二限目の体育を終えて、火照った体を冷ましながら制服に着替える。
雛菜ちゃんは二限目の途中で合流したが、もう馴れてしまった先生は雛菜ちゃんには何も言わなかった。
体育の授業はお昼休み少し前に終わるとはいえ、着替える時間を含めるとどう頑張ってもお昼休み開始には間に合わない。
きっと二人とも待っているだろう。
鞄から弁当箱を取り出して、雛菜ちゃんを探すが見当たらない。
「雛菜ちゃん……は購買かあ」
雛菜ちゃんはお弁当持参ではなく、学校の購買を利用している。
なんでも、購買で売っているパンは種類も多く飽きないし、なにより美味しいそうだ。
そんなに多くお小遣いをもらっていないので、毎日購買でお昼ご飯を買うような真似はできない。
教室を出て、教室を一つ通過した先の階段、一段飛ばしをしたくなる気持ちをぐっと抑えて、しかしできる限り早く下りる。
途中で踊り場を折り返し、また階段を下りて下駄箱へと向かう。
まだ踵が硬いシューズを脱いで、やはり堅いローファーへと履き替える。
下駄箱を出て旧校舎の方へと向かう。
緑の石段を超えると、旧校舎とは反対の方向に車一台が入れそうなくらいの脇道がある。
木々が生い茂り、緑色をした日の光に照らされた脇道には、一定の間隔でベンチが並べられている。
このどこかに透ちゃんと円香ちゃんがいるはずだ。
「あ、いたいた!」
脇道の最初のカーブを曲がったあたりで二人を見つける。
二人がけのベンチに一人ずつ座り、あとから来る後輩の席を確保してくれていた。
小走りで向かうと、円香ちゃんが立ち上がりベンチの片方を空けてくれる。
「円香ちゃんありがとう!」
「ん……」
実は円香ちゃんが動く必要はないのだが、透ちゃんと同じベンチで、透ちゃんの隣が円香ちゃんの定位置なのだから仕方がない。
誰かが決めたわけではなく、昔からそう。
小学生のときからずっとこの位置にいる。
透ちゃんはあまり意識していない様子だけれども、円香ちゃんは間違いなく意識しているだろう。
透ちゃんを挟んで円香ちゃんの反対側、ほんの少しだけ離れたベンチに座って、弁当箱を膝の上に載せる。
「あは~みつけた~」
落ち着く暇もなく雛菜ちゃんがやってくる。
手に提げたビニールには、いつものハニートーストが入っているのだろう。
何も言わずに、一人分左に動く。
ベンチの右側、つまり透ちゃんの隣を雛菜ちゃんに譲るため。
そんな気遣いを知ってか知らずか、雛菜ちゃんは勢いよくベンチに座る。
ベンチは地面に固定されているからいいものの、固定されていなかったら間違いなくひっくり返る勢い。
「おまたせ~」
「ん、じゃあいただきます」
透ちゃんの言葉を合図に膝に載せた弁当箱を開けると、卵焼きとにんじん、トマト、ソーセージ、ふりかけのかかったご飯がびっしり詰められていた。
バランスがいいとは言えないかもしれないが、作ってもらっている手前文句はない。
まずはにんじんに箸を伸ばす。
野菜から食べると健康にいいとテレビで見てから、意識して野菜を先に食べるようにしている。
口に含んで数回噛むと、口の中ににんじんの香りと甘みが広がっていく。
歯ごたえも柔らかく、よく茹でられていることが分かる。
「あ、そうだ」
突然、透ちゃんが何かを思いだした。
まあ、よくあることなのでそのままにんじんをもうひとつ食べる。
「私、アイドル始めた」
直後に、円香ちゃんが口に含んでいたお茶を吹き出した。
まあ、これもよくあること。次はトマトを箸で掴む。
「アイドル……?」
トマトを口元に持ってきて、ようやく透ちゃんの言った言葉を理解する。
透ちゃんが、アイドルを始めた。
小学校でもそのかっこいい姿は女の子から人気があり、今でもその人気は衰えていない。
そんな透ちゃんだから、アイドルにスカウトされたとしても不思議ではない。
「わっ! ととっ」
その事実を理解して、箸で挟んだトマトが落ちてしまった。
運良く弁当箱の中に落ちてくれたので粗末にせずに済んだ。
透ちゃんがアイドルを始めること自体は何も問題はない。
問題なのは、その周りにいる人たち。
雛菜ちゃんは、きっと透ちゃんに付いていくように同じ事務所のアイドルになろうとするだろう。
そして、なんでもできる雛菜ちゃんはアイドルだってこなしてしまうのだろう。
「あは~、なんか楽しそう~。雛菜もやってみた~い」
雛菜ちゃん本人もやる気があるようなので、あとは事務所次第だろうが、このような逸材を放っておくような事務所なら、透ちゃんをスカウトしたりしないだろう。
「ちょっと、浅倉。突然すぎ」
「あ、ごめん。でも言っといた方がいいかなって。樋口もやる?」
「やるって……そんな簡単にできるもんじゃないでしょ」
一番動揺を見せている円香ちゃんも、雛菜ちゃんより可能性は低いかもしれないけれど、きっと透ちゃんについていく。
小さい頃から一緒に、まるで姉妹のように過ごしてきた二人だから、今さら離れるようなことはしないだろう。
「ん? あー。まあ、そうかも?」
三人がアイドルを始めるとなれば、また取り残されてしまう。
また、ひとりぼっちになってしまう。
それは……嫌だけれど。でも、アイドルなんて……。
「……」
雛菜ちゃんや透ちゃんみたいなスタイルはないし、円香ちゃんみたいなかっこよさも持っていない。
なんならちょっと……その……丸いし、顔立ちだって普通の女の子でしかない。
勉強は頑張ればなんとかなった。
勉強すればするほどテストの成績は上がるし、高校にだって合格できる。
だからこうして、またみんなと一緒に過ごすことができている。
でも、アイドルは……芸能界はそうはいかない。
生まれ持った才能がなければ、生きていけない業界のはずだ。
その業界に入ったことはないのでイメージでしかないが、世間のニュースやテレビに出ている人たちを見れば分かる。
あれは努力だけでどうにかなる世界ではない。
――それだと……わたしは……。
「小糸ちゃんも、やる?」
「え?」
突然名前を呼ばれて、右を向けば雛菜ちゃんの奥から透ちゃんが覗き込むようにこちらを見ていた。
透ちゃんは表情の動きが少ないのでなんとなくでしか分からないが、嬉しそうな印象を受けた。
「えっと……」
「小糸ちゃんかわいいし、いけるっしょ」
「あは~わかる~。小糸ちゃんかわいいもんね~」
雛菜ちゃんの手が頭に伸びてきて、ものすごく雑に撫で回してきた。
強引に手を動かしていたので頭は左右に振られるし、髪は引っかかって痛い。
「雛菜ちゃん、ご飯食べてるときに髪触らないの!」
「はーい」
行儀の悪さを指摘すると、大人しく手が引っ込んでいく。
これもたまに引っ込んでいかないときがあるので困る。
しかし、ここまで期待されて応えないわけにはいかない。
みんなが期待してくれているのだから、その期待には応えなければ。
「と、とーぜん! わ、わたしもやるから!」
ああ、言ってしまった。
でも、言わなかったとしても受けなければまたひとりぼっち。
きっとみんなの仲の良さを主張すれば、四人そろってアイドルをすることだってできるはず。
とはいえ、応募はどうするのか、そもそも応募できるのか。そこから調べないと。
アイドルを目指す不安を紛らわすために目の前にあるトマトを口に含むと、奥で円香ちゃんがため息をついていた。