ラジオの収録が決まってから、あっという間に二週間が経った。正確には一週間と半分だけれども、今日がみんなでの、ノクチルでの初めてのラジオ収録であることには変わりない。
打ち合わせはなかったけれども、とても丁寧に作られた資料が送られてきた。丁寧だけれどもどこか緩いというか、ところどころふわふわした内容の資料は、どうやら番組監督の小島さんが作ったものらしい。
作家さんはやはり前回と同じく白鳥さん。知ったのはスタジオに入ったついさっきだけれども。
初対面の透ちゃんが小島さんを怖そうだと言って、落ち込んでいる小島さんをゲラゲラと笑っていたのもついさっきだ。
「お手紙だけど、この中から好きなのを二つか三つ選んでね」
そう言って、まだにやけ顔がとれていない白鳥さんが渡してきたのは、十枚ほどの紙の束。
「初めてなのにお手紙あるんだ」
今日は間違いなく初収録で、初放送はまだ迎えていない。そんな番組に手紙が届くことは不自然だ。
「事前にしてたでしょ、告知と募集」
「そうなの? 樋口詳しいじゃん」
「そういうこと。じゃああとはよろしくー。何かあったら指示出すから」
白鳥さんはブースを出ると、ガラス越しの、色々と機械が置いてある部屋へと移動した。
一つの机にヘッドホンとマイクが四つずつ。机を囲うように配置されている。
「なんか高そーだねー」
真っ先に椅子に座ったのは雛菜ちゃんで、次に円香ちゃんが反対側に座った。
「あはー、円香先輩の顔ずっと見えるー」
「隣だとうるさいだけ」
必然的に私と透ちゃんが反対側の席になった。
「これ、いくらするのかな」
それは興味本位なのか、それとも壊す予定でもあるのか。いや、前者だと信じよう。
座って、ヘッドホンをつけてみると、サーという小さなノイズとともに、遠くの方でなにか喋っといる声が聞こえてきた。
口の動きから円香ちゃんが喋っているのだと推測できたが、距離と音量が合っていないので違和感がある。
「あ、これでいいのかな?」
「ぴゃあっ!?」
突然、耳元で透ちゃんの声がした。
目の前のマイクに喋りかけたからだろう。どうやら会話はヘッドホン越しに行うようだ。
「あはー、透先輩の声が近い~」
そう言う雛菜ちゃんの声も相当近い。目の前にいるのだけれども、それよりももっと近い位置で会話しているかのようだ。
「あ、そうだった。お手紙、どれ読むか決めよ!」
紙の束が視界に入ったおかげで、今やらなければならないことを思い出した。
「じゃあ、回し読みして決めよ」
紙を手に取った透ちゃんはまずは一枚、円香ちゃんに渡す。
「先に浅倉が読まないとでしょ」
「あ、そっか」
手元に戻して、数秒。再び円香ちゃんに手渡す。
「早くない?」
「いや、短いって。見てみ?」
怪訝そうな表情で紙を受け取った円香ちゃんは、瞳を左右に数往復させると、わたしに渡してきた。
同時についたため息は、どこか気が抜けていたように感じた。
「まあ、ラジオだし」
◇◇◇
「そういえば、雑談って聞いてたんだけど、いざ雑談って何話そっか?」
「雑談だけってわけでもないでしょ。ほら、手紙読んで」
「あ、そうなんだ」
ラジオ収録が始まって、簡単な自己紹介が終わった。そして、変な間が少しだけ空いてから透ちゃんが笑いながら切り出した。
手紙を手に取った透ちゃんは、再び固まってしまう。
「と、透ちゃん?」
「名前、ペンネームだっけ?」
「ペンネームでもラジオネームでもいいんじゃない?」
「じゃあ、ペンネームのがかっこいいからペンネームで。ペンネームチルト製品さんから。アンティーカのライブを見に行ったら、楽しそうに歌っている四人を見て惹かれました。そのあとも踊っていいともに出演していて、これは慌てて追いかけなきゃと思いメールしました。あ、これメールだったんだ」
「どう見ても手書きじゃないでしょ」
「手書きだともっと嬉しいよ~」
「ひ、雛菜ちゃん、そういうこと言うと、送りづらくなっちゃわないかな?」
「あ~そうかも~。じゃあ、メールでも嬉しいよ~」
「えっと、四人とも他のアイドルとは違って、キラキラしてないなと思ったのが第一印象でした。それなのに、目が離せなくて、見ていると心が落ち着く人たちだと感じました。だって」
「これ褒められてるー?」
「ど、どうなんだろ……?」
「んー褒められてるんじゃない?」
「少なくともクレームではないでしょ」
「ならうれし~」
「あはは、単純だ」
「そ、そうそう、あれが初めてのライブだったんだよね!」
「まあ、前座だったんだけど」
「でもよかったじゃん。見てくれてた人、ちゃんといたし」
「うん、よかったよね!」
「あーでもさ」
「…………でも、なに?」
「いや、次のライブも見てほしいなって思った」
「それってー、小糸ちゃんのやつー?」
「ぴえっ……わ、わたし……?」
「そうそう、小糸ちゃんのやつ」
「え、え、わ、わたしなにかした……?」
「フォーメーションのことでしょ。ちゃんと言いなって」
「そうそう、それ」
「それ~」
「小糸ちゃんの提案で、あのライブからフォーメーション変わってるんだよね」
「テレビで流れたときはもう変わってたでしょ」
「でも、見てほしいじゃん、生で。あ…………でも、次のライブ決まってないわ」
「で、でも次……次あるもんね!」
「浅倉、時間」
「え、あ、やば。……ふふ、監督さんめっちゃ慌ててる」
◇◇◇
最初に軽く自己紹介をしたこともあってか、結局二通目のメールはあまり時間が取れなかった。
一人だと長いと思っていた十五分だけれども、みんなでの収録となるとあっという間に過ぎてしまった。
途中で透ちゃんが、思いっきりマイクに頭をぶつけていたり、それで笑い出した雛菜ちゃんがなかなか収まらなかったり。
「ね、ねえ……こんなのでいいのかな……?」
正直、ラジオとして聞けるものになっているのか不安でしかない。個人的には学校や事務所での会話を、そのまま持ってきたような感覚だったので楽しかったけれども。
「んー? 雛菜は楽しかったよー?」
「あ、もちろん……わたしも楽しかったよ!」
楽しかったけれども、耳にこびりつくように流れてくるのはあのときの言葉。
『あんたらだけが楽しむ場所じゃないの』
思い出すたびに、怖くなってしまう。
その言葉の意味が分からないわけではない。アイドルなのだから、見てくれる人たち……今回は聞いてくれる人たちを楽しませたり、喜ばせたりするのが仕事だ。
けれど、今回の収録でそれができていたかと言われると……正直分からない。
他人からの評価など言われなければ分からないのだから、当然のことかもしれないけれど、言われないからこそ不安にもなる。
「なんだか、いつもと変わらない気がして……いいのかなって……」
「いつも通りだし、いいんじゃない?」
いつの間にか俯いていた顔を上げると、透ちゃんと目が……合っていなかった。
透ちゃんの視線はわたしを通り越して、もっと奥を見ている。
振り返ると、ガラス越しに両手で大きく丸を描いている小島さんがいた。
「そもそも、そういうコンセプトの番組なんだし、ダメってことはないでしょ」
たしかに、生放送ではなくて収録なのだから、ダメなら止められているはずだ。
「ほら、呼ばれてるし、行こ」
見れば小島さんの横では白鳥さんが手招きしている。
透ちゃんは立ち上がって、そのままブースを出ていこうとする。
「浅倉、へ――」
慌てて円香ちゃんが止めようとしたときには、もう遅かった。
透ちゃんの首から、正確には首にぶら下がったヘッドホンから伸びているケーブルが、ピンと張る。
「ぐえ」
まるでアイドルとは思えない汚い鳴き声とともに、大きくのけぞる。
「……はあ」
円香ちゃんのため息と同時に、ガラス越しでも聞こえるくらいの笑い声が、反対側から聞こえてきた。
◇◇◇
「いやーよかったよ。いかにも日常って感じで」
ブースを出るやいなや、小島さんが嬉しそうに話しかけてきた。
透ちゃんに言われて安心していたものの、こうしてちゃんと結果を聞けるとさらに安心できる。
「でもさ、よかったの? こんな雑談ばっかで」
「えっ」
思わず透ちゃんを見るけれど、いつも通り何を考えているのかよく分からない表情の透ちゃんだった。
つい数分前……というか数十秒前にブース内で同じような問いかけをしたときにはいつも通りだからいいと言ってくれたのに。
「いやいや、単発のラジオならともかく、毎週流すものだからね。多少身内間が強い方がリスナーは喜んでくれるさ」
そう答えたのは、よく分からないボタンやらスライダーやらがたくさんついた機器の前で座っている白鳥さん。
「あーたしかに」
透ちゃんには思い当たる節があるのだろう。わたしはラジオだとかそういうものには少し疎いので、よく分からないけれども。
「それじゃあ、今回はこれでおしまい。来週からは二週間に一回、二回分ずつ収録していくからね」
そういえば、初回は簡単な打ち合わせも込みでやるから収録は一回分だけと、もらった資料に書いてあった気がする。
「はい、本日はありがとうございました」
「ありがとうございました」
プロデューサーさんが丁寧にお辞儀をしているのを見て、改めて小島さんと白鳥さんは偉い人なのだなと実感する。話しているとどうにも駄菓子屋のおじちゃんくらいの印象を持ってしまう。それくらいに態度というか、空気が軽いのだ。
「いやいや、こちらこそありがとう。ノクチル、なかなか面白いユニットだと思うよ」
白鳥さんは椅子から立ち上がると、軽く一礼。
「ところで、次のライブが決まっていないっていうのは本当?」
「え、ええ。お恥ずかしながら」
小島さんの問いかけに、苦笑しながら返すプロデューサーさん。
「そっかあ、もったいないなあ。次があれば絶対見に行くのに」
「小島さん、そんな余裕ないでしょ」
白鳥さんは笑いながら小島さんの肩を叩く。
踊っていいともの件といい、今回のラジオ番組といい、仕事をくれているのは小島さん。もしかすると、わたしが思っているよりもずっと偉くて、忙しい人なのかもしれない。
「そこはほら、現地調査的なやつで……ね? それに白鳥くんだって行きたいだろ?」
「そりゃまあそうですけどねえ」
そんなやり取りを、きっと他愛もないやり取りなのだと思いながら聞いていた。
しかし、プロデューサーさんの一言でこのやり取りに含まれた意味に気がついた。
「はい、ぜひお二人とも招待させていただきます!」
つまり、見たいから関係者席として用意をしてほしいと。そういうことらしい。
「あはは、ごめんね、そんなつもりじゃなかったんだけど」
「え、違ったの」
和やかだったはずの空気は、透ちゃんの何気ない一言で、一気に凍りつく。
世間を知らない自覚はあるけれども、いまの空気の変わりようは分かる。透ちゃんはきっと、言ってはいけないことを言ってしまった。
「あ、やば」
「すみません、悪気はないので」
流石に本人もその空気を感じ取ったのか、表情は変えずに小さく呟くと、円香ちゃんがすかさず謝る。
小島さんも白鳥さんも、プロデューサーさんさえも笑顔のまま固まること数秒。ようやく動いたのは小島さん。
目を閉じて、深くため息をついて、目を覆うように右手を顔にあてる。
「いや、うん。そうだね」
隣に立っていた白鳥さんは、再び椅子に座るとこめかみを抑えて俯く。
それから、また数秒。
合わせても十秒に満たないくらいの時間のはずなのだけれども、その時間は何倍にも感じられた。許されるなら、今すぐにでもここを抜け出したいくらいに気まずい空気の中で、わたしたちは立ち尽くすことしかできない。
「歳……いや、違うか。よくないね、慣れてしまうのは」
小島さんが再び呟くけれども、やはり言葉は理解できても、内容は理解できない。
「当たり前って怖いですね」
白鳥さんの口からも、ため息とともに呟きが漏れてくる。
「あ、えと、すみません……?」
どうして疑問系なのか。いや、もし怒られていたら納得できないでも普通に謝っていたかもしれないけれど、この状況は、何を言えばいいのかわたしも分からない。
「ああいや、透ちゃんの言うとおりだからね。こう言っておけば関係者として招待されるとか、そういう経験というか、悪い風習だよ」
「そんな、わざわざ仰らなくても招待は……」
プロデューサーさんの言葉は、しかしながら途中で途切れてしまう。問題の本質がそこにはないと気がついたから。
「うん、それはありがたく受け取ります。ただ、これは自己嫌悪的な……ね」
同意を求められた白鳥さんは、軽くため息をついてから顔を上げる。
「ええ、まさか娘と同じくらいの歳の子供に気付かされるなんてね。少しだけショックですね」
「盲目的になっていたことに気が付かされたよ。ありがとう」
小島さんは、深く頭を下げて、落ち込み気味なまま、スタジオを出ていこうとする。
「あー、えっと。ラジオでも言ったんだけど、小糸ちゃんのやつ、ほんとすごいから」
「浅倉」
円香ちゃんが止めようと声をかける。けれども、いつもは止まるその言葉で、透ちゃんは止まらなかった。
「めっちゃいい席、用意しとく」
◇◇◇
「透ぅ……!」
小島さんたちが立ち去って、わたしたちもすぐにスタジオを出た。帰りは事務所までプロデューサーさんの車だ。
車に乗るやいなや、プロデューサーさんはエンジンをかけるよりも先にハンドルにしがみつきながらうなだれていた。
「ごめん、いらんこと言い過ぎた」
助手席に座った透ちゃんはシートベルトを締めると、項垂れているプロデューサーさんの表情を覗き込む。
「本当に肝が冷えたぞ……。今回はよかったけど、ああいうの嫌がる人もいるから、気をつけてくれよ?」
「うん」
二つ返事の透ちゃんは、本当にわかっているのか怪しい気もする。だからといってわたしはそれを指摘する立場にはない。どちらかといえば、透ちゃんと一緒に頷かなければならない立場なのだから。
透ちゃんはゆっくりと顔を上げて座り直す頃には、プロデューサーさんもハンドルから手を離して車のエンジンをかけた。
「あ、でもさ、あれ、大丈夫?」
「あれって?」
プロデューサーさんと同じように、わたしにも何のことだか見当がつかない。
「めっちゃいい席、用意できるのかなって」
直後に車が、まるで急停車でもしたかのような衝撃と、まるで何かが爆発したかのような音を発して、静かになってしまった。
「わっ、え、な、なに……?」
「…………だっさ」
「すまん、思いっきり足滑ってエンストした。驚かせちゃったな」
よく分からないけれども、なにか失敗してしまった様子。エンスト……もよく分からなかったけれども、プロデューサーさんが再びキーを回して車のエンジンをかけたので、エンジンが止まってしまったのだと理解した。
「え、あの、壊れたりとか……?」
意図せずに車のエンジンが止まるなんて聞いたことがない。どこか調子が悪いなら、直してもらわなければいけない。
「小糸、車は大丈夫だから。人は直してもらったほうがいいかもですけど」
「はは、面目ない。それから、透の不安だけど、それは大丈夫だと思う」
「お、まじか」
透ちゃんは驚いているような口ぶりをする。表情もあまり動いていないように見えるけれども、それはどこか子供っぽい、期待に満ちた眼差しだった。
プロデューサーさんは今度こそゆっくり車を前進させて、左右の確認をしっかりしてから道路に出る。
プロデューサーさんのことを信用していないわけではないけれども、気になってわたしも左右を確認してしまう。
道路に出てすぐに、信号で停車すると、プロデューサーさんは続けて言う。
「ファンからすれば最前を狙いたくなるだろうけれど、彼らは作家と監督だから。その二人に見てほしい場所なら用意できるよ」
ファンの人たちと小島さんたちがどう違うのかはわたしには分からない。ライブを見に行ったりしたことはないけれども、なんとなく前の席の方がよさそうな気はする。とはいえ、わたしなんかよりもずっと業界に詳しいプロデューサーさんが言うのだから、おそらく間違いではないのだろう。
そもそも、わたしたちはライブに向けて歌とダンスの練習で手一杯なのだから、そうした手配はプロデューサーさんに任せる意外の選択肢がない。
「で、その予定はあるんですか?」
「う……」
円香ちゃんの指摘とも似た言葉に、プロデューサーさんは言葉を詰まらせる。
「それはまあ……がんばるよ」
「がんばれー」
「がんばれ~」
透ちゃんのやる気のなさそうな応援に、雛菜ちゃんが合わせる。
「他人事みたいに言ってるけど、みんなも頑張るんだぞ?」
あくまで役割分担をしているだけなのだから、当然だろう。
プロデューサーさんはアイドルとしての仕事を準備する仕事。それを実行するのがわたしたち。片方だけが頑張ったところで、なんの意味もない。
「大変じゃないのがいい~」
「いいー」
プロデューサーさんと円香ちゃんの深いため息とともに、信号で止まっていた車は再び進み始めた。
収録ブースの機材とかめっちゃ気になります
SONYの有名なヘッドホン使ってることくらいしか知らないんですよね