ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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ちょっと残酷描写あり


三十六話

「最終組の試験を開始する。ミカサ・アッカーマン! ジャン・キルシュタイン!」

 

キースが号令をかけると、名前を呼ばれた二人の訓練兵が進み出た。

数メートルの距離を空けて佇む両者。

寒さのせいか緊張のせいか、ジャンの全身は粟立っていた。

すでに試験を終えた104期の面々は、固唾を飲んで二人の決闘を見守っている。

 

「森の中には12体の巨人型模型を用意してある。各々6体を討伐し、到着するまでの時間を計測する!」

 

キースが「始め!」と叫ぶと、試験の開始を告げる信煙弾が空に上がった。

ミカサとジャンはすぐさま立体機動にうつると、同時に森へ飛び込んだ。

 

浮遊した瞬間、ジャンは自身の体が重いことに気がついた。

まだスランプが抜けていないのだ。

ある日を境に、立体機動が体に馴染まなくなった。

空中姿勢のバランスが、ガスを吹かすタイミングが、ワイヤーを巻き取る感覚が――すべてがちぐはぐで噛み合わない。

スランプに陥る前は、曲がりなりにもミカサのスピードについていけていた。

まずはあの時のスピードを取り戻さなければ、ミカサに勝つどころか勝負にもならないだろう。

 

スランプの原因はわかっていた。

自分の弱さに向き合いたくなくて、うまくいかない現実から逃げ出したかったからだ。

都合よく消えた記憶。

それは甘っちょろい自己防衛だ。

 

自分自身に向き合わねぇと、俺は前に進めねぇ。

思い出すんだ……この心臓を捧げた意味を!

 

ギギギと音を立てて、進行方向に巨人型模型が二体立ち上がった。

木の肌を晒したハリボテの巨人に向かって、ジャンはブレードを叩き込む。

深く抉れるスポンジのうなじ。

すぐさまガスを吹かし、二体目へ向かう。

体を弓形にそらして反動をつけると二体目のうなじを狙った。

そこに刃が埋まる直前、ジャンは目を疑った。

スポンジでできたうなじが一瞬ぶれたかと思うと、肉らしい質感の肌が現れたのだ。

それはまさに巨人のうなじそのものだった。

 

ッ――なんだ⁉︎

 

その変化にぎょっとしたが、振り下ろしたブレードは止まらない。

勢いのままに肉のうなじを削ぐ。

 

ズバンッ!

 

音を立てて、三日月型にそれが切り離された。

手に残る感触はスポンジではなく、紛れもなく肉を削いだ感覚。

刃に付着した生暖かい血が飛び散って、ジャンの頬にかかる。

熱を含む蒸気が辺りに立ちのぼる。

 

ぞくりと、何かがジャンの背筋を駆け上がった。

 

そうだ、俺は知っている。

この感覚を――巨人を殺す感触を。

 

直感的に脳裏に閃いた瞬間だった。

 

 

『兵士よ怒れ!!! 兵士よ叫べ!!!』

一人の男の、野太い絶叫が響いた。

その直後、『うおおおおおおおおお!!!』と大勢の怒号が地響きのように呼応した。

 

思考が追いつかないまま、ジャンは視線を地面に向けた。

そこには深緑のローブを纏った大勢の兵士が馬を走らせていた。

 

なんだよこれ……一体何が起こってる⁉︎

 

ジャンはパニックになりそうな思考を必死に繋ぎ止める。

自由の翼を背負った兵士たちは幽霊のように青ざめた表情で、しかし、誰もが大きく口を開き声の限り絶叫していた。

鬼気迫る迫力に圧倒されながらも、ジャンは彼らを凝視した。

すると、あることに気付いた。

透けているのだ。

彼らの体も馬も透けて、向こう側の地面が見えている。

そして驚くべきことに、半透明の兵士たちは避けることもなく、次々に大木を突き抜けていくのだ。

群れとなった兵士たちは互いの熱に浮かされて、ぐんと一段階速度を上げた。

馬よりも立体機動の方が速いはずなのに、ジャンは少しずつ離されていく。

 

「ダメだ! 行くな!」

 

ジャンは咄嗟に、そう叫んでいた。

嫌な予感がした。

このまま彼らを行かせてはいけないと、頭の中で警鐘が鳴っていた。

しかし、兵士たちは振り返りもせず前進する。

 

「聞こえねぇのか! 止まれ! 止まれよ!」

 

兵士たちの叫びに負けじと、ジャンは声を張り上げた。

しかし、唐突にそれは起こった。

先頭近くを走っていた兵士の頭が吹き飛んだのだ。

砲弾に撃ち抜かれたように頭部が弾け飛び、残された体は馬から滑り落ちた。

それを皮切りに、次々と兵士たちの体が破壊され、落馬していく。

 

「ああ……そんな……」

見たくないのに、目を逸らせない。

ゴミのようにボロボロになった肉体が地面にぼとぼと落ちていく様を、ジャンは上空から眺めていた。

 

兵士たちの数はみるみる減っていった。

地響きのように鳴り響いていた絶叫もどんどん細くなっていく。

なのに、誰も止まろうとはしない。

前傾姿勢に、手綱をビュンビュン振って必死に馬を走らせていた。

 

ああ、死んじまう!

なぜ止まらねえ⁉︎

やめろ! 逃げろよバカ野郎!

こんな悲惨な死に方にどんな意味があるっつーんだ!

 

 

 

『理屈じゃわかっていたさ』

あの悪夢のような作戦の後、青年はそう語った。

勲章の授与を待つ間、エルヴィン団長の代わりに生き返ったアルミンに向かって、値踏みする権利ぐらいあるはずだと、そう主張した青年だ。

落ち着かせようと彼を裏に連れていった時、壁の向こうで起きた石つぶての砲撃について青年はつぶさに話してくれた。

『誰かを犠牲にさせないために自分を犠牲にできる奴が必要なんだと、そんな勇敢な兵士は誰だ? とエルヴィン――あの悪魔に聞かれた時、思っちまったんだ。それは俺だってな』

青年は訴えるように言った。

『けど、見ろよ! そうやって死んでいくことが、こんなに何の意味もないことだなんて思いもしなかったんだ! 俺はバカだ……何で自分だけは違うって……思っちまったんだろう。……お前にはわかるだろ? なぁ、ジャン』

 

 

「ああ、わかるぜ……フロック」

頭にドッと流れこんできた記憶に、ジャンは返事をした。

青年の名前が自然と口を突いて出た。

 

誇りに死ぬことはない。こんな死に方をするぐらいなら屈した方がいいって、そう言ったお前に救われた奴も多くいただろう。

俺もその考えに納得したし、心底共感もしたはずだ。

なのに、何で俺は従わなかった?

フロックと共に、壁内人類を、エルディアを守ることに心血を注がなかったのは……なぜだ?

 

ジャンが我にかえると、兵士たちの怒号はピタリと静まっていた。

消えている死体。

視線を彷徨わせても馬の一匹も見当たらない。

だが、安堵したのも束の間。

彼らの代わりに現れたのは――104期の訓練兵たちだった。

いつのまにかジャンは訓練兵たちに混じって飛んでいた。

彼らの姿は、先ほどの兵士と同様半透明だ。

そしてこれから何が起こるか、ジャンにはもうわかっていた。

 

木の影から飛び出した巨人が、一人の訓練兵に喰いついた。

それが合図かのように、どこからともなく巨人が沸いてくると飛び回る訓練兵たちに襲いかかる。

ワイヤーを掴まれ振り回される者、大きな手に握りつぶされる者、巨人に取り合われて体を引き裂かれる者。

訓練兵たちは腸を撒き散らし、耳をつんざく凄惨な悲鳴をあげた。

人間の尊厳は踏み躙られ、次々に死んでいく。

 

巨人に蹂躙される仲間たちを、ジャンは呆然と見送った。

唾液まみれになって捨てられた死体に、そのそばかす面に覚えがあった。

しかし、ジャンが取り乱して「やめろ!」と叫ぶことはなかった。

無駄だとわかったからだ。

どんなに叫んでも、たしかにあった未来だと理解したからだ。

 

ああ、そうだ。

俺は人類のために命をかけられるような、できた人間じゃねぇよ。

自己犠牲で悦に浸れるほど、強くもねえ。

顔も知らねえ誰かを救うためになんて、デカくて突拍子もないことに全力で挑めるような、特別な人間じゃねーんだ。

 

心臓が燃えるように熱かった。

知りたがっているのだ。

その心臓を何に捧げ、そして何のために燃やすのか。

 

そうだ。思い出せ……思い出せよ。

俺は誓っただろ。

この骨の燃えカスに!!!

 

そう思い至った途端、巨人に蹂躙されていた訓練兵たちがボッと音を立てて炎に包まれた。

鼻腔にこびりつく焦げた人の臭い。

もうもうと立ち込める煙が目の前を白く染めた。

ジャンは顔を両腕で庇うと、その白い靄の中を恐れずに飛んだ。

 

そうして一秒か二秒、もしかすると数十分も経過した後。

白い靄が晴れて、眼前に訓練場の森が姿を現すと、ジャンの前方には黒い戦闘服に身を包んだ女が飛んでいた。

ベリーショートの黒髪から覗く頬に、傷のある女だった。

 

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