大抵のことは、それなりにできると思っている。
勉強も運動も、芸術も遊びも、特別頑張ることなく、人並みかそれより少し上くらいにはこなせる。
もちろんなんでもできるわけではないけれど、できなくて困ったことはほとんどない。
そのおかげか、周囲からの評判はおおむねいいものだった。いい子だとか、しっかりした子だとか、そんな評判をよく耳にした。
それは逆に、なにか完璧にできることがない、ということでもあった。
これだけは誰にも負けない、なんてものは私にはない。個性なんてものも持ち合わせていない。
何もしていなくて、当然のことばかりしているのに褒められるというのは、それほど気持ちのいいものではない。決して悪い気はしないけれども、かといって達成感とか満足感といったものもない。
ただ、人生としてみた場合、順調なのだろうとは思う。
失敗という失敗をせず、罪という罪を負わず、安全に、山もなく谷もなく生きていく。社会に出ればそういった生き方が必要になってくるのだから、今から慣れておいて損はないだろうと思っていた。
だから、たまに透たちを見ているとイライラしてくることがある。
変なことばかり思いついて、変なことばかりしているのに、楽しそうにしていることが、妬ましく思える。
透がアイドルを始めると言ったとき、正直いい加減にしてくれとさえ思った。
思いつきで行動することはよくあったけれども、これから先何年も続くようなことをそんな簡単に決めないでほしいと。
それに、アイドルは本当に小さい頃、まだ無謀だった頃に一瞬だけ夢に見たものでもあった。
アイドルを夢見たきっかけも透。透を見ていて、アイドルみたいだと、そうなってみたいなんて思ったことがあった。もちろん、現実的ではないとすぐに諦めたけれど、他でもない透に掘り返されるとは思ってもみなかった。
そして、四人でいる、この楽しそうな雰囲気から離れられない私は、追いかけるようにアイドルになった。
こんな平凡な人間をよく合格させたなと思った。それとも、なにか裏があるのかと疑いもした。いや、疑いに関しては現在進行形でしている。
最初のうちはどうせすぐに飽きるだろうなんて思っていた。けれども、続ければ続けるほど後には退けない状況になっていく。これ以上深入りしたら、本当に戻れなくなると、何度も何度も自分に言い聞かせながら、三人が進もうとするのを抑えてきた。
「円香、モデルの仕事なんだけど、いいか?」
初めての仕事をあの人が取ってきたときには、本気で殴ってやろうかと思った。どうして四人で始めたものなのに、一人での仕事を取ってくるのかとか、どうして最初が私なのかとか、モデルなんて目立つようなものなのかとか、色々と思うところはあった。
「よくないって言って、やめられるものでもないんでしょ」
精一杯の強がりだった。
一人での仕事なんて怖いに決まっているじゃないか。何も知らないのに、いきなり知らないことをやるなんて怖いに決まっているじゃないか。
でも、そんな弱みを表に出せるほど強くもない。
ここで失敗してこの人に私は平凡な人間なのだと見せつけてやろうなんて考えた。無理だった。
そんなことができたら、強がりなんてしていないのだ。
結局私は、臆病で震えていることしかできない、ただの臆病者だ。
◇◇◇
事務所にやってくると、小糸がいた。一緒に来るはずだった透は宿題を忘れたので居残りを食らっている。
「こい――」
声をかけようとして、やめる。宿題に集中している間の小糸の邪魔をする気はない。というか、その必死に問題を解いている様子がなかなかに面白いから、黙っている。
対面に座っても気が付かないのだから、相当集中しているのだと思う。ちなみに雛菜は小糸の膝枕を借りて寝ている。
これだけ集中していたら触っても気づかないだろうか?
そんな疑問が心を揺さぶった。そして、そんな好奇心に対抗するまでもなく、行動に移す。
ソファーから立ち上がって、小糸の後ろに回り込む。視界は遮らないように、ゆっくりと二つに縛った髪を解いていく。
そして、ゆっくりと撫でるように髪を梳きながら一箇所にまとめて縛る。
満足したので、再び小糸の対面に座って眺める。うん、いい仕事ができた。
「ふう」
満足したところで小糸がため息をついたので、つい身構えてしまう。別に悪いことは……してたか。
そして集中の切れた小糸は周囲を見回して、私と目が合う。
「あ、円香ちゃん。き、来てたんだ」
「ん」
どうやら本当に気づいていないようだ。ここまで無防備だと逆に心配になってくる。集中している間に変なことをされていないだろうか。
「な、何してたの?」
「小糸、見てた」
「ぴえっ……!? わ、わたし?」
まあ、嘘ではない。嘘ではないけれど、本当のことも教えない。
「小糸は宿題?」
これ以上掘り下げられても困るので、適当に話題をそらす。
「う、うん、今日出たところ」
小糸は偉いなと、つくづく思う。ちゃんと努力して、ちゃんと結果を残していく。
アイドルを始めてからも、小糸が誰よりも努力していると思う。その分、最初の頃と比べて一番成長しているのも小糸だ。
「小糸は偉いね」
「そ、そうかな。えへへ」
嬉しそうに頬を掻くので、余計心配になってくる。怪しい人にころっと騙されそうだ。
「と、透ちゃんは?」
「宿題忘れて居残り」
「そ、そっか……」
噂をすればなんとやら、階段を駆け上がってくる音が聞こえてくる。……けれども、これは透じゃない。
思わず舌打ちしそうになるのをなんとか堪える。
「円香! よかった、ちょっといいか?」
「なんですか?」
息を切らしながら勢いよくドアを開けて、小走りで私のところに来ると、両手を合わせて頭を下げてくる。
「明日、緊急で撮影のモデル、できないか?」
「とうとうスケジュールの管理もできなくなったんですね」
殴りかからなかっただけ褒めてほしい。一週間後でも急だというのに、明日とはどういうことか。なにをどういう仕事をしたらそんなことになるのか。
「実は明日予定の子が熱を出してしまったみたいなんだ。それで、代役を頼めないかって先方から連絡がきてな」
それを聞いて、安心してしまった自分がいた。
代役ということは、それほど期待されてもいないということ。
それならば、求められるものもそれほど高くはないだろう。
「円香さえよければ、これから打ち合わせなんだが……」
最近、この人は無駄に私たちの了解を得ようとしてくる。まともに売れていないアイドルなのだから、拒否権などないというのに。無駄な手続きを踏まないでほしいと毎回思ってしまう。
「べつに、断る理由もないですし」
「そうか……! じゃあ、車を取ってくるから待っててくれ! ……小糸、髪型変えたんだな。似合ってるぞ!」
嬉しそうに事務所を出ていくのを見送って、ついため息が漏れる。
「え、え、髪型……?」
小糸は戸惑いながら自分の髪を両手でペタペタと触る。
「いいんじゃない?」
「ま、円香ちゃん! 勝手に髪いじらないでよー!」
◇◇◇
車で連れられて、アイドルとして初めての仕事をした撮影スタジオへとやってきた。
スタジオで打ち合わせなんて変な話だと思っていたけれど、どうやら本当の撮影予定は今日だったらしい。当日欠員が出て、人を確保できなかったけれども、雑誌は出てしまうので、何かを撮らなければならない。そんな状況でなんとか翌日にもスタジオを確保したということらしい。
「よかったー。ありがとう樋口さん」
「いえ、特に用事もありませんでしたから」
撮影を担当するのは、前回の撮影と同じく田中さん。優しそうな見た目をしているが、実は編集部の偉い人らしい。
「実は、前回の樋口さんの写真、結構評判良かったのよ」
なんてことを突然言われるものだから、反射的に身構えてしまう。
どうして芸能界というのは、こうしてハードルを上げたがるのか。そんなことを言われたら、前回以上のものを見せなければいけなくなるではないか。
「それは……ありがたいです」
前回……つまり、アイドルとして初めての撮影では、一週間近く時間があったので、入念に準備をしてから撮影に臨んだ。立ち方、ポーズの種類、カメラマンとのコミュニケーション、支持の出し方等々。勉強になった反面、とても疲れたのを覚えている。
「今回は春向けの服を紹介したくて――」
打ち合わせは、あれよあれよという間に進んでいく。そして、進むにつれて色々なことが決定していき、私の逃げる場所はなくなっていく。
決まったこと一つ一つに対して、何を調べて、何を注意しないといけないか。それを脳内で整理していき、明らかに時間が足りないことに気が付きつつも、今更断ることなどできずに、提示された案にただただ頷いていく。
一回頷くごとに、私の逃げ道は埋められていき、八方塞がりになったあとも、更に外を埋められていく。
もう、逃げられなどしない。
「それで、記事の内容はこんな感じで進めようと――」
突然、テンポよく進んでいたはずの打ち合わせが、止まってしまう。
田中さんは私を見たまま固まってしまった。
と、思ったら突然笑い出す。
「楽しそうね、樋口さん」
楽しそう……?
そんなわけがないじゃないか。こんなにハードルを上げられて、外堀を埋められて、こんな状況が楽しめるほど強い人間じゃない。
意味が分からず首を傾げると、田中さんは小さく息をついてから続ける。
「ごめんなさい。それで、記事の内容がこれだから――」
◇◇◇
本当なら今日は透の家でご飯を食べる予定だった。
けれど、どっかの誰かさんのおかげでそんな暇はなくなってしまった。
パソコンで記事を調べて、スマートフォンで単語を検索。それをひたすら繰り返して、時には実際にポーズをとってみたりして、頭に叩き込んでいく。
きっと透や雛菜なら、こんなこと調べなくてもその場の雰囲気でやりきるだろう。小糸なら周りが教えてくれるように立ち回る。私にはそんな才能はない。だから、せめて周りに迷惑をかけないようにしなくてはならない。
埋められてしまった外堀は、一つ一つ調べて、確実に自分のものにしていく。
それがたとえ、時間ギリギリだったとしても。寝る時間がなくなったとしても。
◇◇◇
「今日は、よろしくお願いします」
「ええ、本当に急だったのに、ありがとう」
「いえ、大丈夫です」
結局、寝たのは一時間程度。よく起きられたと思う。もちろん起きれるように準備を進めたからなのだけれども。
「それじゃあ、あまり時間もないから、早速始めましょう」
そうして始まった撮影は、私の想定どおりなんのトラブルもないまま進んでいった。
「いいねいいね、じゃあ次、こう手を広げる感じで」
指示を受ければ、そのとおりのポーズを、自然になるように別のポーズと組み合わせていく。
カメラマンさんも前回と同じ人で、撮影が進むにつれて、テンションが上がっていく。正直暑苦しいのは苦手なのだけれども、あまり悪い気はしない。
「あの、こっちからとかどうですか?」
もちろん、カメラマンさんへの提案も忘れない。
「おっ、さすが。じゃあそのままちょっと体を前に傾けてみてさ」
「こんな感じですか」
言われたとおりに、言われたこと以上の意図を汲み取る。調べたところ、別に違ってもいいらしい。汲み取れる範囲で汲み取って、自分なりの解釈を出せればいいと、そう書いてあった。
「いいねぇ!」
カメラのシャッターを切る間隔が少しずつ短くなっていく。
「はい、オッケー!」
田中さんの大きな声とともに、撮影が止まる。
気がつけば、息が切れていた。それほどまでに撮影に必死だったということだろう。
近づいてくる田中さんが視界に入ったので、向き直して頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそありがとう。だいぶいい絵が撮れたと思うわ」
内心では、ガッツポーズをしていた。
失敗せずに仕事をできたこと、期待を裏切らなかったこと、その両方に安心していた。
だからだろうか、次に聞かされる言葉を、一切警戒していなかった。
「まだ時間があるから、こっちも撮りたいんだけど――」
田中さんが持っている服は、明らかに今とは雰囲気の違う服だった。
服が違えば、与える印象も変わってくる。それはもちろん、表情やポーズにも影響する。この仕事は、服の良さを伝えるために工夫をせねばならず、その服その服で考えることが変わる。
つまり、服が変われば準備しなければならないことも変わるということ。
そして、今の田中さんの提案は、準備なしでそれをやってみせろということに他ならない。
そんなの無理に決まっている。
今回だって付け焼き刃とはいえほぼ徹夜で準備を進めてようやく失敗しなかったのだから、準備なしなど考えられない。
「樋口さん、楽しそうね」
楽しい……?
昨日の打ち合わせのときも言われたけれど、楽しいはずがないじゃないか。必死に準備して、必死にこなして、その上まだ求められるなんて、辛いに決まっている。
だから、断ればいい。
期待を裏切って、相手をがっかりさせて、この場を終わらせてしまえばいい。
そんな考えが頭を埋め尽くしていたはず。
その中で、一瞬だけ別の考えがチラついてしまう。
『いいねえ!』
『いい絵が撮れたと思うわ』
その言葉を思い出しただけで、断ることができなくなってしまう。それが我が身を滅ぼすと分かっていても。
――ほんと、誰かさんに教わらなければ、こんなことにはならなかったのに
頑張るという言葉が嫌いだ。頑張って必死になって、報われる保証などどこにもないのだから。
だから何事も適度にやってきた。深入りしないように、言い訳を交えながらそれなりのことができる程度で抑えてきた。
けれども、報われるということがどういうことか知ってしまった。知りたくもなかったし、知らないように立ち回ってきたのに。
嫌ならやめればいいと言う自分もどこかにいる。何かを考えているとき、常に横で囁きかけてくるのだ。
やめれば楽になれる。やめればもう頑張らなくてもいい。
けれども、やめたらあの感覚はもう味わえない。
「はい、やらせてください」
たった一瞬の快楽のために、身を削りながら、息苦しさに耐えながら、それでも求めてしまう。
――ほんと、狂ってる
脳裏に浮かんだのは、あの無鉄砲で無計画な人の幼稚で無責任で純粋な笑顔だった。
何が起きても大丈夫なように、想像力をフルに働かせて。
よく考え事をしてぼーっとしてます。