私はきっと不運なのだろう。もしくは私がきっと気づかないうちになにか悪いことをしたんだろう。じゃなければ、こんな目には遭わないはずだ。
生まれたときからの付き合いである第二の性。お父さんから受け継いだよくわからない体質。
男の人からも、女の人からも。子どもからも、大人からも。『フォーク』自体の数は少ないらしいが、どうやら私は特別『香り』が強いらしい。みんな私をどこからか「嗅ぎ」つけて、私を食べようとしてくる。その度に怖くなって逃げ出して、何度も追いつかれそうになって。
そして、もう一つの体質のほう。私は、どんな傷も人より早く治ってしまう。例えばちょっと指を切ったら、すぐに傷口から血がボコボコと湧いてきて、かさぶたもできずにたちまち元通りの肌になってしまう。痕ができないのはいいことだけど、この体質と『ケーキ』の性質が合わさると最悪だ。つまりは、どれだけ食べても減らないパフェのような。こういうと夢みたいだけど、食べられるのは私だ。だから、
けれど、今までなんとかやってこれたのは両親のおかげだ。周囲に掛け合って、学校に掛け合って。直接助けに来てくれた時もあった。そんな感じで、なんとか高校入学までは無事に過ごせている。でも、これからも無事である保証は、どこにも、ない。
そして「その日」は、意外とあっけなく訪れた。四限目が終わり、私はお昼ごはんを食べようとしていた。過去の経験のせいで少し人を避けるようになっていた私は、いつものように自分の教室から空き教室に移動して、お弁当を広げようと
先客が、居た。しかも授業が終わってすぐに出てきていたのに。サボり? その男子は、机に軽く寄りかかって、ぼうっと窓の外を眺めていた。私が部屋に一歩踏み出そうとすると、彼はそれに気づいたのか、こちらを向いた。
「な、なあ、君って」こっちに迫ってくる。
「この『香り』は」まさか、まさか。怖い。どうしよう。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い――
「あ、わ、悪い」怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖……え? 今、なんて?
「ごめん、怖がらせたか?」謝って……る?
顔を上げると、そこにはとても困った顔をした彼が居た。今まで私に迫ってきた人の中で、こんな表情をした人はまずいなかった。今までの人たちは、ただ欲望のままに私を食べようと、鬼のような形相で迫ってきた。でも彼は、違う。
「だ、大丈夫か?」恐る恐るといった感じで私に声をかけてくる。
「あ、は、はい」
「それなら良かった」
彼はそう言いながら微笑む。「この部屋、使うんだろ? 俺、もう出るからさ」
「待って」
思わず引き止めていた。なぜかは分からない。でも、何か気になったのだ。『フォーク』が私にこうやって接してくるのが初めてだったからかもしれない。
「お昼、一緒に食べない?」そんなことまで口走っていた。彼と話してみたい。『フォーク』ってどんな感じなのか、私は結局知らないのだから。
「いや、でも俺と一緒に食べても楽しくないぞ?」
「それでも……いいんです」
「それじゃ、まあ」
なんだかよく分からないまま一緒にお昼を食べることになってしまった。あ、いや自分がそう言ったんだった。彼はコンビニのおにぎりを取り出すと、無表情でぱくつき始めた。何を聞いてみよう。失礼じゃないかな。私はお弁当を広げながら恐る恐る話しかける。
「あなたって……『フォーク』なんですよね?」
「え? あ、ああ。そうだよ」
「やっぱり、味ってしないんですか?」
「少なくともこのおにぎりは味しねえな。もう慣れたけど」
そんな会話を皮切りに、お互いにポツリポツリと話し始める。なんでこんなに話してしまうのかは分からなかったが、それでも彼と話していると、なんだか安心する気がする。
それはきっと、彼がいい人だからだ。
『フォーク』だけど、いい人だからだ。
「いつかもう一度、ちゃんと味がして美味しいものを食べてえな」
そんな言葉が彼の口から出てきたとき、美味しいものを食べてほしいなと心から思った。私が、食べさせてあげたい――
そんな時、だった。一つは眩しすぎるほど温かい、光。もう一つは何も見えなくなるほど寒々しい、闇。そんな二つの光と闇が、私たちの前にいた。そしてその光と闇は、いや『彼女ら』は、私たちに厳かに告げる。
あなた方の力を貸してください
何者にも穢されない、強き願いの力を貸してください
この星は今も、異世界の獣、ロアテラに狙われています
生まれた地であるこの世界を守るために
故郷たる星を取り戻すために
私達の声に答えてくれるのならば
あなた方の願いは、きっと叶うことでしょう
知識が流れ込んでくる。ロアテラ、エンブレイス、ステラナイト、ブリンガーとシース――
何これ。私たちが、これになるってこと……? でも、私たちまだ今日あったばっかりだし、それに私と彼は……そうやって逡巡していると、彼女たちは再び柔らかく私たちの頭の中へ語りかける。
すぐに決めてほしいとは言いません
猶予は有限じゃないけどね
心づもりがついたらいつでも呼んでください
この階層が滅びる前にね
そう言い残すと、彼女らはもういなくなっていた。恐らく5分もないだろう、そんな短い間の出来事。でも私には、とても濃密な時間に感じられて、夢のようで夢でなくて、今もまだ『知らなかった知ってること』が頭の中にぐるぐる渦巻いて。それに戸惑っているうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
それから、私は彼と度々顔を合わせるようになった。『フォーク』なのに私を襲わなかった珍しい人。私に優しく声をかけてくれたいい人。美味しいものを食べることができない、悲しい男の人……。会って話をして、また会って話をする。そんなことをしているうちに、私の中のこの願いはだんだん本物になっていった。彼に美味しいものを食べて、笑って欲しい。でもそれは、きっととても難しいのだろう。でも。あの女神たちの言った、ステラナイト。それになったら、また彼は美味しいものを食べて、私と笑い合って、そんな事ができるかもしれない。だったら私は――
俺は、かなりの期間『美味しいもの』を食べることができていない。何故か? 答えは簡単。俺が食べないようにしてきたからだ。
俺は自分の名前がちょっとだけ嫌だった。字面はカッコいいが、「ヒノハ」なんて女の子のような名前。実際、周りの奴らもそう感じていたらしい。小さいときから少なからず不思議なものを見るような目で見られてきた。俺がもう少ししおらしい奴だったらまた話は違ったんだろうが、俺はそういう奴じゃなかった。多分それが原因なのだろう。
高校に入って少し経った頃、だんだん感じる味が薄れていった。ストレス性の味覚障害。医者からはそう診断された。ストレスが取り除かれれば治るだろうとも言われた。ストレスが取り除かれることはまずないので、第一の治療法は諦めることにした。第二の治療法として処方薬をもらっていたのでそれを飲むことにした。だが、しばらく服用し続けても全く治る気配はなく、そのうち全く味がしなくなった。
その辺りからだ。妙な『香り』を感じるようになったのは。その香りはその時々で全く違うものだった。だが、全てに共通していたのはよだれが出てくるほど甘い香りだということだ。ふんわりとしたスポンジケーキのような香り。とろっとしたチョコレートのような香り。みずみずしいイチゴのような香り。濃厚なクリームのような香り。その全てが、今までに感じたことのない鮮烈な香りだった。
もちろん香りを辿ってみたことも一度や二度ではない。だが、必ず行き着いたのは人だった。俺の直感が「こいつを食べたらきっと美味しいんだ」と思った。俺の理性が「人を食べるなんてあってなるものか」と考えた。どうやら俺は思っていたより理性的な人間だったみたいで、それからは香りを感じても「食べたい」という欲求を抑え込んできた。どうやら俺みたいなやつを『フォーク』と呼ぶらしい。特定の人間……『ケーキ』と呼ばれる者にしか味を感じない異常者。食欲を真に満たすには、彼ら彼女らを食べるしかない。でもそんなのは……嫌だ。
俺に試練がやってきたのは高校に入ってかなりの月日が経った頃だった。その頃俺はたまに授業をサボって空き教室で精神統一の時間を作っていた。精神統一というと聞こえはいいが、要するに食欲を押さえつけるためのクールダウンの時間だ。何も考えない時間を作るとそれなりに心がスッキリして、また少し理性を保てるようになる。四限目をサボってそれをやっていた俺は、つい昼休みのチャイムを聞き逃してしまっていた。
ふと、教室の入り口の方から甘い香りを感じた。女の子がいた。儚げな雰囲気を纏った、色素の薄い女の子。その子から……甘い、香りが。俺の脳がそう認識するや否や、俺は気づかないうちに立ち上がっていた。
「な、なあ、君は」彼女の方に歩いていってしまう。
「この『香り』は」とても、美味しそうで――
そこで、我に返った。少し頭を振ってから、彼女の方をよく見ると顔を俯けて震えていた。そうか、きっとこの子は、俺みたいな『フォーク』に何度も襲われたのだ。何度も何度も襲われて、精神を擦り減らして、今まで生きてきたのだ。なんて、なんて
「あ、わ、悪い」「ごめん、怖がらせたか?」咄嗟に謝っていた。彼女は顔を上げたが、まだその表情は強張っていた。そりゃそうだ。俺だってきっと、色んな人から理不尽に襲われれば人が怖くなる。
「だ、大丈夫か?」極力怖がらせないようにもう一回声をかけてみる。
「あ、は、はい」
「それなら良かった」
少し安心したせいで気の抜けた顔になったかもしれない。彼女が平気な様子になると、自分が彼女にかなり近づいていることを今更ながらに思い出し、それと同時に鼻腔と脳に香りが蘇ってくる。これ以上一緒に居たらまずい。
「この部屋、使うんだろ? 俺、もう出るからさ」言い訳がましく言いながらそそくさと教室から出ていこうとするが、
「待って」
そんな声が背後から聞こえてきた。周りに俺と彼女以外の人間はいないので十中八九、彼女が俺を引き留めたのだろう。なぜ。俺はお前の側に居るだけで危険だと言うのに。
「お昼、一緒に食べない?」
ちょっと待ってくれ。動悸がひどい。血が沸騰しそうだ。抑えろ、抑えろ。彼女を傷つけてはならない。
「いや、でも俺と一緒に食べても楽しくないぞ?」言い訳を重ねてその場から逃げようとする。血が沸騰しているような感覚がする。
「それでも……いいんです」
どうあっても彼女は俺のことを逃してくれないらしい。根負けしたような形で「それじゃ、まあ」とだけ答えて、そそくさとコンビニおにぎりをくわえる。口と胃になにか詰め込んでおけば、少なくとも今ここで襲うような自体には発展しないだろう。
隣で『ケーキ』の彼女も弁当を広げはじめる。どうやら本当に俺の側で昼飯を食うらしい。なんて
「あなたって……『フォーク』なんですよね?」
そんな恐る恐るといった感じの一言から始まった会話は、驚くほどスムーズに進んだ。なぜ俺もここまで自分のことを話しているのか分からない。分からないが、こいつを見ているとなんだか食欲とは別の感情が湧いてくるのだ。心地よい。とても。
やはりというべきか俺の予想したとおり、こいつは普段から『フォーク』に襲われたりなんだりしているらしい。こんなにいい香りがするんだから当然といえば当然か。
「俺も最初は何がなんだか分かんなくてさ」雰囲気に飲まれたのか何なのか、普段なら話さないようなことも話してしまう。
「でもやっぱり人は傷つけたくないしさ、でももう普通の食べ物はなんも味しなくなっちまったし」
そして。
「いつかもう一度、ちゃんと味がして
そいつらは、現れた。
二人の光と闇を纏う――もしかしたら光と闇そのものなのかもしれない――女性は、厳かに俺たちにある使命を告げた。
ステラナイト。それは、自分の願いを報酬に世界を救う戦いに挑む者たちだという。そして、俺たちはそれに選ばれたんだと。……いや待ってくれ。選ばれたも何も俺たち初対面だぞ。
幸い、今すぐに決めなくてもいいようで、その女性二人(女神、と名乗っていた)は俺たちの返答を待つ旨を告げて消えていった。
ステラナイトは二人で一人、俺の中に流れ込んだ知識がそう教えてくれた。つまりは彼女と共に居なければならないということだ。……それは、まずい。
それからしばらくの間迷っていたが、それとは別に彼女と俺が会う頻度は日に日に増えていった。彼女のほうが会いに来て「話をしたい」という。ポツリポツリとお互いのことを話すうちに、なんだか彼女のことが大切に思えてくる。いや、守ってあげなければならないと思ったというべきか。他の『フォーク』に襲われないように。彼女を
こうして、二人の願いは一致した。
『フォーク』と『ケーキ』、普通ならば片方が消えるはずの、交わらないはずの運命が交わる。二人の『女神』は、二人の願いを聞き入れ、力を与える。
彼女は、ブリンガーに。彼は、シースに。
女神は満足気にその場から消えていく。
「そう言えば、お互いの名前もまだ知らないね」
「ああ、そういやそうだな。あんだけ会ってたのにな」
「私、春風菜乃花。これからよろしく」
「俺は犀津火映だ。こちらこそ、よろしく」
かくしてステラナイトは誕生した。
かたや、犀津火映に
かたや、春風菜乃花を
どこかの未来で、この
ここから彼と彼女は、の為に戦い続けるのだろう――