イデア・シュラウドが妻を迎えた、と聞いた学友(友人の定義はこの際置いておく)たちは残らずひっくり返った。その相手がよりによって聞き覚えのある名前だった一部の思考は真っ白になった。
自寮の寮長の内向的な性格を重々承知しているイグニハイド生だって、所詮ハイティーンのカレッジ生であるからして、彼女を通り越して妻を娶ったと聞けば黙っているはずがなかった。イデアは実家から学校に戻った瞬間、(式典以外で)イグニハイド生がこれだけ一カ所に集まったのは後にも先にもこれだけだろうな、という勢いで詰め寄られることになった。
「は?りょ、寮長、結婚て、えっ??」
「なんで??」
「いやぁ、拙者だけ一足先に大人の階段ジャンプアップですなぁ……マジレスすると
「裏山とか言えない気配を察知。マ?」
「マ」
「寮長と同郷だけどマジだよ」
「ウッソだろお前……」
「いつの話だよとか言いたいけど旧い家は秘伝がどうとか聞くもんなあ」
「あー、それでいくと寮長明らか人外の血入ってるし」
「人外って言うか冥界ね」
「寮長、生きてる?」
「物理肉体の話?三割ぐらい」
「いや少ねえよ??」
「ところで相手の名前に聞き覚えがあるんすけど……」
「ノーコメント!ノーコメントでござる!」
「いや許すわけないでしょ。ほらほらはよ吐いて。情報系ユニーク連れてくる前に」
「俺今なら
「オルト!助けて!」
「はーい」
「あっ」
「
「くっそ、覚えてろよ……諦めねーからな……この裏切り者……」
彼らのうち一人だって爆発しろとは言っても別れればいいとは言わなかった。彼女持ちは妬ましいし一人だけずるいとも思うし基本的に他人の不幸は蜜の味のNRC生だけれど、部外者にだってやばいと分かるシュラウド家の存亡がかかっているのは察せたし、それ以前に、
テンプレコミュ障だしクソオタクだしその陰キャっぷりはもうちょっとどうにかならないのかと思うし笑顔はホラー通り越してスプラッタの悪役だけど、彼らはイデア・シュラウドのことが嫌いではなかった。取り外せるものではないから断言はできないが、きっと才能なんて抜きにしても。
シュラウドの呪い、と呼ばれるそれは単なる血筋であり、魔力特性に過ぎない。死者の国の王、冥府の支配者たるハデスを祖に持つ彼らは只人よりずっと死の近くにいるという、それだけのこと。それだけだから、今に至るまで数百年もどうにもできていない。
魔力について行けない弱いからだで生まれても、あるいは強すぎる魔力を持って生まれても、子を成せるようになるずっと前に冥府の迎えが来た。生まれることさえできない子も決して少なくない。宿した子の魔力に耐えきれずに命を落とす女も。
石榴が食べたい、と彼女は言った。仮にもグレートセブンの一人である死者の国の王の恋物語のことは彼女も知っている。
そして、シュラウドの果樹園には冥府の石榴と呼ばれる木がある。けれど、彼女は知らない話だがそれは人を地中に幽閉するようなものではなかった。
かつて、数百回前の春に神妃ペルセポネはその象徴たる石榴のの木を一つ、冥界から地上に運ばせたという。神妃が望んだとおりにそれは、彼女と夫の血を引く地上のヒトであるはずの子を冬には母と共に冥府へ下らせた。その子孫であるシュラウドの石榴は、冥界の食物でありながらも地上に属する唯一の存在である。シュラウドの子を生きたまま死人に近づける
「冥府の石榴とは言うけど、君が思ってるような劇的な効果はないよ」
本当に魂を、肉体の死を越えても果実の一つで我が物としたいのなら、必要な実はシュラウドのものではない。冥界の石榴。地下の果実。シュラウドの後継、冥神の末裔でさえ生涯に一度、地上を離れるその時のみ口にすることを許されるそれを二つに分けて喰らう必要があるだろう。
ロマンの問題なのだと彼女は言った。ただ、嘆きの島の住民が
「……いいよ。でも、
生者が冥府に属するものを口にするのはどうやっても負担になる。灯火のように首元で輝くその魂には、まだ
シュラウドは決して評判のいい家ではないし、魔法を厭い工学者として活動するイデアへ向けられる目は更に厳しい。
けれどそれらが同時に、幾億のマドルに、錚々たる人脈に、生死の境さえ踏み越える魔導の真髄に、繋がっているから。おこぼれに預かろうという人間がイデアの周囲から消えることもなかった。
そんな中で、“異端の天才”でも“シュラウドの嫡子”でもない、ただのイデアを。愛していると彼女は言った。嬉しかった。それは本当だ。
「どう足掻いてもバッドエンド直行、トゥルーもハッピーもルート未実装なのに巻き込めるわけないでしょ」
変わらないで、置いていかないでくれ、という祈りを、今のイデアなら叶えてしまえる。
シュラウドの存在理由の半分は、イデア・シュラウドが完成させた。
死せる者の魂を縛り、器に収める。それは、確かに神の所行だった。いつかイデアが
誰よりも大切な弟を、
「オルトの魂だけは、僕のものだ。僕が地上に在る限りは、僕だけの」
それは呪いだ。魔法として定式化される前、神々の権能にほど近いまじない。イデア本人にも最早解くことのできない強力なのろい。
夜より暗く、山中の霧雨より陰鬱で、冬の海より冷え渡るところ。冥界は彼にとって安息の地だった。幼い頃ふと迷いこんだその時からずっと、地上なぞより余程落ち着く場所だとイデアは知っている。
けれど冥府へ向かうオルト・シュラウドの魂を絡みとったあの日から、それはイデア・シュラウドには赦されない選択だ。だって、できてしまったのだから。
イデア・シュラウドが冥界の石榴を口にする時、オルト・シュラウドに起きることを、まだ誰も知らない。冥界の住人としてハデスの支配下に入るのか、それも適わず地上に取り残されるのか、燃え尽きて兄の魂に溶け消えてしまうのか、はたまた全く別の何かなのか。誰も、神ですら知らない。
あなたのためになら死んでも構わないし、二度と青空が見られなくてもいい。青く燃えるというあなたの
それでも、死への渇望が、生への憧憬が、その願望を押し留めた。
死が二人を分かつとも、と縋る妻を、イデアの金が射抜く。
「駄目だ。君は
地上で死した魂は、冥府に下りるとまずレーテーの水を一口含む。それはすべての悲嘆、すべての罪過、すべての記憶を洗い流す忘却の加護。そうして地上で傷ついた魂は、時間をかけて冥府の青い火で癒され、再び地上に戻される。この時にまた一口レーテーの水を飲んで、魂はまっさらになる。
自分のことが嫌いなのかと、彼女は訊いた。子供が必要だから共にいるのか、と。
「……嫌いだったら、こんなに、こんな風には話さないよ」
恐れるように、慄くように、眼前の愛する人の指先に手を沿わして握る。生者の温かさは今のイデアには少々温度が高すぎるけれど、火傷するわけでもないのだから、些細な話だった。
「怖いんだ。剥き出しの魂は、変わりやすいから」
死が関わる時は、尚更に。
長命なる妖精族でさえ、グレートセブンが生きていた時代を知るものは殆どいない。けれどシュラウドの父祖たる死者の国の王は、嘆きの島の地下深くへ下っていけば、今でもそこにいる。衰えも見せずに、神話の時代から、ずっとそこにいる。
理論上は。シュラウドの果樹園になる冥府の石榴を食し続ければ、シュラウドの子はいつか其処へ至る。摂食を、睡眠を、体温を、老いさえ手放したその先で、
イデアは、其処に辿り着くこと自体を避けるつもりはなかった。けれど同時に、それに誰かをつきあわせることが残酷な行いであるとも思っていた。その時が来てもし可能であれば、オルトの魂も解放しようとさえ思っている。
だって、永遠の生命は死よりもどうしようもないものだ。巡ることも終わることもない命などというのは、神に見放されるのと同義だろうと、イデアは死者の国の王を奉じる嘆きの島で育った者の当然の思考として、思う。
愛と永遠はイコールじゃない。オルトのように魂を縛ってしまったら、彼女には転生さえ許されない。冥府の暗がりから出られなくなる。それは嫌だった。
だから、死が二人を分かつまで。地上の人が本来あるべきように、イデア・シュラウドは愛を語る。
「君には人でいて欲しいんだ」
僕には、たぶん無理だから。その言葉が果たして自分の青い唇から零れたのか、それとも脳内だけに留め置かれたのか、イデアには分からなかった。ただ、妻は微かに、しかし確かに、首肯した。
「ありがとう。君が死ぬまで一緒にいようね」