ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」 作:三木えーっと
ミカサの凄さは、無駄な動きがないところだ。
迷いがない。
乱れがない。
まるで彼女のために敷かれたレールを滑るように、優美な曲線を描きながら飛んでいく。
美しいのに、力強く。
烈しいのに、静かで。
強者たる圧倒的な存在感と、一瞬で視界から消えるスピード。
それは、ジャンが頭に描く理想的な立体機動だ。
いつだって追いつけなかった。
自分には到底届かない領域。
彼女の飛ぶ背中を見ていると、たまにどうしようもなく胸が熱くなった。
強烈な渇きを感じた。
恋慕ではない。
これは、兵士としての憧憬と見苦しい嫉妬だ。
ギュルルルルルルルルッとワイヤーを巻き取る音が風を切り裂く。
トップスピードにブレーキをかけて、ミカサは枝の上にふわりと着地した。
重力を思い出した黒髪が、彼女の肩に降りる。
「どう? 何か参考になった?」
ミカサが振り返る。
その頬に傷はなくて、一瞬驚いた自分にジャンは苦笑した。
「本当変わんねーな」とため息まじりにこぼす。
こいつは完璧だ――今も未来も。
「立体機動で飛んでる時、何を考えてる?」
さりげなさを装って、ジャンは尋ねた。
ミカサは不思議そうに「何を……」と呟く。
「気をつけてることでもいい。そうだな……例えばガスを吹かすタイミング、重心の移動、どこにアンカーを刺すか」
ジャンの言葉に、彼女は少し考えてから口を開く。
「考えはしない。強いて言うなら、イメージすることだろうか」
「イメージ?」
「こんな風に動きたいとイメージすれば、自然と体が動く」
彼女は大真面目に、無表情で言った。
おおよそ予想できた答えに、それでもガクリときて、ジャンは脱力する。
俺がバカだった。
恥を忍んで聞いてるっつーのに、ぜんぜん参考にならねえじゃねーか。
立体機動が得意といっても、ジャンはミカサに張り合ったことはなかった。
どうせ勝てないから。
挑むのも馬鹿らしい。
実力差を見せつけられ、惨めな思いをするだけだ。
もちろん自分には指揮官という役割があり、前に出過ぎるわけにはいかない。
特攻隊長のミカサを上手く操縦して、戦況を読む立場にある。
そんなことは分かった上で、だ。
理屈は置いといて、好きな女より弱いなんて情けないに決まっている。
今の俺なら、こいつに追いつけるかと思ったんだがな。
天才と秀才の差はでっけーなぁと、心の中でぼやいた。
ジャンは頭の回転は悪くない。
視野も広く、判断力には自信があった。
周囲を確認、情報を整理、取捨選択して、最善の判断をくだす。
そういうプロセスを通って、ジャンは動いている。
しかし、ミカサは違う。
ごちゃごちゃ考える必要はなく、彼女は直感でどうすべきかがわかってしまう。
最善のゴールへ一直線に向かえるのがミカサなら、地図を見ながらたどり着くのがジャンだ。
ジャンが必要とするのは、最善を見極めるための一瞬の間。
だが、その一瞬の差が致命的にデカい。
どうやったって普通の人間には無理だろ。
そういや、同じアッカーマン姓のリヴァイ兵長も厨二病発言してたしな。
なんだったか。
「ある日突然、力に目覚めた」とか「自分の体を完璧に制御できるようになる」とか。
何なんだよアッカーマン。
俺みたいな野良犬には、血統書なんてわかんねーっつの。
訓練で悩んだことなどない天才は、森の奥の方を眺めて立ち尽くしていた。
そっちの方からは時折絶望に満ちた叫び声が聞こえてくる。
鬼ごっこは順調に進んでいるらしい。
顔を見なくても、何を考えてるかなんて容易に想像がついた。
「髪、だいぶ伸びたな」
口をついて出た脈絡のない話題に、ジャンは焦る。
もう少し気の利いたことを言えればと、すぐに後悔した。
魂が戻ってきたばかりのように、彼女はぎこちなく振り返った。
伸びきって目に入りそうな前髪が揺れ、鬱陶しそうに目を細める。
「切った方がいいだろうか」
「なんで俺に聞くんだよ」
「ジャンが言った。エレンだと思って接してみろと」
……この鈍感女ァァアアア!
ああ言ったぜ、たしかに言った!
お前があんまりにもウジウジしてうざかったからな!
だからって俺と二人の時に言わなくてもいいだろ!
「長い方がいいんじゃねーの? 切ったらもったいねーよ」
綺麗な髪だから、って言うのはムカつくから省いた。
「前髪だけ切ればいいだろ。次の休みとかどうだ」
「わかった。空けておこう」
前髪を一房摘んで、ミカサはこくりと頷く。
……あれ、え? は?
何、俺も一緒に行く感じ?
****
とうとう俺にもツキが回ってきた。
今までの苦労を丸ごと消しちまえるぐらいの幸運が、俺を待っている!
「ぐふ……ククッ」
「ど、どうかしたの?」
奇妙な笑い声を吹き出したジャンに、クリスタは身を引いて驚く。
「ああ、気にすんな。悪りぃな」
「そんなに嬉しいことがあったの? 顔、ずっとニヤけてるよ?」
クリスタは小さく笑って言う。
立体機動教官補佐として、無事に初日を終えた。
夕飯の後に、恒例の反省会。
肌寒くなってきた夜の中、ぽわんと明るいランタンの前に、クリスタがちょこんと膝を抱えて座っている。
寒さに身を縮めているせいか、彼女はいつもより小さく見えた。
緩みまくった顔を見られたくなくて、ジャンはしかめ面に、腕を組んで突っ立っている。
ごほんと、咳払いをして取り繕う。
「とにかく初日の訓練は上々ってことだな。しばらくは同じ訓練を続けるってことで」
「あはは……みんなが聞いたら落ち込んじゃいそうだね」
「まだ言うんじゃねーぞ? 毎回希望持たせて、直前に地獄に落とすっつーのがメンタル訓練にもなるからな」
「そっか。ちょっと可哀想だけど、みんなのためだもんね」
クリスタが苦笑いで言った。
「そうだな。最低でも、次の休みまでは様子みるか」
「一週間とちょっとぐらいだね」
「そうだな。一週間とちょっと……」
また緩んでくる口元を、ジャンは手で押さえる。
一週間とちょっとで、初デート。
俺と、ミカサが!
脳内は花畑だ。
本来の目的を忘れるんじゃねえぞ!と自分を戒めても、油断すると笑いが込み上げてきて困る。
二人で出掛けることが、こんなに楽しみになるとは知らなかった。
挙動不審なジャンを、クリスタは不思議そうに見上げてから、視線を落とす。
「ごめんね」
唐突に、彼女は言った。
ジャンは面食らって、「ごめんって何が?」と聞き返す。
「本当はずっと謝りたかったの。ジャンが開拓地送りになりそうだったのに、私は何もできなかったから」
「何言ってんだよ。嘆願書作ってくれただろ?」
「あんなの意味ないよ。結局、署名は集められなくて、提出すらできなかったもの」
「あー、そりゃお前のせいじゃねーよ。俺の人望がないからだ。気にすんな」
しょんぼりと沈むクリスタに、ジャンは言った。
別にフォローしてるわけでもない。
客観的な事実を伝えたまでだ。
それでも、彼女は力なく首を振る。
ジャケットの袖口から少しだけ覗かせた指先を、温めるように擦り合わせた。
「ミカサはすごいなぁ。あんなに簡単に、カッコよく助けちゃうんだもん」
「まあな。ミカサは別格だろ。……それも、気にすることじゃねーよ」
ジャンは独り言のように呟いた。
クリスタも同じかもしれないなと、ふと思う。
自己評価の低い彼女のことだ。
みんなに好かれたくて自分を偽るくらいには、劣等感を抱えている。
彼女の愛されたい症候群は理解できなくても、その類の劣等感なら、ジャンは痛いほどよくわかった。
視線を下に向けると、彼女のつむじ。
丁度いい位置にあったそれに、なんとなく手を伸ばす。
指先が、金色の髪に触れた。
そのまま掌を乗せてみる。
いつのまに手先が冷えていたのか。
掌がじんわりと温かくなって、気持ちよかった。
クリスタって体温たけーな。
子供体温ってやつか?
微妙な感想を持ちながら、ぐりぐりと撫でる。
撫でる。
撫でる。
――ッいや、なんか言ってくれよ!
最初は、落ち込んだ小さな子供か小動物を落ち着かせるような感覚だった。
なのに、沈黙が続くと、急に恥ずかしくなってくる。
反応してくれたら笑って終わらせることもできるのに、クリスタは黙ったままだ。
何だよ、この微妙な間は⁉︎
怒ってんのか? 実はブチギレてんのか?
頼むからなんか言ってくれ!と、天に祈る。
祈りが届いたのか。
クリスタが身動ぎした。
その拍子に真っ赤になったうなじが見えて、ジャンは居た堪れず、彼女の頭を軽く小突く。
「あと、謝るなっつったろ」
「あ、あはは……そうだよね、ごめんね」
変な調子に明るくなった声に、クリスタも上擦った声で返した。
どちらからともなく、そろそろ解散するかという流れになる。
ばつが悪く、ジャンが立ち去ろうとしたところで、「あのね」と呼び止められた。
クリスタは、ランタンを手に下げていた。
その明かりは足元ばかり照らして、彼女の表情はよくわからない。
「私とライナーが付き合うことになったら、どう思う?」
ジャンは目を見開く。
そして、少し沈黙してから答えた。
「すげーお似合いだと思うぜ」
ランキング確変まだ続いてるみたいなので、遅筆のわりに頑張りました!読んでくれてるあなたのおかげ!ありがとうございます。