レッスン終わりに、プロデューサーさんに呼ばれた。もう夏も真っ盛りといった気温で、日が落ちきる前に帰ると暑いので少しだけ嬉しかった。
きっと、お仕事の打ち合わせだろう。本番も一週間後に迫っており、初めてのお仕事だから打ち合わせが多くなるとも言っていた。
だから、ソファーに座ってプロデューサーさんが口を開いてから、その言葉を理解するまでに時間がかかってしまった。
「すまない、小糸」
謝られていると自覚するまでに、やたらと時間を使ってしまった。開口一番がその言葉だったし、プロデューサーさんに謝ることはあったとしても、謝られることなんて身に覚えがなかったから。
「小糸の……家に連絡させてもらったんだ」
家に……連絡……。
「ぴえっ!?」
思わず口を塞ぐ。
ここまでやってきたのに。初めてのオーディションに合格して、これから有名になっていこうという時期なのに。
どうしてあと少し、もう少しだけ待ってくれないのか。
「親御さんと電話越しだけれど少し話したよ。……アイドルのこと、何も言ってなかったんだな」
すぐに謝らなければ。そう思ったはずなのに、頭に浮かぶのは、よく見る夢。
中学受験に失敗して、お母さんも透ちゃんも雛菜ちゃんも円香ちゃんもいなくなってしまう、あの夢。
随分と見なくなった気がする。でも、これでまた――
「小糸に黙って連絡したこと、謝らなきゃな。この前円香にも指摘されたばかりだったのに。……すまない」
プロデューサーさんはソファーから立ち上がって深く頭を下げる。
「もっと……小糸の話を聞くべきだった」
「それはっ! ……それは、私が嘘をついていたから……」
きっと、プロデューサーさんの言葉に甘えて、プロデューサーさんのせいにしてしまえば、楽なのだろう。
しかし、嘘をついていたことを棚に上げるなんてできない。ついてしまった嘘などではなく……意図してついた嘘なのだから。
「うん、嘘をつかせてしまって、すまない」
プロデューサーさんが怒っていないということが、理解できなかった。
嘘をつくのは悪いことで、悪いことをしたのだから怒られるだろうと思っていた。
それがなぜ、逆に謝られているのか。
理由を聞いても、答えてはくれないのだろう。
プロデューサーさんがどれくらい自分のことを知っているのかは分からない。どういう理由で嘘をついていたのかも。……アイドルになった理由は、もしかすると知っているかもしれない。
「でも、ちゃんと親御さんとお話をしないといけない。だからその前に、ひとつだけ確認させてくれないか?」
頭を上げたプロデューサーさんは、再びソファーに座る。
いつの間にか持ち上がっていた腰を再びソファーに落とすと、プロデューサーさんが続ける。
「小糸は今でも、アイドルを続けたいと思ってるか?」
もちろん。
そう即答したいのはやまやまだけれども、状況がそれを許さない。
視線を落として、プロデューサーさんの膝の上に組まれた手を見る。
「……」
やはり、怒られているとも似たような状況で、自分の意見を言っていいはずがない。
『小糸の話を聞くべきだった』
プロデューサーさんがつい先ほど言った言葉が、脳内に再び流れてくる。
そして、ひとつの可能性にたどり着く。
もしその可能性が正しいなら、プロデューサーさんが怒らない理由にもなるし、今投げかけられている質問の意図も分かる。
そんなはずはないと、今までそんな人は一人たりともいなかったじゃないと、諦めるように告げてくる自分がいる。
お母さんでさえ、見ていてくれなかったのだから、分かってくれなかったのだから。
それを、たった一ヶ月一緒に過ごしただけの人が見てくれるはずがない、分かってくれるはずがない。
でも、可能性に気づいてしまったから。もしかするとと思ってしまったから。
それを確認するために、顔を上げる。プロデューサーさんの目を見て、確信する。
――なら、全部話しちゃおう。
プロデューサーさんが他の誰でもない福丸小糸を見ていたから。アイドルとしてではなく、普通の高校生……子供として見ていたから。
だから、味方になってくれなくてもいい。話を聞いてくれて、理解しようとしてくれる人がいるのだから。
同時に、そんな人に嘘をついていたという事実が胸を抉る。その事実は、ちゃんと理解してもらえるように、どう話せば分かってもらえるかという思考を加速させた。
「えと……最初は……アイドルにならなきゃみんなと一緒にいられないって思ったんです。また……置いていかれちゃうって。それで、透ちゃんと同じ事務所に応募したんです」
話す間も、視線はプロデューサーさんから離さない。
ちゃんと、伝えないといけないから。嘘の一つもない、崩れ去った嘘の奥にいる福丸小糸を。
「実際に始めてみたら、知らないことがたくさんあったんです。みんなと一緒に長くいられることも嬉しいですけど、レッスンで新しいことを教えてもらう度に、色んなことを知れて楽しかった……」
違う。過去形じゃない。今、楽しいんだ。
「今が、楽しいんです。……頑張らなきゃ……透ちゃんんたちにも追いつけないし、全然、ダンスも歌もまだまだですけど……」
プロデューサーさんが目を閉じた。瞬きとは違って、数秒、何かを考えるように。目を開けたプロデューサーさんは、再びこちらを見て、何も言わなかった。
まだ、答えを聞いていないから。言っていないから。
「お母さんが……いいって言うわけないから、嘘を続けなきゃって思って。楽しかったから、嬉しかったから。……でも、楽しくなる度に、嬉しくなる度に、嘘がバレるのが怖くって……素直に喜べなくて……でも、楽しいから余計に言えなくなって……。ごめんなさい、プロデューサーさん」
「……うん」
「まだプロデューサーさんからもらった課題も答えが見つかってないですけど……それでも、アイドルをやりたいって……続けたいって、言ってもいいですか……!」
そこまで話して、ようやくプロデューサーさんの表情が変わった。怒るでもなく、呆れるでもない。ただただ、小さく微笑んでいるだけ。
「もちろん、いいさ。それが小糸のやりたいことだもんな」
プロデューサーさんは立ち上がって、手を頭にのせてきた。
手のひらは大きくて、でも指は細くて。そんなプロデューサーさんの手が、頭の上でゆっくりと動く。
「ありがとう」
たったそれだけの、時間にして一秒にも満たない感謝の言葉を言われたのは、随分と久しぶりだった。
透ちゃんたちに言われることは度々あったけれども、そういう、友達同士のものじゃなくて、感謝されているんだと感じるような、温かい言葉。
「……っとと」
慌てて手を離すプロデューサーさんに首を傾げる。苦笑いしながら頬を掻いている。
「円香にこの前怒られたばっかりだった。女性にすぐ手を出すなんてどんな教育を受けて来たんですか……って」
円香ちゃんが言っている声が脳内で再生された。うん、言いそう。
宙に放り出されたプロデューサーさんの右手は、ゆっくりと下へ落ちて、目の前にやってきた。
「さて、それじゃあ、親御さんと……お母さんとお話ししなきゃな」
「……っ」
プロデューサーさんに話すのと、お母さんに話すのでは意味が違ってくる。
お母さんがだめだと言ったら、それはいくらプロデューサーさんでもどうしようもないことだから。
そして、中学からの……いままでのお母さんを見ている限り、許可を出すとは……思えない。
「大丈夫、小糸の思っていることを言えばいい。俺も一緒についてるから、ダメだったときは……また一緒に考えよう」
そう言いながら、差し出されている手は、震えていた。
プロデューサーさんだって、怖いんだと思った。少し意外だったし、考えてみれば当然だった。
ちゃんと、答えなきゃ。
「……はい、よろしくお願いします!」
昔ついた嘘って、ある日突然思い出して後悔するんですよね。