福丸小糸は失敗れない   作:300円

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紫の光を身に受けて

 アンティーカとの合同レッスンが終わった。短いように思っていた三時間は、アンティーカと交代でレッスンを行ったにも関わらずいつもよりずっと長く感じた。

 

 理由は明白で、慣れと焦り。

 いつものレッスンよりも少しだけ狭い配置。何度か円香ちゃんともぶつかってしまったのは、いつもどおりにしか動けないから。

 

 アンティーカの人たちはまだ一週間あるから慣れればいいと言ってくれたけれども、もう一週間しかない。レッスンにあてられる時間は多くとも十時間程度。その短い時間でこの一ヶ月程で培った感覚を修正しなくてはならない。

 

 時間がないという焦りは、レッスンの休憩を取るたびに加速した。ノクチルが休憩を取るということは、その時間はアンティーカのもの。そのたびにあの目を奪われるような一体感を見せられてしまえば焦りもする。この人たちと一緒にステージに上がるのだから、足を引っ張らないようにしなければならない。

 

 その焦りとは別に、正体のわからない違和感がレッスン中につきまとっていた。

 この違和感は今回に限ったことではない。今までのレッスンで何度も感じていたもの。今までは気のせいと言われれば納得できる程度の違和感だったけれども、今回のレッスンで間違いないものになってしまった。

 

 同じ違和感を透ちゃんたちが持っているかは分からないし、違和感の正体もわからないので確かめようもない。

 

「透先輩~アイス買って帰ろ~?」

 

「いいね。行こっか」

 

「え、ちょっ、ちょっと!」

 

 レッスンが終わってすぐに帰ろうとする二人を呼び止める。

 このままではきっといけない。アンティーカの人たちはもう帰ってしまったけれども、わたしたちは……ノクチルはまだまだ課題が残っているはずだ。

 

「どうしたの、小糸ちゃん」

 

 呼びかけに振り向いた透ちゃんと雛菜ちゃんの表情から察するに、きっと二人はこの違和感に気づいていない。そして、それが危険だとも認識していないだろう。

 

「まだ、もうちょっと練習、していかない?」

 

 しかし、この言葉に対する返答は予測できていた。できていたけれども、予想を裏切ってくれると期待してわずかな望みに賭けた。

 

「雛菜、今はレッスンよりもアイスの気分かな~」

 

 しかし、その望みが叶うはずがない。返ってきたのは予想通りの返答で、その先どう受け答えするかも考えていない。いや、考えたところでこの考えを押しつけることなどできない。

 これはあくまでわたしが感じている違和感で、確かなものではない。具体的になにがどうおかしいのかなども説明できない。そんな状態で何かを言い返せるわけもなかった。

 

「うん、明日でいいんじゃない?」

 

 透ちゃんがこう言ってしまうから、この話はこれで終わる。

 誰が決めたことでもないけれども、そうなのだから、そうなのだ。

 

「う、うん……そうだよね……」

 

 納得はできていない。けれども、明日があるということもまた事実。今日答えが出なかったとしても、一度家に持ち帰ってリラックスして、明日になればなにか分かるかもしれない。

 

 透ちゃんも雛菜ちゃんも円香ちゃんも違和感を持っていないのなら、それはきっとわたしの実力が足りていないから。みんなには実力があるから違和感を抱くことはなく、わたしには実力が足りないから違和感がある。

 

 やらなければと思った。だから、ひとつだけ嘘をつく。

 ついこの間まで苦しめられていた嘘を、今度はプロデューサーさん相手ではなく、ずっと一緒に過ごしてきた友達に対して。

 

「今日、トレーナーさんから借りてた本返さなきゃだから、みんな先に帰ってて!」

 

 本当はそんな予定はない。そもそもトレーナーさんが教材を貸したことなどない。どれもこれも譲ってもらった。これは、これから居残り練習をするための口実でしかない。

 

「ん、わかった。気をつけてね」

 

 透ちゃんは笑顔のまま片手を挙げてレッスン場から去って行く。雛菜ちゃんも円香ちゃんも、同じようについていく。

 

 その瞬間、中学時代を思い出した。

 

 ずっと孤独で、だれとも遊ばず、ずっと勉強ばかりしていたあの頃。

 同じ高校になって、またみんなと一緒にいられると思った。アイドルになって、もっとみんなと一緒にいられると思った。

 

 けれども、まだ足りないらしい。

 

 足りないのだから、頑張るしかない。私には人より何倍も頑張ることしかできない。それでようやく、みんなと並べるのだから。

 これからもずっと一緒にいられるとは思っていない。いつかはきっとまた離ればなれになってしまうのだから。だからせめて、そのときまではみんなと並んでいられるように。

 

「絶対、見つけなきゃ」

 

 しかし結局、ライブ当日まで何度かレッスンをしたけれども、最後まで違和感を見つけることはできなかった。

 

 ◇◇◇

 

 一週間もすれば、この違和感も気のせいだったのではないかと思えてくる。

 なにかが変な気がするのだけれども、これだけレッスンを重ねて誰からも指摘がないということは、気のせいだという可能性が高くなる。

 

 それにもうライブ当日で、本番まで三十分も残っていない。いまさら違和感がなにか分かったところで、直している暇はない。

 

 それに、リハーサルは結構上手くいったのだ。

 

 レッスンでは頻繁にぶつかっていた円香ちゃんと、ついにぶつかることなくリハーサルを終えることができた。本番も同じようにできれば、きっと大丈夫。

 

「小糸ちゃん、緊張してる」

 

「し、しし、してないよ!」

 

 リハーサルがうまくいったから、などというのはただ安心したいから。心の中ではさっきのリハーサルが本番だったならよかったのにと思っている。

 逆に、リハーサルでうまくいってしまったからこその緊張がある。うまくいったときの感覚があるからこそ、どうすればその感覚が掴めるかが分からない。

 

 透ちゃんには見栄を張ったけれども、本当は今すぐにでもここを出て行きたいくらいには緊張している。

 いっそのこと早く始まって、早く終わってしまえばいいのに。

 

「あはは、してるしてる」

 

 そんな見栄すらお見通しな透ちゃんからは、緊張のかけらもみられない。

 

「いいんだよ、いつも通りで」

 

 いつも通り。

 そう、いつも通りを積み重ねてきた結果が今回のリハーサル。ならばリハーサルと同じ結果をだすならば、いつも通りを積み重ねたいつも通りを、本番でやればいい。

 

 筋が通っているような通っていないような。すこしだけ無茶苦茶言っているような気もする。

 いつも通り、いつも通りを意識すれば。

 

「い、いつも通り……いつも通り……」

 

 なんて、そんなうまくはいかない。

 

 考えれば考えるほどいつも通りが分からなくなってくる。あのターンはいつもはどうしていたかとか、あのパートの声はどうやって出していたかとか、普段あまり意識していないところをどうやって意識すればいいのか分からない。分からないから、いつも通りも分からない。

 

 目を閉じて考えてみるけれど、頭に浮かぶのは分からないという言葉だけ。

 もう何が分からないのかすら分からなくなって――

 

「ちょっと」

 

「ぴぃっ!?」

 

 そんな思考を、円香ちゃんの声が遮る。

 目を開けると、手も足も震えていることに気がつく。心臓の鼓動も激しくなっていて、いつの間にか息も切れていた。

 

「気になるんだけど」

 

 クレームを入れられてしまった。

 確かに、円香ちゃんの隣でこれだけ震えていれば気になりもするだろう。

 

「う……ご、ごめんね」

 

「別に」

 

 円香ちゃんは再び手元のスマートフォンに目線を戻して、人差し指を下から上に何度もなぞる。

 

「小糸ちゃ~ん、リラックスリラックス~」

 

 椅子に座ったまま体を反らして、円香ちゃんの奥に座っている雛菜ちゃんを見る。椅子を大きく後ろに下げた雛菜ちゃんは、両手を前に伸ばして机に突っ伏している。

 

「この机ひんやりしててきもち~よ~」

 

「リラックスしすぎなのも問題」

 

 円香ちゃんは相変わらずスマートフォンを見ながら、大きくため息をつく。

 

「円香先輩も~……」

 

 と、雛菜ちゃんの言葉はそこで止まってしまう。

 

「雛菜ちゃん?」

 

「……」

 

 声をかけてみるけれども、返事はない。

 慌てて立ち上がって、雛菜ちゃんの肩を揺する。

 

「ん~。……アイスつめた~い」

 

「もうすぐ本番だから寝ちゃだめだよ雛菜ちゃん!」

 

 揺する力を大きくすると、ようやく雛菜ちゃんの瞼が開く。そのまま首をゆっくり回してこちらを見る。

 

「もう出番~?」

 

「ま、まだだけど――」

 

 言葉は控え室のドアがノックされる音で遮られる。

 

「ノクチルさん、準備お願いしまーす」

 

「あ、はーい」

 

 知らない声に応答したのは透ちゃん。相手は知らない声だけれども、きっとスタッフさんだろう。

 

「じゃ、行こっか。初ライブ」

 

 そう言って立ち上がると、一度だけ目配せをしてから入り口へと向かう。

 円香ちゃんも雛菜ちゃんも、何も言葉を返すことなく透ちゃんについていく。もちろん、わたしも。

 透ちゃんについていけば楽しいことが待っているのは知っているから。それがたとえ失敗するかもしれないライブでも。

 

 ――あれ、緊張。してない?

 

 自信はないけれども、少なくとも体の震えは止まっている。心臓はまだうるさいけれども、嫌な感じはしない。

 手を胸にあてて、深呼吸をする。少しだけ、鼓動が収まった気がする。

 

「小糸、置いてくよ」

 

 円香ちゃんの呼びかけで、無意識に止めてしまった足を再び動かす。

 みんなと一緒なら、きっと失敗しない。そう信じて。

 

 ◇◇◇

 

「みんなお疲れさま」

 

 本番は、リハーサル以上にあっという間だった。

 ステージに出て、透ちゃんがなにかを喋っていた気がするけれども、ぼんやりとしか覚えていない。

 

 ただただ必死で、緊張する暇さえなかった。頭が真っ白のまま、やるべきことをやった……はず。

 そのあとの歌唱も、ミスがあったかどうかも覚えていない。ただなんとなく、ステージから見た客席がペンライトでキラキラしていて綺麗だなあと思ったことは覚えている。

 

 ノクチルと入れ替わりでステージに出て行ったアンティーカの人たちはなにやらお喋りをしているけれども、笑い声や歓声はここにも聞こえてくる。

 

「あは~、すっごいキラキラしてた~」

 

「ね、綺麗だった」

 

 やはりみんなあの光景は印象に残っているようだ。

 

「ああ、みんなよくできてたと思うよ」

 

 舞台袖で見ていたプロデューサーさんが言うのだから、きっと大きな失敗はなかったのだろう。

 

「紫一色でしたけどね」

 

「それはまあ……あくまで前座だからな」

 

 観客の人たちはあくまでアンティーカを見に来ている。今日のライブではノクチルが出てくるという告知すらされていない。

 あくまでアンティーカが出てくる前に場を暖める立場なのだから、ノクチルのイメージカラーがなくても仕方のないことだとは思う。

 

「次はちょっとくらい増えるんじゃない?」

 

 今日この会場に来ているのは数百人程度。少なくともそれだけの人たちにノクチルを知ってもらえただけでも、今日は収穫があったと言えるのではないだろうか。

 だから次はきっと、少しはファンの人が来てくれると……。

 

「あ、あれ。次ってもう決まってるの?」

 

 透ちゃんの口ぶりが、あまりにも当然のようだったから受け入れてしまった。けれど、そもそも次のライブがあるという話はまだ聞いていない。

 今日の記憶はほぼないので、今日の打ち合わせで言われていたとしたら忘れているだけかもしれないけれど。

 

「え、知らないけど。あるんでしょ、次」

 

 透ちゃんも知らずに、それでも次があることが当然だと思っていただけの様子。

 四人の注目が集まる中で、プロデューサーさんは少しだけなにかを悩んでから口を開いた。

 

「ああ、あるよ。近いうちにね。でもその打ち合わせはまた今度。今はもっとしなきゃならないことがあるだろ?」

 

 しなければならないこと?

 

 なんだろう。早く控え室に戻って帰る支度をすることだろうか。もう出番は終わっているはずなので、それほど急ぐような用事はないと思っていたけれども。

 

「えー反省会ー?」

 

 なんとなく嫌な雰囲気を察したのか、雛菜ちゃんが不満を漏らす。そんな雛菜ちゃんに対して、苦笑しながらプロデューサーさんは続ける。

 

「反省会してもいいけど、それもあとで、かな。ほら、もうすぐアンティーカの曲が始まる。参考にしろとは言わないけど、見てなにか感じたなら、きっとそれがみんなにとって足りなくて、目指すべきところだから」

 

 プロデューサーさんが指をさすと、ちょうどステージが暗転していた。

 

 これからアンティーカのライブが始まる。トークとはまるで雰囲気が変わって、冷めかけていたはずの雰囲気が一気に暖まっていくのを感じる。

 

 次の瞬間、スポットライトが五人を照らし、重々しい雰囲気のシンフォニックな楽曲と共に、会場は熱気に包まれた。




緊張したときは、とりあえず緊張しているということを受け入れて緊張をほぐしています

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