ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」 作:三木えーっと
おめでとうございます。
諫山先生、素晴らしい作品をありがとうございました。
ライナーが気持ち悪くて実家のような安心感でした。
「これより、成績上位者10名を発表する!」
キースの大声が、響く。
いつもより数段迫力がある声に、訓練兵たちは身を引き締めた。
訓練兵と一括りにされるのも、今日で最後だ。
兵士たちは、大人びた表情で唇を引き結ぶ。
彼らの背中には、訓練兵を象徴する、剣を交えた絵が描かれている。
4年間背負ってきたその絵も、もうすぐ変わる。
不老不死の一角獣、守護の薔薇、自由の翼――いずれの兵団を選んでも、人類に心臓を捧げることに変わりない。
そして、この日。
人類の行く末を背負うことになる成績上位10名が、発表された。
首席 ミカサ・アッカーマン
次席 ライナー・ブラウン
三番 ベルトルト・フーバー
四番 アニ・レオンハート
五番 エレン・イェーガー
六番 マルコ・ボット
七番 クリスタ・レンズ
八番 サシャ・ブラウス
九番 コニー・スプリンガー
十番 ジャン・キルシュタイン
***
卒団式の夜。
「訓練兵の卒業は祝い事ではない。決して慢心することのないよう、兵士としての自覚をうんぬん――」などと教官方は言っていたが、食卓には卒業を祝う豪華な食事が並んだ。
といっても、普段の食事と比べれば、だ。
いつも薄いスープはほんの少し濃く、大きな芋がごろごろ入っている。
パンは水分を含んでふっくらと焼き上がり、それに加えて、めったにお目にかかれない鹿の干し肉がメインに置かれていた。
ご馳走を前に、兵士たちは瞳を輝かせた。
どこぞの芋女に奪われないようにと、せっせとパンを口に運ぶ者もいれば、酒でもないのに盃をぶつけ合い、競うように飲み比べる者もいる。
成績をめぐってギスギスしていた人間関係は、ようやく打ち解けたように見えた。
「よかったじゃねーか。ギリギリ十番で、首の皮一枚繋がったなぁ」
ニヤつきながら、コニーが言った。
ジャンは「まーな」とクールに返しつつ、内心では「まったくだ」と大いに同意する。
「ま、天才の俺は当然お前より上の順位だけどな!」
「なんれふか、ほれ。じゅうばんと、きゅーばんなんて、たいして変わらないれふよ」
口いっぱいに食べ物を詰め込んで、サシャがふがふが喋る。
血走った目を獲物から離さず、食べカスが口から飛び出るのもおかまいなしだ。
ジャンは眉を顰めたが、コニーは気にならないらしい。
「ちっちっち……わかってねーなぁ。その一番の差が、とんでもなくデカいんじゃねぇか。なんつーの? 越えられない壁ってやつ?」
「それなら、八番の私がさらに上ってことですよね。あなたたちの肉は、さらに天才の私がもらってあげましょう」
そう言って伸ばしかけたサシャの手を、マルコがピシャリと叩く。
「その理論で言うと、ここの卓では六番の僕が一番偉いことになるね」
「じ、冗談ですよぅ」
と誤魔化すように笑って、サシャはしぶしぶ手を引っ込めたものの、その目はすでに別の獲物を探してギラついていた。
その様子を横目で眺めながら、ジャンは盃を傾ける。
二回目の卒団式だ。
既視感を覚えつつも、少しずつ違う現実を見るのは、間違い探しをするようで結構楽しい。
未来は変わってきているという手ごたえを、感じさせてくれる。
「巨人に勝てるわけないだろ!」
唐突に、トーマスの大声が食堂中に響いた。
楽しげに話し込んでいた同期たちは、談笑を中断して、何事かと彼に注目する。
その一方で、ジャンは盃の中身をぼんやりとのぞいていた。
まだ半分ほど残っている液体が、ジャンの顔を部分的に映し出す。
何が起こるかは知っているので、わざわざ目を向ける必要はない。
耳だけで拾う情報によると、「巨人には勝てない」とトーマスが主張するのに対して、エレンは「人類は戦うべきだ」と調査兵団の必要性を語っている。
最初はトーマスの意見に納得せざるを得なかった同期たち。
それがエレンの熱量に浮かされて、僅かながらに空気が変わっていた。
食堂中を巻き込んだ演説を終えると、エレンは悔しさに涙を滲ませて、食堂を出て行く。
その後に続く、ミカサとアルミン。
以前と同じようなやりとりに、ジャンが興味を失おうとした時、視界の端でアニが立ち上がるのが見えた。
トレードマークのパーカー姿に、ストレートにおろされた金髪。
エレンたちが出て行った方とは反対方面の扉に向かって、彼女は歩いていく。
扉に指をついて押し、少し開いたところからそのまま出て行くのかと思えば、彼女はふいに周囲を見回した。
誰か探してるのか?
目立たないように、ジャンはアニを眺めていた。
すると、動いていた彼女の視線と目が合って、アニはそのまま食堂を出て行ってしまう。
ジャンは盃を持って立ち上がった。
立ち話に興じる同期たちを避けながら、アニが消えた扉に向かって歩き、立て付けの悪い扉をギイイと軋ませて開く。
扉を後ろ手に閉めると、食堂の喧騒を閉じ込めてくれた。
アニは、すぐに見つかった。
地面に降りる木の階段、五段ほどの短いそこに、彼女は座っていた。
月明かりに照らされる背中は、いつもより小さく見える。
ジャンは一人分の空席を開けて、アニの隣に座った。
なんとなく持ってきた盃を、自分とアニの間に置く。
冷たい夜の空気は、特別に澄んでいる気がする。
ジャンは首をそらし、夜空を仰いだ。
どこまでも奥行きのある黒の中で星の輝きが明るく、空気が澄んでいるぶん、光の粒子は直接ここまで届いているんじゃないかと思える。
「隣」
「あー?」
「勝手に座らないでよ」
「勝手にじゃねーよ、お前が呼んだんだろ」
「別に、呼んでないから。勘違いしないで。たまたま目が合っただけ」
突き放すような台詞のわりに、彼女の声は本気で嫌がっているようには聞こえない。
「エレンにベッタリなミカサを、見てられなかったんでしょ。アンタ、盛大にフラれてたもんね」
「うるせぇよ。もう忘れてくれ」
「あんな衝撃的なこと、忘れられないよ。長い訓練兵団の歴史でも、試験中に告白したバカはアンタ一人だろうね。同期どころか教官にまで見守られて……フラれて……し、しかも、その後は容赦なく懲罰房行き――」
「あああああ! 笑いたきゃ堂々と笑えよクソ!」
「それで、あの後仲直りはできたの? ミカサとはだいぶ拗れてたようだけど」
「ああ……たぶんな」
その問いに、ジャンは答えを濁す。
仲直りというか、一方的に謝り倒したと言った方が正しいからだ。
エレンとの仲を取り持ってほしいと頼ってきたミカサを騙したのは、確かに悪かったと思う。
許してもらえるかどうかはともかく、筋は通すべきだと思った。
なぜミカサを騙したのか。
「君のことが好きだから」という小っ恥ずかしい理由を説明して、謝って――最後には、見るに見かねたアルミンがフォローに入ってくれた。
それでも、「わだかまりが残っていないか」と聞かれると首を傾げざるを得ないけれど、少なくともジャンの胸中は穏やかだ。
「苦い初恋になったね」
そう言って、アニはふっと息だけで笑った。
不名誉な形容詞が付こうが、今までのヘタレっぷりを思えば、「初恋だった」と過去形にできただけ上出来だ。
「俺からも聞いていいか」
ジャンは言葉を探しかけたけれど、すぐにその必要はないと思い直した。
そして、天気の話でもするように口を開く。
「ライナーとベルトルトに、何で言わなかった」
それは、ジャンが長らく抱いていた疑問だった。
アニとの間にあった一部始終は、決して言い逃れできるものではない。
殺し合いの末の、衝撃的な結末。
未来で起こる地ならしの映像を、アニは見た。
加えて言えば、そのごたごたに乗じて、ジャンは彼らの計画を知っているような口ぶりで語ってしまった。
いくら殺される寸前だったからって、今思い返せば迂闊な発言だ。
こちらの真意がバレることは、すなわち死を意味する。
当然、計画を知った異分子は排除されるはずだった。
なのに、なんの冗談か、まだジャンは生きている。
「アンタこそ。知ってたのに、何で私たちを殺そうとしなかったの。いくらでもチャンスはあったはずだよ」
質問には答えず、アニは問い返した。
「たぶん、お前と同じ理由だ」
ジャンがそう言うと、アニは「あっそ」と呟いてから「アンタって本当に甘いね」とため息を吐いた。
「お互い様だろ。俺らはこれでいいんだよ。この世界には、血の気の多いやつらばかりいやがるからな。俺らみたいな半端者がいてもいいだろ」
「バカだね。いいわけないでしょ」
ただでさえ冷たく見える白肌は月明かりの下でさらに青白く、彼女の動きに合わせて金糸の髪が緩やかに揺れた。
「全部、私たちのせいなんだね。地ならし――あんなに恐ろしいことが起こるなんて」
「まだそうと決まったわけじゃねぇ」
ジャンは彼女の言葉を遮った。
「運命なんてクソ喰らえだ。だから俺が変えてやる。そのためには、お前の協力が必要だ」
アニはゆっくりと夜空から視線を落とすと、ジャンの顔をまじまじと見つめた。
「アニ、頼む。手を貸してくれ」
「本当に勝手な男だね。アンタのせいで、私はもう戦えない――アンタを殺せない時点で、仲間を裏切ったも同然なんだよ。私にはもう帰る場所がない。……やるべき使命もない」
「じゃあ、地ならしで世界が滅びるのを待つか?」
そう鋭く問うと、アニは微かに肩を震わせた。
瞬きを忘れた瞳。
灰色がかった薄い水色のそれは夜の中で不思議な深みを帯び、細やかな星影を抱いて、まるで小さな夜空が彼女の両目に宿ったようだった。
あまりにも酷な決断を迫っている自覚はある。
しかし、引き下がることはできない。
残酷な世界に打ち勝つためには、誰かが――いや、誰もが辛い決断を下さなければならない。
その順番が、今はアニの手の中にある。
誰のせいでもなく、何の因果もなく、ある日突然その順番は巡ってくるのだ。
その時、「もしも」という言葉が、ジャンの口をふいについて出た。
明確な意図があったわけじゃない。
何か言わなければ、と一種の強迫観念めいたものに突き動かされたのだ。
辛い決断を迫られる彼女に、少しでも誠実でありたい。
何かに縋るように揺れるアニの視線。
ノープランで開いた喉がぐっと詰まって、それでもジャンは無理やり言葉を絞り出した。
「もしもお前が死んだら、俺も一緒に死んでやるよ」
「は?」
一瞬ぽかんと口を開けてから、アニは一文字で返した。
さっきまでの不安げな顔が嘘みたいに、不機嫌そうに眉根を寄せる。
「意味わかんないんだけど」
「はぁ⁉︎ お、お前がなんか不安そうにしてっから俺は――」
「何でアンタなんかと一緒に死ななきゃいけないの。私が喜ぶと思った?」
ぼそりと言い捨てるアニに、顔が熱くなる。
「俺だって願い下げだ! けど、なんつーか……お前のためにできることなんて、一緒に死んでやることぐらいしかできねーって、そう思って――だいたいわかんだろ⁉︎ 言葉の綾だろ察しろよ! それぐらいの覚悟で、俺はお前を――」
「口説いてんの?」
「口説いてねぇよ!!!」
一気に血圧が上がり、ついつい声色にも熱が入って、ボリュームがでかくなる。
反対に、アニの方はどんどん冷めている様子だ。
ついさっきまで柔らかく見えた眼には、パキパキと薄い氷がはっている。
ため息を吐きながら、アニが立ち上がる。
「おい、待てよ。まだ話は終わっちゃいねーぞ」
ジャンが噛み付くように言うと、アニは肩越しに振り返った。
「場所を変えるよ。ここじゃ人目につきすぎる」
食堂の方にちらりと目を向けて、それからジャンに視線を移した。
「一応、礼を言っとくよ。自分のバカさ加減に嫌気がさしてたけど、アンタと比べたら私なんてまだマシな方だね」
小馬鹿にするように顎をあげて、アニは唇の端をつりあげた。
「……そりゃどーも」
調子が戻ったようでなによりだ。
アニに気付かれないようにニヤリと笑って、ジャンはため息まじりに腰を上げた。
***
ここから新しい未来がはじまる。
世界の中枢から遠く外れた、隅っこで燻るここからはじめよう。
些末なゴミの中で、たった一つの火種から燃え広がることを教えてやるよ。
さあ、物語を進めるといい。
せいぜい絶望してろ。
救われねぇと孤立してろ。
いつでも物語をひっくり返すのは、些末な伏線だって思い出させてやるよ。
これは、俺がはじめた物語だ――
これにて一部完結です。
アニとは共闘関係になりつつ、二部からはまた色々あると思います。
長らくのご愛読ありがとうございました!
読んでくださる方のおかげで、ここまで書くことができました。
少しでも楽しい暇つぶしになれたなら、めちゃくちゃ嬉しいです。
記念に、評価や感想をもらえると作者が喜びます(*'ω'*)
よろしくお願いします!
後書きは活動報告にあるのでよろしければお目通しください〜