ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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四話

 少年はまだ小柄で黒髪の短髪で、くりくりした大きな瞳は鋭く輝いていた。決意に満ちた眼差し。自分を正義だと信じて疑わない面構え。ミカサとアルミンに囲われて巨人の駆逐談義に花を咲かせる姿を見ながら、昔からエレンのそういうところが気に食わなかったとジャンは思い出していた。

 

 いつだったか「ジャンは指揮官向きだ」とマルコに言われたことがあった。実際、調査兵団では指揮官としての役割を果たしていたし、確かに向いていたんだろう。しかし、それは決して自分が特別だからではなく、むしろごく普通の弱い人間だからだとジャンは自覚していた。今まで心臓を捧げてきたその他大勢。それが自分の立ち位置で、そうあるべきだとも思っていた。震えながら、心臓を捧げる順番が回ってくるのを待っていたと言ってもいい。

 

 だが、エレンはちがう。あいつだけは特別で、運命に選ばれた。そしてミカサにも——。

 

「お前って、エレンに絡まなくなったよな」

 ある日の作戦の最中、コニーにそう言われた。

「昔はすぐ突っかかって、ケンカ売ってたのによ。……まー、俺らもいつまでもバカやってるわけにいかねーしな」

 あの時、俺はなんて答えたんだっけ。

 

 ジャンは立ち上がった。マルコの静止の声を振り切って力強く足を進め、エレンに近寄るとその胸ぐらをぐっと掴み上げる。何者にも屈しない強い瞳。久しぶりに睨み合ったムカつく面に、ジャンはカッと頭に血が上った。派手な音を立てて貴重な食料が床にブチ撒かれる。

 

「何すんだよ! スープがこぼれちまったじゃねーか!」

「スープなんてどうでもいいんだよクソッタレめ!」

 怒りのままにジャンが拳を振り上げると、

「ジャン、やめて。エレンは朝ごはんを食べていただけ。たしかにニンジンは残していたけれど、もしあなたがそのことで怒っているなら心配ない。いま私が注意しようとしたところだから」

 ミカサはそう言って、ジャンの腕に手を置いた。

「出てくんなよミカサ! ケンカ売られたのは俺なんだぞ!」

 エレンが怒鳴った。

「まずいよエレン! こないだだって教官に注意されたばかりだろ⁉︎ 今は大事な時期なんだからケンカなんてしている場合じゃないよ」

 アルミンが慌てて仲裁に入った。

 

 未来では久しく見ていない三人のやりとり。懐かしくももどかしい思いに、ジャンは力を込めてエレンを引き寄せた。

 

「なんでテメーはそうなんだ! ミカサやアルミンがいるのに、仲間がいるのに……なんで俺らを——」

 

 裏切ったんだ! と続けようとすると、ジャンの心臓に鷲掴みにされたような激痛が走った。未来に関することは喋れない。この痛みはペナルティだ。尋常でない痛みにジャンが動きを止めると、エレンはすかさず彼の手を振り払った。

 

「お前が何を言いたいのかさっぱりわかんねーけどな。これだけは言っとくぞ。俺はお前とは違う。すべての巨人を駆逐するまでは、俺は止まれねーんだ。お前みたいなやつに構ってる暇はねーんだよ!」

 唸るように、エレンは言った。

「……俺みたいなやつってなんだよ」

 痛みに耐えながら、ジャンはなんとか声を絞り出した。

「いつも自分で言ってるじゃねーか。憲兵団になって内地に行きたいんだろ? なんだっけか……たしか安全で快適な暮らし? 勝手に行けよ。ただし、俺の邪魔だけはすんな。腰抜け野郎が」

 

 その瞳に正義と憎悪の炎をたたえて、エレンは言った。しかしジャンは知っていた。いつしかその炎は——憎悪が正義を焼き尽くし、すべてを飲み込むことを。

 

 俺はバカだ。未来のエレンに言えなかったことを、今のエレンにぶつけてどうする。考えろ。俺が今すべきことは何だ?

 

 鋭く痛む心臓に耐えるために、ジャンは無意識のうちに胸のあたりを掴んでいた。灰汁色のシャツごと握り締めた拳はまるで兵士の敬礼のようだ。数多の兵士が人類に心臓を捧げてきた。今まで幾度となく握り締めてきたそれが、自らの弱い心臓を熱くさせているようにジャンには感じられた。その熱に浮かされて、口を開く。

 

「お前の言う通り、俺は腰抜け野郎だ。だが、それは昨日までの俺だ」

「なんだよ。今日のお前は違うって言うのか?」

 

 不遜な表情のエレンに、ジャンはニヤリと笑いかける。心臓の痛みは既に消えていた。

 

「よく聞けよ、エレン。俺は調査兵団に入る」

「……は?」

 

 エレンは敵意を忘れて、間抜けな声をあげた。驚いているのはエレンだけじゃない。ミカサもアルミンも——無関心を装いながら面白半分に耳を傾けていた食堂の誰もが耳を疑った。

 

「お前が調査兵団って……そりゃ、どういう意味だよ」

「言葉通りだ。もう成績なんてどうでもいい。憲兵団なんてクソ食らえだ。内地での安全な暮らしは楽観主義者の夢物語にすぎねェ。……俺は理解したんだよ。本当の意味で心臓を捧げる覚悟のねーやつに何も救えやしねーってな」

 

 昨日までとは180度違うジャンの言葉に、エレンは戸惑っているようだった。怪訝そうに彼の顔をまじまじと見つめ、その瞳が確かに決意に満ちているのを見るとエレンは徐々に嬉しさを滲ませた。

 

 「死に急ぎ野郎」なんて嘲笑混じりのあだ名を付けたのは他でもないジャンだ。しかし、そのあだ名に心の中では誰もが肯定していたことをエレンも感じていたのだろう。訓練兵の中でも異端扱いだったエレンに、幼馴染み以外ではじめての同志ができたのだ。

 

 エレンは頬を紅潮させて、

「そうか! はは……やっとわかってくれたのか! この世から巨人を駆逐するには調査兵団で戦うしか――」

「残念ながらお前に同調したわけじゃねェ。たしかに俺は間違ってたけどな。そりゃお前も一緒なんだぜ、エレン」

 

 ジャンはエレンの言葉を言下に否定した。そしてエレンを真正面から見据える。二人の少年は静かに睨み合った。

 

 未来のエレンは仲間を裏切り、地ならしという選択をした。俺はエレンを止めるために行動したが道半ばで死に、結局人類の行く末はわからず仕舞いだ。エレンの最期がどうなったのか、俺は知らねえ。壁外人類が、壁内人類が、ミカサがどうなったのかも、俺にはわからねえ。だが、そんなこと今の俺には関係ねえ! 

 

 ジャンは歯噛みした。あまりに強く噛み締めた歯がぎしりと軋んで、それでも足りないとばかりに強く強く歯を食いしばった。

 

 どういう結末になろうと、この馬鹿が地ならしを選択したことは事実だ。そこにどんな思惑や葛藤があろうと、それだけは動かしがたい現実だ。

 

 なぁ、エレン。お前はどんな気分だった? テメーはいつから俺らを下に見てたんだよ。自分は特別で、俺らとは違うってそう思ってたんだろ。わかるぜ。……俺もそうだと思っちまったからな。

 

 俺はいつからか認めちまったんだ。エレンは特別で、俺とは違うって。だから俺はお前と張り合うことをやめた。ケンカも吹っ掛けなくなった。特別なお前を支えようなんて、ガラにもねーこと考えてたんだぜ。気持ちわりいだろ? だが、それが却ってお前を孤独にさせちまった。結果、お前は誰に相談することもなく、一人で地ならしを決断したんだ。

 

 「死に急ぎやろうが。自分が特別だなんて思い上がってんじゃねーぞ」

 

 ジャンは唸るように言った。

 

 エレン、お前は失敗する。お前じゃ人類を救えねえ。だから神はタイムリープなんて反則技を使って新しい救世主——俺を選んだ。

 

 ミカサが不思議そうにジャンを見つめていた。その視線を感じながら、ジャンはエレンに宣言した。

 

「人類を救うのはお前じゃねェ。——俺だ!」

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 兵舎の廊下をエレンはずんずん歩いていく。さっきジャンから言われたことに腹を立てているのだろう。隣に並ぶアルミンがエレンを懸命に宥めている。そんな二人の後ろ姿を眺めながらミカサは考えていた。

 

 まさかジャンが調査兵団に興味を持つとは思いもしなかった。昨日までは「憲兵団に入る」とうるさいぐらいだったのに……人は変わるものだ。エレンも少しぐらい変わってくれないだろうかとミカサは小さな溜息をついた。

 

 もちろんエレンが私を大切に思っているのはわかっている。なぜなら私たちは家族。強い絆で結ばれている。けれどエレンは優しいから、そこにつけこむ女狐がいるのだ。

 

 ミカサは奥歯をギリリと噛み締めた。エレンはまっすぐで純粋だ。だから彼に悪い虫が付かないよう、かねてからミカサは気を揉んでいた。

 

 エレンが照れ屋なのはわかっているけれど、もう少し私との仲を見せつけてやってもいいのに。

 

 ミカサは赤くなった頬を隠すように、大切な赤いマフラーに顔を埋めた。大好きな家族の背中を熱く見つめながら何度目かの溜息をついた。しかし残念ながら鈍感なエレンはその様子に気付くこともなく、むしろ隣で歩く幼馴染みの少年が背後に感じるプレッシャーに胃を痛めているのをミカサは知らない。

 

 

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