自分の寮室よりも見慣れた景色。管とバルブ、時々足元を往来する妖精さんを労いながら、甲板で難しい顔をしているであろう人のことを想う。
沖ノ島での深海棲艦の異常行動を対処し始めてから、提督はきっと休んでいない。食事と生理現象の時でさえ、頭の中ではずっと海のことを考えているに違いない。
「赤城より定時報告」
何度開いたか分からない偵察報告書と、出撃前に渡された第一波から三波攻撃の結果報告書。穴が空くほど目を通し、前後が入れ分かる程読み込んだ。膝の上でシワだらけになった冊子から視線を外し、通信妖精から受話器を受け取った。
『全艦順調に作戦行動中。周辺海域ならびに進路上、敵艦影あらず。……提督の様子はどうでしょうか?』
「定時報告了解。提督なら甲板にいる」
『甲板ですか? 艦内にはいないんですか?』
「いない。水上航行時は半分くらい甲板にいる」
乗艦が決まった時、相談して決めていたことだった。操艦命令は基本的に私しかできないので、基本的に持ち場を離れることはない。離れる時はお手洗いに行く時や仮眠の時くらい。その前後でやりたいことをしている。
しかし、今回は提督が私の代わりをすることができる。安全海域を航行している時は、基本的に水上航行しかしない。今までならできなかったことを、提督と交代でできるようになったのだ。
「今は多分見張りをしながら海水ろ過器を動かして、真水を艦内に入れてる。あと洗濯とかやってると思う。多分」
『洗濯? 潜水艦の艤装に洗濯機ってありましたっけ?』
「本格的なものはない。簡易洗濯機を使ってる。民生品は持ち込んでも、作戦行動に支障はないからって、任務に就く前に支給されている」
沖ノ島でドロップされてから、鎮守府で艤装に持ち込まれたものだ。潜水艦の艦娘には海水ろ過器や簡易洗濯機が支給され、申請次第で提督が色々買ってくれるのだ。私はまだ支給品しかないが、イムヤやゴーヤは他にも色々持っているらしい。
『そういえばそうでしたね。……提督の様子は?』
「いつも通り。気は張ってると思うけど、変な様子はない」
変な様子はないが、就寝場所を決める時には少し言い合いになったくらいだ。艦長室で一緒に寝ればいいというのに、頑なにそれを拒んできた。結局魚雷発射管室で寝ることが決まり、荷物は艦長室を間借りさせてくれと言ってきた。拒む理由もないので、空きスペースを伝えたらボストンバックが置かれていた。
『もう数時間で沖ノ島に接近します。提督にも伝えてください』
「了解」
受話器を通信妖精に返し、再び冊子に視線を落とす。
出撃前に説明された、私たち"作戦艦隊"の任務。説明を聞かされ、作戦企画紙を見ても理解できなかった。
提督は何を考えて、このような作戦を立案したのだろうか。気がつけば撫でている"機械"について考えながら、私はこれから始まるであろう作戦について考える。
※※※
PsMB-1。提督は私の半身のことを皆に説明する際、トウドアレイソナーと言った。トウドアレイソナーではあるのだが、詳細は別に表現したのだ。
アクティブソナーだが水中を【可視化】する、私にしか使用することのできないオーパーツである、と。
使用する時は、PsMB-1とシステムを内蔵したUボートXXVIIBを船体から曳航する。そうすることで、司令室に設置された専用のレーダースコープを使用することで、水上の状況を見ることができる。これによって、クジラを誤認することがなくなり、深海棲艦や味方の識別も容易になったのだ。
このPsMB-1を使用することで、私は高精度の水雷戦闘技術や危機察知能力を得ていた。これまでの偵察任務に於いて、離脱時に全ての魚雷を深海棲艦に命中させており、離脱も爆雷攻撃を受けることなく速やかに行なうことができているのだ。
実績だけ見ていれば、優れた装備であるPsMB-1。しかしこれが、私の"魔女"と呼ばれる所以でもある。
このようなオーパーツを搭載しているのは、史実では存在していない。しかし、私の記憶には刻まれていた。私の中では、ローレライである艦は1隻しかいないのだ。そして、艦娘としても私だけ。
いくら練度が高い潜水艦でも、私ほどの精度での水雷戦闘は実現不可能なのだ。
だから、水中から周辺を見ることのできる目を持つ私は、その常軌を逸した能力から"魔女"と恐れられた。どこからともなく現れ、回避不可な雷撃をして消える。だから畏怖された。敵からも味方からも。
「作戦艦隊は戦闘海域に突入次第、敵中枢の基幹艦隊を叩く。作戦通りにことを運べ」
提督は受話器を取りながら、戦闘海域突入直前に作戦参加艦隊に檄を飛ばしている。
何度も確認したことだし、全員に配られている作戦企画紙は何度も読み込んだ筈だ。言われずとも、頭の中には刻み込まれている。しかしそれでも、確認の意味を含めて今一度言う必要があるらしい。
「だが連合艦隊ならびに支援遠征艦隊は、全力攻撃を行なうこと。己が力、存分に見せてくれ。作戦艦隊の仕事を奪うつもりで戦え。我武者羅に全力で」
通信は艦内にも伝声管を通して放送されている。妖精たちも持ち場に付きながら、全員静かに耳を傾けていた。
妖精を含めると作戦参加人数40万人強は、心を一つにしていた。
「何度目かは分からない分水嶺。いつものように全員で乗り越えて見せよう」
ドクンと心臓が大きく脈を打つ。
「皆の武運長久を祈る。また鎮守府で逢おう」
提督は通信妖精に受話器を返し、帽子を被り直す。
「第四波攻撃開始」
静かに宣言された号令を聞き、私は全艦に指示を出す。
「全艦戦闘配置。見張り妖精は対空・対水上警戒を厳となせ」
※※※
海上の砲雷撃戦が水中に絶え間なく衝撃を与え、ソナー妖精も敵味方識別ができないと愚痴を零す。
作戦艦隊は作戦企画紙通り、陽動にかかった深海棲艦群の脇を通って中枢基幹艦隊の捜索を始めていた。全艦が潜航中で通信を行なうことができず、直前に見つけることのできた対潜装備の深海棲艦の数を知らせることしかできなかった。
水中衝撃波が船体を軋ませ、圧に耐えかねたバルブが開きかけることが数度。直接攻撃を受けていないことが幸いし、特に浸水することなく砲弾飛び交う戦場の真下を移動することができていた。
偶発的に発生した大規模戦闘に参加することになったが、今まで主任務だった偵察よりも数段上の緊張感が艦内を包み込んでいた。
まだ経験の浅い"私"と妖精さんたちは、自分たちが作戦の要を握っていることを自覚していた。それは、私の隣に並び立つ提督という存在。
ギシギシと船体の外郭が撓む音を鳴らし、その度に圧に耐えられるかと冷や汗を浮かべる。モータの駆動と、戦闘開始前まで稼働していたディーゼルエンジンが熱を発し続けていることもあり、艦内は蒸し風呂状態になっていた。
何もしていなくとも汗は浮かび、目に入りそうになる雫を拭いながらソナースコープを覗き込む。
浮かび上がるモノクロの立体映像を、何度も覚えた深海棲艦と艦娘の艤装の形状と照らし合わせながら、慎重に進路を選んでいく。
もし失敗してしまうと、アクティブソナーを連発されて爆雷攻撃を受けてしまう。外苑艦隊の対潜装備艦に遭遇してしまえば最期だ。脆い潜水艦への飽和爆雷攻撃は、敵の感がよければ一発で撃沈させられてしまう。
「頭上を重巡が通過」
対潜装備のない重巡リ級が頭上を砲撃しながら通過してしく。近くには友軍の砲弾が着弾し、水中で炸裂している音を拾っているようだ。顔を顰めて音量を落としながら、ソナー妖精は撓む音に負けない程度の声で報告する。
妙に鼓動や呼吸音が響くように聞こえ、息遣いに気が削がれながらも集中してソナースコープを覗き込み続ける。一瞬でも指示が遅れ、間違ったものを言ってしまえば、私たちは帰ることができない。
「162度の方向に爆雷着水音」
自分のソナースコープの向きを変え、投影される立体映像を見る。
上から下へゆらゆらと落ちていく無数の小さい点。その行き先には、何度も見てきた艦影。
「ゴーヤ……」
炸裂した爆雷はノイズとなってゴーヤの艦影を消し去り、何も見えなくなる。衝撃波が遅れて私の艤装にも届き、艦全体を揺らす。相対距離はそこそこ離れており、おおよそのお互いの位置は把握している。
恐らくゴーヤは対潜装備艦の外苑艦隊に捕まったのだろう。頭上を通る影がいくつも見えるということは、爆雷の集中投下を受けている筈だ。
「ゴーヤは潜航して息を潜める筈だ」
「分かってる……」
提督は冷めた目で私を見つめて言い放つ。
「モータ始動。外苑部から中枢に向かう。ゴーヤはこのまま囮になってもらう」
「っ!!」
見捨てるのか、口から言葉が出そうになるが飲み込む。提督の冷めた目、抑揚のない声で、ゴーヤを見捨てろ言った。だが、それが本心でないことは分かる。汲み取れるからこそ、私は自分の拳を握り込んで指示を出す。
「モータ始動。前進微速、進路そのまま」
「了解」
妖精さんは素直に命令を受け取り、操艦を行なう。彼女たちも分かっているのだ。ゴーヤの援護に行きたくとも、行ってしまえば基幹艦隊に辿り着く確率が落ちることを。
幸いにして"私"はまだ、深海棲艦たちに発見されていない。作戦遂行には基幹艦隊を補足するまで、作戦艦隊の誰かが攻撃可能であればいい。
移ろう立体映像に目を凝らしながら、水柱と波紋の間の僅かな隙間も見逃さずに観察し続ける。
「一番二番魚雷装填。調定深度……くぅぅぅ?!」
頭が割れるような痛みに襲われる。長時間のPsMB-1とローレライ・システムの使用は、艤装を司る私に直接ダメージを伝える。仕様なのかは分からないが、これまでも何度も経験してきたことだ。
「ぐッ?! ……調定深度3」
ソナースコープには中枢艦隊ではないが、護衛の戦艦ル級3隻を捉えていた。ノイズ的に砲撃を受けているようだが、命中弾をいくつか食らって致命的な被害には至っていない様子。艦隊から離脱しながら、外苑艦隊に合流するのだろう。その後の動きは容易に予測できる。連合艦隊の注意を引き付ける動きを見せる筈だ。それは阻止しなければならない。目標は作戦艦隊の攻撃目標も、連合艦隊の陽動目標も同じ。敵基幹艦隊だ。
「三番四番……魚雷装填……。調定深度……5」
本命は三番四番。一番二番は囮として使い、回避運動をするであろう先に、三番四番の魚雷を撃つ。
これで残本が6本。出撃前にも全発射管に魚雷は装填されており、調定も同じように設定していた。既に8本を使っており、残りは基幹艦隊に使用する分しか残っていない。混乱している敵には、もっと混乱してもらうために囮を使わせてもらう。戦闘態勢でない敵艦ならば囮は必要ないが、海上は砲弾の雨が降り注ぐ修羅場だ。足元にも注意を向けてもらう。
「一番二番撃て」
エアの抜けるような音と共に、金属の擦れる音が艦内に響く。スコープに海中を走行する魚雷を2本捉える。3メートルを走っていれば、目のいい見張りがいればある程度接近すれば発見される。そこから取るであろう方向に艦首が向くと同時に、遅れて指示を出した。
「三番四番発射」
スコープから目を離すことはない。断続的に襲ってくる頭痛に耐えながら、手元を見ずに使用した魚雷の数をメモする。
ソナー妖精が少し遅れて報告した。近くで発射管注水音が聞こえた。ゴーヤは対潜装備艦を引きつけながら、少し離れたところを潜航している。となると、近くにいるのはイムヤだろう。
イムヤは魚雷を発射したらしく、スコープ外から遠くへ走り去る魚雷が見えた。目標は私が撃った相手ではない様子で、もっと近い敵艦を狙ったようだ。
すぐさま視野を広げて索敵を再開する。頭上を何度か深海棲艦が通過している。もう基幹艦隊に到達してもいい頃だ。頭痛と戦いながら、私は前回の偵察で掴んだ情報を思い出しながら、該当する艦影を探す。
この時、私は余裕がなかった。だからこそ、見落とした。
船体を震わせる、特徴的な音。リズムを取って、外郭を震わせるのはアクティブソナーだ。
「対潜装備艦に補足されました!!」
「くッ?!」
指示に一歩出遅れるが、私の詰まった声に被せて低い声が指示を出した。
「急速潜航!! 両舷前進一杯!!」
「急速潜航、深度120」
『両舷前進一杯!!』
伝声管から機関妖精の声が伝わる。
「ローレライは目となれ。俺が指示を出す」
「……はい」
肩が触れ合う距離。提督は垂れ落ちる汗を拭うことなく、海図を睨みつける。リアルタイムで現在地を割り出せるローレライシステムによって、海図には数分置きに場所を示す駒を進めていた。同時に敵艦隊の位置も同じ様に駒を置いている。
視線の先には立体映像。上に視線を向けると、ふわふわと落ちてくる爆雷が目に入った。
「爆雷着水」
「対ショック姿勢!! 何かに掴まれ!!」
提督と私は机に、妖精さんたちはそれぞれの持場のものを掴む。直後、艦が大きく上下左右に振られる。同時に船体が大きな音を立てて軋み、隙間から浸水が始まる。
「修理は同時進行だ!! モータ停止、慣性航行に移る。」
アクティブソナーを使われたら、再び位置を知られてしまう。頭上を通過した深海棲艦は3隻。全て駆逐艦だった。捨て置き、中枢艦隊を目指すか、やり過ごすか。どちらを選ぶにしてもリスクがある。
ソナースコープであちこちを見渡しながら、残っている深海棲艦の動きを監視し続ける。この間にも、提督は動きを考えてくれる筈。私ならばやり過ごす。今は水上戦闘が激しく、パッシブソナーを使っても水上艦載のものは表層のノイズで水中の音を拾いづらくなっているだろう。また、轟沈した艦が大きな音を立てるので、ノイズに私は隠れることができる。その分、ソナー妖精さんは全く仕事ができない。だが、私には半身があった。
目視で轟沈艦が沈んでいくのを確認している。ボコボコになった水面はノイズだらけでも、動いている艦影を捉え続けている。一方で相手が私を見失ったことには気付いている。見当外れなところへ移動しているのは確認していた。
「……近くに轟沈艦がいるな。メインタンクブロー、深度80。アップトリム7」
「メインタンクブロー、深度80」
「アップトリム7」
艦が浮かび上がる。海底山脈の頂は離れていき、海面が近づいてくる。損傷艦から脱落した装備が真横を沈んでいき、捉える情報量が徐々に多くなっていく。
PsMB-1にはソナーに近ければ近いほど、捉える情報量が増える特徴がある。近くを泳ぐ魚影でさえ捉えることがあるのだ。そしてその情報量が増えるだけ、断続的に私を襲う頭痛が強く長くなる。それは注視している時も同じで、遠くのものを見る時も同じ様に頭痛に襲われるのだ。
「……っ」
何度口の中を噛んだか分からない。頭痛で意識が飛びそうになるのを、口の中を傷つけて耐える。血の味しかしないが、気にする必要はない。
「……見えた」
ノイズの向こう側に大型の艦影が見える。全速に近い速度を出しているが、大型艦4隻の影は見間違いではない。
「11時方向、距離20000。中枢艦隊確認」
「……ローレライ」
中枢艦隊発見の知らせは、ピリピリとした艦内が少し和らいだ気がした。だが、小さく低い声で、その気が引き締められる。
「敵残存数は分かるか?」
周囲を見渡し、水上に残っている艦を捜索する。広範囲に敵艦隊が広がっており、総数数十隻となると、見落としも多くなる。突入した場所から、轟沈艦を数えたところで全体を把握することは難しい。また、敵艦隊が戦闘の混乱で序列を乱し、少数で纏まった艦が各個に連携を取りながら連合艦隊の方へと向かっている。最初は小さく固まっていたものの、大きく広がってしまっている。故に、敵艦全てを把握することはできないのだ。
把握できているだけでも報告するべく、手元で計測していた轟沈を確認している隻数を言う。
「43隻」
「まだ残ってるな」
前回の偵察で56隻の深海棲艦を確認し、内訳も分かっている状態だ。その中で轟沈を確認したものを引いても43隻残っている。海上には戦闘不能になったものもいると見て問題ないだろうが、それでも私たちよりも遥かに数は多い。
この状況を提督は切り抜けるために、基幹艦隊の早期撃滅を狙ったのだ。
今はまだ開戦からそれほど時間が経っていない。連合艦隊がどのような状況にあるかは分からないが、早くに目標を発見できたのなら、速やかに攻撃に移るべきではないのだろうか。
口には出さないが、きっと妖精さんたちも同じ気持ちな筈。逸る気持ちは提督も同じだと思いたい。それでも、提督は待ったをかけたのだ。転舵し、基幹艦隊に攻撃を仕掛けるのを止めさせたのだ。
「ローレライ」
「……うん」
「中枢艦隊を捉え続けてくれ。見失うな」
「了解」
それだけを言うと、提督は誰も予想だにしなかった号令を出した。
「回頭、右70度」
「か、回頭ですか?!」
「あぁ。回頭、右70度。復唱し、速やかに舵を切れ」
「り、了解。回頭、右70度ようそろ」
「速度そのまま。敵艦隊から距離を取る。轟沈艦のそばを航行したい。ローレライは詳細な指示を出せ」
私は黙って従うことを選んだ。