ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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三十二話

薄暗い倉庫内に月明かりが差し込む。その光から逃げるように、ジャンは後ずさった。

 

ミカサ⁉︎

なんつータイミングだよ!

 

 ミカサが倉庫内に一歩踏み込む。

 

 「ジャン。あなたはエレンとアニの仲を取り持っていた。つまり、私を騙していたということ」

 「いやそれは」

 「今すぐ説明して。あなたは説明すべき。返答によっては――」

 「ちょっと待ってよミカサ!」

 

直後、ランタンを下げたアルミンが倉庫内に駆け込んだ。そしてただならぬ雰囲気のミカサの前に立ちはだかる。

 

「アルミン、どいて。私はジャンに話がある」

「落ち着いてよ。気持ちはわかるけど、本来の目的を忘れちゃダメだ。大きな物音がしたから、様子を見に来たんでしょ? まずは何があったのか状況を把握しないと――」

 

そう言って、アルミンはランタンを掲げて振り返ると、ジャンの姿を見て息をのんだ。

 

「どうしたのその怪我⁉︎」

「なんでもねーよ」

 

内心で舌打ちをして、ジャンはアルミンの手首を掴む。灯りを遠ざけた。こちらの様子を悟られたくない。

ジャンは低い声でアルミンに答える。

 

「俺は大丈夫だから、席を外してくれ。いま取り込み中なんだ」

「と、取り込み中って……」

 

アルミンは戸惑いながらもジャンの背後を注視すると、「……アニ?」とうずくまる人影に問いかけた。

 

ビクリ。

アルミンに名前を呼ばれた途端、アニは大きく背中を振るわせた。そして、おもむろに立ち上がると脱兎の如く倉庫から逃げ出した。

 

「え?」

「――ッ待てよ!」

 

アルミンは呆気にとられ、ジャンはアニの後を追おうとしたが、ミカサがその行手を塞いだ。

 

「どけ! てめぇに構ってる暇はねーんだ!」

「いいえ、どかない。まだ質問の答えを聞いていない」

 

穏やかなのに冷酷な声。

真っ暗で正気のない瞳。

ミカサから向けられる剥き出しの敵意に、ジャンは頭から冷水をかけられたように感じた。

質問に答えない限りここを通す気はないと、彼女の鬼気迫る迫力が物語っていた。

仕方なく、ジャンはついと目をそらして答える。

 

「あぁ……アニが言っていたことは本当だ」

「そう。つまりあなたは私を騙した。卑劣な手段を使って、私からエレンを引き離そうとした」

 

卑劣な手段。

その表現に滲み出る嫌悪に、ジャンは押し黙った。

弁解する余地などない。

エレンとの仲を取り持つと約束しておきながら、裏ではアニの味方をしていた。

ミカサにとっては裏切り行為に違いないし、正当な抗議だ。

そんなことはわかっている。

しかし、今まで溜まっていた鬱憤が浮かんでくるのを止められない。

 

ミカサは黒々とした瞳で、

「あなたにどんな事情や理由があろうと、関係ない。エレンは私の家族。私の全て。それを奪おうとする奴を、私は許さない」

「エレン、エレンって……うるせーな」

ジャンがぼそりと呟く。

 

どんな状況でも、口を開けばエレンばかり。

そんなことは百も承知で今更嫉妬することでもないのに、ふとミカサを守って死んだ時のことが思い出された。

撃たれたジャンに駆け寄りながら、エレンの名を呼んでいたミカサ。

 

別に感謝されたかったわけじゃない。

片思いだ。自分の意思で好きな女を守って死んだ。

どこにも後悔なんてないはずだ。

けれど、エレンの名を呼ばれたことは苦しかった。

それは嫉妬だけではなく、ずっと大事に思っていた気持ちに気付きもしないミカサが憎くもあったせいだ。

告白する勇気もなかったくせに。

気付いてほしかったとか、最期ぐらい俺だけを見てほしかったとか、女々しくて身勝手で――そんな自分にうんざりする。

 

「無駄なんだよ」

気付けば、声に出ていた。

吐き捨てるように言っていた。

「俺が協力しようがしまいが、何も変わんねーよ。エレンが一度でもお前を女扱いしたことがあったか?」

 

バキリ、と。

頬に痛みが走り、ジャンは数歩よろめく。アニに比べればずいぶん軽い拳だった。

 

「僕の親友を侮辱するな」

 

まっすぐにジャンを見つめながら、アルミンは静かに言った。

その視線が殴られるよりも痛い。

耐え難くて、ジャンは唇を噛んだ。

夜の空気が思い出したようにきんと冷え、吸い込む度に少しずつ肺を凍てつかせる。

 

「……私はジャンを信用していた。言葉は乱暴だけど、正直で嘘はつかない人だと」

ミカサはくるりと背を向けて、

「明日、立体機動の試験がある。ジャンは私に勝つことに固執していた。だから、そこで決着をつけよう。私が勝ったら、アニに協力するのはやめて。あなたが勝てば……一つだけジャンの願いを聞こう」

 

おもしろいと思った。

なんでテメェに勝ちたかったのかまで想像しないところが、エレンバカらしい。

勝って告白するために頑張ってきたのに、現実はこれかよ。

 

何一つうまくいかなくて、うまくいかなすぎて、一つも面白くないのに勝手に唇が歪んでいた。

 

お得意の気を回したつもりか。

ミカサが立ち去るのを見届けて、アルミンは眉を曇らせた。

 

「ひどい怪我だ。一緒に医務室に――」

 

伸ばされた手を振り払って、ジャンは重苦しい倉庫から逃げ出した。

今更アニを追うこともできず、どこに逃げればいいかもわからず、がむしゃらに走っていた。

びゅんびゅん風を切って走り続けると、夜気を吸った肺は凍え、刺すような寒さに皮膚の感覚が鈍る。

まるで身体が夜気に溶けていくような。   

 

――そうだ。

もっともっと溶けてくれ。

こんな俺ならいない方がよかった。

こんなことなら未来なんて知らないままの方がよかった。

全部、全部――消えちまえ。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

またジャンが何かしたんだろう。

 

男子寮に駆け込んできたアルミンが顔を合わせた途端ほっと息を吐いたのを見て、マルコはすぐにそう思った。

 

出会った時から、ジャンは利己的な男だった。

なまじ優秀だから高い鼻を折ることもなく、とにかく癪に障るやつだった。

それでも今まで仲良くやっていたのは、ジャンの強さに惹かれたからだ。

人間としては決して強くないはずなのに、どこか芯の強さがあるアンバランス。

ジャンのそういうところに、マルコは無意識に憧れていた。

 

だから、医務室でベッドに腰掛けるジャンと目があった時、マルコはぎょっとした。

 

「ひどい怪我だね」

「よお。こんなとこで何してんだ。もう就寝時間すぎてるだろ。良い子のマルコちゃんは、教官様に見つかったらビビって漏らしちまうぞ」

「アルミンに言われて来てやったんだよ。ったく、今度は何やらかしたんだ」

 

いつも通りの軽口を叩きつつ、緩んでいるジャンの包帯にマルコは手をかけた。

一度ほどいて綺麗に巻き直してやる。

たしかにひどい怪我だ。

アルミンが青ざめていたのも頷ける。

 

しかし、そんな怪我よりも深刻な変化にマルコは動揺していた。

 

「別に何もしてねーよ。ただのケンカだ」

「ここまで殴られるケンカって何だよ。どうせジャンが余計なことしたんだろ」

「余計なこと……ああ〜そうだな。たぶん、そうだ」

少し考えてから、ジャンはヘラヘラ笑った。

歯切れの悪い言い方に、マルコは眉をひそめる。

 

「そういえば、いつもの反省会すっぽかしたろ。クリスタが心配してたから、後で謝った方がいいよ」

「反省会? ……ああ、あれか。そうだな。立体機動のやつだっけ」

 

やっぱりおかしい。

どうも会話が噛み合わない気がした。

マルコは手を止めて、ジャンを見据える。

彼の瞳にはいつもの力強さがない。

ゆらゆらとぼやけた意思のない瞳だった。

 

「なんかぼーっとしてるけど、本当に大丈夫か? 殴られすぎて記憶が飛んだんじゃ……」

「記憶は問題ねーよ。……たぶん」

「だから、さっきからその気持ち悪い言い方をやめろよ。何だよ、たぶんって。気になるだろ」

マルコが問い詰める。

すると、ジャンは頬をかいて言った。

「自分がやったことは覚えてるんだよ。怪我をした経緯も、クリスタと反省会してたことも。――ただ、何でそれをやろうと思ったのか。何で必死になってたのか。……いまいちピンとこねーんだよなぁ」

 

窓に反射する月明かりを眺めながら、ジャンはぼんやりと呟いた。

 

 

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