あぁ…何でこんなことになってしまったのだろう
人生最高の日だった。
いや、人生最高の日になるはずだったというべきか…
僕の前には愛しの花嫁がいて、家族や友人は祝福の拍手を送る。
彼女の目は涙で潤んでいて、とても美しかった。
僕も目に涙を浮かべていたのだと思う。
『それでは誓いの口づけを』
神父がそう言い、僕たちは口づけを交わす。
それは、人生において最高の瞬間…になるはずだった。あんなことが起きなければ。
『ぐぅ…あぁ…』
口づけ交わそうとしたときに聞こえた声に驚き、僕たちは口づけするのを止めて声の聞こえた方に視線を向けると、友人はもがき苦しんでいた。
『ちょっと、大丈夫!?』
他の出席者が友人に声をかける。
友人の顔はどんどん青ざめていくと吐血し、やがて動かなくなった。
『きゃあああ!!!』
『誰か、救急車!』
聞こえてくる、悲鳴、慌てる人の声。
式場にそぐわない緊張感が辺りを駆け抜ける。
僕は驚き、動くことができないでいた。
近くにいた男性が友人に近づき脈を図る。
『…死んでる』
時間が停止したかのように凍りついていく。
そんな…どうして…僕の頭に次々と浮かんでは消えていく疑問。
だが視界に写る光景を見てその疑問も消えていった。
『生きてる…生きてるぞ‼︎』
僕のその言葉と連動するかのように彼はゆっくりと立ち上がった。
呻き声とともによろよろと僕の方へと歩みを進める。
『君、大丈夫か!』
先程、脈を図った男性は彼にそう声をかけた。
彼は、男性の声のするほうに顔を向けると、ゆっくりと男性の方へ進んでいった。
『良かった。生きてたんだな!』
そう言う男性の言葉が聞こえるなか、張り詰めた空気も徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
僕もほっとして少しづつ落ち着きを取り戻していく…その時だった。
『ゥ、ヴァァアア…!!!』
『グッアアアア!』
彼が男性に噛みついたのは。
『キャアアアア!!!』
誰の悲鳴だったのだろう。
一斉にパニックになる式場。
我先にと逃げ出す人、彼を必死に引き離そうとする人、ただ呆然と立ち尽くす人…神の祝福を受ける式場が、悪魔が人を喰らう地獄に変わった瞬間だった。
『ギャァアアアア‼︎』
式場の外からそう断末魔の声が聞こえてきた。
どうやら式場の外も地獄と化したらしい。
もっとも、此処に留まるよりは賢い選択ではあったのだろうが。
『痛い!』
『こいつ、また噛みついてきた!』
『いい加減にしなさい!』
この状況の中でも友人を止めようとしてくれる人達は、世間一般的に言うところの優しくて勇敢で善良な人といえる。
『ゥ、ウアァァ…』
彼に噛み付かれ、意識を失っていた男性が呻き声と共に目を覚ました。
…そう、まるで彼と同じように。
『あ、あんた大丈夫か!?』
『こいつを止めるのを手伝ってくれ!』
男性を労る声、猫の手も借りたいと助けを求める声、その男性はその言葉に応じた。
『ゥ、アアアア!』
『ヒッ、ギャアアア』
もっとも最悪な形で…
やがて友人を止めようとしている彼らにも異変が生じる。
友人と同じように悶えて苦しみながら血を吐き、倒れ込んだかと思えばゆっくりと立ち上がり呻き声をあげたのだ。
まるでゾンビ映画のように。
皮肉にも、彼らの善良な心が彼らを殺したのだった。
そして、ゾンビと化した彼らは、いまだに呆然としている人を喰らうためにゆっくりと近づいていく。
恐怖のあまり動かなくなった体では逃げることすらままならず、一人、また一人と彼らの餌食となっていった。
僕と彼女はその光景をただ見ていることしかできなかった。
彼女は腰を抜かし、涙を流してた。
僕は…何もできなかった。
本能の赴くまま人を貪り食らい、数を増やした彼らは僕達の方へとゆっくり、ジワジワとこちらへと歩みを進めてきた。
そう、呻き声をと共に僕達のもとへゆっくりと。
近づいてくるにつれ彼らの表情がはっきりとしていく。
彼らは最早人ではなく、人の形をしたナニかと悟るには充分なくらいに。
死が頭をよぎる。
『うぁぁぁあああ!!!』
僕は逃げた。
彼女を置いて。
ただ生きたいという本能がそうさせた。
食い殺されるのは、彼らになるのは、死ぬのは…嫌だったのだ。
たとえ、それが最愛の彼女を見捨てる選択肢だとしても。
後に、この時彼女を無理にでも引っ張って一緒に逃げることができたのなら、そうでなくても運命を共にしたのなら…という考えが頭をよぎり後悔と罪悪感に今も苛まれ続けている。
結婚式は商業ビルの最上階の式場で行っていた。
何が言いたいのか?
つまりは式場を後にしていても地獄は続いていると言うことだ。
生者を貪る死者をみて、悲鳴を上げる人々。
助けを求める人々。
僕はすべてから目を背け、ただ生きたいと必死に逃げた。
逃げていくうちに疲労が全身に回ってくる。
逃げられない…頭をよぎる恐怖の中、幸運なことに空きっぱなしになってる部屋が目に止まった。
中に入ると内側から鍵をからられるタイプの扉だったので、すぐに締めた。
どうやら部屋は備蓄保管庫として使われているようだった。
災害用の水や保存食などが沢山置いてある。
これならしばらくは持つ…そう考えた僕はここに籠城することに決めた。
部屋にあったものをかき集め、簡素ながらバリケードを作る。
これでゾンビが扉を破って侵入する心配はないのかと言われれば答えはNOだが、こんなものでもないよりはましだった。
これで心に一瞬でも平穏が訪れる…なんて甘いことは起きなかった。
ゾンビのうめき声が聞こえるから…だけではない。
ドンドンドン!
『開けて!御願い!開けろォオオ!!!』
『ゥ…アアアァ…』
『ヒッ!こないで!キャアアアア!!!』
『痛い!イダイよォオオ!!!!』
生存者の声も聞こえるからだ。
もしかしたら助けることもできたのかも知れない。
でも僕は助けようとはしなかった。
死にたくなかったから…生きるために何もかもを見捨ててきた。
助けを求める人を、友人を、両親も、最愛の人さえも。
僕にできる唯一のことは、目を閉じ耳を塞ぎうずくまること、ただそれだけだった。
疲弊しきっていたのかその日はそのまま意識を失った。
翌日、目覚めた僕は保存食で飢えを、水で喉を癒した。
不思議なもので、こんな状況でも腹は減り、喉は乾く。
僕は欲求が満たされるのと同じくまだ生きているいう実感を噛み締めていた。
それから数日ほど経った頃だった。
死者のうめき声以外の声を聞いたのは。
僕は幸運にも命を繋いだに過ぎず、ゾンビ映画に出てくる登場人物のように戦闘技術があるわけでもなければ、サバイバル技術があるわけではない。
度胸?論外だ。
そんなものがあるならとっくにここから逃げ出している。
声の主はどうやら僕とは違い度胸のある人間なのだろう。
同じように幸運にも生き残り、地獄の牢獄とも言えるここからの脱出を選んだようだ。
だが、ここに居てもいずれは食糧や水は尽き、やがては脱出もままならなくなる。
僕も彼らを追うべきか。
食糧と水を渡せば仲間にいれてもらえるかもしれない。
一人でできることは限られている。
彼らについていけば…地獄からの脱出も。
そう僕は思案する。
だがらその考えとは裏腹に僕は行動に移すことができなかった。
外に出ることが恐かったのだ。
だが皮肉なことにこれが明暗を分けた。
『ギャアアア!!!』
扉越しに聞こえてくる彼らの断末魔。
もし、神がこの世にいるのならば、残忍な仕打ちをしたものだ。
必死に生きようとする行いを赦しはしないのだから。
そして何もしない僕は助かった。
『あ…ああ…』
僕は絶望し後ろに倒れこむ。
それが不味かった。
棚にあった、食糧や水が落ち、多きな音をたてた。
その音を拾った死者達が僕のいる部屋の前に集まってきたのだ。
扉越しに聞こえるうめき声、扉からドンッドンッと体をぶつける音、軋むバリケード。
僕は恐怖に駆られた。
人を貪る彼らの…地獄の始まりの記憶が呼び起こされる。
喰われたくない…死にたくない…化け物の仲間入りは嫌だ…
最初は死の恐怖から逃れようと必死だった。
しかし次第に疑問に変わっていく。
何故なのだろうか?
僕の大切な人はもういない。
生きていることになんの価値があるのだろうか…
自問自答が続くうちに徐々に変わっていく価値観。
この世界を生きていても救いはない。
なら、この世にとどまる理由はない。
彼らになるくらいならば、せめて人として死のう…僕はそう決意した。
死のうにも縄はバリケードを作るときに使ってしまったからもうない。
だけど代用できるものは持っていた。
ネクタイだ。
高さは足りない…がまあ、いい。
自重でも折れなさそうな所を見つけた僕は、ネクタイをくくりつけ輪っかを作る。
このままだと輪っかに首を通しても足がつくのだが問題ない。
そのまま座り、自重が首にかかるように体重を傾けるだけだ。
僕の首が絞まっていき、徐々に息が苦しくなっていく。
頭のなかを巡っていくのは友人や、家族、何より最愛のの彼女との思い出だった。
ごめんな…置いていって。
今、君の元に逝くよ。
僕の目から涙がこぼれ落ちる。
僕の意思に反して、僕の体は助かろうともがき、あげくの果てにはネクタイから首を外してしまった。
僕の本心はまだ、こんな状況化でも生にすがっていたのだろうか。
『う、うぁぁぁあああ!!!』
僕はただただ泣き崩れた。
何もかもを失ってもまだ僕は死ねなかったのだ。
こうして生きる意味と意思を失いながら僕は生きることにした。
いや、ただ死にぞこなっただけか。
結局のところゾンビが扉を破ることはなかった。
思ったより頑丈だったのか、ただ単純に運が良かった…いや、悪かったというべきか。
死者のうめき声は次第に数を減らし、少しずつ遠くなっていき、やがて静寂を取り戻した。
あれからただ命を繋ぐために生きていた。
生きる理由も意思すらないはずなのに…
食べたものの味は徐々にわからなくなっていき、生者の声はもうずいぶんと聞いていない。
涙もとうの昔に枯れてしまっていた。
時おり聞こえるゾンビのうめき声にすら何も感じない。
そしていつしかゾンビのうめき声すら聞こえなくなっていった。
静寂と孤独のなか月日だけが過ぎていった。
これが僕の今日までの経緯だ。
食糧も水も尽きてしまい、もうここにはなにも残っていない。
あれからどのくらい月日が経ったのだろうか。
一ヶ月、半年、一年?
救助は結局来なかった。
外の状況もここと同じく地獄と化したのだろう。
わかっていることは、このままここにいても死を待つだけと言うこと。
久々にに部屋からでた僕が感じたのは死臭だった。
視界にはおびただしい血痕が辺り一面に広がっていた。
必死に助かろうとあがいたのだろうか?
引きずった手形のような血痕や足跡、爪で引っ掻いたあと、生にすがる者が残した爪痕沢山見受けられた。
僕は意を決してゆっくりと歩を進めた。
しかし生者はおろか人を食らう悪鬼と化した死者も居なかった。
いるのは、生者の抵抗を受けたのか、あるいは自ら命を立ったのかは分からないが物言わぬ骸と化した者だけだった。
僕は逃げる前にどうしても見ておきたい場所がある。
それはかつて僕と彼女の婚礼を祝う結婚式場の跡地だ。
行くことはリスクでしかないことはわかっている。
それでも行かなければならないと思った。
僕はかつて彼女を見捨てた。
その結果をこの目で見なければならないと思ったからだ。
結婚式場にたどり着いた僕は、覚悟を決め中に入った。
腐敗した臭いとおびただしい血の跡、結婚式場とは名ばかりの地獄の残り香とも言える風景が僕の目の前に広がる。
そこに《彼女》はいた。
彼女はところどころ食いちぎられ、純白のウエディングも赤黒く染まっていたが、僕の目に最後まではあの頃と同じ美しい彼女に見えた。
『ずっと…待ってくれていたのか。』
『アァ…』
僕の声に気づいた彼女は、僕に気付きボロボロの体を引き摺るかのようにこちらに近づく。
久々に聞く彼女の声、それを聞いた僕の胸は痛くなっていく。
『ごめんな…置いていって。本当にごめん…』
『アァ…ウゥ…アアアア!』
僕の声に応えるかように徐々に近づいていく彼女。
あぁ…僕は彼女に会うために今日まで生きてきたんだな。
僕も彼女に近づいていく。
あのときの続きをするために。
僕と彼女の距離は徐々に近くなり手を伸ばせば届く所まできていた。
僕は彼女を抱きしめる。
力強く。
彼女も僕を抱きしめた。
彼女の華奢な体からは想像も出来ない力で。
この世に神は居ないのだとあの頃から思っていた。
だがどうやら違うらしい。
何故ならば最後の最後で粋な計らいをしてくれたからだ。
彼女の顔が僕に少しづつ近づいていく。
僕も少しづつ近づけていく。
そうして、最初にして、最期の口づけを交わして…僕達は結ばれた。
これで今回の話は終わりです。
最後まで読んでいただきありがとうございました♪