早朝に目を覚ます。むくりと体を起こし、スマホを見て時間を確認する。5時前に起きれたようだ。アラームより早く起きれたが、アラームは保険というだけ。何時に起きようと決めて寝ると、しっかりその時間に起きれることが陽の特技だったりする。短い睡眠時間だろうと、長い睡眠時間だろうと関係ないのだ。
起きれたのはいいが、目はショボショボしている。意識をはっきりさせるのに手っ取り早いのは顔を洗うことだ。けれど、その前に軽く体を動かす。ラジオ体操ですらない独特な動き。覗いてしまった人はそっと目を逸らすだろう。
使用人が使っていい部屋というのは限られている。陽は使用人と客人のハーフアンドハーフみたいな状態だが、扱いとしては使用人だ。昨日言われたことを思い出しながら、使っていい洗面所へと向かう。
「人気もないと寂しいなー」
広い屋敷の中で、この時間に起きているのは陽と早坂。あとは外にいる警備員ぐらいだ。かぐや様はまだ夢の中にいる。今耳元で白銀御行の名前を出せば夢に干渉できるのではないだろうか。是非とも早坂にやってもらいたい。ちなみに、陽はまだ御行とかぐやの関係を知らない。
基本的に静かな屋敷だが、人気がないと余計にそう感じる。僅かな不気味ささえ感じつつ、陽は洗面所の扉を開けて中へ。
「あっ」
「おはようございます。早いですね」
「……ぇ、うん。いつものことだし」
中に入ると上司こと早坂愛がいた。ここは洗面所兼脱衣所で、すぐそこにシャワー室もある。早坂はシャワーを浴びた後のようで、シャツ一枚を巻いただけの際どい格好。ドライヤーを片手に呆然としていた。
「ちゃんと服を着てから髪を乾かしてほしいですね」
「~~っ!!」
サッとドアを閉めた。次の瞬間には何か物がぶつかった音が響く。陽はやれやれと肩をすくめるのだった。
女性のそういう姿は、姉や妹で慣れてしまっている。早坂が相手だからってどうこうとはならないのだ。なるとしたら萌葉ぐらいではなかろうか。
「うっかりしてた……。小野寺くんいるんだった……」
赤くなった顔を冷ましたいところだが、まだ髪を乾かしてる最中だ。この熱が引くまではまだ時間がかかりそう。
完全なる失念。油断。アンポンタン。
必然と言えば必然なのだろう。鍵を締めていなかった早坂の責任だ。いつもはこの時間に起きているのは自分だけ。警備員は外にいるだけ。それが日常だから、用心なんてする必要がなかった。
けれど、陽がいるとそれが崩れるのは予測できたこと。洗面所はこの場所を使えと言ったのは早坂自身なのだから。
「ノックぐらいは欲しかったけど……仕方ないか」
朝シャンしてるとも思わなかっただろう。一概に陽を責めることもできない。重くため息をつき、髪が乾いたところでメイド服を素早く着る。いつもより1.5倍速。気持ちは150ccだ。
「どうぞ」
ドアを開けて陽に中に入ってもいいと伝える。気まずくて顔は見ていない。早坂は鏡を見ながらヘアーアイロンを使って髪を整えていく。陽も口を閉じ、黙々と顔を洗った。
早坂愛は毎日罪悪感に潰されそうになる。姉妹同然で好きな主人であるかぐやに対して、裏切りに等しい行為を何年間も続けているから。いや、専属になった時から毎日だ。
彼女と共に過ごす時が長くなるに連れて、その罪悪感も大きくなる。いつしか早坂は、毎朝涙を流すようになっていた。寝起きだから。最も素の状態でいられる時間だから。けれど今は陽が近くにいる。早坂は涙を流すのを堪え、それでも気持ちの沈んだ目を浮かべていた。
「……髪に集中できないでしょ」
「え……?」
「嫌だとは思いますが、少し我慢してください」
タオルで顔を拭いた陽は、早坂の手からヘアーアイロンを奪い取る。何をするんだと見てくる早坂の頬を抑え、鏡に向かって真っ直ぐにさせた。強引だなと思いつつ、鏡越しに陽をきつく見つめた。針を指すような強さだ。
「綺麗な髪ですし、髪は女の命ですからね。扱う時は余念を挟まないほうがいいですよ」
「……わかってるし」
「ですよね」
早坂がやろうとしていたことを引き継ぐ。割れ物を扱うように、もしくはそれ以上に丁寧な手つきで。
「こういう事慣れてる?」
「妹がよくいろんな髪型に挑むので。手伝ったり、訂正したりしてるうちに上達しました。姉さんには、女よりうまくやるのキモいって言われましたけどね」
「美容師が全員泣く台詞」
「姉さんに言ってやってください。高1なんで、早坂さんの後輩ですよ。ギャルとしても」
接点なんてない相手だ。小野寺麗は生徒会役員ではない。学校行事に一時的に関わるような仕事ならまだしも、常日頃から真面目に何かをしようとは思わない人間だ。見た目に反してしっかりしてる人間だが、楽しむことを優先としている。
ギャルという共通点があっても、声をかけようとは思わなかった。向こうから来れば話そうかな程度である。主人のかぐやならまだしも、自分には来ないだろうなと早坂は思った。
早坂のルーティーンは、いつもなら髪を整えた後に仕事着を着ることで成立する。それで完全に意識を切り替えられる。しかし今日は順序が逆。ルーティーンは成立せず、早坂の意識は中途半端に切り替わっただけだ。まだ半分ほど素が残っている。
「頼れる相手は見つかりました?」
陽はその素の部分に話しかける。今なら早坂の本音を出せると踏んだから。
「……いないよ。そういう人は」
「相手を知らないことには判断できませんからね~。早坂さんって踏み込むの苦手でしょ?」
「小野寺くんほど図太くないから」
「これは1本取られた」
けらけらと笑いながら、それでも髪の扱いには細心の注意を払ったまま手を動かす。
「誰か男でいません?」
「なんで男? 体を売る気はないよ?」
「偏見が酷ぇ。そういう人がいるのも否定できないですけども」
「下衆だと見る目が厭らしい。気づいてないとでも思ってるのかな?」
「気づいてるとしても、使用人ならどうとでもできるって思ってるかもしれないですね」
早坂がどこまで自覚しているのかはわからないが、ハーサカの時なら人目を引くほど可憐な少女ではあるのだ。そうでなくとも、クールさが綺麗さを引き立てている。どちらにせよ相当にレベルが高いのが事実だ。
愚痴っぽい話で脱線したが、話の軌道を修正していく。
「男って、ヒーローに憧れるもんなんですよ。誰かを助ける、誰かを守る、誰かのために行動する。そんな存在に」
「だから頼れば助けてくれるって? そんなうまい話はないと思うけど。見返りを求めるもんじゃない?」
「そういう人には頼らなければいいんです。都合のいい話ですけど、無償で助けてくれるような人。心当たりがなければドンマイですね」
「はぁ。無責任」
「だって、俺には話してくれないでしょ?」
髪の手入れが終わり、ヘアーアイロンを早坂に返す。早坂の求めていた状態になっており、腕は確かなんだなと少し感心した。昨日の仕事も、宣言通りに求めるレベルでこなしていた。バカなくせに、天才と称される領域にいるのだろうか。果てしなく信じ難いが。
鏡越しで見るのをやめ、顔を横に向けて陽を見る。成長期を迎えている少年。だが背丈はまだ同じぐらい。自然と目があった。真っ直ぐな目なのに、それとも真っ直ぐだからか考えが読み取れない。
「話したとして、無償の協力をするって言うの? リスクリターンなんてリスクしか存在しないとしても?」
「早坂さんには恩がある。それでチャラになるかは怪しいぐらいに大きい恩だと俺は思ってますよ」
「やっぱりバカだ」
「知ってます」
軽快に笑い飛ばす少年を見て早坂も笑う。釣られての笑いでもあり、その実呆れを通り越した笑いだ。
重たい話なのに、それを軽く言っている。決してそれが軽いものではないとわかっていても、そうやって言われると肩の荷が軽くなる。気持ちが楽になる。中等部で人気があるというのも伊達じゃないらしい。
「早坂さんって男友達いるんですか?」
「いないけどなに」
「なら、男友達第一号になれるかなって」
「えー」
「めっちゃ嫌そう」
陽はそこまで露骨に嫌がられてもなと悲しくなった。が、それもすぐに切り替える。
「じゃあ早坂さんの友達になれるように頑張ります」
「仕事を頑張って」
意地悪っぽくそう言われたのが、四宮家での生活2日目の朝のこと。
四宮家の使用人たちの仕事は、主に清掃活動と準備、片付けになる。厳格なもので、汚れ1つあれば誰かしらクビになる。食器、シルバーディッシュに曇りがあれば誰かしらクビになる。完璧が当たり前の四宮家は、これが通常業務だ。
陽は物覚えがよく、早坂に教わった仕事もどんどん覚えていく。メインの仕事は早坂のサポートであり、仕事を覚えていくことで早坂の仕事を減らすことがちょっとした目標だ。
早坂個人の仕事量は多い。四宮家の使用人に上下関係こそないが、だからこそ古株の早坂が指示を出す立場にいる。全体の把握の他、かぐやの専属としての仕事もある。常人では3日と持たない仕事量。陽はそれの負担削減に尽力する。
「小野寺くんがいるというのは慣れないわね」
「まだ2日目ですから」
「1週間経っても慣れそうにないわ」
「そんな馬鹿な」
使用人たちは、呼ばれる時以外主人やゲストに会うことはない。例外なのは専属の早坂と立場が異例の陽だけだ。
かぐやの食事を見ながら、声をかけられたので言葉を返していく。所作の上品さは流石の一言。行動そのものが芸術品と言えてしまう。腹黒いのに。
「仕事の方はどうなの?」
「どうなんですかね」
「……飲み込みは早いので教えるのが楽です。仕事も完璧にしてますし、特に困るとこもないですね」
「あら高評価。てっきり小野寺くんのことだから、安心して目を離せないとか言われると思ったのだけど」
「意外とできる子です」
「これでも生徒会長ですからね?」
高等部で生徒会長を務めている白銀御行ほどではないとしても、会長としての務めはきちんと果たしている。一応実績というものはあるのだ。
かぐやの食事が終われば早坂に連れられて右へ左へ。早坂の仕事量が多いということは、陽が覚える仕事も多いということ。早坂も初めはそこまで教えようとは思っていなかったが、思ってたより陽が優秀なために教えるものを増やした。課題が増えるのも四宮流だろうか。
「小野寺くんも大変だね」
休憩していると、使用人の1人に話しかけられる。細かい事情は知られていないが、特異な事情で早坂の手伝いをしていることは知られているのだ。
「結構楽しいですけどね」
「2日目なのに楽しむ余裕があるのか……」
「やることをきっちりやるだけですし。死ぬわけでもないですし」
「極端だな!?」
割り切った方がやりやすいというだけだ。
「君が来てくれたことは使用人の間でちょっと話題なんだよ」
「そうなんですか? まぁ、異例だと話題性はありますよね」
「それもあるけど、早坂さんにサポートが入ったってことでね」
「ほうほう」
「あの方はかぐや様と同い年なのに、私達を束ねる立場にいるからね。常に一分のスキも油断もなく気を張り続けてる」
使用人たちの仕事量は決まっている。余分なことは許されない。だから誰も早坂の負担を減らすことなどできない。使用人たちの結束による蜂起。それが起きないようにするのも四宮家の采配だ。
けれど、陽のことは本家が認知していない。かぐやの許可によりここにいる。だから早坂の手伝いができる。それが使用人の間で話題になる理由だ。
「俺がやってるのはただの恩返しですけどね。同情して動くようなできた人間でもないので」
「達観してるなー」
使用人の方の休憩時間が終わりに近づき、話はそれで打ち切られる。手を振って別れながら、使用人達の間でも絆ってあるんだなとぼんやり思った。
夜になり、かぐやの就寝時間までの空き時間は早坂にとって最も楽しめる時間だ。陽はかぐやの部屋の外で待機していた。かぐやが寝れば早坂も部屋から出てきて、早坂が次にやるのは本家への報告。陽の仕事はそこで終わり、先に風呂を済まさせてもらう。
その後は部屋に戻って就寝するだけなのだが、陽は早坂が風呂から出て自室に戻るタイミングを見計らって部屋を訪れた。
「どうかした?」
オフモード。スイッチを切った早坂は、素の状態で陽に接する。それで陽は確信を抱いた。早坂の演技の既視感の正体を。前世で何人も見かけた。間者と同じだ。
「本当の主人は本家の方か」
「……なんの話?」
「別に答えなくていいですよ。だからどうってわけでもないし」
部屋に入るように促し、早坂は警戒しながらも自室に入ってベッドに腰掛ける。
「どーん」
肩を押されてベッドに倒される。
ああ、こいつもそういう奴か。やはり男はと思ったが、陽は何もしない。部屋にある椅子を拝借して座るだけ。
「何がしたいの?」
「別に何も。寝る前に少し雑談するのもありかなって思ったり。でもこの時間ですし、少しでも寝てもらうほうがいいのかなって」
「つまり?」
「早坂さん次第です。雑談して寝落ちするか。そのまま寝るかです」
「はぁ。意味わかんないし」
「はっはっは。俺はバカですから」
自分で言うのか。そう呆れながら、早坂は布団に潜り込んで目を閉じた。スクラップ動画も今日は見なくていい。バカを相手にするとそれを見る気分じゃなくなる。
「雑談って、何か話のネタ持ってきたの?」
「ないですね。忘れてました」
「ほんとバカ」
目を閉じたままそう言って、中等部の生徒会の話でもいいかと聞かれたから承諾する。早坂はその話を聞きながら、いつもよりは少し楽な気持ちで眠りについた。
次の次くらいで萌葉とかが出る予定です。