ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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ちょっとセクシー注意です。


三十一話

「それで、話す気になった?」

不思議に明るい声で、アニは尋ねた。

遠くに転がっているランタンの灯が、かろうじて倉庫内をぼんわりと照らす。

 

ジャンは呻き声を必死で抑え、

「何か勘違いしてんだろ。俺は何も知らね――グアアッ!」

言おうとした言葉は痛みに掻き消された。

痛い。

熱い。

指先が燃えるようだ。

痛みに悶える体は転げ回りたいのに、それすらも許されず押さえつけられる。

ジャンは苦痛の叫びをあげながら、彼女を見上げた。

死に際の虫を眺めるような、能面のような顔。

ジャンの親指の爪を、アニはまるでコイントスのように弾いて弄ぶ。

 

「いいから早く吐きな。じゃなきゃ、両手の爪を全部剥がす。それでも話さないなら指を折る。その次は足。アンタが話す気になるまで、いくらでも付き合ってあげる。――夜は長いからね」

「チッ……話したら殺す気だろうが」

「そうだよ」とアニは即答した。

そして淡々と、

「けど、楽に死ねる。この糞みたいな世界じゃマシな死に方だと思うけどね」

 

――ああ、俺もそう思うぜ。

巨人の口の中で死ぬよりは、どんな死に方もマシってもんだ。

けどな、胸糞わりぃんだよ。

仲間だと思ってるやつに殺されるっつーのもな。

 

割れそうに頭が痛む。

呼吸をするたびに肋骨が痛む。

指先の感覚は熱く痺れていた。

だくだくと流れる血液が地面を黒く濡らし、体中から力が抜けていく。

 

死ぬのは怖い。

一度は経験した死でも、決して慣れることはないだろう。

深海に沈むような感覚だった。

もがくこともできず深く深く沈んでいき、自分という存在が溶けて消えていくようだった。

思い出すだけで背筋が寒くなる。

しかし、そんな恐怖よりも数段強い。

強烈に込み上げる怒りがジャンを奮い立たせていた。

もどかしい、やるせない、不甲斐ない――様々な感情が胸の内で暴れ、けれど、やはり最後に残ったのは怒りだった。

 

ふざけんな……ふざっけんなよ!

また殺し合うのか⁉︎

過去に戻ったって何も変わんねぇのかよ!

俺はただ救いたいだけなのに――今までの努力は全部無駄だったっつーのかよ!

 

血で歪む視界の中、ジャンはアニを睨みつけていた。

 

「アハハッ! いいね! その表情……もっと見せてよ」

頬を紅潮させて、アニはグッと顔を近づけた。

鼻が触れ合いそうな至近距離で、彼女は言う。

 

「ジャンが悪いんだよ。愛の伝道師なんてふざけたことしたんだから。ま、それに乗せられてはしゃぐ104期の連中は、救いようのないバカばっかりだけどね。愛とか恋とか――くだらない。鳥肌が立つよ」

堪えきれない様子で、アニはクスクス笑った。

「ふふ……教えてあげようか? なんでアンタの恋愛ごっこが上手くいったのか」

 

そう言って、彼女は艶やかな唇をジャンの耳元に寄せた。

なまめかしい吐息。

柔らかな彼女の唇が冷たい耳たぶに触れて、その熱さにジャンはぞくりと背筋を震わせた。

アニが囁く。

 

「女の子はみんな思ってるんだよ。処女のまま死にたくないってね」

「……はぁ!?」

少しの間を置いて、ジャンは叫んだ。

「いつ巨人が壁を壊しにくるか、わからないんだ。いざ死ぬ時になって処女のままだったら、損した気分になるでしょ? だからアンタがはじめた恋人ごっこは、渡りに船だったってわけ。ただの性欲のくせに、恋してるなんて自分を誤魔化して……滑稽だと思わない?」

アニは妖麗に微笑む。

「ねぇ、ジャンも同じでしょ。こうして女の子に触ったり、触られたり……指を絡めて、抱きしめて、その先もしてみたいって……思うでしょ?」

言いながら、彼女の指がジャンの頬をなでる。

ひんやりと冷たい指先。

それが悩ましげに動きながら、首筋をなぞり、鎖骨を滑り、ゆっくりと腕をつたって、爪の剥がれた親指に優しく触れた。

そして、恋人同士のように指を絡める。

 

涼しげな瞳が探るように、ジャンの瞳を覗き込んだ。

 

「そうだ。交換条件にしようか」

「……交換条件?」

「全部話してくれるなら、ヤらせてあげてもいいよ。ま、そのあと殺すけど。アンタも童貞のまま死にたくないでしょ」

そう言って、彼女の手がジャンのベルトを探る。

ガチャガチャと鳴る金属音。

無機質な音が静かな倉庫内に響いていた。

 

ジャンにとっては全てがリアルじゃなかった。

裏に台本でもあって、自分もアニもそこに書かれた台詞を読んで演じているような違和感に包まれていた。

それでも頭のどこかに冷静な自分がいた。

ジャンはアニの肩の辺りをつかんで、身体から引きはがして、ぐいと押しやった。

座り込む彼女を、正面に見据える。

 

アニは抵抗しなかった。

殺意もない。

ただ空虚な瞳でジャンを見つめるだけだった。

 

……こいつは誰だ。

どうしてこんなことになってる。

決まってる――俺のせいだ。

俺が未来を変えて、失敗したからだ。

 

「何もしないの? キスでもするのかと思ったのに。まぁ、いいよ。私からしてあげる」

ジャンの頬に手を添えて、アニの顔が近づく。

焦らすように、ゆっくりと。

そして唇が触れ合う寸前、ジャンは言った。

「エレンはいいのか?」

「……他の男の名前出さないで。ムードが崩れる」

「好きなんだろ、あいつのこと」

「今は関係ないでしょ」

「あるだろ」

「なに? 説教? もしかしてそういうことは好きな人とやれ〜とか、そんな寒いこと言うつもり?」

「そうだ」

「……残念だね。アンタにヤル気がないなら、痛めつけるしかないよ」

 

ジャンの耳元で、パチンと音がした。

アニが指輪の仕掛けを開いた音。

その鋭い針が首の頸動脈に押し当てられ、ぷつりと開いた穴から一粒の血が垂れる。

 

「お前にはできねーよ」

ジャンはまっすぐに、アニを見つめて言った。

「好きでもねぇ男と寝たり、仲間を殺したり――猫かぶって愛想振りまいて、裏では悪いことしてますってか。そんな器用なマネ、お前にできるわけねーだろ」

 

そう言った瞬間、ジャンの側頭部が蹴飛ばされた。

身体は数メートル吹っ飛び、転がって、派手な音を立てて木棚に突っ込む。

 

アニは静かな怒りを滲ませていた。

一歩。

また一歩。

意識が混濁するジャンのもとへ、アニは歩み寄るとおもむろにジャンの胸ぐらを掴み、顔面を激しく殴りつけた。

 

「アンタに何がわかるの」

もう一発、殴る。

「勝手に妄想して、勝手に決めつけて」

もう一発。

「私が何をしてきたか、何を考えてきたかも知らないくせに!」

勢いよく振り下ろされた拳を、今度は受け止めた。

ジャンは彼女の小さな拳を握りしめて、怒鳴る。

 

「知らねーよ!!!」

 

口内は血の味で溢れていた。

叫んだ拍子にガハッと咳き込んで、ジャンは血の塊を吐き捨てる。

殴られすぎて唇の感覚が鈍い。

 

「俺の知ってるアニは、無愛想で冷淡な女だ。いつも不機嫌そうで話しかけづれぇし、女子扱いされたがるところはクソめんどくせぇ。友達にやるプレゼントすら一人で決められない優柔不断のくせに、やたらと強気でムカつくんだよ」

ジャンはアニの胸ぐらを掴み返す。

「お前はもっと普通のやつだろ! イカれたサイコパスでも演じてるつもりか⁉︎」

「……バカみたい。これから殺されるのに、なに熱くなってんの? そんなの全部演技に決まってる。知ったような口きかないでよ」

 

今更わめいたところで、何の意味もないことはジャンにもわかっていた。

負け犬の遠吠えだ。

結局、誰も救えなかったのだから。

未来を知っていたのに、最大のチャンスがあったのに、全ては失敗に終わった。

 

何も救えずに、殺される。

情けない、見苦しい、惨めで、それでも口を閉じることはできなかった。

 

「てめぇのことなんざ、俺がわかるわけねーだろ。……けど、別にいいだろ。お前のことたいして知らねえかもしんねーけど。死なせたくねぇ、辛い思いさせたくねぇって――そう思うのは、そんなにおかしいことかよ」

「ハハッ! もしかして命乞い? 笑わせてくれるね。アンタが一生懸命やったことといえば、私とエレンをくっつけようとしたぐらいでしょ。しかも、それだって私のためなんかじゃない。自分のためにやったことを、恩着せがましく言わないでよ」

冷笑するアニに、ジャンは掴みかかる。

「俺は……、俺は救いたかったんだよ! 人類を――お前らを!」

アニは目を見張って、ジャンを凝視した。

「……お前()? アンタどこまで知って――」

 

ビリリッ!

その時、二人の身体に電流が走った。

膨大な文字の羅列が映像となって、二人の脳になだれこむ。

 

幾千万の巨人の行進。

島を出て海を渡り、国を街を村を――そこにある全ての家や人を踏み潰した。

世界が平らな大地にならされていく光景。

 

アニは真っ青な顔で、ジャンの腕を振り解いた。

唇をわななかせ、やっと震えた声をしぼる。

「なに、いまの……。地ならしが――どうして⁉︎」

「おい、まさか、今のが見えたのか⁉︎」

ジャンの声は、アニには届かないようだった。

 

彼女は頭を抱えてうずくまると、ぶつぶつと呟く。

「嘘、これが未来? 地ならしの発動が……そんな、どうして。私は一体何をしたの――お父さんは? なんで、なんで地ならしが……」

 

取り乱すアニを前にして、ジャンも同様に驚愕していた。

未来のことは伝えられないルール。

それが目の前で破られたことに。

 

二人の混乱をさらに引っ掻き回すタイミングで、ズガーーーン!と凄まじい音が響いた。

鍵をかけられていた倉庫の扉が開かれる。

そこには、扉を蹴破った姿勢でミカサが立っていた。

 

「あなたは説明すべき」

彼女のよく通る声がズンと響いた。

「私には聞こえた。ジャンがアニとエレンをくっつけようとしていたと。アニが言っていたことは本当?」

冷静に聞こえる彼女の口調は、軽蔑する者に向ける声色に微かに変わっていた。


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