思い返してみれば、今まで飄々と生きてきたなと思った。
大抵のことは周りがなんとかしてくれたし、特にこれといって大きな問題もなかった。
小学校のときの夢は、サッカー選手だった。当時ワールドカップが開催されていて、流行っていたこともあり、体を動かすことは嫌いではなかったので楽しそうだなと思った。別に、サッカーが上手かったわけではない。
中学のときの夢は、パティシエだった。たまたま寄ったケーキ屋さんのケーキがとても綺麗で、とても美味しかったから。別に、料理は得意ではない。なんなら下手な方だと思う。
これらはどちらも、卒業のときに文集に書いた夢であって、長い期間持ち続けた夢ではない。
いつも大体一ヶ月。夢を見続けるのはそれくらいが限度だった。短いときには次の日には変わっていたし、それを真剣に目指そうなどとは思っていなかった。
警察官、弁護士、医者、野球選手、アナウンサー、天気予報士、パイロット、レーサー、SE、ウェディングプランナー、役所の職員。
夢は何かと聞かれたときに、その時興味があったものを答えてきただけ。本気でなろうなどと思っていないし、なれないものもあることは分かっていた。
「努力すれば夢は叶う! 諦めないことが大事なんです。みんな夢を持ちましょう!」
そんな言葉をよく聞く。学校での知らない人の公演だったり、先生からだったり、テレビだったり。
その度に、私には夢があるのかを疑問に思ってしまう。それもほんの数秒で、次の瞬間には考えても仕方ないと諦めているのだけれども。
『私たちの夢は、もらったものを何倍にもして返せるような、そんなアイドルになることです!』
そう書いてあったのは、事務所で読んだアイドル情報雑誌の記事。写真に写っているのはつい先日一緒にテレビに出演して、帰り際に怒ってきたアンティフォナの三人。
「夢、夢かあ」
雑誌から目を逸らして、見上げてみる。天井が見えた。天井のヒビのような模様は、不規則に走って、どのヒビがどこまで続いているのだろうと目で追いかけてみる。
そして、やめる。
「私の夢って、なんだろ」
アイドルになること……はもうなっている。と思う。
そもそも、何かになるということが夢なのだろうか?
アイドルを目指している人には失礼かもしれないけれど、長年の夢でアイドルになったわけではない。
あの人がここにいたから。ただそれだけ。
それを夢と言えるのかといえば……どうだろう?
多分先生とかには否定されるだろう。
では、どうやって夢を持つのか。普通の人は、どうやって夢を見つけるのだろうか。
そもそも夢というのは、持つものなのだろうか?
「……しーらない」
◇◇◇
「はい、オッケーです」
どうやらオッケーらしい。
「ありがとうございましたー」
「はーいおつかれ。浅倉さん、やっぱクールねえ」
クールらしい。
「あー」
今までも似たようなことを言われたことはあった。学校ではちょくちょく声をかけられるし、失敗してもかわいいとか、かっこいいとか、色々言われてきた。
ただ、そんな自覚はない。
「あざます」
アイドルって、思ったよりも何もしないのだなというのが最近の印象。
今日の写真撮影だって、カメラのレンズを見ていたら黒い部分が広がったり縮まったりで面白いなあなんて思っていただけだ。あとは言われたとおりにポーズをとるだけ。
「ほら、これなんていい感じだと思うの」
「おー、すご」
驚きの言葉は、二つの意味を持っている。
一つは、自分が思っている以上にかっこよく撮ってもらえていたこと。自分の顔はそんなにまじまじと見ることはないけれど、目の前にある写真は、いつも見ている自分とは明らかに違っていた。
もう一つは、カメラで撮った写真がこうもすぐにモニターで見られるということ。スマートフォンなんかであれば当たり前だけれども、大きい一眼レフカメラでも同じなのだということに驚いた。
「これ、雑誌に載るんですよね」
「……? ええ、もちろんそうよ?」
今隣に立っている女の人は、多分偉い人。名前は確か田中さん。なんというか、雰囲気だけれども、この場所がこの人を中心に回っている気がするのだ。だからきっと、偉い人。
「なにか気になる?」
「あ、いや。アイドルなんだなーって」
アイドルになって、もうすぐ半年になる。ライブもやったし、ラジオ番組の収録もしてきたけれど、未だにアイドルをやっているという実感は薄い。
なんというか、いつものみんなと一緒に遊んでいるだけという感覚でしかない。
「あはは、面白いこと言うわね」
田中さんは口に手を当てて、くすくすと笑う。その動作だけでもなんというか、強そうだ。
「浅倉さんがアイドルをして、私たちがいい写真を撮らせてもらえる。これって、とてもいい関係だと思っているの」
どういうことだろうか。そう聞き返す前に、田中さんは続けてくれた。
「互いにいいことしかないもの。あなたはアイドルとして宣伝になる。私たちは雑誌の売り上げが上がる。だからもしも、あなたが今の撮影に不満があるなら遠慮なく言ってほしいの。それはあなたの望んでいる宣伝にはならないはずだから。あなたが満足しなければ満足するまで考えて撮るわ」
ふと、周りを見てみると、いつの間にかスタジオの撤収作業が止まっていた。
「あ、いまのは事務所には内緒ね。怒られちゃうから。それで、どうする?」
もし迷惑をかけているようなら、すぐにでも適当に言い訳をして断っていただろう。ただ、周りを見てしまったから、できなかった。誰一人として、嫌そうな顔をしていなかったから。
別に今回の撮影に不満があるわけではないけれど、いまやってみたいことはある。
「……じゃあ、お願いします」
◇◇◇
絶対に無茶を言っていたと思う。私にも分からないものを見つけてもらおうとしていたのだから。
かわいい感じとか、面白い感じとか、いろいろ試してもらった。けれど、やっぱり一番最初に撮ってもらった写真が一番よかった。
「ごめんなさい。けれど、いつかリベンジさせてもらうわ」
撮影が終わって謝ろうと思ったら、逆に田中さんに謝られてしまった。
わがままを言ったのは私なのに、結果を残せなかったのも私なのに、なぜか謝られる。こんなに不思議なことは今までなかった。
「……あーでも、なんか」
――なんか、悔しい
事務所に戻ってきて、誰もいない中で再び天井を見上げる。
天井のヒビは、昨日とはまったく変わっていた。そう見えただけだけれども。実際には同じ場所を見ていないだけで、ヒビが変わっているはずなどない。
「……なんだろ」
迷惑をかけたからとか、無駄な時間を使ってしまったからとか。
「そういうんじゃ、ないなー」
だったら、この悔しさはどこからやってきているのか。こんなこと、いままで考えたこともなかった。ただ、この悔しさから目を逸らせないことだけは分かる。
いつものように、まあいいやと思ってみても、次の瞬間には、悔しさがさらに強くなって込み上げてくる。
「あー」
「なに呻いてんの」
上を向いて鳴いていたら、頭上……背後から樋口の声が聞こえたので、頭を更に上に向けると、逆さまに立っている樋口がいた。
「危ないからやめな」
「はーい」
怒られてしまったので、首を戻す。
「で?」
樋口は私の隣に座ると、足と腕を組んだ。
「え?」
「呻いてたの、なに?」
心配されていたのだと気づく。
「あー」
樋口は私よりもよっぽど世間を知っていて、相談したらなにか分かるかもしれない。
『あのさ、人生ってなんだろう?』
聞いているところを想像して、やめた。いくらなんでも恥ずかしすぎる。
「なんだろ?」
「……そ」
そう言うと、樋口は鞄から財布を取り出す。
「忘れ物」
見覚えのある財布だなと思っていたら、私の財布だった。
そういえば、昨日残金を確認して机の上においたままだった気がする。
「おー、あざす」
受け取って、鞄に仕舞う。
「……はあ」
わざとらしいため息のあとに、樋口は再び鞄に手を入れる。まだ何か出てくるのかと注目していると、今度は本が出てきた。
「あれ、なにそれ」
それは私のものではない。
本はたまに読むけれど、いま樋口が持っているような難しそうな本は読まない。漫画か、読んでも話題の小説くらい。
「浅倉のじゃないけど?」
「……あ、そっか」
てっきりまたなにか忘れていたのを樋口が持ってきてくれたのかと思ったけれども、違ったようだ。
樋口は再び小さくため息をつくと、本を開いた。
「樋口さ」
「ん」
視線はこちらに向けないけれど、返事はしてくれる。
「アイドル、どう?」
「どうって、別に」
別に……別にかあ。
てっきり、それで終わりかと思っていたら、少しの間をおいてから樋口は続ける。
「案外簡単だなって、それくらい。笑っておけばいいんでしょ、要するに」
樋口は学校でも密かに人気があって、すこし怖いところも含めてかっこいいなどと女子から人気が強い。
そんな樋口だから、モデルの仕事だって難なくこなしてしまう。この前知らない間に受けていたらしいモデルの仕事は、雑誌を立ち読みしてみたけれどやはり別人のようだった。
作られた樋口のような気がして、少し距離を感じてしまうほどに。
「あと――」
まだなにかあるようだ。
期待しながら耳を傾ける。
「そういう話、本読む前にしてくれない?」
◇◇◇
二回目のラジオの収録。
一回目の公開はついさっき。雛菜曰く結構いっぱい聞いてくれているらしい。
そのおかげもあってか、収録が始まる頃には前回よりも多くのメールが届いていた。
前回同様回し読みをしていると、気になるメールにあたった。
『踊っていいともで知りました。私は将来、アイドルになりたいと思っています』
そんな内容。文章の拙さからしてもまだ子供なのだろう。
夢を持っていない私を見て、夢を持つなんてことがあるのだなと内心苦笑しながら読んでいく。
『ラジオを聴いて、こんな仲良しな人たちとアイドルができたらいいなって思いました』
だそう。
この人のように、アイドルになりたいと思っている人はきっとたくさんいるのだろう。
でも、私は違う。なりたくてなったわけじゃない。かといって嫌なわけでもないけれど。
この子が見ているのは、あくまで表面的なところ。実際にアイドルを始めてみれば、歌のレッスンやらダンスレッスンやら、撮影やらライブやらで、自由な時間は一気に減ってしまう。
では、アイドルになることを勧めないのか。
いや、答えはノー。
知らないことを知る度に、世界が広がって、目に入ってくるいろいろなものの見え方が変わってくる。
歌のレッスンをしたから歌うことの難しさを知った。
ダンスのレッスンをしたから思ったよりも運動が苦手ということが分かった。
撮影をしたから人のこだわりを知った。
ライブをしたからステージの広さを知った。
ライブをしたから、あの海の広さを知った。
こんなに楽しいことが転がっている世界、他人に勧めないわけがない。
ただ、夢を見ていても、現実を見たら挫折してしまうかもしれない。私はそれを何度も何度も、それはもう数え切れないくらいに経験してきている。
でも、夢を見る前に楽しいと分かっていれば、頑張れるかもしれない。
「あ、そっか」
思わず声が漏れる。
気づいてしまった。いや、たった今できてしまった。私の夢が。
――この楽しさを、もっと知ってほしい
それが、たったいまできた、私の夢。
こんなに世界は広くて、こんなにも楽しいことに溢れていて、飽きることなんてありやしないのだと。そう伝えたい。
――ほら、やっぱり作るもんじゃないじゃん
作ったものではない、できた夢。それを諦めることなんて、できやしない。
◇◇◇
「さて、今日はリベンジよ」
「ういっす」
前回の撮影から一週間しか経っていないけれども、今見えているものは前回とはまるで違う。
誰が何を考えていて、私にどうしてほしいのか、どういう写真を撮りたいのかとか、そういうことがよく見える。
だから――
「今日、試したいんですけど」
「……へえ」
その全ては、私が壊す。
いや、壊すは言いすぎかもしれない。壊すというより、汲み取ると言ったほうがいいだろうか。
田中さんの視線が急激に鋭くなって、少しだけ驚いたけれど、関係ない。いや、関係あるか。これからの撮影は、今この世界をすべて詰め込んだ撮影になるのだから。そうしてみせる。
「いいわよ。どうするの?」
田中さんの問いに、笑って答える。
我ながら、頭がおかしいとは思うけれど、これが一番近道だから。
「思ったこと、全部試そうかなって。それで、感じたこと全部伝えたい。私だけじゃなくて、ここにいる人全員が感じたこと、全部」
田中さんの鋭い視線を受けつつ、目を逸らしたくなりつつも、絶対に逸らさない。
急がば回れ、なんて言うけれど、別に急いでいなくても回ればいい。
そこで見たことが伝えられるなら、それは私の夢につながるはずだから。
「……あっはは!」
狂った言葉を受けて、今度は田中さんが狂ったように笑い出す。
「いいわ、やりましょう。プラグマティズムは私も好きよ。ただ、やるなら絶対に逃さないわよ?」
ぷらぐ……何かわからないけれど、受け入れてもらえたらしい。ただ、逃してももらえないらしい。
別に構わない。逃げるつもりなんてないのだから。
「ばっちこい」
この夢は、私の夢だから。
タイトルのキャラが微塵も出てきていませんが????????
ということで、少しだけフォーカスを変えました。
夢を持つって、素敵なことだよね