せば、教官もこちらの要求を飲むしかねえか。

 

 上手くいきすぎたように感じてしまうのは、調査兵団ゆえの悪癖か。ネズミのようにちょこまか動きながら、料理を摘んでいくサシャの姿が見えて、気が抜けた。

 

「もちろんアルミンも頑張ったけれど、同じぐらい感謝すべき人間が、あなたにはいるはず」

「ああ、そうだな。お前もありがとな」

 ふらっと現れたミカサに、ジャンがとりあえず礼を言うと、彼女は首を振った。

「まだ私の番じゃない。アルミンが考えた作戦だけど、あの詳細な資料を作ったのはマルコなんだから」

「ちょっとミカサ! それは言わない約束じゃ」

「なぜ? 仲直りなら早くしたほうがいい」

 ミカサはキョトンと首を傾げた。

 

 訓練兵が騒ぐ中心部から外れて、食堂の端の卓に座る後ろ姿があった。誰が見ているわけでもないのに、ピンと背筋を伸ばして、クソ真面目がダダ漏れている。同時に、「ああ、ピリついてんな」とも思った。

 

 普段大人しい奴が怒ると怖いという通説は、どうやら本当らしい。マルコという男が、まさにそれだった。表面上は、不機嫌そうに見えない。むしろいつもよりニコニコしているぐらいだが、不思議と誰も話しかけられなかった。すると、なぜか決まって、ジャンに苦情が来るのだ。何も知らないくせに、早く謝れだの、どうせお前が悪いだの、好き勝手に言われて辟易したもんだ。

 

 そばかす野郎はジョッキを片手にぐい呑みしていて、酒でもねえのにと思ってムカついた。その頭をパンと叩くと、顔面を水浸しにしてマルコが叫ぶ。

 

「ぶはっ! ――ッ何するんだよ!」

「やり方が気に入らねえんだよ。聞き耳立ててんのバレバレだぜ。どっかのクソ真面目が暇だったおかげで、俺は明日からも訓練に打ち込めるらしいな」

 

 マルコは舌打ちをして、「どうやら、そうらしいね」と答えた。ジャンは鼻で笑い、

 

「まあ? 俺ほどの頭脳がありゃー、ハゲ教官なんて余裕で説き伏せてやったんだけどなあ。今回は、お前に花を持たせてやったってことで」

 

 バシャリと、顔面にぶっかけられた。ぽたぽた滴る水滴。ジョッキをこちらの方に傾けて、マルコがにっこりと笑う。

 

「ほら、祝い事があると酒をかけるって言うじゃないか。水が代わりで申し訳ないけど。おめでとう、ジャン。無事に親友と卒業できそうで、僕は嬉しいよ」

 

 親友とか言ってんじゃねえよ。

 

「どうしたの? 二人して水浸しで……またケンカ? ジャンは仲直りしに来たはずでは」

「ああ、ミカサか。大丈夫。ジャンが謝ってくれてさ。無事に和解したところだよ」

 

 マルコは、なあ?と楽しそうに同意を求めてくる。俺は謝ってねえよ!と言いたかったが、今回ばかりは分が悪い。仕方なく黙っていると、そばかす野郎にまたニヤつかれた。

 

「そう。なら、丁度良い。そろそろジャンは、私にお礼をする番だと思う。ので、私の話を聞いてほしい」

 

 目をキラキラさせて、ミカサは言った。

 

 正直、嫌な予感しかしない。

 

 




努力!友情!勝利!

やっと二十話ですねえ(遠い目
ここまで書けてるのも、読んでくれてるあなたのおかげです。
有り難き幸せ!
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