初めてのライブ……前座だったけれども、初めてのライブには変わりない。そんなライブが終わって、ほぼ一週間が経った。ラジオの放送もあったことだし、もしかしたら学校で少しくらいは話題になるのかななんて思っていたけれども、現実はそれほど甘くなかった。
考えてみれば当然のこと。ラジオの放送は授業中だったし、ライブだってアンティーカのファンしか来ていない上に、アンティーカを目的としてきているのだから前座などそれほど記憶には残っていないだろう。
だから、わたしたちの日常はいつも通り。
いつも通り雛菜ちゃんが寝坊して、いつも通りお昼ご飯を一緒に食べて、いつも通り一緒にレッスンに向かう。
この事務所に来るのもいつの間にかいつものことになってしまった。まだアイドルをはじめて三ヶ月程度で、ここに来ている回数も毎週三回か四回程度なのに、最近は帰りに直接家に向かうことに対して少しだけ寂しさを感じるようになっていた。
そういえば、あの日……プロデューサーさんが家にやってきた日以降、またお母さんとはあまり話していない。とはいえ、それもいつも通りといえばいつも通り。そもそも今まで話す回数が少なすぎたのだから、たった一回話し合った程度でたくさん話すようになりました、なんてことは起きえない。
しかしながら、アイドルを続けていることに対して何も言われていないというのは、少しだけ意外だった。門限に遅れるなんてことはもちろんないけれども、それでもギリギリになることは何度もあった。その度になにか言われるのではないか、制限を厳しくされるのではないかと不安に思っていたけれども、良い方向でも悪い方向でも何も言われることはなかった。
そして今日も、門限にはギリギリになりそうだった。学校が終わって事務所に着くのが四時過ぎ、そこから休憩を入れつつ二時間レッスンをすれば六時を過ぎる。普段ならここで帰るので門限である八時には随分と余裕がある。みんなで寄り道することだってできる。
けれど今日は、レッスン後に打ち合わせをするということを事前に知らされていた。こういう日の帰宅時間はだいたい八時近くになってしまう。なんどかプロデューサーさんに車で送ってもらったこともあった。
今日の打ち合わせはなにを話すつもりなのだろうか。もしかしたら、前回のライブでファンの人たちが一気に増えて次のライブが……なんて、上手くいくわけはないか。
「――というわけなんだけど、オーディションと本番、日程的に大丈夫かな?」
「雛菜は大丈夫~」
変な妄想をしていたせいか、プロデューサーさんの話を完全に聞き逃してしまっていた。
周りを見ても、もちろん打ち合わせ中に妄想に耽るような人はおらず、みんななにも言わずに頷いている。
こうなってしまうと、なかなか「聞いていませんでした」とは言い出しづらい。かといって聞かなければなにも分からないというもの。聞かなければならない、けれども聞き出せないまま視線を泳がせていると、隣に座っていた円香ちゃんが小さく身を乗り出す。
「また随分と急な話ですね。ゴールデンタイムのオーディションなんて、倍率も高いのに。たった一週間でその準備をしろだなんて」
「俺もそう思うよ。ただ、失敗しても受けられるなら受けた方がいいと思ったんだ。正直なところ、デビューして一年にも満たないアイドルが踊っていいとものオーディションに出られること自体が奇跡みたいなもんだしな」
踊っていいともといえば、わたしも知っている。ゴールデンタイムに放送される歌唱番組。人気急上昇の新人から大御所のベテランまで多くの有名人が出てくる番組だ。
まだ人気も出ておらず、ついこの間初めてのライブを終わらせたアイドルが出ていい番組ではない。
283プロダクションという事務所の力なのか、それともプロデューサーさんの手腕がすごいのか。要因を考えていると、プロデューサーさんの目線がこちらに向いていることに気づく。
「小糸がこの前やったラジオ。あのディレクターさんが推薦してくれたんだ」
ラジオのディレクターさんといえば、あの怖そうな顔を気にしている小島さん。まだ数回しか会っていないし、それほどお話もできていないけれど、状況からするにどうやらラジオのお仕事も上手くできていたようだ。
「彼は踊っていいともには関わっていないんだけれど、まあ業界の横の繋がりって広いからね。噂もすぐに広がるし、円香のモデルの話ももう知られていたよ」
円香ちゃんの……モデル?
そんな話は聞いたことがなかった。
「え、そんなことしてたの」
どうやら透ちゃんも雛菜ちゃんも知らない様子。
もともと円香ちゃんは自分の仕事の話をしなさそうではある。それにモデルということはなにかの雑誌のモデルだろう。円香ちゃんが載っていると知っていれば話は別だけれども、ファッション誌なんてものに縁はほとんどない。
そして当人である円香ちゃんは、まるで苦虫をかみつぶしたかのような顔でプロデューサーさんを睨んでいた。知られたくなかったのだろう。
そしてその視線をものともせず、プロデューサーさんは続ける。
「一週間は確かに短いけど、この前ライブを成功させたこともある。大変かもしれないけれど、一緒に頑張っていこう」
プロデューサーさんもこの前のライブは成功だと思ってくれている。
アンティーカの前座ではあったけれども、前座としての役割はしっかり果たせていたはずなのだから。同じようにオーディションに臨めばいいはず。いや、それどころか一週間のレッスンを経てのオーディションなのだから、この前のライブを超えるような仕上がりを出せるはず。
「うん、がんばろ」
「じゃあ雛菜も頑張る~」
珍しくやる気を見せている透ちゃんと雛菜ちゃん。それに対して、ため息をつきながら頭を抱える円香ちゃん。
「雛菜あの番組好きだから、雛菜も出たい~」
ああ、確かに透ちゃんも雛菜ちゃんも踊っていいともは好きそうだ。きっと毎週欠かさずに見ていることだろう。アイドルになったのだから、そんないつも見ている番組に出たいという思いも分かる。
それはわたしも一緒だった。毎週見ているわけではないけれど、これだけ大きな番組に出られればきっと人気も出る。そうすればアイドルは難しいなんてことを言っていたお母さんも少しは見直してくれるはず。
プロデューサーさんは失敗してもいいなんて言っているけれど、そんな考えはない。受けるからには、絶対にオーディションに合格するつもりで挑まなくては。
◇◇◇
オーディションまであと三日。プロデューサーさんからオーディションの話を聞いてから四日が経った。
オーディションに向けてほとんど休むことなくレッスンをしているけれども、それは致し方がないこと。
ダンスも歌もまるで素人で、ゼロからのスタートをしているのだから、みんなに追いつくにはみんなの何倍もレッスンをこなす必要がある。
だから、ノクチルとしてレッスンがない日でもこうして事務所に来ては練習をしている。朝一番、日が昇りはじめるくらいの時間にレッスンに行こうかとも考えたけれど、そんな制限の穴を突くような行動を取っていては、制限をきつくされてしまうだけだという結論に達して諦めた。とはいえ、学校に行く前に軽くランニングと、近くの公園でダンスの練習はしているけれども。
283プロの先輩たちは仕事で忙しいようで、レッスン場はいつも空いている。ごく稀に人がいた場合は隅だけ貸してもらっている。公演で一人踊っているのもいいけれども、大きな鏡があると自分の動きがよく見えるし、なによりもミスに気づきやすい。
一人でレッスンすることにはデメリットもある。
みんなと一緒にいられないこともそうだけれども、それよりも怖いのは門限の存在。
レッスン場には時計があるものの、鏡とは反対側についているし、集中していれば時計を見る余裕もないので気づけば門限が迫っている、なんてこともしばしば。
そういうときは、いつも事務所にいるプロデューサーさんにお願いして車で送ってもらっている。
「そ、その、ごめんなさい」
後部座席に座って、車が走り出して少ししてからプロデューサーさんに謝る。
プロデューサーさんはルームミラー越しに目を合わせてから、再び前を見る。
「なにか壊しちゃった?」
仮に何か壊したとして、プロデューサーさんは怒るのだろうか。理由にもよるだろうけれど、レッスンで使用していたものだったり、ちゃんとした理由があれば怒らないだろう。
それはそうとして、今回謝罪した理由は別だ。
「毎日送ってもらっちゃって……その、迷惑……ですよね」
最初はこれも仕事のうちだからと言ってくれていたけれども、それもこう毎日続けば仕事にも支障がでることだろう。
わたしはこれで家に帰れるけれども、きっとプロデューサーさんはこのあと事務所に戻って送り迎えをした分の時間だけ遅くまで仕事をしていくのだろう。
「ああ、そういうことか。それは気にしなくてもいいんだ。これも仕事のうちだから」
そう言ってくれることは嬉しいけれども、やはりどこか後ろめたさがある。
ならば時間に余裕を持ってレッスンを切り上げればいいのだけれども、集中してしまうと周りが見えなくなるようで、毎回プロデューサーさんに時間だと教えてもらっているのが現実だ。
「そういう条件……ですもんね」
アイドルを続ける条件として門限があるのだから、守らなければ続けられない。幸い今まで門限に遅れたことはないけれども、門限という制限ともいえる条件が、これほどまでに煩わしいとは思わなかった。
「うん、約束したもんな」
プロデューサーさんの言葉とともに、車が制動をかけ始める。前を見てみると、赤信号だった。交差点の先頭で待つこの車は、前を走っていた車と次第に離されていく。
目の前の横断歩道に今しがた人が通り始めたことから、ちょうど赤信号になったのだろう。
「それにな」
プロデューサーさんは再びルームミラー越しにこちらに視線を合わせる。
「頑張ってる小糸を見てると、俺も頑張らなきゃなって思うんだ」
「べ、別に普通ですよ。これくらい……」
「はは、そっか。それならよかった」
正直な事をいえば、頑張っていると思う。高校受験の勉強よりもずっと分からないことは多いし、時と場合でやることは全然違ってくる。
この前のライブだってそうだ。アンティーカの人たちから教えてもらえたからよかったのもの、ステージの大きさも分からずにライブ本番を迎えるところだったのだ。
「でもさ、無理はして欲しくないから」
苦笑いをしてから、再び視線を前に向ける。
「小糸はもしかすると、頑張ってるの見られるの、嫌かもしれないけどさ」
頑張っていると認めてもらえていることは素直に嬉しい。けれども素直に喜べることではない。
透ちゃんたちと一緒にいることが当たり前で、一緒にいられることが当たり前でなければならない。頑張ってようやくしがみついているようでは、いつか息切れを起こして追いつけなくなってしまう。
それに、みんなはきっと優しいから、わたしが頑張っていると知ったら止まってくれるだろう。でも、それはみんなに迷惑をかけていることに他ならない。だから、わたしが追いつかなければ。
「俺は知っておきたいから。小糸がどれくらい頑張ってるのかってこと。気が向いたときでいいから、こっそりと教えてくれると嬉しいな」
頑張っているという事実は変わらないけれども、頑張っていることは知られたくない。頑張っていることを認めて褒めてほしいけれども、頑張っているとは思われたくない。
矛盾していることは分かっている。かといって、どちらを割り切ることもできない。
でも、プロデューサーさんは教えて欲しいと言ってきた。きっと、わたしが言いたくないということを知って、それでもなお知りたいと言ってきた。
プロデューサーさんがどこまで気づいているのか分からない。全部かもしれないし、なにも知らないかもしれない。
だからちゃんと知ってもらいたいと思った。
まだ自分の中でも答えを出せていないこと、みんなに追いつかなければならないこと、そのために頑張っていること。
全部話したら、きっとプロデューサーさんは認めてくれる。一緒になって頑張ってくれる。きっとそうだって思った。
「プロデューサーさんは、わたしが頑張ってるって思いますか?」
「ああ、もちろん」
即答だった。
でもその頑張るというのは、わたしにとっての頑張る。一般的なものとは違う。ましてや、みんなの頑張るとは、まるで違う。
「だけど、わたしが頑張ってやっとみんなにとっての普通と同じなんです。だから、これは頑張ってるうちには入らないんです。これが……普通のことだから」
プロデューサーさんは一瞬だけルームミラーでこちらを見る。
「そんなこと……」
「みんな、すごいんですよ」
プロデューサーさんが否定してくれようとしたのを遮って続ける。
「ダンスも歌も、みんなすぐに覚えちゃって。円香ちゃんなんて最初のレッスンから褒められてたんですよ。昔からそうだったんです。小さい頃から、みんななんでもできて……きっと、特別なんです。わたしもそうなりたくて、いつも……」
そこで、今まで誰にも言ったことがないことを、プロデューサーさんに話そうとしていることに気がつく。
本当に話していいことなのか。これを認められたら、もしかしたら満足してしまうかもしれない。もう頑張れなくなってしまうかもしれない。
でも、プロデューサーさんは初めてちゃんと話を聞いてくれた人だから。わたしが頑張っている理由も知ってほしいから。
「一緒にいるはずなのに、ひとりぼっちになるんじゃないかって……だからわたし、全然よゆーなんです。そういうふうに、言ってないといけないんです」
「うん、そうか」
プロデューサーさんは首を左に振る。カチカチとウィンカーの音がして、車は大通りからゆっくりと路地へと入っていく。
「だけど、結果がどうであれ、小糸が頑張ったってことは絶対に変わらないよ。努力ができるってことも、才能のひとつ……特別なことなんだ。だから、その事実を、少なくとも俺だけは知っておきたいんだ。小糸はこれだけ頑張ったんだって、これだけ成長したんだって」
頑張ることが……特別なこと。
そんなはずがない。特別ではないから頑張っているのに、それが特別なことなんてはずがない。
でも、プロデューサーさんが言うと、本当のように思えてしまう。
出会ってからまだ半年にも満たないのに、きっと今までの人生で一番わたしのことを見ていてくれて、理解しようとしてくれている。そんな人の言葉を、そう簡単に否定することなどできない。
「小糸の頑張ったこと、頑張ってること、全部知って応援して……それで、できることがあればなんでもサポートしたいと思ってる」
「プロデューサーさん……」
この思いはずっと、誰にも知られないように胸の内に秘めておかなければならないと思っていた。隠しごとではないけれど、威張って言うことでは決してないから。
だからだろう。理解してもらえると言うことが、こんなに嬉しいことだとは知らなかった。
「そのために俺がいるんだからさ、なにかさせてくれると嬉しいな」
ちゃんと話を聞いてくれて、理解してくれて、その人がどう思っているかも教えてくれて。だから、プロデューサーさんの気持ちも大切にしたいと思った。
「も、もう。仕方ないですね! プロデューサーさんは……!」
いつかちゃんと成長したところを見せられるように、これだけ頑張ったんだって言えるように。わたしがではなく、プロデューサーさんとわたしが、いつか振り返ったときに。
いまはまだ、精一杯の背伸びを。
「わたしがいないと、何もできないですもんね……!」
新生活が始まった方も多いかと思いますが、ぼくも環境が変わったので一緒に頑張りましょう