これにて夏休み編が終わります。
それなりに見慣れた部屋にて昨日の出来事を考える。萌葉と起きたことではなく、圭のことだ。忘れることにしようと話し合ったため、思い返さないように意識はしている。
それよりも今気になるのは圭のことだ。あの後、2人で圭を迎えに行こうと話し、連絡を取って圭の居場所を把握。圭の靴も持って移動し、水道で足を洗った。陽は濡れた足をそのままに靴下を履き、靴も履いた。萌葉はそれを真似る気になれず、裸足のまま砂浜を移動。
圭のいる場所まで砂浜を通って移動して合流。壁の高さも男性の大人の平均身長より低く、陽がそこを登って圭の隣へ。背中は濡れているため背負えず、後ろが駄目なら前ということでお姫様抱っこ。その状態で慎重に砂浜へ飛び降り、海の家に行って事情を説明。タオルを貸してもらって解決したのだった。
あの後の顛末としてはそういう形で、合流してからというもの終始圭の雰囲気が変わったままだった。どこか余所余所しく、けれど好感は保ったまま。距離感がわからなくなった感じか。萌葉はそんな圭を複雑そうに見ていた。
「心当たりはアレしかないけど……事故だしな……」
親友の唇が奪われた。その場面を目撃してしまったことへの動揺、怒り。そういった気持ちが入り混じった結果なのだろうか。
そう考えるも、そうじゃないのだろうと心の内で直感が訴えてくる。
「あーもう。仕事に没頭できてたら、頭がもう少し回ったんだろうけど」
座っている椅子の背もたれに体を預ける。夏休みの課題は全て終わっており、やることが特にない。やらないといけない事があれば、それをやることで気を紛らわせられただろうに。生憎とそれができない状況なのだ。
本家の使用人が2人派遣された。
それが陽の行動を著しく制限する。陽がこの別邸にいることを四宮家の本家は知らない。これは別邸の人間の独断であり、知られてはいけないこと。別邸と本家では厳格さが異なる。正確には、本家の人間こそ四宮家の厳格さの体現者たちなのだ。この事が知られたら追い出されるだろうが、それだけで終わるかが怪しいところ。だからかぐやも早坂も、別邸の人間たちも、陽の存在を隠している。
陽が使っていた部屋はそのままに、私物類は全て纏めて早坂の部屋に移動。早坂の部屋の鍵は早坂本人しか持っていない。ここにいればバレる心配はないのだ。
「誰かと電話してると気づかれる可能性あるし……」
困ったものだ。
何かに没頭していたいと気分なのだが、音を立てるわけにもいかない。電話は無理。イヤホンをつけて動画を見るくらいならできるが、見たい動画が特にない。ダラダラと探す気にもなれない。
ツイッターを開いて他の人の投稿を眺める。旅行に行ってたり、遊びに出かけていたり、ゲーム廃人がいたり。ぼーっと眺めながら、ふと本棚に目を向ける。異性の早坂が持っている本なら、自分では選ばないジャンルの本があるのではと思ったのだ。
「BLはないか。面白くない」
キワモノを見つけられたら面白かったのに。男子がエロ本を探されるような感覚で、陽は早坂の黒歴史部分を探してみる。さすがに本棚以外を探すのは理性によって規制がかかった。
だが、本棚でも十分興味を引くものは見つけられた。
「アルバムか。……駄目な気もする」
そう言いながらチラッと中身を見る。いけないことをする時のワクワク感。天下一武道会に出る時の感覚に似ている。
「さすがに幼い」
というか赤子の頃の写真だ。順番に貼られている。赤子の頃の早坂。一緒に写っているのは両親か。他の写真を見ると、かぐやと写っている写真がある。
誰しも無垢な時期はあるものだなと感動しながらパラパラとページをめくり、一通り目を通して元の位置に戻す。
見て楽しめたかと言えば、それなりに楽しめたと言えるだろう。見てよかったかと言えば、見ないほうがよかったと陽は口にするかもしれない。ただ、家族で四宮家に仕えるとは
「早坂さんが持ってる本って、なんかマニアックだな」
「マニアックで悪かったね」
「うわびっくりしたぁ!」
「静かに」
音もなく入って来た早坂に驚くも、当の本人に注意された。いったい誰のせいだと思っているのだと陽が目で訴えると、早坂が愉しそうにくすくすと嗤う。なんとも性格の悪い笑みだ。萌葉とはまた違う。
何をしに来たのか。それは早坂が手に持っているのを見ればわかった。時間はまだ早いが、今のうちに昼食を取っておけということだろう。
「あの2人に気づかれないようにとなると、食べ盛りの小野寺くんには物足りないと思うけど」
「貰えるだけありがたいですし、たまにカロリーメイトだけで過ごすこともあるので十分ですよ」
「……成長期にそういう食生活は……いや、ごめん」
「あはは。早坂さんが謝ることではないでしょ」
早坂は陽のことを調べてある。父親との諍い。それによって、まともな食事を取っていないこともあるのだ。考えたら分かる、とまではいかないにしても、可能性ぐらいは考えられるものだ。少なくとも早坂の中ではそういうものらしい。
陽自身はその事を大して気にしていない。早坂が謝るようなことでもないし、話に出されて困ることでもないのだ。
早坂が持ってきてくれたのはサンドイッチ。持ち運びやすさと食べやすさに適している。それを受け取り、早速口の中へ放り込んだ。たかがサンドイッチ。されど四宮家の料理人たちが作ったサンドイッチ。今まで味わったことのない美味が口の中で広がる。
「めっちゃ美味いっすね」
「料理人たちにもそう伝えておくね」
「よろしくお願いします」
一度食べたら止まらない。しっかりと咀嚼はするが、飲み込んだらすぐに口の中へ入れる。品を保っているような保っていないような。シュールな光景に早坂は頬を緩めた。
「んぐっ!」
「はい水。誰も取らないし落ち着いて食べたらいいから」
主人とは違う方向で世話の焼ける部下だ。忙しない感じ。これで生徒会長が務まっているのだから、おかしな話である。
「んー?」
「? 私の顔に何かついてる?」
「いえ。そういうわけではなく」
落ち着いて食べたらいいと言われたのに、手も口も止まることなく昼ご飯を食べ切った陽は、早坂を観察して唸る。何かついているわけでもないなら、何か持ってきてほしいものでもあるのだろうか。そう思った早坂だが、どうやらそういうわけでもないらしい。
「ちょっと服脱いでください」
「は? 何言ってんの?」
「そのままだとやりにくいので」
「昼間から何しようとしてるの!?」
「マッサージ」
「隠語!?」
腕を胸の前で交差させた早坂が陽から距離を取る。何か勘違いされていそうだと気づいた陽は、言葉が足らなかったことを反省。
「大丈夫ですよ。揉みほぐすだけなんで」
「ヘンタイ!」
「えぇ……。あー、でも、その黒い上着のがなければ十分かな」
「着衣フェチなの!?」
「着衣フェチってなんだ。……いやだから。疲れが溜まってそうだから、マッサージするってだけですよ」
「……ややこしい」
たしかに言い方に語弊があった。ただのセクハラ発言でしかなかった。相手が相手なら通報されている。早坂の寛大な心によって許されただけだ。
早坂は時間を確認し、まだ余裕があるとわかると上はシャツ1枚になって椅子に座った。本人の感覚としてはいつものことであるため、疲れが溜まっている自覚などない。言われてみると少し体が重いかなぐらいである。
「手を出してください」
「どっち?」
「じゃあ右で。あとで左もやりますけど」
「ん」
言われた通りに右手を出す。陽の手が優しくそれを包み込みながら、ツボを押していく。
「んっ、けっこう……ぁっ、うまいね」
「人体の構造くらいなら把握してるので。よく姉さんや母さんに頼まれますし」
資格を取って店を開くのも可能だろうというレベルで心地よい。なんなら四宮家お抱えでもいいかもしれない。どうせ後を継がないのなら、選択肢の1つに考えてもらってもいいはず。
(そしたら、また一緒に働け──)
今何を考えていた。
そんなことを望む理由がどこにある。
早坂は自分の甘い考えを断ち切り、陽のマッサージに身を委ねる。痛くなく、ちょうど良い気持ちよさ。これを受けていると、自分の肩が凝っていたことをはっきりと認識できてくる。
「早坂さん。体が強いから耐えれてますけど、大人になるとツケが回ってきますよ。若い時の無茶は数十年後に響くんですから」
「そうっ、なんだ……」
腕のいいマッサージにより、ドーパミンが出てくる。早坂は思考レベルが一時的に低下し、話を大人しく聞くだけになっていた。
右手のマッサージが終わると左手。そのどちらも終わると、早坂は肩が軽くなったことを実感し、椅子から立ち上がった。思考も徐々に回復し始め、さっきまでの自分が結構だらしなかったのではと1人焦る。
「時間は?」
「まだ大丈夫」
そう言いながらベストを羽織ろうとすると、その手を陽に止められた。
「時間が残ってるならもう少しやりますよ」
「えっ……。いや、十分してもらったし」
「早坂さんの体はまだまだ疲れが溜まってますから」
「そんなの言ってたら終わらないと思うし」
「だからすぐやりますよ。最低限だけで済ませますから。今度はベッドでうつ伏せになって」
「ちょっ、強引! 中等部でもこんな……なんだろうけども!」
「そう言いながら抵抗が弱いあたり、早坂さんって押しに弱いですよね。乙女」
「うっ、うるさい!」
余計なことを言うなと睨むも、屈託ない笑みを返されるだけ。引っ張られる手に従い、ベッドの上にうつ伏せで寝転ぶ。結局大人しく従っている自分に恥ずかしくなり、早坂は枕に顔を埋めた。
「痛かったら言ってくださいね」
「それ言ってもやめてくれないやつじゃん」
「いや強さは変えますよ。強く押せばいいってわけでもないので。まぁ、四宮さんみたいな天然天才がやると話が変わってくるんでしょうけど」
後の
「肩と首、あとは足を2箇所ほど。時間が足りるかはわかりませんが、やれるとこまでやりますね」
「アラームセットしとくね。やっぁ! 急に始めないでよ!」
「急ぎなんで。足は敏感なんですね」
「ひゃぁっ! 言いながっぁん、やらないで! 他のとこやって!」
「ぐえっ! ……足の裏なら平気ですかね」
「んっ、だいじょうぶ」
暴れた早坂の足の踵が陽の胸を蹴り上げる。ふくらはぎ付近にあるツボを押すと、面白いぐらいに早坂が反応し、それで嗜虐心が出てしまったことへの罰だろう。当然の報いである。
足裏のツボ。それが終われば肩。首もやろうとしたが、今度は別問題で断念。
「はぁはぁっ、くびはだめぇ……」
「みたいですね」
瞳を潤ませながら呼吸を荒らげる早坂に変なスイッチが入りかけたからだ。それを見た陽もまた、これはイケナイ何かに目覚めさそうだと察知。早坂へのマッサージを中断し、ベッドの縁に座らせる。早坂のベストを渡し、設定されたアラームを確認。予定の変更が功を奏して時間内に完了するのだった。
この日は8月20日。花火大会が行われる日である。かぐやはこの時を心待ちにしていた。本家の使用人により断念させられるも、早坂が焚き付けたことにより脱走。そのために早坂は変装して囮になっている。
かぐやの部屋にあるテラスから外を眺める。ビルの隙間から花火が見える。それを見ながら、自分の部屋にいる陽に申し訳ないなと思い耽っていた。
早坂の部屋からは花火が見れない。本家の使用人を警戒すると、下手に移動させることもできない。かぐやの部屋となれば尚さらに。けれど、問題は今後だ。本家の使用人たちがいつまでいるのか。それがわからないと身動きが取れない。可能ならば、どこかのホテルで残りの夏休みを過ごしてもらいたい。こうなってしまえば、残りの日数をそうしてもらうほうがお互いに都合がいいのだ。
「早坂さんが黒髪って似合わないですね」
「!? なんでこの部屋に!?」
「いやー。出ていったほうが良さそうだなってのと、俺も花火を見る約束があるんですよね」
中等部の生徒会で花火を見ようと夏休み前に話していた。ひとまず遅れるとだけ連絡しており、可能な限り早く行かないといけない。
「……どうする気?」
「四宮さんと同じで脱走ですよ。同じ手は使えないですけど、あの壁の高さと木の位置からして出ていくのは可能なんで」
「壁の上の柵は微弱な電流が流れてるけど」
「当たらなければどうということはない。さてと、それじゃすぐに行きますよ」
「へ? ちょっと!」
手早く早坂に履物を履かせて抱きかかえる。陽はテラスの横にある下水管を利用して下に降りた。大胆かつ強引。それでいて迅速。その行動の早さに早坂は陽にしがみつくしかなかった。
下に降りたらそのままの状態でダッシュ。壁に近づいたら地面を蹴って跳び、壁を足場にジャンプして近くにある木の枝に手を伸ばす。片手でなんとかぶら下がり、そこから反動をつけて壁の上に足を乗せ、上体を起こして立ち上がる。
「人1人抱えながらって……」
「早坂さん軽いですよ?」
「……ありがと」
木の枝が柵の上にまで伸びていてよかった。そこを支点とし、柵を避けるように敷地の外へと飛び降りる。
外に出ると、早坂の手を引いて走り出す。向かう先は1つだけ。萌葉と圭と阿天坊がいる場所だ。早坂は引かれるままに走りながら、懸念事項を口にした。影武者として残っていたのにこれでは意味がないと。
「かぐや様が後で何言われることやら」
「その辺りもご安心を。全部俺に回ってくるようにしてあるんで」
「何も安心できないけど?」
「ははは。使えるものは使って、使い捨てにできるものは切り捨てて使う。それが四宮家じゃないんですか?」
「……」
黙り込む早坂に、意地悪な言い分だったかなと思いつつも足を止めない。普通に考えて、かぐやが帰ってくる段階でどのみちバレるんだ。責任の追及が誰に向かうのか。それだけの話なのだ。かぐやの四宮家での立場を考えれば、元から期間限定だった人間に目が行くようにした方が都合がいい。
そもそもその人間が、かぐやの独断だとバレないようにする工作自体は、別邸の人間で行っているのだから。
「うちの後輩のコネが凄くてですね。面白い場所で花火が見れますよ」
「そう」
タクシーを呼び止め、目的の場所を伝える。少し不思議そうにされるも、運転手は言われた通りにその場所へと向かった。
花火が見えやすい場所。東京のようにビル群ともなれば、会場の近くまで行かないと見れない。けれど、
「ビルの屋上に行っちゃえば、障害もなく花火が見えるってわけですよ」
「うわー、ずるいやり方」
「賢いやり方と言ってほしいですね。ま、提案してきたのは後輩ですけど」
阿天坊くん。リア充だらけの人混みの中で花火を楽しめる自信がないらしい。周囲を呪うことに忙しくて花火を満足に見れないらしい。
そんな非リアが選んだのがビルの屋上。コネはこうやって使うのである。
そのビルへと到着し、エレベーターで最上階へ。そこから非常階段を使って屋上に出る。この高さにもなると風は強め。早坂はウィッグを外し、飛ばないように手で持つ。
「みんながいるのは向こう側で、俺もあっちに合流するんですけど」
「私はバレないように離れたとこで見とくから」
「そうですか? じゃあ行ってきます。今日までお世話になりました」
「ぁ……待って!」
「?」
数歩駆けたところで足を止めて振り返る。風でたなびく髪を手で抑えながら、早坂は陽を見つめる。
どう言おうか。何を言おうか。そもそもなんで呼び止めたのか。
別れが突然だったから。脱走したのだ。この後はもう別邸に帰ってこない。次に顔を合わせるのはいつになるかわからない。だから、ちゃんと別れの言葉を言っておきたい。
陽はどういう存在か。期間限定の部下で。年下なのに揶揄ってくる少年。仕事は優秀で、違った風を吹き込む男の子。妙に世話が焼ける弟のようでもあって。
(うまく纏まらない……。けど)
それでもはっきりしてることもある。
「また会おうね。
「! ははっ、またね
早坂は柔和な笑みを浮かべながら、嬉しそうに手を振って去っていく陽を見送った。