福丸小糸は失敗れない   作:300円

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分からないけれど、届いたかも

 問一

 四五度の斜面を滑り落ちる質量mの物体の時間tでの速度を求めよ。

 

 

 問ニ

 点Aから点Bまで、重力のみで最速で移動する軌跡を描け。また、この軌跡をなんと呼ぶか。

 

 

 問一はパズルだし、問ニは知識の問題。どちらも間違うことはない。今日学校で習っだばかりだし、入学してからすぐに予習したところだから。

 

 答えは頭で浮かんでいるのに、どうにも書く気が起きない。

 

「何が正解なのかな……」

 

 ため息をこぼしながら、シャーペンの芯を出したり入れたり。ペン先で削れた芯のクズがノートに落ちると、ため息で飛んでいく。

 

 今日は透ちゃんと円香ちゃんは一限だけ多いので、雛菜ちゃんと二人で事務所にやってきた。その雛菜ちゃんはといえば、わたしの膝を枕にして心地よさそうに寝息を立てている。

 

 踊っていいともの放送から一週間が経って、ノクチルの人気は一気に伸びた。元々他にあまりない名前ということもあるけれど、ネットで調べれば一番上に出てくるし、CMや他のテレビ番組のオファーももらえている。

 

 本来であれば、もっとはしゃぎ回っていてもいいのだろう。そうなれないのは、答えが出ないから。

 どうしてアイドルになりたいのか、どんなアイドルになりたいのか。どれだけ考えても答えは出てこない。

 

 アイドルを始めたのは透ちゃんたちと一緒にいたいから。アイドルにならなければ置いていかれてしまう気がしたから。せっかく頑張ってみんなと同じ学校に入ったのに、一緒にいられないなんて嫌だったから。そのために上手くもない嘘をついてまでして、アイドルを始めた。

 いまはその理由に後ろめたさを感じてしまっている。

 

 

『アイドルってのは誰かを笑顔にしたり、楽しませたりするためのものよ』

 

 

 その言葉が頭から離れない。それほどまでに衝撃的な言葉だったということと、衝撃を受けたということは、意識していなかったということ。

 

 あの人の言うとおり、アイドルは誰かを笑顔にしたり、楽しませたりする存在であるべきだと思う。わたしが今まで見てきたアイドルもそうだったと思う。

 自分の居場所を作るためにアイドルを始めたわたしは、これからどうしていけばいいのだろうか?

 

 それはプロデューサーさんから最初に出された課題とも繋がってくる。

 

 例えば雛菜ちゃんは分かりやすい。いつも言っているように、自分が幸せで、幸せな自分を見ている人も幸せなはずだと。実に雛菜ちゃんらしい考え方だと思うし、幸せということに人一倍敏感な雛菜ちゃんだからこそできることだと思う。

 

 透ちゃんはといえば、周りに対して何かしようという意思は感じないけれども、少なくともわたしたちは一緒にいて楽しいのだ。それが他人でも変わらないように思う。

 

 円香ちゃんは一番アイドルに向いていると思う。表情があまり動かないけれど、優しいし、歌やダンスだけではなくて、なんでもできてしまう。ただ、どんなアイドルになりたいのかなんてことはわたしには分からない。

 

 ではわたしはとなると、やはり分からない。

 そもそも、わたしはみんなではないのだから、正確な答えなんてものは分かるはずもない。

 

 なにか特別なことができるわけではないし、アイドルとして何かを成し遂げたいわけでもない。

 ただみんなと一緒にいたいというだけの理由でアイドルになったけれども、それだけならアイドルである必要なんてない。

 

「お疲れ様でーす」

 

 透ちゃんの声が聞こえて、慌てて時計を見る。気がつけば一時間近く経っていた。

 

 結局答えは出ていないし、宿題も進んでいない。

 

 結果として残ったのは、ただただ何もせずに過ごした一時間だけ。

 

 ◇◇◇

 

 

「みんな聞いてくれ」

 

 

 迷いに答えが出ないまま、二日が経った。レッスンにもいまいち身が入らず、予習もいつものようにうまく進まない。ずっと頭の隅で「どんなアイドルになりたいか」の問いがチラチラと姿を見せてくる。

 

「聞かせるために集めたんでしょ?」

 

 最近、円香ちゃんのツッコミが早く、鋭くなってきた気がする。

 そもそも、わたしたちに対するツッコミは早くて鋭いけれど、だんだんと近づいてきたように思う。

 

「まあそうだけど、改めてってことで……」

 

「早く言いません?」

 

 プロデューサーさんは軽くため息をつくと、わざとらしく咳払いをする。

 

「ラジオの収録オファーがあったんだ!」

 

 やはり、新しいお仕事の話だった。

 

 これも最近分かったことだけれども、プロデューサーさんは案外子供っぽいところがある。喜怒哀楽がはっきりしているというか、隠そうという気が感じられない。

 

 だから今日も、事務所に入ったその瞬間から何か話したいのだという雰囲気が溢れていた。

 

「しかも毎週土曜日公開だから、聞いてくれる人は多いと思うぞ!」

 

 単発としてではなくて、定期放送としての番組枠をもらえたということだろうか。

 それならば確かに、プロデューサーさんがこれだけ喜ぶのも納得がいく。

 

 番組枠を用意してもらえるということは、それなりに安定した人気を認められたということでもあり、新たなファンを獲得する機会をもらえるということでもある。

 

 休日公開ということも大きいだろう。平日はなかなか時間を確保できなくて、溜めているうちに聞かなくなってしまうなんて人も多いだろう。

 

「十五分の短い番組で、ネットラジオで、生放送ではなくて収録放送で、収録は二週間に一回。それも土曜日にある」

 

 プロデューサーさんは目を閉じて小さく息をつく。なにか覚悟を決めたような。

 

「さて、二週間に一回とはいえ、収録時間は三十分とはいえ、実際には移動時間や打ち合わせ時間も含めて二時間は取られると思う」

 

 プロデューサーさんの言いたいことがよく分からなくなってきた。

 今の言葉はつい先程意気揚々と発した言葉と同じ内容に聞こえた。少なくともそう受け取れた。

 

 

「ごめん、よく分からない」

 

 それはわたしだけではなくて、今ここにいる四人全員が同じ。

 ただ、はっきりと分かることは、プロデューサーさんはなにか言うのに躊躇っているということ。

 

「あー」

 

 プロデューサーさんは頬を掻くと、再び小さく息をつく。

 

「みんなの貴重な時間をもらうから、都合が悪かったり、遊ぶ時間が減るのが嫌なら断ろうかと思ってな」

 

 

「ふん」

 

 即座にプロデューサーさんの言葉をあしらうように笑って捨てたのは円香ちゃん。

 

「いまさらすぎません?」

 

 その言葉には、言葉通りの意味だけではなくて、了承の意も含まれていた。いままで確認されずともやってきたことを、いまさら確認しなくてもいいと。

 

「ラジオって言って雑談系?」

 

「そう聞いてる」

 

 透ちゃんの質問にプロデューサーさんが即座に答えると、まるで連鎖反応のように雛菜ちゃんが笑う。

 

「じゃあいつもと一緒じゃん~」

 

「ね、一緒だ」

 

 ラジオでの雑談と、普段からしている雑談はすこし違うかも知れないけれど、それでも雑談には変わりない。どうせ収録現場まではみんな一緒なのだから、二週間に一回みんなとお出かけするのだと思えばいままでと大して変わりはない。

 

「私は大丈夫だよ」

 

「雛菜も~」

 

「わ、わたしも!」

 

「問題ありません」

 

 だからこのラジオのお仕事を断る理由はない。

 むしろ、お仕事ももらえるし、みんなと一緒に居られる時間は増えるのでわたし個人としては大歓迎なお仕事。

 

「そっか、じゃあ先方にも伝えておくよ。初回収録は来週末の土曜日だけど大丈夫?」

 

「それ、断ってたらやばいやつじゃない?」

 

 いままでずっと、お仕事が決まってから一週間や二週間くらいで本番になることが多かったので少しだけ感覚が麻痺していたけれども、本来一週間後のスケジュールが今日知らされるなんてことは異常だ。

 

 踊っていいとも放送翌日にきたCMのオファーでさえ一ヶ月以上先のもの。一週間後なんていうのは、もう出演も決まっていて、打ち合わせも終わっているような状態でなければおかしいのだと思う。

 

「多分困ってたんじゃないかな。……いや俺だって昨日聞いたばっかりだからな? 別に情報を出し渋ってたとかじゃないからな?」

 

 なんだか言えば言うほどな気もするけれど、こればかりはプロデューサーさんを信用するしかない。というか疑ったところで答えなど分からない。

 

「昨日の夜突然小島さん……って、この前小糸が出たラジオの監督さんなんだけど、その人から電話があってさ。ものすっごい軽いノリで『どう?』って。そんな軽いノリの話じゃないんだけどな」

 

「う、打ち合わせとかはないんですか?」

 

 普通なら事前に打ち合わせがあって、そうでなくとももう少し詳しい話をプロデューサーさんとしてから本番を迎えるのだと思う。

 

「打ち合わせにわざわざ来てもらうのも大変だろうからってことで、資料を送ってくれるそうだ。多分今週末には届くと思う。向こうが作りたい番組のイメージはあるだろうから、それに合わせる形にできればと思ってるよ」

 

 なるほど、確かにそっちの方が効率がいいかもしれない。

 それに、小島さんなら一度会っているしなんとなくではあるけれども安心できる。

 

「他に質問があれば聞くよ」

 

「ううん、大丈夫」

 

 答えたのは透ちゃんだけだけれども、わたしからも特にはない。詳しい話は資料が来てからでも十分だろう。

 雛菜ちゃんと円香ちゃんも無言で問題ないことを示す。

 

「何かあったらその都度聞いてもらえばいいからね。……さて、じゃあ」

 

 プロデューサーさんは立ち上がって、事務机に移動すると、机の下に潜ってしまう。

 

「あだっ」

 

 机が揺れると同時に鈍い音が居間に響き渡る。

 

「大丈夫?」

 

「あ、ああ」

 

 プロデューサーさんは立ち上がると、肩幅よりも小さいくらいの段ボール箱を抱えて戻ってきた。

 

「実は、みんなにファンレターが届いてたんだ。一応変なものがないかチェックするために全部読ませてもらったことは先に言っておくな」

 

 プロデューサーさんは段ボールを机に置くと、輪ゴムで縛った手紙の束をそれぞれに配り始める。数はそれほどではなくて、一人あたり数通といったところ。箱で管理するほどの量ではないし、きっとこの箱にも随分とスペースが空いていただろう。

 

「おー、なんかアイドルっぽい」

 

「いや、アイドルでしょ」

 

 

 しかし、なんだかこの目の前に置かれたファンレターが急に怖く感じてくる。

 

 

 プロデューサーさんがチェックしたと言っていたから、きっと誹謗中傷のような内容はないと思うけれども、もしこれを読んで酷いことが書いてあったらどうしよう……なんて思ってしまう。

 

 そんな緊張を感じていないのか、雛菜ちゃんは何食わぬ顔でファンレターを束ねていた輪ゴムを外して便せんを開ける。

 

 そういえば今どき便せんなんて売っているのだなと思う。便せんの手紙どころか、はがきですらほとんど送ったことはない。最近はメールでほとんど済んでしまうから。

 

「……はあ」

 

 円香ちゃんから漏れたのは呆れのため息か、それとも覚悟を決めたか。手紙を手に取った。

 そんな円香ちゃんを見ると、視線の先でまだ手紙を手に取っていない透ちゃんと目が合った。

 

「なんか緊張するね、こういうの」

 

「う、うん…………う、ううん、へっちゃらだよ……!」

 

 少しだけ虚勢を張って、手紙に手を伸ばす。

 

 輪ゴムを取ると、届いていたのは三通。うち二通ははがきで、残り一通はかわいらしい封筒だった。

 封筒はやはりなんとなく開けるのが怖かったので、まずははがきから読んでいくことにする。

 

 どちらも手書きで書かれており、片方はかわいらしい絵も描かれている。

 

 一人はこの前のアンティーカのライブに来ていたようだ。フォーメーションが変わっていることに関して、わたしが端っこに行ってしまったのは残念だけれども、前よりもずっと格好よく、可愛く見えたのだそう。

 

 そう言ってもらえると、あのときみんなに立ち位置の変更を提案したのもよかったと思える。正直なところ、未だに少しだけ不安ではあった。

 

 もう一人は、踊っていいともを見てくれた人からだった。四人とも楽しそうで、歌っていないときは緊張しているのに、歌い始めたら四人の中で一番楽しそうにしていた姿に惹かれたと。

 

 緊張していたのがバレバレなのは少しだけ恥ずかしいけれども、こんなわたしを見て楽しんでもらえていたのなら、それはとても嬉しいことだ。歌っているときは無我夢中であまり覚えていないけれども、なんとなく楽しかったことは覚えている。ライブでもそうだったし、収録中でも楽しかった。

 

 なにより、わたしが何かをしたことで誰かの心を動かせたという事実がただただ嬉しい。

 

 

「……」

 

 

 さて、最後の一通。

 

 

 丁寧に封筒に入れられた手紙を取り出す。封筒は封が切られた跡が残っていたが、プロデューサーさんが中身をチェックしたからだろう。

 

「えっ……!」

 

 中身を取り出して、最初に目に入った名前に驚く。

 

 

 鈴木 湊。

 

 

 ファンレターに本名を書いてくる人はなかなかいないと思うのだが、今回はそのおかげで誰からの手紙か知ることができた。

 

 少し前に駅前で迷子になっていた子供。その子がファンレターをくれたのだ。

 

 もしやと思い、みんなの手元を見ると、それぞれ同じ柄の封筒を持っている。つまり、湊くんは四人全員に手紙を書いたということだろう。

 

 手紙に漢字はほとんどなく、字もとてもきれいとは言えない。けれども……だからこそだろうか、一生懸命さというか、頑張ってくれたのだという気持ちがより一層伝わってくる。

 

 手紙は二枚組だったので、一枚ずつ読んでいくことにする。とはいえ、内容はそれほど多くない。

 

 この前のお礼と、わたしが出ていた踊っていいともを録画で見たという報告だけ。字にも勢いがあって、元気よく書いたことが分かる。こんな手紙を書いていることから、お母さんからはそれほど怒られなかったのかなと思いながら、二枚目に目を通す。

 

 

「そっかあ、よかった……」

 

 二枚目は一枚目とは打って変わって、きっちりと整った字で、漢字も多く丁寧に書かれていた。そして同じように、この前のお礼と、踊っていいともについて書かれている。こちらは、湊くんのお母さんからのお手紙。

 

 私に言われたことを思い出して、湊くんと話し合う時間を作ったようだ。あのとき何を言ったか、もうすでに覚えていないけれども、きっと話を聞いてあげてほしいということを言ったに違いない。わたしがそうだったように、話し合わなければ不幸になると感じたから。

 

 そして、お母さんが想像しているよりも多くのことを湊くんは考えていて、それをたかが子供の言うことと聞き流していたことに気がついたと、そう書かれている。

 

 本来なら面と向かってお礼を言わなければと思っているけれど、手紙でごめんなさいとも書かれていた。

 

 あのときは必死で、何を言っていたか覚えていないのに、面と向かって話すのは少しだけ抵抗がある。嘘は言っていないだろうけれど、変なことを言っていていたかもしれないし、なんとなく責任を感じてしまう。

 

 それに、手紙のほうが余程手間がかかるはずなのに、わざわざ書いてくれたのだから、失礼などあるはずがない。

 

「あれ、小糸ちゃんは二枚なんだ」

 

 透ちゃんに言われて、再びみんなの手元を見てみると、どうやらお母さんからの手紙をもらったのはわたしだけのようだ。

 

「う、うん。湊くんのお母さんからだったよ……!」

 

「へー、なんて?」

 

「え、えっと……」

 

 湊くんのお母さんがわたしにだけ手紙を書いた理由を考えてみた。もしかすると他のみんなには知られたくない理由があるのかもしれない。

 しかし、答えは出なかった。読み直してみても、みんなに知られてはいけない内容はないと思われる。

 

「港くんとお話、したって。それで、仲直り……できたみたいだよ……!」

 

 仲直りという表現が正しいのかは分からないけれども、以前出会ったときの二人が、仲が良かったようには見えなかった。

 

「え、それだけ?」

 

 それ以上になにか望むことがあるだろうか……?

 

「こう、井戸端会議で広めました的な」

 

「あったとしても書かないでしょ、そんなこと」

 

 確かに、評判を広めてくれることは嬉しいけれども、今回はそういった内容ではないのだから、円香ちゃんの言うとおり仮にあったとしても書かれていないだろう。

 

「まあでも、よかったじゃん。ちゃんと仲直りできて」

 

「うん……!」

 

 わたしの言葉があったから、だなんてことは思っていない。まだ人生経験の浅いわたしにそれほどの発言力はないだろうから。

 それでも、わたしの言葉がほとんど関係なかったとしても、ほんの小さなことの、何かのきっかけになったのならば、それだけでも嬉しい。

 

 この気持ちを言葉にはできないけれど、心の中になにか温かいものが生まれたのを感じた。




得意教科は数学でした。
ちなみに問2はサイクロイドです
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