ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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二十九話

 

寒さが厳しくなると、めっきり夜が長くなった。

初秋の頃は六時や七時まで明るかったのに、今では五時に暗くなる。

夕焼けも短く急速に日が沈むせいで、立体機動の夜練は一時間も早く切り上げるよう教官に言われるようになり、ジャンはじりじりと心臓を焦がしていた。

焦燥感が嘔吐のように込み上げてくる。

ただでさえ時間が足りない。

 

同期の立体機動を監督し、自身のスキルアップも叶えようとすると、どうしても睡眠時間を削ることになる。

調査兵団だった頃も多忙で徹夜には慣れていたが、まだ成熟していない身体だと正直きつい。

過酷な訓練に悲鳴をあげる身体を無視して、月明かりの下、ジャンは筆を走らせていた。

 

今夜みたいに雲がある日は月光が弱くて、文字が見えにくい。

目を細めて文字を追っていると、眼球の奥がずんと重くなる。

蝋燭は消耗品だ。

部屋ごとに支給される本数も決まっているから、無駄遣いはできない。

しばらく黙々とレポート――立体機動教官補佐としての報告書――を書いていると、さすがに疲れが来て、ジャンは長く息を吐いた。

目を閉じるのはまずいのに、酷い目眩に仕方なくまぶたを下ろす。

一秒でも無駄な時間は使いたくなかった。

何より、休んでいると嫌なことを思い出してしまう。

 

『迷惑だって言ってるんだよ! ――アンタの恋愛ごっこには、もう付き合えない』

強烈に拒絶された。

アニの激情的な台詞がリフレインする度に、ジャンは歯痒さに奥歯を噛み締めた。

 

口論した翌日。

殺気立った瞳を爛々と光らせたアニが、結い上げられた髪とパーカー姿で現れた。

あれだけ一緒に行動していたエレンから離れて孤立。

あわよくばと騒いでいた彼女のファンたちは静まりかえり、誰もが腫れ物に触るように彼女を避けていた。

 

アニの協力を得られないなら、ジャンの作戦は破綻したも同然だ。

さっさと諦めて、次の作戦を立てる方が賢明だろう。

次の作戦――つまり武力行使。

壁の破壊を止めるには戦士組三名の殺害を……、いや、壁外の情報を得るためには壁の破壊後に捕らえた方が――そういったことを考えるべき段階に入っていた。

わかってる。

わかってるのに、なのに、どうしてもそんな糞な考えに頭を使う気になれない。

 

グガガガガガガ――ッとコニーのデカいイビキが響いて、ジャンは我にかえった。

振り向くと、涎を垂らしてアホ面で寝ているコニーと、行儀良く仰向けに寝ているマルコがいて、ジャンは唇を歪めて笑う。

 

こいつらのせいだ。

俺がぬるくなっちまったのは。

 

何かを得るためには何かを捨てなければならない残酷な現実を、知っていたはずなのに。

頭の中にあった凄惨な未来が、悪夢のように曖昧に薄れていく。

あれほどの絶望を忘れられるはずないのに――不思議だ。

すべてを救えるという希望。

それがジャンを狂わせる。

在りし日の仲間たちと過ごし、平和ボケに毒されたんだろう。

自覚はあっても、それを間違っているとは思いたくなかった。

 

訓練兵団の卒業まで、あと二ヶ月。

あと二ヶ月しかない残り時間を、まだ二ヶ月あると脳内で変換していた。

まだ救える。

まだ間に合うんだと。

 

コニーとマルコから視線を外して、ジャンは再び机に向かう。

マルコを――104期の面々を救うためには手を抜けない。

机にかじりつくように集中してなんとか報告書を仕上げると、息つく暇もなく新しい紙を机上に広げ、次は自身の立体機動について考察を書き留めていく。

 

アルミンのような発想力も、ミカサのような天賦の才も、エレンのような強靭な意志も、ジャンは持ち合わせていなかった。

だから、身を粉にして努力し続けるしかない。

迷いや苛立ちといった不必要な感情を放棄して、目の前のやるべきことを必死に片付ける。

泥臭くてスマートとは程遠いが、それでも今度こそ成し遂げてみせる。

 

コニーのイビキに混じって、ジャンの操る万年筆が薄暗い部屋に音を立てていた。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

何日も身を削るような夜を過ごし、調整を続けてきた自身の立体機動術。

そこに僅かな歪みが生じていたことに、ある日突然、ジャンは気付いた。

 

104期が鬼ごっこに勤しむ一方、ミカサとマンツーマンの特訓の最中。

ジャンの目の前を、ミカサがビュンビュン風を切って飛んでいく。

唸りをあげるワイヤー。

物凄い勢いで離れていく背中を、今日こそ追い抜いてやろうとジャンが息巻いた時だった。

グリップを強く握り上体を固定してガスを吹かす――と言葉にできない違和感が彼の全身にまとわりついた。

微妙に噛み合わない気持ち悪さ。

いつもと同じように速度を上げたはずなのに、ミカサとの距離は縮まらない。

それどころかどんどん離されていく。

 

なんだ⁉︎

――ックソ! 追いつけねえ!

 

一気にワイヤーを巻き取りながら、ジャンは歯を食いしばって風圧に耐える。

が、なぜか失速していた。

自分でも原因がわからない。

ガスがなくなったわけでも、ベルトが緩いわけでも、ましてや装備が壊れたわけでもない。

立体機動において抜群のセンスを持つジャンにとって、それが初めての不調だった。

 

何が原因だ⁉︎

何が悪い――考えろ!

これ以上ミカサに差つけられてたまるかよ!

最終試験は目前なんだぞ⁉︎

 

必死の思いで飛び進めると、とっくに見えなくなっていたミカサが大木の枝の上で待っていた。

ジャンは舌打ちをして、彼女と同じ枝に着地する。

 

「そろそろ休憩した方がいい」

抑揚のない声で、ミカサが言った。

「必要ねえ。まだ始めたばっかりだろ」

ジャンは答えた。

いいから早く行けと、彼女を追い払うようにしっしと手を振る。

 

「でも、今日のジャンはいつもより遅いと思う。体調が悪いのでは?」

食い下がって、ミカサは尋ねた。

 

うるせえよ。お前に言われなくてもわかってんだよ。

「余計な心配すんな。行くぞ――手抜くなよ」

そう言って、ジャンはアンカーを射出する。

浮遊感に身を任せて飛び出すと、視界からミカサの姿が消えた。

 

一番言われたくないやつに、触れられたくないところを突かれて、ムカついた。

彼女なりに心配してくれたんだろうことは理解していても、苛立ちを抑える余裕はなかった。

 

上から言ってんじゃねえよ。

訓練兵ごっこやってるお前らとは、背負ってるもんがちげーんだ。

 

調査兵団に入ってから、ジャンは人類に心臓を捧げ続けた。

期間にして4年だ。

しかし、ただの4年じゃない。

何度も死にかけた。

もう死んだ方がマシなんじゃねーかと思う地獄を、修羅場を潜り抜けて、まるでその度に心臓を取り替えているような気分になった。

数えきれないほどの仲間が死んだ。

同じぐらい敵も殺した。

4年どころじゃない――そいつらの人生丸ごと上乗せしたような長い時間だった。

地獄のような未来を消し去りたい。

そのためなら何だってする。

そう強く思った。

 

 

 

ジャンは精神をすり減らしながらも瞳をギラつかせていたが、クリスタの何気ない報告にトドメの一撃を喰らう事態となった。

 

「……悪い。今、なんつった?」

呆然と、ジャンは聞き返した。

指に力が入らない。

視界がぐにゃりと歪んだ。

 

「ユミルね、ベルトルトと別れちゃったんだって。ジャンにはお世話になったから、私から報告しておいてくれってユミルが――」

眉を下げて、クリスタは少し言いにくそうに答えた。

月明かりに照らされた彼女は白く、夜の黒さとコントラストに浮き上がる。

白黒の絵画でも眺めているようで、まるで現実感がなかった。

 

「何だよそれ……ふざけんなよ」

うわごとのように呟いて、ジャンはクリスタの両肩を強く掴む。

「理由は⁉︎ いつ別れたんだ⁉︎」

叫ぶように問いただした。

頭の中が真っ白に染まる。

 

「いッ――痛いよ、ジャン」

「いいから答えろ! 何が原因だ⁉︎」

「わ、わからないの……ユミルも詳しくは話さなかったから」

クリスタは怯えた瞳をジャンに向けていた。

 

何でだよ、……何で上手くいかねーんだッ⁉︎

俺はただ人類を、仲間を救うために今まで努力して――どいつもこいつも俺の邪魔ばっかりしやがって!

 

血液が逆流して頭が割れそうなほどの怒りで、どうにかなってしまいそうだ。

今までの成果が、ことごとく壊されていく。

アニもベルトルトもダメなら、一体どうすれば――

 

「そうだ……そうだよライナーだ! ライナーとはどうなったんだよ⁉︎ お前ら付き合うんだろ?」

じっとりと嫌な汗を滲ませて、ジャンは笑いながら叫んだ。

 

掴まれた肩が痛むんだろう。

クリスタは肩を震わせて、

「ちがうの……ごめんね。ライナーとは付き合えないの」

と消え入りそうに呟く。

 

「は? ……話が違うじゃねえか。このあいだ俺に聞いただろ? ライナーと付き合ったらどう思うかって」

 

あの質問はライナーとの交際を後押ししてほしいと、彼女なりの相談だとジャンは捉えていた。

だからこそ、変につつかないで見守ろうと決めていたのに。

そういう意味じゃないなら、あの質問にはどんな意味があったのか。

何の意味もなかったのか。

いや、今更意味を求めても無駄だ。

結果的にライナーと付き合う気がないことは、彼女の様子を見れば明らかだった。

 

「わかってるの。……ジャンは、私とライナーに付き合ってほしいんだって。でも、でもね……私は――」

大きな瞳を潤ませて、クリスタはやっと声を絞り出した。

クリスタが必死に何かを伝えようとしていたのに、何も聞きたくなくて、ジャンは「もういい」と冷たく彼女の言葉を遮る。

そして、縋るように掴んでいた彼女の肩を解放した。

 

時間の無駄だ。

 

気付けば、空高く昇っていた白い月。

じっと見ていると急速に落下してきそうで怖い。

月が落ちれば、明日が来てしまうからだ。

 

ジャンはクリスタに背を向けて、自室へ歩き出した。

クリスタは何も悪くないんだとわかっていても、これ以上一緒にいると怒鳴りつけてしまいそうだ。

怒鳴る時間すら惜しい。

自分の名を呼ぶ声が背後から追ってきたが、聞こえないふりをしてジャンは立ち去った。




最近更新遅くて申し訳ないです……。
ギャグシーン入れる隙がなくて、シリアス続くと遅筆に磨きがかかってしまいます。
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