学校生活は何も楽しいだけでは終わらない。誰しもが通ることになる試練がある。定期テストだ。
秀知院学園は偏差値が高い。幼稚舎から入っていようと、初等部から入っていようと、この学園は私立の学校だ。エスカレーター方式といえどテストで点を取っておかなければ進級も進学もできない。仮進級という制度はあるが、それを使えば進学はできなくなる。他校に移るしかない。
この学園に通う生徒たちは、一般層とは異なる。一般的な常識と、この学園にいる者たちの常識だってズレがある。外の学校に行って苦もなく馴染めるものがいるとすれば、それだけの社交性を備え、柔軟な思考ができるものだろう。
「会長ってテスト勉強いつもどうしてる?」
にこにこと今日も笑顔を浮かべている萌葉が、会長席で書類に目を通している陽に話しかけた。仕事の邪魔をしないように圭が萌葉を窘めるも、陽は目を通しながら会話を始める。マルチタスク派だからこれくらいはできるのだとか。
「どうも何も、ノートを見返しながら教科書と資料の見直しぐらいだぞ」
「暗記派?」
「公式とか化学式はそうするしかないけど、それ以外は暗記じゃないな。仕組みというか、理屈を理解するようにしてる。歴史は流れで覚える」
「会長ってバカなのに勉強はまともだよね」
「失礼だな。成績だって上位だぞ」
「圭ちゃんほどじゃないけど」
「藤原さんに言われてもなぁ」
目を通した書類の内容、出してきた者の意図を理解し、問題ないと判断してサインする。期限がギリギリだが間に合うだろう。
圭の学力は学年トップ。数学に関しては他を寄せ付けない。テストが100点満点だから圭に迫る者もいるのだが、上限を無くせば差が開くだろう。全国の学力テストでも同様だ。
陽と萌葉の成績も悪くない。陽は上位10人の中に入り、その中で順位の上下があるぐらい。採点後は廊下に上位50人の名前と点数が張り出され、萌葉だってその中に毎回名前が入っている。
「なんでテスト勉強の話?」
そんなわけで、テスト勉強の話を切り出される理由がいまいちわからなかった。萌葉だって自分のやり方でテスト勉強をやっているはずで、成績が悪いわけじゃない。もっと成績を上げたいというのならわかるが、萌葉はそこまで成績に拘りがあるわけじゃない。しかも聞くなら陽ではなく圭に聞くべきだ。
机を間に挟み、目の前でふわっと笑う萌葉を見つめる。何か企んでいるのだろうか。萌葉は黙って視線を陽と絡め、陽の方が視線を逸した。惚れている相手と見つめ合うのは難しい。
「私の勝ち~」
「え、なんの勝負?」
「にらめっこならぬ見つめっこかな」
知らぬ間に勝負になっていて、どうやら負けたようだ。惚れたほうが負けとはよく言ったもので、これ以上ないほどに的を得ている。なんだか前より2人の距離感が縮まっているような気がして、圭は少しばかり嫉妬する。2人が自然体でそうなっているから。
「それで、テスト勉強の話をしてたのはなんで?」
「勉強会をするのもいいんじゃないかなって思って」
「必要か?」
「私は1人の方が捗るんだけど」
「俺も白銀さんと同じだな」
「それだと面白くないじゃん!」
勉強のやり方はそれぞれ。誰かと取り組んだほうが捗る人。1人きりの方が捗る人。BGMがほしい人。なんの音もない環境がいい人。家じゃないと駄目な人。家だとできない人。本当にバラバラだ。
圭の場合、「静かな環境」「1人」という条件が整えばどこでもいい。最適な場所が家だから、いつも家で勉強しているだけだ。陽なら「1人」という条件くらいだ。雑音があろうと集中することでシャットアウトする。
そして萌葉の場合。1人でもできるが、「誰かとやる」という条件が整うと身が入るのである。勉強会ってなんだか面白そう。だからやりたい。気持ちとしてはそれぐらい。
「お姉さんとやれば? 高等部とテスト期間は同じだし」
「範囲が全然違うから。一方的に教えてもらうのは申し訳ないというか。姉様は成績が落ちてるし」
「千花姉でもついていくの大変なんだ……」
高等部の勉強は大変だなぁとしみじみ唸る3人。真相は全く別で、白銀御行vs四宮かぐやの頭脳戦の被害を一身に受けているだけである。それがなければ成績は維持できるのだ。授業だってついていけているのだから。
まさかそんな事になっているとは露知らず、話は勉強会へと戻っていく。そのタイミングに重なるように阿天坊も生徒会室に入ってきた。
「すみません。掃除が長引きまして」
「おうお疲れ~」
「皆さんなんで会長席に集まってるんです?」
自分の机にカバンを置いた阿天坊が首を傾げる。傍から見ると、陽が女性陣に問い詰められているようにも見える。いったい何をやらかしたんだこの会長。
「阿天坊って勉強する時どうしてる?」
「どうとは?」
「俺だと1人で取り組むんだが。人によっては雑音もほしくないって人いるだろ?」
「あー。僕は特にこだわりはないですよ。1人でも誰かとやってもあんま変わんないです」
「それはそれですごいな」
「いやいや会長。騙されちゃ駄目だよ?」
「うん?」
萌葉は自分の席から取り出した縄を使い、阿天坊の腕を縛って逃げられないようにする。ニヤニヤと嗤っているその顔を見て阿天坊は遅まきながらに気づいた。この人は自分の成績を知っているのだと。
「阿天坊くんは、1人でも誰かと一緒でも、勉強しないから成績が変わらないんだもんね?」
「あっはっは、何を言いますか藤原先輩」
「阿天坊くん。そうなの?」
「うっ! ひ、卑怯ですよ藤原先輩!」
「何が? ちゃんと圭ちゃんの質問に答えなきゃね~」
秀知院学園の男子のほとんどは圭に弱い。基本的には圭の人気の高さがそうさせるのだが、中には陽のように例外もいる。阿天坊もまた例外で、多くの男子とは違う理由で弱い。彼の中にある「理想のちっぱい女子」が圭だからだ。
「仕方ないじゃないですか……。だって時間がいっぱいあるんですよ!? 溜まってるアニメ見たりラノベ読んだりゲームしたくなるじゃないですか! 勉強しようと思ったけど掃除してた~なんて言う人と同じですよ!」
「言い分はわかるけども! ちなみに成績はどれぐらいなんだよ」
「進級とかはなんとかなりそうです」
つまりギリギリである。なんとかなるぐらいなら、見逃してもいいかと思いかけた。しかしそれは萌葉の言葉によって消え去る。
「中間テストで赤点取ってたよね~? 期末で取り返さないとヤバイって話だったよね~?」
「阿天坊?」
「なんで藤原先輩そこまで知ってるんですか!」
「阿天坊くんの担任の先生に生徒会でどうにかできないかって言われたから」
もう阿天坊に逃げ場はない。
「成績は大事だよ。順位はどうでもいいから、点数伸ばさなきゃ」
「1位の人が言うとニュアンス変わりますね」
大抵なら嫌味に聞こえるだろう。けれど圭の言葉はそういうふうには聞こえない。純粋に心配しているだけ。
「はぁ。それで勉強会の話か」
「そういうこと。やろうよ」
「面子とかは気にしてないけど、そういう事ならやるしかないな」
「アニメ……ゲームが……」
「安心しろ。長々拘束する気はない。家に帰ったら好きにしていい。ただし、中間テストの分まで取り返せなかった時は覚悟しろ」
「了解であります!」
予定は狂ったが、こういう事情なら仕方がない。教えながらでもやりようはある。教える立場の人間は3人。担当を決めたりすれば時間も均等に分けられる。
「まずは前回の成績を確認しないとな」
「はいこれ。阿天坊くんの中間テストの成績」
「ぽんぽん個人の成績が流れるのはどうかと思うが……」
「教科毎に顕著だね」
「わかりやすくていい」
萌葉に渡された阿天坊の成績を見る。圭が横から覗き込み、彼女の絹のような髪から華やかな香りが漂った。耳に髪をかける仕草に軽く見惚れるも、すぐに切り替えて何もなかったように振る舞う。
阿天坊の成績は国語なら問題ない。酷いのは数学と英語と理科。極端なまでに文系の人間のようだ。
「数学は白銀さんに任せる」
「うん。英語は萌葉が得意だし、理科は会長でいいよね?」
「それでいこう。副教科の方はどうだ?」
厳密に言えば数学も英語も理科も、テストが2個あるが問題ないだろう。国語なら現代文と古典分野。社会は歴史と現代社会といった具合だ。
気になるのは中間テストでは実施しない副教科の科目。これはデータがないため、阿天坊の自己判断でしかわからない。彼の趣味から、技術科目は問題ないとわかる。残りの美術や音楽、家庭科が不明だ。
「一応見てもらっていいですか?」
「謙虚だな。こっちの分担は、藤原さんが音楽か」
「そうだね。家庭科は圭ちゃんに任せたらいいし、美術は会長がよろしく」
「正直、美術も阿天坊は大丈夫だと思うがな」
美術のほとんどは過去の話だ。現代ではデジタルアートが多い。それを教えるのは専門学校だったりするわけで、普通科の学校ではあまり触れない。教科書に載っているのは西洋のものが多いか。
ダヴィンチだったり、ミケランジェロだったり。印象派やら新古典派やら。人類が歴史の中で紡ぎ続けた分野の中で、日本の学校の美術という授業に当てはめられるものは、行き着いたものとして取り扱われている節がある。もちろん時代に合わせての変化はあるのだが、歴史という側面は強いだろう。
「有名な人物とか作品なら結び付けれますね。何派とか何主義とか言われると悩みますけど」
「だろうな。去年はテスト中にイラストを描く問題もあったが、ラテアートできるなら心配いらないか」
「自信ありますよ!」
それなら特に教えることないなと思いつつ、念の為一通り見ることにした。テスト後に美術部から勧誘を受けることになったらしいのだが、それはまた別の話。
「テストの日程はどうなってる? それでテスト勉強の計画を立てるぞ」
「ええっと、たしかそのプリントが……あった。これです」
キャラクターが描かれたクリアファイルからプリントが取り出される。来週から実施される期末テストの期間は1週間。幸いにも阿天坊の成績が酷い数学と英語は重なっていない。それを元に圭がテスト勉強の日程をすぐさま作成。自分たちのテストの日程、それぞれの苦手分野にも考慮しての計画。即座に作っておきながら文句なしの計画だ。
「さすが白銀さん」
「これくらいは別に」
「圭ちゃん照れてる~」
「照れてないから」
クールにそう言っているが、内心ではほっこりしている。褒められたら誰だって嬉しいものなのだ。
「ところで、入ってきた時から気になってたんですけど。あれなんですか?」
生徒会室の隅に設置されたいる物。阿天坊が指差すそれを見て、萌葉がニヤッと笑った。持ってきた当人だから。
「笹だよ。難しかった?」
「いや笹なのは分かってますよ!? なんで笹が生徒会室にあるのかを聞いてるんです!」
「初めっからそう言いなよ~。それに、ああいうのが生徒会室にあるのは今更じゃん。冷蔵庫もこたつもあるんだから」
「そうですけども!」
陽と圭は、てっきりそれには触れずにやり過ごすものかと思っていた。その方が賢い選択だっただろうにと憐れみながら、萌葉にイジられる阿天坊を見守る。
「笹があるんだから理由なんて1つじゃん?」
「七夕ですか。たしかにもうすぐ7日でしたね」
「……そっか。7月7日って七夕だったっけ」
「あれ!? 違うの!? ていうかなんで会長たちも驚いてるんですか! 何に使うつもりだったんですか!」
「「パンダの餌」」
「うちの学校にパンダはいないでしょ!」
パンダの餌として笹を与えるのは鉄板である。パンダにとっての主食。メインディッシュにしてデザート。笹さえあればいい。
しかし、中等部にパンダなんていない。高等部にもいない。高等部にいるのは鶏である。そして中等部にいるのは兎である。ならば、兎の餌として笹を使うのだろうか。兎って笹を食べるのだろうか。そんな事を考え、それが違うのではと思い至った。なにせこれを持ってきたのは萌葉なのだから。
「まさか、パンダを飼うんですか?」
「ううん。飼わないよ」
「違うんかい! じゃあなんで笹があるんですか。意味わかりませんよ……」
「かぐや姫出てくるかなぁって」
「まさかのメルヘン! かぐや姫は笹じゃなくて竹ですよ!」
「似てるしミニかぐやちゃん出るかもよ?」
「米粒サイズがお望みで!? 出たら世紀の大発見ですね!」
もうツッコミもヤケクソだった。
「七夕ってことで、短冊掛けてたらミニかぐやちゃん出てくるかな」
「そうなんじゃないっすかね」
「会長と圭ちゃんも一緒に書こうよ」
「今お願い事なんて……あ、1個あった」
圭のお願い事とは何か。興味がある内容だった。私利私欲が無さそうなイメージが強く、何かを欲したとしても自力で掴み取っているのだから。願うより先に行動に移すのが圭なのだ。
陽の机から折り紙が取り出され、好きな色を選んで適当な大きさに切る。阿天坊も願い事を書いて笹に飾り、2年生組に何を書いたのか聞いた。
「阿天坊くんは?」
「生きてる間にSAO世界が実現されますように」
「ブレないな~」
「先輩たちは?」
「ん~、私も圭ちゃんも会長も同じこと書いてるねこれ」
「え、何この疎外感」
3人と同じ域にはまだ届いていない。やはり過ごした日数の違いのせいか。少しばかり寂しい気持ちになりながら、3人が書いた短冊を自分の目で確認する。
『阿天坊の成績が伸びますように』
「願い事レベル!? やってやりますよこんにゃろう!」
下校時刻となり、勉強道具を片付けて生徒会室の鍵を閉める。鍵を職員室に返しに行けば下駄箱へ。生徒会メンバーもそこで陽を待ち、靴に履き替えて門を出たところで解散。待たなくてもいいと言っているのだが、この形は基本的に崩れない。
阿天坊とは正門ですぐに別れるのだが、2年生組は途中まで道が同じ。次に別れるのが萌葉で、圭とは駅で別れる。可能ならそれぞれ送りたいところだが、家の方向や距離の関係で難しい。
「ね、会長」
「なに?」
「七夕って言えば織姫と彦星じゃん?」
「そうだな」
年に一度しか会えない2人。そこにロマンスを感じる人は多い。圭もそれは共感できることで、萌葉と陽の話を隣で聞きながら歩く。
「会長が彦星だったらどうする?」
「俺は彦星になりたくないな」
「え、織姫?」
「違うそうじゃない」
「ポーズ入れてもう一回」
「Take2はないぞ」
なんだかわからない話が出てきた。ポーズって何のことだろう。圭は電車の中で調べてみることにした。
「年に一度とか嫌だから。そうならないように、好きな人とは何がなんでも一緒にいられるようにする」
「わぉ、結構情熱的だね」
「……そういう藤原さんは?」
「へ? あー、うん。また今度で!」
「ちょい!」
勇気を出して言って、勇気を出して聞いてみたのに逃げられた。通行人もそれなりにいて、追いかけるのも憚れる。陽は伸ばした手を肩と共にがっくりと落とすのだった。