ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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三十四話

 

今期の立体機動のレベルは相当高いらしいから、今回の試験はハイレベルな点数争いになるだろうなと、ジャンは他人事のように思っていた。

 

生物の気配が薄くなる初冬の森は穏やかで、こうして樹々の奥の方に入り込むとゆったりとした時間が流れている。

空気に含まれる日のぬくもり。

太陽光をいっぱいに吸い込んだ枯葉の絨毯に、ジャンは四肢を投げ出してまどろんでいた。

だらりと放られた手足は地面に根付いたかのように重く、植物にでもなった気分で酸素を吸い込む。

吸って、吐く。

吐き出された白い息を見て、光合成ってこんな感じかとぼんやり思ったが、すぐに考え直した。

二酸化炭素を排出するだけの存在よりも、酸素を生み出す植物の方がよほど人類の役に立っているに違いない。

 

この試験に行かなければ、ジャンは兵士として終わる。

三年間の過酷な訓練は無に帰して、朝から晩まで、下手をすると死ぬまで開拓地で鍬を振る貧乏暮らしが待っている。

なのに、それでいいとジャンは思っていた。

もう何もしたくない。それが本音だ。

死ぬほど訓練してやっと手が届きそうな憲兵団行きの切符を、みすみす捨てようとしている。

そんな自分を冷静に受け入れる一方で、「なぜ不合理な選択をするのか」と信じられない気持ちもあった。

 

「意味わかんねぇよなー」

と、ジャンは青空を見上げながら呟く。

 

必死になって目指していた憲兵団。

そこに入れば内地での安全で快適な暮らしが約束される。

よほどのバカを除いて、ほとんどの訓練兵が憲兵団に入りたいと願っていたし、ジャンもその大勢のうちの一人だった。

しかし、ある朝目覚めるとジャンの全ては変わっていた。

死に急ぎ集団とバカにしていた調査兵団に身を捧げる覚悟が出来ていた。

己の成績をなげうって、104期の立体機動の技術をあげようと寝る間も惜しんで机に向かった。

巨人と対峙した時、一人でも多く生き残れるようにと。

かと思えば、人の恋路に首を突っ込んで「俺は愛の伝道師だ」うんぬんと、ふざけたことをぬかす。

 

今まで何をしてきたかは覚えていても、その理由についてジャンはさっぱり思い出せなかった。

忘れているのだ。

未来からタイムリープしてきたことを。

卒団式の翌日超大型巨人に再び壁が破壊されることも、親友を亡くし調査兵団に入ったことも、壁の向こうに広がる海やその先にある敵の存在、九つの巨人の力。

エレン・イェーガーの地ならしによる殺戮――そして自分が一度死んだということすら。

そのすべての記憶を失っていた。

 

兵士をやめること、親には何て説明しようか。

憲兵団に入ったら仕送りぐらいしてやるって、息巻いて家を出たのに。

青い空に飛ぶ一羽の鳥に向かって、ジャンは手を伸ばし掴むように握った。

だが、当然鳥は何事もなかったように拳の外に飛んでいく。

自由なんて羨ましくもない。

 

「俺はもう飛べねぇよ」

そう呟いて、ジャンは瞳を閉じた。

 

井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る。

それで十分。

兵士なんてやめて実家に戻ろう。

親父には追い出されるかもしれないが、それでも俺ならなんとかやっていけるはずだ。

人の生き死にとは関係のないところで暮らして、いい歳になったら結婚して孫でも見せてやりゃ、それも親孝行だ。

 

そうして考えに耽りつつ、ジャンは目を開けた。

しかし、そこには青空ではなく、逆さまになったクリスタの顔が眼前にあった。

 

「……あああああ⁉︎」

 

ジャンは叫び声をあげながら、勢いよく体を起こす。

その拍子にごつんと音を立てて額同士がぶつかり、今度はクリスタが「んうう!」と小さな悲鳴をあげて尻餅をついた。

 

「おまッ、お前なあ! ビックリするだろーが! 心臓止める気か⁉︎」

痛む額を押さえて、ジャンが怒鳴った。

「だって、考え事してるみたいだったから……」

相当痛かったのか、涙目のクリスタがむくれて言い返す。

「だからって黙って近寄るやつがいるかよ⁉︎ だいたいお前は――」

「さっき何してたの?」

ジャンの話を遮って、クリスタは尋ねた。

 

「空に手を伸ばして言ってたよね。『俺はもう飛べねぇよ』って。どういう意味?」

クリスタが首を傾げると、ジャンは「それは……まぁ、別に」と語尾を濁らせる。

 

「別にって……変だよ。だって誰もいないのに、何でそんなことを言ったの? もう飛べないってことは、以前までは飛べてたって意味でしょ? 偶然だとは思うけど、ジャンが手を向けてた上空には鳥がいたよね。……まさか鳥に話しかけてたの?」

「なんとなくわかるだろ⁉︎ そこは空気読んでスルーしろよ!」

しつこく言及するクリスタに、ジャンは頭を抱えて叫ぶ。

 

「えぇー、そんなに怒らなくたっていいのに。心配しただけだよ。でも、大きな声出せるなら元気いっぱいってことだよね」

クリスタはそう言って、パタパタと服に付いた土埃を払って立ち上がった。

 

「じゃあ戻ろっか。今から行けば試験に間に合うよ」

 

にっこりと笑って、クリスタは手を差し伸べた。

立体機動のグリップ跡がついた手。

それを一瞥してから、ジャンはごろりと再び寝転ぶ。

そして少しずつ形を変える雲を眺めながら、のんびりと話した。

 

「行かねぇー」

間延びした声。

これから昼寝でもはじめそうなぼんやりした返答に、クリスタは「どうして?」と尋ねる。

 

「さぁな。そんなの俺にもわかんねーよ。まぁ、強いて言うなら疲れた」

 

ジャンはそう口にすると、妙にしっくりきた。

何の気なしにぽつりと出た言葉が案外核心をつくのかもしれない。

頬をなでるやわらかな風。

冬の匂いに、胸が安らいだ。

 

「調査兵団に入るんじゃなかったの?」

と、さらにクリスタが尋ねた。

 

「気が変わった。つーか、完全にどうかしてたな」

ジャンは鼻で笑って、

「少し考えればわかる。あんなデケェ奴らに勝てるわけねぇってことぐらいな。調査兵団に入りたいやつなんて、自分を特別だと思ってるガキか、イカれ野郎のどちらかだ。どこぞの死に急ぎ野郎は両方だろうがな」

 

そして俺は前者だった。

ただそれだけの話だ。

 

しばらく経ってもクリスタは何も言わなかった。

かといって立ち去るでもなく傍らに佇む彼女の気配に、だんだんと申し訳ない気持ちがつのる。

 

クリスタには世話になった。

ライナーと食事に行ってほしいなんて意味不明な頼み事を聞いてもらったし、自身の計画が上手くいかないと彼女に辛く当たったり弱音を吐いたりもした。

散々振り回しておいて何も説明しないんじゃ、いくらなんでも自分勝手すぎる。

でも、困った。

何であんなバカなことに必死になっていたのか、どうしても思い出せない。

理由を覚えてないんじゃ説明のしようがない。

 

「あー悪かったな。今まで勝手に頼ったのに、放り出すみたいになっちまって」

とりあえず謝っておこうかと思い、ジャンは言った。

「クリスタはいいやつだから、よく絡んでた俺をほっとけないんだろ。けど、もういいんだ。俺が自分で決めたことだしな。お前からしたら仲間を見捨てるようで気が悪いかもしれねぇが――本人の意思を尊重するってやつだ」

 

いざ謝罪の言葉を口にすると、それなりにセンチメンタルな気分になった。

クリスタに対して謝っているというよりは、もっと大勢の誰かに言い訳しているような、妙な感覚に陥る。

 

「そもそも兵士の本質は使い捨てだ。人類を守るために、個人は消費される道具にすぎねぇ。俺の代わりなんて誰でもいいんだよ。道具が一つなくなったところで困るもんじゃねーだろ? 兵士の敬礼も宗教じみてて気に入らねえ。何が人類に心臓を捧げろだ。顔も知らねーやつらのために、何で俺が体張らなきゃなんねーんだよ」

胸に落ちてきた枯れ葉。

それを摘んで、ジャンはフッと一息で吹き飛ばした。

 

「俺も含めて兵士志願者の多くは、周囲に流されて職を選択した。生産者は腰抜けという風潮に乗っかって、兵団所属後の高待遇に目が眩んだにすぎねぇ。とりあえず憲兵団を目指し、それが無理なら駐屯兵団。人類に心臓を捧げる覚悟なんて、俺らのどこにある? そうして死ぬ時に気付くんだ。兵士なんてやめときゃよかったってな。……ま、俺が兵士をやめる理由としてはこんなもんか。要するにくだらねーってことだ」

 

ジャンは淡々と話し終わると、ますます嫌になった。

長々とご高説を垂れたわりに、並べ立てた話はつまらない愚痴や己の浅はかさを吐露しただけだ。

隣で黙って聞いていたクリスタは、彼の話が終わったことを確認するとおもむろにジャンの耳を引っ張った。

 

「いててててて! 何すんだよ!」

ジャンの抗議を無視して、クリスタは彼の耳を掴んだままずんずん歩いていく。

 

「早く戻らないと。試験に間に合わなくなっちゃうでしょ?」

彼女は世間話でもするように、いつもの天使ボイスでジャンを気遣った。

しかし、その優しい声とは裏腹に容赦なく彼の体を引きずっていく。

 

「だから行かねぇって言ってんだろ!俺の話聞いてたか⁉︎」

「うんうん、聞いてた。半分くらいは聞いてたよ」

「半分かよ!俺結構語ってたよな⁉︎ 全部聞いとけよ恥ずかしいわ!」

「大丈夫だよ。試験が終わったらまた聞かせて。ね?」

 

クリスタは駄々っ子をあやすように言って、慈愛に満ちた表情で振り返った。

枯れ葉を踏み散らす二人分の足音。

ジャンは体をねじって、ようやく彼女の手を振り払う。

 

「いい加減にしろよ。これ以上はお節介がすぎるぞ」

低い声が攻撃的に唸る。

生来の悪人面で睨みつけるジャンに、しかし、クリスタは怯まなかった。

透けるような青い瞳で、彼女は問いかける。

 

「ミカサに勝てないから……だから行きたくないの?」

 

人を傷つけることが嫌いな彼女が、予想外に踏み込んできたことにジャンは一瞬たじろいだ。

図星を指されたことに硬直した。

一呼吸飲み込んだ沈黙。

その沈黙が誤魔化しようがないほど彼女の言葉を肯定していた。

 

「うるせぇ」

ふつふつとした苛立ちが沈黙を埋めるように悪態をつく。

「だったら何だよ。お前には関係ねぇだろ」

 

脈がないことはわかっていたが、嫌われてはいなかったと思う。

それが昨夜の一件で状況が変わった。

何でアニと揉めていたのか、その記憶は曖昧だが、ミカサから向けられた敵意はよく覚えていた。

嫌悪に満ちた眼差し。

それだけでも胸にきてるのに、立体機動で彼女に負けるということは今までの努力を真っ向から否定されるようで――恋愛感情とはまた別に、僅かだけ残るプライドさえも潰される気がした。

 

「関係あるよ」

なおも食い下がって、クリスタは言った。

いつもは気弱そうに揺れるサファイアの瞳が、今はまっすぐに彼を見つめる。

 

「ジャンのことが好きだから、私はあなたをほっとけない」

 

凛として響く、澄んだ声は穏やかな森に馴染んだ。

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