ジャン「人類を救うために恋のキューピッドになる」   作:三木えーっと

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六話

  ジャンは二人の背中を見送ってからクリスタに向き直った。クリスタは叱られるのを怯える子供みたいに俯いていた。なんだか弱いものいじめでもしている気分だ。ジャンはぶつけどころのない苛立ちを溜息と共に吐き出して、しゃがみ込む。

 

「足見せろ」

「え……?」

 

 クリスタは戸惑った声を漏らした。不安そうに揺れる青い瞳。その瞳を見上げて、ジャンはもう一度言った。

 

「怪我の具合を見せてくれ」

「あ、そっか! えっと……」

 

 あわあわと言葉に詰まるクリスタを待たず、ジャンは彼女の細い足首を軽く握った。急に触れられて驚いたのか、クリスタの身体が固まる。

 

「痛むか?」

「だ、大丈夫……だと思う」

 

 触った感じ、腫れもない。目立った外傷はねーな。

 

「他に痛むところは?」

「えっと……特にはない、かな」

 

 そう言って、クリスタは気まずそうに前髪を整え、視線を地面に固定した。彼女の小さな手が所在なく、蜂蜜色の金髪をなでる。そこに何か見えた気がして、ジャンは立ち上がるとクリスタの手を取った。

 

「へ⁉︎ あのどうしたのかな⁉︎」

 

 ジャンは驚くクリスタを無視して、無理やり彼女の右手を引き寄せた。その手の平は痛々しく裂けていた。親指の付け根から横に一直線の切り傷。傷口から少量ではあるものの血が流れている。

 

「この傷は?」

「あ……その、地面に降りるときにブレードの刃が当たったみたいで……でも! 本当にそんなに痛くないの! 全然大丈夫だから——」

「大丈夫かどうか判断するのはお前じゃねェ」

 

 ジャンが苛立ちを隠さずに言うと、クリスタは消え入りそうな声で「ごめんなさい」と呟いた。彼女の手に、ジャンは素早く包帯を巻いた。問題なくブレードを握れるか確認してから、やっと安堵の溜息をつく。

 

 それにしてもさっきのはかなりヤバかった。一歩間違えれば俺もクリスタも死んでいた。

 

 巨人や壁外人類との攻防で死ぬことは覚悟していたが、こんな一訓練(いちくんれん)で死にそうになるなんて想定外だ。訓練中の事故——過去にこんな事故はなかった。タイムリープの影響が早くも出ていると考えていいだろう。

 

 未来を変えようとする俺への警告か? わからねぇ。が、ビビって引き下がるわけにゃいかねーぞ。

 

「何があった? 突然落ちたように見えたが」

「突風が来たとき、片方のワイヤーを射出したところだったの。それが風に弾かれちゃって……。もともと刺してた一本のワイヤーだけでぶら下がる形になったんだけど……」

「アンカーが外れたのか」

 

 こくりとクリスタが頷く。

 

 事故だ。前回と同じように訓練をなぞったつもりだったが、それでも多少の誤差はある。おそらく突風に吹かれるタイミングがズレたんだ。それでクリスタが落ちた。

 

「お前はアンカーを刺す位置がわりーんだよ。とにかく到着地点へ向かうぞ。立体機動装置は無事だろうな?」

 

 そうクリスタに指示を出しながら、自分の立体機動装置をガチャガチャといじる。

 

「え……あの……それだけ?」

 機嫌を伺うように、おどおどした口調でクリスタは言った。

「何だよ。他に報告でもあるのか?」

「ううん……そうじゃないけど……。あの、怒って……ないの?」

 

 怒ってるに決まってんだろ! と、喉まで出かかった言葉をジャンは何とか飲み込んだ。

 

 アンカーが外れたからって手がないわけじゃない。すぐにワイヤーを巻き取れば、自力でどうにかできたかもしれない。だが、クリスタはそうしなかった。あのまま死ぬ気だったんだ。

 

 もともと自殺願望があったことはヒストリアから聞いていた。けど、どうしても俺にはわからねぇ。クソみてぇなヤツらに認めてもらうことがそんなに大事か?

 

 こればかりは他人が口を出したって——ましてや俺が言っても意味がない。自分で気付いて、もがきながら考えて乗り越えるしかない。あのヒストリアのように。

 

 だが、仲間として、彼女の苦しみに気付けなかった自分をジャンは恥じた。恥じることしかできなかった。

 

「怒ってほしいのかよ」

「だって私が悪いから! 私のせいでジャンまで大怪我——ううん、死ぬかもしれなかったんだよ⁉︎ ごめんなさい。本当にごめんなさい……」

 こいつは今まで何度謝ってきたんだろう。想像もつかない。

「クリスタ。顔上げろ」

 クリスタは大きな瞳を潤ませて、上目遣いにジャンを見上げた。

「いいか? あーもうめんどくせーから、正直に言うとだな。俺はお前にかけるべき言葉が見つからねえ。何かガツンと言うべきだとも思うんだが……それは俺にはできねーんだ」

 

 ジャンはクリスタの事情を知っている。知っていれば、それっぽい説教もできるだろう。しかし、未来で知ったことを持ち出すのはフェアじゃないとジャンは感じていた。クリスタにどうこう言う資格があるのは、ちゃんと彼女に向き合ってきた奴だけだ。

 

 ガシガシと頭をかいて、しばらく言葉を探して、探してからジャンは言った。

 

「だから、お前は二度と俺に謝るな」

「え?」

「今後一生、俺に謝るなって言ってんだ。下手(したて)に出るの禁止。かすり傷ぐらいで無駄に気遣ったり、申し訳ないとか、そういうめんどくせーのは全部禁止だ」

「め、めんどくさいって……」

「めんどくせーよ。俺は、俺のために、俺の判断でお前を助けただけだ! 俺の行動は、全部自分のためだ! みくびんなよ。俺は104期一(きいち)の自己中野郎だぞ」

 ジャンは長い睫毛をはたはたさせているクリスタを鼻で笑った。

「だいたいお前に謝られたところで、俺には何の得もねーだろ。辛気くせえ面見せられるだけ迷惑だぜ」

「なっ! そんな言い方しなくても——ッ!」

「なんだよ。天使もたまには怒るのか? あれーおっかしいな。俺は命の恩人様のはずなんだが」

 言い返す言葉が思いつかないのか、クリスタは真っ赤な顔で口をぱくぱくさせている。結構おもしろい顔だ。

「よし。じゃー話は終わりだな。行くぞ」

 

 まとまった、とばかりにジャンが立体機動装置に手をかけた。ワイヤーを射出しようとしたところで、クリスタが慌ててジャンの腕に抱きつく。

 

「バッ——バカか! 危ねぇーだろ!」

「ご、ごめんなさ……じゃなくってえっと……そう! お礼ならいいでしょ⁉︎ 助けてもらったらお礼をするのは当然だもん!」

 いい子ぶりっこは得意げに言った。

「謝るっていうのは……ジャンが嫌なら、やめる。私の謝りたい気持ちは自己満足になっちゃうもんね。そのかわり! ジャンも私に謝るの禁止ね! それなら平等でいいでしょ?」

 いや、何が平等だよ。さっぱり意味がわからん。してやったり顔でニッコリ笑う面倒な天使。ジャンは適当に受け流そうとして、

「あーわかったわかった。それでいいから……」

「お礼するから何でも言ってね! 私にできることなら何でもするから!」

 

 ピタリ。ジャンの動きが止まった。クリスタは可愛らしく小首を傾げる。

 

「ジャン? どうかしたの?」

「今、なんでもって言ったか?」

「うん。言ったよ?」

 

 ジャンがクリスタの両肩を掴んだ。いやらしい笑みを浮かべた悪人面をぐうーっと近付ける。

 

「え? え? あの、私——」

「言ったよな? なんでもってなんでもだよな?」

 

 奴隷商に捕まった幼気な少女のように、クリスタは涙目で頷いた。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 訓練兵が抱えるストレスは膨大だ。教官に怒鳴られながら肉体をいじめ抜くきつい訓練。芋、パン、スープ——美味くもない最低限の食事。卒業後の進路に関わる成績へのプレッシャー。

 

 それらの鬱憤は溜まって腐り、なかなか消化されない。娯楽が少なすぎるのだ。うまくストレスを解消できる者がいる一方で、どうしても腹の虫が治らない者もいる。そういう奴らは大方にして攻撃的で下世話な噂好きだ。

 

 厳しい訓練の後、味気ない夕食を終えるとようやく訓練兵は自由時間を与えられる。食堂の一角にのさばる集団。絵柄付きのカードを七枚ずつ配布して、残ったカードは裏にして山を作り机の中央に置く。昔から遊び尽くしているカードゲームだ。特に盛り上がることもなく、机の上には黙々とカードが散らばっていく。

 

一人の男が口を開いた。

 

「なぁ知ってるか。勘違い馬面野郎の話だ。あいつ、クリスタとデキてるらしいぞ」

「は? 何かの間違いだろ」

「それがマジなんだよ。目撃者が何人もいるんだ。なんでも一週間ほど前から訓練が終わると二人で森に消えていくらしーぜえ」

 うおおおおお! と下世話な話題に歓声が上がった。

「マジかよ! なんであんなクソ野郎と⁉︎」

「ほら、最近エレンとやり合ってたろ。俺は調査兵団に入る!とか急にイキり出したやつ。どーせ成績上位にいるのがキツくなっただけだろーに。俺は才能あるとか吠えてたくせにダッセーなあ」

「そんで憲兵団は諦めて女漁りか? いやー、さすが自分に正直な男は違うな!」

「クリスタは馬術が得意だからな。馬面野郎に乗っかってるんじゃねーの⁉︎」

「ギャハハハハハ! マジかよすっげー見てぇわ! 今から覗きに行くか⁉︎」

 

 その瞬間。彼らが占拠していた机がガン!と凄まじい音を立てた。場に出された綺麗な絵柄のカードが、ブーツに踏みにじられる。そこから伸びる細く長い足。一瞬にして静まり返った男たちに、彼女は言った。

 

「今、なんつった?」

 鋭い眼光に気圧され、男は怯む。

「な、なんだよブス。自分がモテないからって嫉妬か?」

「失恋で傷心してるんだろ? 愛しのクリスタちゃんが馬に乗り換えちまったからなあ」

 

 ギリギリのところで持ち堪えていた理性が、彼女の脳内でブチギレる音がした。ニヤついた男の口にブーツの先端を突っ込もうと、彼女は腰を捻り勢いをつけてカードを蹴散らす。ヒュンと空気を裂いてまっすぐに進んだブーツの先端が、男の顔に埋まる直前に受け止められた。

 

「そこまでだ。これ以上問題を起こすようなら、教官に報告させてもらうよ。開拓地送りになるのと、独房にぶち込まれるのとどっちがいいんだい?」

「……チッ。行こーぜ」

 

 マルコの顔を見た途端、分が悪いと踏んだのか男たちはしぶしぶ退散していった。ご利益がありそうな穏やかな面のわりに、場を掌握するのが上手い男だ。

 

「もういいだろ。離せよ」

「ああ、そうだったね。ごめん」

 

 なぜお前が謝るのか。眉を八の字にさせて、照れたようにマルコは彼女の足を解放した。ぶつけ損なった鬱憤を、ユミルは仕方なしに治めようとして、はみ出た分をでかいため息に変えた。手近なイスにどかりと座り、行儀悪く大股びらきに足を投げ出す。

 

 ったく、こいつさえ来なけりゃボコボコにしてやったのに。邪魔しやがって。

 

 散らばったカードを律儀に拾い集めるマルコの背中を、ユミルは睨みつけた。マルコが背を向けたまま言った。

 

「君の気持ちはわかるけど、自分のせいでケンカしたなんて知ったら、辛いのはクリスタだと思うよ」

 

 相変わらず人の嫌なところを突いてくる男だ。一見、人畜無害そうな分、余計にたちが悪い。ユミルは眉間にシワを寄せた。

 

「お前はどうなんだよ。親友の馬面くんもかなり評判悪いじゃねーか」

「ハハハ! あいつが嫌われるのはいつものことだからね。今さらなんとも思わないよ。本人が気にしていれば庇ってやる気も起きるんだけど。昔、同じようなことがあってさ。僕が怒ったら『お前は関係ねーのに何怒ってんだ?』って言われたからな。庇い甲斐のない奴だよ」

 そう言ってマルコは軽い笑い声を立てた。

「最近のジャンは妙に落ち着いてるんだ。何か隠し事もあるみたいだし。世話が焼ける親友が一人立ちしていくみたいで、僕はちょっとさびしいかな」

「なんだよそれ。気持ちわりー」

「厳しいなあ。なんでだろうね。こういう時って女の子同士だと綺麗に思うのに、男同士だと気持ち悪いよね」

「さーな。顔の問題だろ。つーか、お前ってそんな感じだっけ? 今日はやけにお喋りだな」

 

 嫌なら立ち去ればいいのに、なんとなく腰を上げるタイミングを失った。そんな自分にイラつきながら、らしくもなくユミルは会話を振る。マルコは人好きのする笑みを浮かべた。

 

「君は嫌がると思うけど——ユミルって、少しジャンと似てるんだよね。だから喋りやすいのかな?」

「……お前ってホント嫌な奴だな」

 

 ユミルの耳に昨晩のクリスタの声が蘇った。

 

『ジャンって、ちょっとだけユミルに似てるの』

 

 クリスタはそう言ってクスクス笑っていた。

 

 ユミルはよく女好きだと言われるが、クリスタのことを恋愛対象として見たことはない。ただたまに思うだけだ。もし私が男だったら、クリスタともっと深い付き合いができたんだろうか。私が女だから、クリスタと一緒にいれない時が来るんだろうか。

 この気持ちが嫉妬なのか。ユミルには判断できなかった。

 

 

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