福丸小糸は失敗れない   作:300円

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そして本番と、本番へ

「283プロダクションから来ました。ノクチルです。よろしくお願いします」

 

 透ちゃんの言葉に合わせて、目の前の三人にお辞儀をする。

 ついにやってきた踊っていいとものオーディション。プロデューサーさんの運転でテレビ局までやってきて、待つ暇も練習する暇もウォームアップする暇もなく収録スタジオへと案内された。

 観客席には審査員の三人と、プロデューサーさん。あとは見知らぬアイドルだろう人たちがポツポツと座っている。

 

「はい、まあ、ちゃちゃっとやっちゃって」

 

 審査員さんの一人が言った。

 

 その声からはとてもではないが、これから真剣に見ようという意思は感じられなかった。仕方ないから形式上この場にいる、といった様子。

 

 理由はなんとなく察することができた。

 プロデューサーさんがこのオーディションに落ちてもいいからと言っていたことも、オーディションまでの期間が異常に短いことも。283プロが、ノクチルが入る枠など元々なく、無理を言って作ってもらった枠なのだろう。だから予定よりも早く始まって、現場に来てから落ち着く暇もなくオーディションが始まって、審査員の人たちもめんどくさそう。

 

 これでは、落ちろと言っているようなもの。オーディションに合格する可能性などないに等しいではないか。

 こんなことなら、気がつかなければよかった。自分のことだけに集中して、いつも通りなにも知らないままにパフォーマンスを終わらせたかった。

 

 ――それならもう、いっそのことやらなければ……。

 

 無意識のうちに、助けてほしくて、視線を右に……みんなのいる方向へと向けていた。

 

「……っ!」

 

 みんなの表情は、まちまちだった。けれど、透ちゃんも円香ちゃんも雛菜ちゃんも、やめようという表情ではなかった。

 透ちゃんはただ楽しそうに、これから起こることが楽しいことだと分かっているかのように、審査員ではなくて会場を見ていた。

 

 円香ちゃんは呆れた表情を隠そうともせず、しかし表面だけは笑顔のままで。

 

 雛菜ちゃんはとても残念そうだった。見られていないことがではなくて、これから起こる絶対に楽しいことを見逃してしまうかも知れない人たちに対して、哀れんでいた。

 

 ――やっぱりみんな、すごいや。

 

 わたしだけが諦めようとしていた。

 みんな状況を理解しているはずなのに、やめようだなんて思っていない。そもそも、審査員を満足させようだなんて思っていないのだ。

 

 自分たちが楽しんで、それを見た人が楽しければいい。そういう考え方をしているのだ。

 

 わたしにそれができるだろうか?

 

 分からないけれど、いまはみんなを信じて。絶対に楽しいと思っている透ちゃんを信じてやりきるしかない。

 大きく息を吸って、ゆっくり吐く。

 

 それを見ていたのかは分からないけれど、ちょうど吐き終わったタイミングで透ちゃんが言った。

 

「じゃあ、はじめます」

 

 ◇◇◇

 

 奇跡的にか、それともこれが必然か。パフォーマンスは大きなミスなく終わった。

 初めての並びで、初めて見る景色だったはずなのだけれども、踊っている間はどのレッスンよりも安心感があった。

 

 手応えがあったかと言われれば、自信はない。

 オーディションはまだ始まったばかりで、これから何人もの人たちが審査員さんたちへのアピールをしていく。それがわたしたちと比べてどちらが上かなど分からない。

 

 曲が終わってスタジオを出ると、プロデューサーさんが追いかけてきた。

 

「おつかれ」

 

 第一声はそんな素っ気ない言葉だった。

 怒っているのかも喜んでいるのかも分からない。ただの機械的な言葉。

 それでもプロデューサーさんのなにかを揺さぶるようなものではなかったのかと思うと、少しだけ悔しい。

 

「並び順、いつ変えたんだ?」

 

 プロデューサーさんは今まで何度もレッスンを見に来ていた。見張り役とか保護者役程度に思っていたけれども、しっかりレッスンを見てくれていたようだ。

 

「昨日変えた。こっちのが私たちらしいからって」

 

 透ちゃんの声はいつも通りだったけれども、なんとなく悪い空気を察したのか少しだけ緊張していた。

 

「それなら俺にも相談してほしかったな。俺の見てるいつも通りとみんなの見てるいつも通りは別かもしれないけど、それも含めて知りたいから」

 

 プロデューサーさんの声に、怒りの感情は含まれていなかった。いや、いっそのこと怒ってくれたほうが楽だったかもしれない。

 

 

 こんなにも悲しい顔をされるくらいなら。

 

 

 ノクチルを担当するプロデューサーとして、寄り添いたいという立ち回りは今まで何度もあったはず。それなのに無視してしまったわたしたち……今回の件を言い出したわたしには、大きな責任がある。

 謝ろう。口を開いた瞬間、声を出すよりも先に声が聞こえた。

 

「ごめん。うん、分かった」

 

 どうして透ちゃんが謝るのか、一瞬理解に戸惑った。

 私が責任を感じているのと同じように、透ちゃんにもなにか思うところがあったのだろう。その気持ちを整理して、次の行動に移すまでがわたしより早かっただけのこと。

 

 でも、その思いはわたしのものとは違う。だから、わたしはわたしでやることがある。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 円香ちゃんも雛菜ちゃんも、何かを言うわけではないが、この空気の中で何も言わないこと自体が反省していることの意思表示かもしれない。

 

「……さてと!」

 

 プロデューサーさんは少しだけ目を閉じて、大きくいきを吸うと、パッと目を開けた。

 

「それはそれとして、この並びのほうがたしかにしっくりくるな! 昨日ってことはろくに練習もしてないのに成功させるなんて、すごいぞ!」

 

 プロデューサーさんの言うとおり、練習など全くしていない。完全にぶっつけ本番の勝負だった。

 

「やは~、やっぱり~?」

 

 どこに対してのやっぱりなのかは分からないけれど、雛菜ちゃんが嬉しそうなことだけは確かに伝わってきた。

 

「ああ、配置が換わるだけであんなに見え方が変わるんだな。勉強になったよ」

 

 腕を組みながらうんうんと頷くプロデューサーさんを見て、やはり何かが違うと思った。自分が言い出したことなのだから、どんな叱責も覚悟していたというのに、怒声の一つも飛んでこない。

 

 普通なら、きっと怒られているはず。わたしはあまり経験がないけれど、周りの人はそうだったから。普通でないことをすれば怒られる。それが普通のはず。

 

「あ」

 

 どうして怒らないのか、この場で聞くべきなのか迷っていると、透ちゃんの間の抜けた声に先を越されてしまう。

 

「練習ならしてたかも」

 

「そうなのか?」

 

 首を傾げるプロデューサーさんに対して、透ちゃんは自信たっぷりの声と表情で答える。

 

「何年も練習してきたやつだから、カンペキ」

 

 ◇◇◇

 

 オーディションの結果は合格……ではあったけれども、審査員さんたちの表情はあまりいいものではなかった。

 二番目以降のグループが、続けて大きなミスをしてしまったのだ。転んでしまう人もいれば、声が上ずってしまう人もいた。結果として失敗のなかったノクチルと、最近人気が急上昇しているアンティフォナというグループが合格となった。

 

 審査員さんたちが不服な原因は間違いなくノクチルだろう。飛び入り参加で、消去法で尺のために仕方なく選ぶのだから、番組に真剣な人たちからしたら納得行かない気持ちも分かってしまう。

 

「雛菜、帰りにケーキ食べたーい!」

 

 そんな事情を知ってか知らずか、雛菜ちゃんは車の中で跳ねる。

 

「揺れるんだけど」

 

 助手席には透ちゃんが座り、後部座席ではわたしが円香ちゃんと雛菜ちゃんに挟まれている。なので、雛菜ちゃんの揺れの影響をより強く受けているのはわたしなのだけれど。

 

「じゃあ円香先輩のケーキはなしね~」

 

「は?」

 

 円香ちゃんの視線を受け流しながらも不満の声を上げる円香ちゃん。表情を伺うと、眉間にシワが寄っている。これは冗談とかではなく、本当に不満なのだろう。

 

「あー、じゃあ明日、収録終わったらみんなで行くか」

 

 居心地の悪い空気に挟まれていると、プロデューサーさんが助け舟を出してくれた。

 

「明日があるから今日は抑えて、明日収録が終わってから食べに行こう。ほら、テストが終わったときみたいなさ」

 

「いいね、テストは今日だけど」

 

 五人で食べるとなると、どこがいいだろうか。二人がけか四人がけ、もしくはカウンター席が普通だから、五人となると少し探すことになりそうだ。

 

 ああ、事務所に持ち帰って食べてもいいかもしれない。それなら、以前お世話になったアンティーカさんたちにも買ったほうがいいだろうか。

 

「それはものの例えでだなあ。……まったく、油断も隙もあったもんじゃないな」

 

 そうそう、本当にそう。油断するとすぐに都合よく解釈されてしまうのだから、プロデューサーさんも気をつけたほうがいい。

 

「小糸ちゃ……」

 

 透ちゃんに呼ばれた。返事をしなくてはいけないのに、ものすごくめんどくさい。

 事務所まであとどれくらいだろうか。せっかく居心地がいいのだから、少しでも長くなるといいな。

 

「んぅ……」

 

「あ~小糸ちゃん寝ちゃってる~」

 

「小糸ちゃん見てたら私も眠くなってきたわ」

 

「じゃあ助手席交代な」

 

「え、じゃあ起きてる」

 

「静かにしたら?」

 

 もう少しだけ、この幸せな時間を、もう少しだけ。

 

 ◇◇◇

 

 目を覚ましたはず、というのは理解できた。視界から情報を得るより先に、体は息を吸うことを求めた。大きくいきを吸うと、高鳴っていた鼓動が少しだけ落ち着いた気がした。

 

 

 ――今日が……本番……

 

 

 昨日は帰りに車の中で寝てしまったようで、気がついたら家に着いていた。

 夜寝るときに急に緊張してきて、なかなか寝付けなかったはず……なのだけれど。

 

「もしかしたら夢だったかも……なんて思っちゃう」

 

 でも夢ではない。夢であってほしくない。

 昨日のオーディションも、これまでのレッスンも、プロデューサーさんと話したことも、お母さんと話したことも、全部本当のことであってほしい。

 

「ん、んー!」

 

 体を伸ばすと、ぼんやりしていた意識が一気にはっきりする。

 なんだか恥ずかしいことを呟いていたと自覚して、周りに人がいないことを確認する。誰かに聞かれていたら恥ずかしい。

 

 大丈夫。全部本当のことだから。

 

 つい数ヶ月前まであれほどまでに重かったドアノブは、今ではすっかり軽くなった。

 ドアを開けて部屋を出る。廊下に出て奥の扉を開ければ居間だ。

 

「お母さん、おはよう」

 

 

「おはよう、小糸」

 

 

 なんてことない、親子の挨拶。そのはずだが、この状況ではなんてことある挨拶。お母さんは洗い物の手を一度止めてこちらに振り向く。

 

 この数カ月で、お母さんとの関係は大きく変わった。

 

 そもそも、互いにちゃんと話し合わなかったから気まずかっただけで、お母さんの考えていることが少しだけ分かるようになったいまは、話しかけることに抵抗は少ない。それはきっと、お母さんも一緒なのだろう。

 

 まだなんとなくぎこちない関係だけれども、時間が経てば慣れてくると思う。

 

 自分の席に座って目の前に用意された朝食を食べていく。ご飯と鮭フレークとお味噌汁と冷たいお茶。ゆっくり食べながら、今日の予定を思い出す。

 

 一度事務所に行ってから、プロデューサーさんの車でスタジオへ。打ち合わせをしてから一時間の収録、もちろん生放送だ。実際の出番はほんの数分だけれど、収録の雰囲気も見ておきたい。

 お茶を飲み干して、茶碗を重ねていく。

 

「ごちそうさま」

 

 流し台の横に食器を置くと、お母さんの手が素早くそれを回収していく。

 

「今日の番組って、何時からだっけ?」

 

 お母さんの声は相変わらず平坦で、声から感情を読み取るのは難しい。けれど、この言葉はそれが透けて見えて、思わず苦笑い。

 

「七時からだよ。わたしたちの出番は半くらいからだと思うけど」

 

 もうこれで何度目だろうか。昨日オーディションに合格したと話してから時報のように聞いてくる。

 それだけ期待してもらえていると思うと、嫌とも思えない。だから毎回呆れつつもちゃんと答える。

 

「あと、帰りはご飯食べてくるから、晩御飯はいらないかな」

 

 少し前まで、晩御飯がいらないなんてことを言ったことはなかった。それまでには家に帰るものだし、外食は昼にするものだったから。

 

「うん、分かった」

 

 居間を出て洗面所へと向かい、顔を洗って歯を磨き髪を整える。それから自室で着替えてからかばんを持って玄関へ。

 

「それじゃあ、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい。がんばってね」

 

 ようやく聞けた返事は、まだ少しだけくすぐったい。

 

 ◇◇◇

 

「おかーさん、始まっちゃうよ?」

 

「洗い物終わったら――」

 

「そんなのあとでいいじゃん~」

 

 いつもより一時間早く夕食を済ませて、小糸が出演する番組を見ようと思っていた。けれど、慣れというのは恐ろしいもので、紗織に言われるまで忘れてしまっていた。忘れていたら忘れていたで、きっとご飯を食べながら見ていたのだろうけれど。

 

 夕食をなんとか早めに作り、食べ終えたはいいものの、片付けが間に合いそうになかった。

 紗織の言う通り、片付けは後回しにしよう。

 

 小糸のテレビ初出演は、今日しかないのだから。

 もちろん録画もしてあるし、ダビング用のBDディスクも買ってある。けれども、やはりリアルタイムで見たいものだ。

 

「そうね」

 

 洗っていたお皿を桶に戻して、手を拭いてからテレビの前に戻る。

 ちょうど番組と番組の間で、CMが流れていた。時計を見れば番組が始まるのはもうすぐ。たしか小糸の話だと、出番は三十分後くらいらしいけれども、その瞬間を見逃すわけにはいかない。

 

 そうして、普段見ていない番組を見続けること三十分。

 

『それでは登場していただきましょう。アンティフォナとノクチルのみなさんです!』

 

「あっ出てきた!」

 

 カメラはどうやら、アンティフォナというグループの方をメインで撮りたいようで、そちらが中心となっている。しかし、ここにいる二人の視線はその後ろをついてきている四人に釘付けだ。

 

「わあ、お姉ちゃんすっごいかわいい衣装」

 

 夏を連想させるような白を基調とした衣装。小糸はいつものように髪を後ろで二つ結び、緊張しているのか歩き方が若干ぎこちなくなっていた。

 

『アンティフォナのみなさんは、最近大分調子がいいみたいですけれど?』

 

 インタビューというか、質問もほとんどアンティフォナというグループが持っていっている。あくまで小糸たちはおまけという扱いのようだ。

 

 そのグループが歌唱を終わって、続けてノクチルの出番。

 画面がパッと切り替わって、四人が横に並んでいるところが映し出される。

 

 曲が流れ始めた瞬間。四人にスポットライトが当たる。

 

 いままで緊張していたのが嘘のように、キラキラと光を反射しながら踊り始めた。それを見て思い出したのは、小学生の頃のまだやんちゃな小糸。あの頃の眩しい、楽しそうな笑顔は、中学に入ると同時になくなってしまった。それがいま、テレビ越しではあるけれど、しっかりと確認できる。

 

「お姉ちゃん、楽しそうだね」

 

「ええ……」

 

 始まる前は、どうなるのかと不安でいっぱいだったけれども、いまの小糸を見ているととても安心できる。

 この笑顔を取り戻してくれたのがアイドルなら、あのプロデューサーなら、やはり私はそれを応援しなくては。

 

 まだ、小糸がアイドルをすることには不安がある。夜遅くなるのは心配だし、テレビにでていろいろな人の目に触れるのも心配だ。

 

 けれども、きっともう子離れする時期なのだろう。

 

 小糸はまだどんなアイドルになりたいか決まっていないと言っていた。なら、それが見つけられるように応援しよう。私の心配は、きっとあのプロデューサーがしてくれる。

 

「はあ~お姉ちゃんほんとかわいい~」

 

 気づけば、紗織が隣で蕩けていた。表情は緩みきって、軽く赤面している。紗織は小糸のことになると、たまにこうなる。

 

 私が小糸と話すのをためらっている間、何年も小糸のことを見続けてきた紗織だからこそ分かることもあるのだろう。かといってここまでになるのは異常かもしれないが。

 

「応援……しなきゃね」

 

「もっちろん!」

 

 小糸がなりたい小糸に、なれるように。

 




これにて3章が終了です。
小糸ちゃん誕生日おめでとうで感謝祭もおめでとうでおめでとうが足りないですね。
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