掃除も終わり、選挙活動にでも励もうかと廊下を歩いていた陽は、全身が濡れている状態の圭に出くわした。タオルを持っている様子もない。そもそも手ぶらだ。手ぶらと言えば手ブラジーンズだが、あれは裸エプロン先輩の功績である。
「着替えあるの?」
「ない」
「なら保健室に行って体操着借りないとな」
体育が無かったのだから、着替えがないのも当然だ。1年時は陽と圭のクラスが異なるが、体育の時間は合同となる。もちろん男女は別れている。圭のクラスを思い出し、着替えがある方がおかしいかと脳内で解決した。
中等部の女子の制服は白く、高等部と同じでワンピースタイプだ。それが濡れるとなると、体に張り付いてラインがはっきりと表れてしまう。圭に水をかけた人たちは、当然それをわかってて行っている。目的は嫌がらせと恥をかかせることなのだから。
圭は下着が見えないように胸元を手で隠し、陽との会話も続けずに横を素通りする。
「ちょっと待った」
「何? このままでいたくないんだけど」
嫌がらせをしてくる人たちには無関心でいるようにしているが、圭にだって恥じらいはある。同性だろうと異性だろうと、今の状態のままで会話を続けたくなんてない。
意志の強さを表すような釣り目。陽をキツく睨むも、陽は気にした様子もなく学ランを脱いで圭の肩にかける。
「これで前を閉めたら見えなくなるだろ」
「……学ラン濡れるよ」
「濡れたって乾く」
圭は一瞬だけ目を丸くし、陽の好意に甘えて学ランに袖を通す。ボタンを閉めて自分の状態を確認。上は大丈夫。下は少し危ういが、保健室までなら問題ないだろう。放課後ということもあり、校舎の中は生徒も少ない。
「ついてくるの?」
「そりゃあその学ラン俺のだし」
隣を歩く陽を横目に見て短く聞いてみる。返ってきた言葉は当然のもので、それもそうだと圭は納得する。
幸いにもすれ違う人もおらず、2人は無事に保健室に辿り着く。中に入るも、先生は今保健室の中にいないようだ。どうしたものかと立ち尽くす圭をよそに、陽は保健室のドアを閉める。
「……?」
「外から見られるのは嫌でしょ」
そう言いながら保健室の窓際にあるカーテンも閉め、誰にも見られない状況を作る。それが終わると陽は保健室の中を物色し、予備の体操着を見つけ出した。
「はいこれ。一応ジャージも。あとタオルもあったから、そこのベッドのとこでカーテン閉めて着替えたらいい」
「うん」
「あ、下着はないや」
「……それは……大丈夫」
「えっ、まさか着けないの?」
「違う! 濡れたやつで我慢するだけ!」
「あーびっくりしたー。だよな」
痴女かと思ったと笑う陽から着替えをふんだくり、一度それで叩いてから勢いよくカーテンを閉めた。
「外に出とくから、着替え終わったら呼んでくれ」
「……待って」
「ん?」
「そこにいてくれていいから」
「……わかった」
カーテンという仕切りがあるとはいえ、布1枚しか2人を阻むものはない。いくら圭が純粋さを保っているからと言って、羞恥心がないわけじゃない。圭のプライドの高さ、今の状況を考え、それが許可ではないことを察して保健室にある椅子に座る。
制服がべったり濡れているため、布の擦れる音はしない。うっすらとカーテンに影が映るぐらいで、陽はそっちを見ないようにして保健室の中を見渡す。
圭の着替え中に会話があるはずもなく、着替えを済ませた圭はカーテンを開けて首を傾げた。
「何してるの?」
「聴診器って音がどう聞こえるか気にならない?」
「それで自分の心音聞いてるんだ?」
「そゆこと」
何を勝手に聴診器を使ってるんだと思いはするが、相手をするのが面倒だった。そんな圭に陽は見つけ出したハンガーを手渡す。制服を乾かすのに使えるから。ついでに圭の胸に聴診器を当てたらビンタされた。
「何考えてんの」
「白銀さんの音ってどんなだろうなーって」
「変態」
「言い訳のしようもないな! それよりさ」
「それより? それよりって何! 人の胸触っといて!」
「小さな膨らみはありました」
「セクハラ!」
「逃げ場がどこにもねぇ!」
逃げ場がないからって、地雷源を突き進めばいいわけじゃない。顔を赤くして怒る圭をなんとか宥め、そっぽを向く圭にさっき言いかけたことを言った。言いながら行動に移した。
「今日は晴れだし、屋上の方が早く乾くだろ」
聴診器を片付け、ハンガーに制服をかけた圭の足元を見る。靴下も脱いでいるようだ。洗濯バサミを見つけ出し、返してもらった学ランに袖を通す。冷たい。
「そいじゃ移動するぞ」
「降ろして! 自分で歩くから!」
「裸足で上靴を履きたくはないだろ? 屋上までだし、校内にいる生徒も少ないから大丈夫だって」
「全然大丈夫な気がしないんだけど」
圭の文句は受け付けずに背負う。降ろす気がないようだと分かると、圭は渋々といった様子で大人しくなった。
ドアを開けて廊下を確認。人がいないとわかると階段までダッシュ。背負っている圭から、廊下を走るなと注意された。しかしこうでもしないと、時間をかけずに屋上まで行けるわけじゃない。肩を掴んでいる圭の手に力が入ったのを感じつつ、陽は足を緩めずに階段を駆け上がる。
秀知院学園の中等部にはエレベーターもある。あるにはあるが、そこを使っているのは大人たちだ。鉢合わせするのも面倒で、階段を使うしか選択肢はない。
「私背負ったまま上がるのはしんどいでしょ……」
「別に。白銀さんは軽いし、もっと重たいのをつけて動いてたこともあるから」
圭よりも甲冑の方が重たい。もちろん、背負っているのと全身につけているのとでは、重さの感じ方に違いがあるわけだが。何よりも、女子を背負うというだけで男は自然と力を発揮するのだ。
屋上に到着するとドアを開ける。本来なら閉まっていないとおかしい。圭がぽかんとしているのをよそに、陽はフェンスの近くまで移動した。
「ほらフェンスにハンガーかけて」
「……ぁ、うん」
フェンスにハンガーをかけ、制服の乾燥を開始。靴下も、持ってきた洗濯バサミでフェンスにつけた。
「夏は終わってるのにまだちょっと暑いな」
まだ圭を背負ったままそう言い、日陰のある場所へ歩いていく。少しの間、圭に自力で掴まってもらい、素早く内ポケットからレジャーシートを取り出す。人1人が限界のサイズ。それを床に投げ、その上に圭を降ろす。
「座りますか。それも座れるだけの大きさはあるし」
圭の横にドカッと腰を降ろし、圭もそれに続いてレジャーシートの上に座る。何個か聞きたいことがあった。レジャーシートもそうだし、屋上が開いていることもそうだ。陽は開いているのをわかってて動いていた節がある。
「レジャーシートは常備品だよ。それがあるとどこでも寛げるし、自然に囲まれてる所とかわりと好きだから」
学ランを脱ぎ、裏返しにしてフェンスの穴に袖を通して絡める。磔にされているような見た目だが、乾かすためだから仕方ない。
圭はそれを眺めながら、陽の言葉に納得する。わんぱくそうな少年だし、イメージがつきやすかったから。
「じゃあ屋上は?」
「開放してもらってるだけ。知ってる人は全くいないし、広めないことが条件だな」
「今日私が知ったけど?」
「白銀さんは言いふらすような人じゃないと思ってる」
「……変わらないね」
「?」
呆れるような、嬉しそうな。なんとも言い難い表情を圭が浮かべる。膝を抱えるようにして座っている圭に、陽はそっと手を伸ばす。
「ちょっとごめんね」
前髪を払い、圭の目を見つめる。性格を表している目だ。それを観察し、不思議な目だなと分析する。氷の層による壁。その奥にある入り乱れた感情。何を感じないわけでもなく、何もかも諦めたわけでもない。
「なに?」
「不思議だなーって」
圭から手を離し、壁に背中を預ける。不思議なのはお前の行動だと言いたげな視線を浴び、陽は苦笑した。
「変なの」
「バカだからな」
「……知ってる。本当に、変わってないから」
「どうだろうなー」
圭の言う変わっていない。それは本当にそうなのか。陽自身ぼかしているだけでわかっていない。自分のことは、自分よりも他人が気づけるものだから。変わっていないというのなら、変わっていないのかもしれない。
ただ、陽からすれば
「何も聞かないんだね」
「聞いてほしいなら聞くけど、白銀さん自身が蓋をしてる状態だしさ。無理には聞かない」
「そっか」
圭は抱える膝に顎を乗せ、床を呆然と見つめる。話す話さないの選択肢は圭にある。無理に聞き出さないのは優しさなのか。陽はそれを優しさとはどうしても思えなかった。自分が優しい人間だとは思わない。だって、優しい人間なら現段階で解決のために動くはずだから。
「白銀さん。上見て」
「上?」
「真上じゃなくて、空」
「なにかあるの?」
「青空と雲しかないな」
「なにがしたいの?」
「空を眺めるのって楽しいじゃん」
空は変わらない。いつの時代でも、どんな時でも変わらずそこにある。生物たちの営みがどうであれ、変わらずに手の届かぬ位置に在るだけ。
そこに浮かぶ雲を見て、何かの形に見えるのを楽しむ。陽の楽しみ方はそれだけだ。小学生や幼児たちと変わらない。
「あれとかさ。クジラっぽくない?」
「え……うーん……クジラかなぁ?」
「白銀さんにはどう見える?」
「どうって……雲としか」
「やれやれ。初心者には難しいか」
「初心者って。雲は雲じゃん」
「そういう硬い顔しない」
圭の頬を突き、手を払われたらニヤニヤと笑って視線を空に戻す。もう少しそれっぽい雲を見つければ、それを指差して圭に話を振る。今度はそれっぽい形だったから、圭も首を縦に振った。
制服が乾くまでの間そうやって過ごし、乾いたのを確認すれば制服を回収。これから保健室へと戻り、着替えて解散だ。
「白銀さん。放課後にまたここで過ごさない?」
「え?」
「嫌なら別にいいけど」
「嫌じゃないけど、選挙活動は? たしか立候補してたよね?」
「まぁ、その辺は大丈夫。考えなしに誘ったりはしないから。白銀さんは優しいね」
他人のことを心配する。形だけのものではなく、心からの心配。それを感じ取り、圭の人の良さが染みてくる。自分のことを棚に上げているのはいただけないが。
「明日は外せない用事があるから。明後日とかどうかな?」
「私は別に用事ないよ」
「なら決まりだな」
明後日の放課後に屋上で会うことを決め、保健室へと戻る。今日のところはそこで解散した。
陽の外せない用事。それは勧誘だ。会長戦に勝てば、生徒会の役員を任命する必要が出てくる。それを、会長になる前から決めておこうというのだ。勝利宣言とまではいかないにしても、その方がより決意を固められるのも確か。
そんなわけで、陽は後の副会長の勧誘に来た。藤原萌葉。陽が好意を寄せる相手であり、圭の親友。
「生徒会か~。経験するのも悪くないし、いいんだけど条件をつけようかな」
「条件?」
「そう。圭ちゃんも生徒会に入れること。じゃないと私は入らないよ」
「白銀さんも誘うつもりだぞ。会計をお願いしようと思ってる」
「そうなんだ? ならよかった」
昨日会ってるんだからその時に誘えばよかったものを。陽はまず萌葉を誘うことで頭がいっぱいだったらしい。
萌葉としては、極力圭と一緒にいられる状態にしたかった。それが叶うのであれば、陽の提案は悪くない。生徒会という立場も、今の圭にとって大きくプラスに働く気がするから。
「何か要望ない?」
陽のその言葉は意外だった。陽の目的は勧誘だけのはず。それが叶うのなら、早々に立ち去って選挙活動に勤しんだらいいはずなのに。
「要望って?」
萌葉は小首を傾げた。純粋な疑問だ。陽がいったい何を考えているのか読めない。
「生徒会に入ってほしいってお願いしてる立場だしさ。何か要望に応えてそれでイーブンかなって」
「……あははっ、変なとこ気にするんだね」
「変か?」
なぜ笑われるのかと疑問を抱くも、萌葉がそれに答えることはなかった。しばらく逡巡し、明るい雰囲気から一転。真剣な雰囲気を纏った。
「どういう頼みでも応えてくれるかな?」
「常識の範囲内で、俺にできることなら」
「うん。じゃあ……圭ちゃんを助けて」
今の萌葉に必要なのは、裏切らない味方だ。
「圭ちゃんと仲良くなってほしい」
そしてそれは、圭にも必要な存在だ。
だから萌葉はそれを頼み。陽はそれを快諾した。