福丸小糸は失敗れない   作:300円

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次なる一歩に向けて

 昨日アイドルとして初めてのお仕事があった。

 たった十五分の収録だったにもかかわらず、一日があっという間に過ぎ去ってしまって昨日があったという事実に違和感を覚えるほど。

 

 しかし、周りの人間はそうではない。

 しっかりと昨日があって今日を迎えている。今日は土曜日で学校はないけれどもレッスンはある。実感が湧かないままに事務所へ来ると、昨日ここでみんなに褒めてもらえたことを思い出し、ようやく実感が湧いてくる。昨日の収録は上手くできたのだと自信を持てる。

 

 だからといって気は抜けない。

 今日は朝から円香ちゃんがお仕事で居らず、三人でのレッスン……のはずなのだが。

 

「あらら、見事に誰もいないわね」

 

「ご、ごめんなさい……っ!」

 

 目の前で苦笑するトレーナーさんに謝罪しながら、チェインから電話をかける。雛菜ちゃんはともかく、透ちゃんが遅刻するのは何かあったのかもしれない。

 スマートフォンを耳にあてると、数回コールが聞こえてから音が消える。

 

「……」

 

 しかし、スピーカーからは何も聞こえてこない。

 

「と、透ちゃん?」

 

「んー」

 

 こちらの呼びかけに反応するように声がした。何か伝えるというより、ただただ応答した鳴き声のような声。完全に気が抜けていて、意思のようなものは一切感じない。つまり――

 

「透ちゃん、もしかして今起きたの!?」

 

「んー、おはよ樋口」

 

「わ、わたしは小糸だよ!」

 

 完全に寝ぼけている。この状態だと、ちゃんと目を覚ますまでに三十分、そこから身支度と事務所にくるまでに一時間はかかるだろう。

 

「と、とにかく、早く起きて事務所に来て! 今日レッスンでしょ!」

 

「あー……。そっか、忘れてた」

 

 忘れていそうだなと思った。きっといつもは円香ちゃんが起こしているのだろう。そこまで知っていたのだから、もっと早く気がついていればもっと早く連絡して時間に間に合うように手を回せたかもしれないと思ってしまう。

 だからといって過去に戻れるわけではない。これからも同じような状況は何度も出てくるだろうから、次はちゃんと起こせるようにしよう。なんなら、朝のランニングという名目で起こしに行ってもいいかもしれない。

 

「と、とにかく早く来てね!」

 

「はーい」

 

 返事とほぼ同時に通話が終了する。

 

「雛菜ちゃん……は多分無理だろうなあ」

 

 無理だとは思いつつも、念のため雛菜ちゃんに電話をかける。

 

「やっぱり……」

 

 三十秒近くコールしたものの電話に出ない。多分起きすらしていないだろう。これが透ちゃんからの電話だと一瞬で出るのだから不思議。なにか特殊な電波でも送られているのだろうか。

 

「えっと……その……」

 

「ま、仕方ないわね。……今日はやめとく?」

 

「えっ」

 

 確かに四人のうち一人しかいないのだから効率は悪いだろう。それでも……いや、だからこそ一人でレッスンを受けたかった。ずるいかもしれないけれど、みんなに追いつくにはみんな以上にレッスンを積まなければならない。

 もしかして怒らせてしまったかもしれない、失望させてしまったかもしれない。思わず俯いていた顔を上げてトレーナーさんの表情を伺うと、困ったような、呆れたようなため息をこぼした。

 

「冗談よ冗談。福丸さんが一番レッスンしたいのは知ってるから、やりましょうか」

 

「は、はいっ!」

 

 からかわれたことには気がついたけれども、それ以上にレッスンを受けられることが嬉しかった。今までと同じように、きっと今日も知らないことをたくさん教えてもらえるはず。それが楽しみで仕方なくて、嬉しくて仕方がなかった。

 

「よろしくお願いします!」

 

 ◇◇◇

 

 一人きりのレッスンが終わる頃に、ようやく透ちゃんと雛菜ちゃんがやってきた。二人がトレーナーさんに怒られているのを見て、今まで通りじゃだめなんだと改めて感じた。

 二人はトレーナーさんから宿題を出された。宿題といっても、次のレッスンまでに今日やった内容を覚えてくるようにというもの。補習と言った方が正しいかもしれない。

 

 レッスンが終わって、事務所の居間に戻ってくる。雛菜ちゃんの特等席ははづきさんが占領していたために使えなかった。頬を膨らませる雛菜ちゃんは、透ちゃんから撫でられることで機嫌を取り戻した。

 今日はレッスン後に打ち合わせという話だったので、こうして事務所に待機しているわけだけれども、もうレッスンが終わって三十分が経とうとしている。何もすることがない三十分は非常に長く感じる。この三十分の間に何度時計を見直したか分からないし、何度スマートフォンの画面を点けたかも分からない。

 

「戻りましたー」

 

 さすがに暇すぎるので、今日のレッスンを復習しようかと思ったちょうどそのとき、プロデューサーさんが帰ってきた。

 

「……」

 

 遅れて、円香ちゃんがやってくる。

 

「あーやっぱりクーラーが効いてる部屋は快適だー」

 

「お、お帰りなさいプロデューサーさん」

 

「おかえり」

 

「おかえり~」

 

 円香ちゃんを除く全員の挨拶を受けて、プロデューサーさんは改めて全員いることを確認するように見回す。

 

「さて、今日集まってもらったのは他でも……うわあっ!? はづきさん!?」

 

 言いながらソファーに座ろうとして、はづきさんの存在に気がつく。気づいていなかったらはづきさんの上に座っていたのだろうか?

 そんなシーンを見てみたくないと言えば嘘になる。はづきさんもプロデューサーさんも、どのような反応をするのか気になる。

 

「……あー、プロデューサーさん。おつかれさまですー」

 

 プロデューサーさんの声に目を覚ましたはづきさんは、プロデューサーさんに挨拶してから周囲を見回す。

 

「みなさんも、おつかれさまですー」

 

 若干呂律が回っていないけれども、状況を理解したのかソファーから起き上がり、事務机の前で座ると机に突っ伏して再び寝息を立て始める。

 

「はづきさんそこ俺の……まあいいか」

 

 いいんだ。

 この場にいた四人、口には出さなかったけれどもみんな同じことを思ったに違いない。

 

「いいんだ」

 

 訂正、透ちゃんが口に出しました。口に出さなかったのは三人です。

 はづきさんが起きてちゃんと仕事をしているところを見たことがないけれども、社会人というのはこんなに寝ていられるものなのだろうか。

 プロデューサーさんの態度からして、仕事はちゃんとこなしていると思うけれども、いつやっているのか。

 

「ああ、うん。まあ、いつものことだから」

 

 いつもこうなら、なおさらいつ仕事をしているのだろうか。

 興味本位で聞こうとした瞬間に、プロデューサーさんが本題に入ってしまったため聞くことはできなかった。今度本人にでも聞いてみよう。

 

「さて、気を取り直して。再来週の土曜日……九月の頭だな。ライブハウスでの初ライブが決まった!」

 

 プロデューサーさんがすごく嬉しそうに言うものだから、きっとすごいのだろうと思った。

 

「お~」

 

 そんな雰囲気に流されて、透ちゃんが拍手なんてするものだからこちらまで自然と手が動く。

 円香ちゃんの言葉が発せられるまでは。

 

「二週間って、随分と急なんですね」

 

 週に三、四回のレッスンで二週間。きっとそのうち一回はリハーサルにあてられるのだから多くても七回。曲はいま練習しているノクチルの曲でいいとしても、まだ一度もちゃんと通せたことがない。それをたったの二週間で、たったの七回のレッスンでこなして本番を成功させろと言うのだから、急だという話にもなる。

 

「それに関しては……すまない。時間の確保に手間取っちゃって」

 

「御託は結構ですけど、本当に二週間で……」

 

 隣で立ち上がった円香ちゃんは、ふと我に返ったように周りを見渡す。まるで、プロデューサーさん以外の人がいると困るかのような反応に見えた。

 

「……はあ」

 

 そして、ため息と共にソファーに沈んでいった。

 

「ま、大丈夫じゃない? いまでもそこそこできてるんだし」

 

 と、お気楽そうに透ちゃん。ここから先が大変なのだと思うけれども、ある程度の動きはできているのだから大丈夫かもしれない。それに初めてのライブなのだから、多少の失敗くらいは許してもらえるだろう。

 

「雛菜は楽しければいいよー」

 

 いろいろと不安要素はあるものの、きっと大丈夫。この前のラジオ収録だってうまくいったのだから、きっと大丈夫。

 

 ◇◇◇

 

 一週間、ライブの告知を受けてからこれまでに行ったレッスンの回数は四回。今日は五回目のレッスンで、アンティーカのみなさんとの合同レッスンとなっている。

 合同レッスンといっても、実際のライブで一緒に歌ったり踊ったりするわけではない。当日の段取りを、本番を想定しながら確認するのがメインとなっている。

 ノクチルとしては、歌もダンスもそこそこ形になってきたように思う。思っていた。

 

「すご……」

 

 誰が漏らしたかわからない。自分かもしれないし、違うかもしれない。ただとにかく、誰かが漏らした言葉。

 アンティーカのパフォーマンスは、想像を大きく超えていた。個々で見れば軸がぶれていたりステップが小さかったりと指摘はできるだろう。

 

 それはあくまで個人として見たときの話。アンティーカとして見たとき、その指摘は一体感へと変わる。

 揃っていないのに、揃っている。誰かの軸がぶれていても、全体がそれを補ってミスは個性へと変わる。

 

「さくやん、さっきの動きだとステージはみ出しちゃうんじゃない?」

 

「ああ、確かにそうだね。完全に失念していたよ」

 

 咲耶さんは言うと、反対側に立っている摩美々さんの方を向きながら少しずつ後ろに下がる。

 

「恋鐘がそこで、摩美々がそこだから……この辺かな?」

 

 首を左右に揺らしながら見る角度を変えて位置を微調整……していることに気がついた摩美々さんが、ゆっくりと霧子さんの方に動いていく。

 

「私がここだと~?」

 

 そう言いながらも霧子さんの方へと移動し続け、とうとう手が触れる位置まで近づいてしまう。

 咲耶さんはそんな摩美々さんに困ったような表情を向けながらも、結華さん、恋鐘さんを見ながら再度位置を確認する。

 

「ああ、あの会場ならここで大丈夫なはずだよ」

 

 そこまでの会話でようやく気がつく。今いるこの場所と本番の場所ではステージの広さが違う。

 歌いきること、踊りきることばかりに意識が向いており、本番の想定が一切できていなかった。今は周りとの距離感のみで配置を考えていて、ステージの大きさや見せ方は考えていなかった。

 ステージ上で最適な配置をするためには、情報が足りない。

 ノクチルは初めてのライブで初めての会場なのだから、ステージの横幅も奥行きも分からない。

 

「あ、あの!」

 

 分からないときは、聞けばいい。知らぬは一生の恥というのだから、恥じる前に、失敗する前に聞いておかなくてはならない。

 

「どうかしたかい?」

 

 真っ先に反応してくれたのは咲耶さん。他の四人の視線もこちらに向いていて、緊張で真っ白になりそうな思考をなんとか繋ぎとめる。

 

「え、えと、わたしたち初めてのライブで……その……」

 

 聞かなければいけないことは分かるのだけれども、失礼ではない言葉選びをしようとすると、言葉が出てこない。

 

「ああ、なるほど。ようやく合点がいったよ」

 

 何かを察した咲耶さん摩美々さんに目配せをすると、わたしの肩に手をのせた。

 

「プロデューサーが合同レッスンなんていうものだから、何かあるとは思っていたんだ。さ、こちらへ」

 

 肩から背中へ、背中から腰へと伸ばされた手には、自然と歩き出せるようにゆっくりと力が込められていく。それに従うように足を動かすと、込められた力が少しだけ抜かれていく。

 先ほど咲耶さんが立っていた位置まで移動すると、腰にあてられた力は完全になくなった。

 

「ここ……です」

 

「ひななんはここねー」

 

「ひななんって呼ばれたの初めてかも~」

 

 見れば、透ちゃんたちも立ち位置に誘導されていた。

 

「んー」

 

「ん」

 

 摩美々さんの呻きにも近い声に何を感じたのか頷いた透ちゃんは摩美々さんの指した場所に立つ。

 

「うちにもなんかさせんね!」

 

「こがたんはあと二歩くらい後ろかなー?」

 

 恋鐘さんは言われたとおりに二歩下がると、その左右に均等になるように結華さんと霧子さんが立つ。

 そして、左右の壁から少し離れた位置に咲耶さんと摩美々さんが立っている。

 

「いま私たちがいるあたりがステージの端だよ。手を伸ばしても当たらないくらいの範囲で踊れば大丈夫だと思うけれど」

 

 思っていたより狭く感じた。

 咲耶さんが隣にいるからかもしれないけれど、隣にいる円香ちゃんがやたらと近く見える。手を伸ばしてぎりぎり当たらないくらいだろうか。それに、なんというか少しだけ窮屈にも感じる。

 

「もし窮屈なら……」

 

 咲耶さんは言いかけて、止まる。それから少しだけ位置をずらして全体を眺める。

 

「……いや、これは大丈夫かな」

 

 何を言いかけたのか気になったけれども、言う必要がないなら言及する必要もない。

 

「それじゃ三峰たちここに立ってるから、そのまま練習してみよっか」

 

「えー、休憩はー?」

 

「雛菜も休憩にさんせ~」

 

 休憩もなにも、ノクチルはまだなにもしていない。強いて言うならば、今しがた立ち位置の確認をしたばかり。

 明らかにこれからレッスンをするはずだった空気は、雛菜ちゃんのひと言でがらりと変わってしまう。わたしはこの空気の中で意見を言えるほど強くはない。

 

「五分」

 

 透ちゃんは、それができる人だった。

 

「五分だけ、しよっか。休憩」

 

 みんなが戸惑い何も言えない中で出された提案は、誰ともわからないため息とともに承認された。

 

「まあ、五分なら……」

 

 気のせいかもしれないけれども、一番最初に休憩を所望したはずの摩美々さんがこの中で一番困惑していたように見えた。

 

 それがどうしてなのか、結局今日のレッスンが終わっても理解することはなかった。




人に聞くのが嫌すぎて聞かなくてもなんとかなるような立ち回りを覚えてしまいました
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