ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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遅れました。めちゃくちゃスランプでした。
すみません!


三十七話

 

ああ、ミカサだ。

 

その姿を視界に入れた途端、彼女の頬の傷に目を奪われ、ジャンは胸を撫でおろした。

なぜそう思ったのか、うまく説明できそうにない。

幻覚に安堵するなんて間抜け話で、それでも、これは確かにあった記憶だと確信めいた郷愁が胸の内に広がっていた。

じわりとインクが滲むように。落ちた水滴が波紋になるように。

出鱈目な順番に、記憶の根幹を揺り動かす。

 

ああ、懐かしい。

 

重力なんて存在しないかのように、軽やかに浮かぶミカサ。

その後ろを、充足感に満ちてジャンは飛んでいた。

疑問にすら思わなかった。

こうして彼女の後ろを飛び従うことが当然のように、心身に馴染んだ。

一つ一つの筋肉が震え、熱を帯びるのを感じる。

感覚はますます鋭く、冴えていく。

加速する飛行。

噛み合わせの悪かった歯車が潤滑油を刺され、するすると一斉に回り始めたようだった。

頭の中はからっぽのまま。

一心不乱に、ミカサを追う。

すると、遠くの木の枝を押しのけて、15m級の巨人がデカい顔をのぞかせた。

直後、そいつに向かって、ミカサがガスを噴射する。

彼女はあっという間にそのデカブツに迫ると、雷槍を突き刺した。

閃光が走る。

それでも怯まずに、ジャンは突進した。

雷槍を受けた巨人はかすり傷一つなく、何事もなかったようにギョロついた瞳をこちらへ向ける。

軽やかに身を翻して、ジャンが奴のうなじを削ぐ。

パスンッ!という気の抜けた音と共に、削いだうなじはスポンジに、肉体は木のハリボテに変わっていた。

 

どこからが幻覚で、どこまでが現実なのか。

曖昧な境界線。

その不思議な空間で、ジャンは覚醒しつつあった。

気付けば、かつての自分の動きを完璧にトレースしていた。

だが、まだ足りないのだ。

ミカサに追いつくためには、それだけじゃ到底足りない。

ずっと変わらなかった絶対的な勝者と敗者の構図を、今ここで覆す。

そのための何かを、ジャンは見つけなければならなかった。

 

クソッ――速すぎんだろ!

こんなの……どうやって勝つんだよ!

 

諦念が胸に入り込もうと待ち構えていた。

これ以上、逃げたくない。

だけど、どうやって自分と向き合えばいいかなんて見当もつかない。

 

巨人がいる世界。

絶望を溜め込んだ世界で、願いを持ち続けることになんの意味があるんだろう。

巨人の全滅を願っても、戦争のない平和な世界を願っても――どうせ誰の願いも叶いやしないのに。

それでも祈り続ける意味を、ずっと誰かに教えてほしかった。

けど、その誰かなんてどこにもいやしないから、ジャンは自分で答えを決めた。

この世界に、意味なんかないんだと。

この世には、人類という生き物がただ存在するだけだ。

 

生まれた世界や立場で、置かれた場所や状況で、与えられた才能や能力で、未来は見えている。

マシな方を選んで適当に暮らしても、人類を救うために戦っても、全ては無意味だった。

しかし、その一方で、はっきりとした意味を持つ人間も存在していた。

 

ミカサだ。彼女は間違いなく特別だった。

何をやっても完璧で、到底不可能だと思える様々な事柄をいとも簡単に可能にしてきた。

そして、意味ある存在は彼女だけではない。

嫌味なことに、ジャンの周りには特別な人間が大勢いた。

エレンやアルミン、クリスタ、リヴァイ、ハンジ、エルヴィン――もっと広く言えばライナーやベルトルトやアニだって、世界を動かすほどの重要な鍵だ。

 

それに比べて、俺は何だ?

無意味な存在なら、なぜここにいる。

俺は数合わせのゴミか。

残酷な世界を引き立てる、不幸役その1か?

……そうだ、それが正解だろ。

俺は特別なんかじゃなかった。

じゃあ、今までやってきたことも、何も残らないのか。

結局、俺の中には何もなかったのか。

…………いや、それはちげーだろ。

 

自問自答の刹那、強い否定がふと心に浮かんだ。

 

たしかに俺がやってきたことも、持っているものも価値はねぇかもしれねー。

けどな、何もねぇわけじゃねーよ。

誰よりも、その立体機動に憧れた。

ミカサの後ろを誰かに譲ったことなんて、一度たりともねぇんだぞ。

俺以外の誰が、お前に追いつけるっつーんだ!

 

そう強く思ったときだった。

突然、空中に、細やかな光の粒子がちかちかと点滅した。

舞い上がる植物の綿毛が陽に反射しているようにも見え、ジャンは目を細める。

瞬く間に、光の粒子は互いを繋ぎ合い、ミカサの元まで流れていく。

 

ジャンは、その光をなぞるように飛んだ。

不思議な光はジャンの体にぶつかると、吸い込まれて消えていく。

重力を感じない。前へ、前へ。体が引っ張られる。

今まで感じたことのないスピードに、ジャンは瞬きを忘れる。

ミカサの背中がぐんぐんと近付いていた。

彼女が通り過ぎた数秒後に、まったく同じ動きでジャンが追いすがる。

まるでミカサのように、美しく描かれる飛行軌道。

神業と思えた彼女の動きを、ジャンは完璧にトレースしていた。

頭で考えているわけじゃない。

この最中でも、ミカサがどう動くかなんて理解できない。

それでも、反射的に体が動いた。

 

これが、ミカサの立体機動――あいつが見ていた世界なのか。

 

心臓が爆発しそうに狂っている。

関節がバキバキと鳴る。

体が軋んでいるのがわかる。

肉体が限界を越えて、超人的な動きを可能にしていた。

手を伸ばせば、すぐそこにミカサの背中がある。

しかし、どうしても届かない。

見えない壁が、彼女に追いつこうとするジャンを拒絶していた。

鋭く揺れる短い黒髪から、彼女の頬がのぞく。

そこに刻まれた傷が、ジャンの瞳に焼き付いた。

 

そうか。俺はまだ忘れているのか。

思い出さなきゃならねぇ――俺が死んだ時の記憶を。

 

突然、ずくんと、痛みが走った。

ジャンは咄嗟に目を落とす。

腹部のあたり、灰汁色のシャツがみるみる血で染まっていた。

ジャンは痛みに耐えようと、歯を食いしばる。

 

落ち着け!これは現実の痛みじゃねぇ!

これは幻覚で……いや、そうか。

この傷は、ミカサを庇って死んだときについた銃創だ。

 

大勢の敵に囲まれたミカサを見たとき、ジャンは躊躇なく飛び出した。

ミカサを背に庇って、体中に銃撃を受けた。

いくつもの小さな鉛玉が、今まさに撃ち込まれたように感じる。

その痛みを薙ぎ払い、ジャンは身を捩って飛び続ける。

ラストチャンスだ。

ここで諦めれば、勝ち目はなくなると直感的にわかる。

噛み締めすぎた唇が破れ、口内に血の味が溢れる。

これも幻なのか、それとも現実なのか、判断がつかない。

 

ぐちゃぐちゃになった頭の中で、「エレン!」とミカサが絶叫した。

ああ、そうだった。

あの時、今にも死にそうな耳に、何度も何度もミカサの絶叫が聞こえたのだ。

自分を守った男が、好きな男だと勘違いした彼女の悲鳴が。

 

あんだけ撃たれたのに、何で即死じゃなかったんだよ。

さっさと死んでおけばよかった。

だって、そうだろ。

好きな女を守って、その死に際に他の男の名前を叫ばれてみろよ。

誰だって、後悔するだろ。

…………俺は、何を後悔したんだ。

ミカサを助けたことか?

あの時、見捨てりゃよかったって、そう思ってたのか?

 

自らの問いを、ジャンは即座に否定する。

断言できる。

どんな結果だろうと、仲間を救うことを悔やむはずがない。

 

じゃあ、俺は何を後悔したんだ。

 

脳内で、繰り返される絶叫。

エレンの名前を叫びながら、鬼のように敵を殲滅したミカサ。

その姿が、ありありと思い出される。

撃たれたジャンと同じぐらい血塗れになって、戦いを終えたミカサが近づいてくる。

涙を流して、「エレン」と何度も呟きながら。

ミカサはジャンの体を抱えた。

震える手を、彼の頬に添えた。

そして、恐る恐る、彼の顔を覗き込む。

 

やめろ。思い出したくない。

死んだのがエレンじゃないとわかった時、ミカサはどんな顔をしたんだろう。

これ以上、耐えられなかった。

立体機動中にも関わらず、ジャンは両目を固く閉じた。

遮断される視界。

どこかでプツンと電源が落ちるような音がした。

それと同時に、全ての感覚が停止する。

忌まわしい記憶の再生は止まり、体の痛みも消えた。

深い闇の中で、思考だけが巡る。

 

……そうだ。

あの時も、俺は同じことを思ったんだ。

怖かった。

だから、聞こえないふりをした。

ミカサは泣きながら、何かを言っていたのに。

ちゃんと俺に向かって、叫んでいたのに。

 

ミカサは死にゆく青年の顔をしっかりと確認した。

それから、「ジャン」と確かに彼の名を呼んでいた。

その後の出来事を、なかったことにしたのはジャン自身だ。

あの時、ミカサはなんて言ったんだろう。

 

ここまで来て、また逃げるわけにはいかねぇよな。

 

ジャンはそっと瞳を開いた。

魔法が解けたみたいに、様々な感覚が一気に戻ってくる。

立体機動の浮遊感。

肌にぶつかってくる空気抵抗。

耳元でビュンビュン鳴る風の音。

そして、少し前方を飛んでいる彼女の背中。

それらは、むしろクリアすぎるぐらいに、脳の中枢を揺さぶる。

高濃度の情報に、頭がくらくらした。

 

その時、目の前を飛んでいたミカサがくるりとこちらを向いた。

空中で、二人は正面から向かい合う。

ミカサは、あの時と同じ表情で、泣いていた。

 

『ジャン――私を好きになってくれて、ありがとう』

 

そう言うと、そのまま透けるように肉体が薄れる。

そして、彼女は光の粒に変わった。

その光は、ジャンを導いた光の粒子と混ざり合い一層強く輝くと、ジャンの肉体に吸い込まれて消えた。

後に残されたのは、静かな訓練場の森。

そこで、ジャンは一人きりで飛んでいた。

 

「エレンバカのくせに……お前、気付いてたのかよ」

 

消えた彼女に向かって、ジャンは呟いた。

眼前に広がる光景は、多くの仲間が死ぬ過去でもなく、腰抜けな自分が死ぬ未来でもない。

ここは訓練場の森で、ただの現在(いま)だ。

そして、逃げ回ってきた自分自身に勝つための場所だ。

 

ジャンは前方を見据えた。

遠くの枝葉に隠れた異物を、肉眼が微かに捉える。

それと同時に、飛び出した。

唸りをあげる鉄製のワイヤー。

標的は、三体。

5m級の二体をすれ違いざまに狩る。

そして空高く、ジャンは体を投げ出した。

真下には、15m級。

そいつのうなじを、落雷のごとく急降下して一直線に削ぎ落とす。

三体分のうなじ――スポンジの塊が地面に落ちたのは、ほとんど同時だった。

 

息ができない。呼吸を忘れる。

でも、苦しくはない。

全身の細胞が、勝手に酸素を取り込んでいるみたいだ。

 

前へ、前へ。

枝葉の隙間に、身体をねじ込んでいく。

遠く、もっと遠くへ。

速度を上げて、肉体を運ぶ。

瞬く間に過ぎ去る景色。

全てを置き去りに、ジャンは最後の木々を抜け、砂埃をあげて着地した。

 

「ジャン・キルシュタイン――4分50秒」

キースが記録を告げる。

 

ミカサは⁉︎

 

ジャンは急いで周囲を見渡した。

遠巻きにこちらを伺っている同期たち。

その中に、ミカサの姿はない。

 

とっくに着いてるんじゃ――。

 

そう思った時だった。

背後で、地面を削る着地音が聞こえた。

ジャンが振り返る。

 

「…………俺の勝ちだな」

 

半ば呆然と、ジャンは言った。

話しかけたというより、独り言に近い。

口に出すことで、勝利を確信したかった。

 

ミカサは黙っている。

ブレードを収めることも忘れ、立ち尽くしていた。

その顔を見て、勝った!という嬉しさよりも、笑いがこみ上げてくる。

 

信じられるか?

あのミカサが、俺に負けて悔しがってやがる。

 

ひくつきそうになる唇を、ジャンはなんとか堪えた。

 

光のフィルターが貼り付いた、透き通るような空の青み。

爽やかな風が、まだ長い彼女の髪を揺らす。

 

綺麗な黒髪だ。

 

初めて出会った時と同じように、そう思った。

変な感じだ。

情けなくて、かっこ悪いのに――そんな自分を悪くないと思える。

やっと空っぽになって、彼女の前に立てている気がした。

 

「ミカサ、お前は負けた。約束通り、俺の願いを一つ叶えてもらうぜ」

 

そう言って、ジャンはニヤリと笑った。

 

なぁ、ミカサ。

もう一度返事をくれよ。

告白もしてねぇのに、振られるなんてダサすぎるだろ。

ちゃんと答えをもらわねぇと、俺はここから動けねぇ。

どうしたって、前に進めねーんだ。

今だけでいい。

俺を見てくれ。

 

ああ、やっと言える。

 

ミカサ――死ぬほど、お前に惚れてたって。

 




次話でエピローグ的なことやって、一部の締めとします。
今回のスランプで学んだことは、熱いときこそ事実を淡々と書くのが吉。勉強になるなぁ)^o^(

ジャンのキャラソンの歌詞から、一部参考にしました。初めて聞いたけど良曲で驚いた。かっこいいので是非!
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