WING本選。つまり準決勝と決勝はオーディションと名前はついているものの、中身は立派なライブとして成り立っている。
公開オーディションということで観客は入っているし、地上波で放送もされている。それも生放送だ。
六つのグループにそれぞれ六ユニット。合計三十六ユニットから、各グループ一位の六ユニットが決勝に進むことができる。
観客からしてみれば、オーディションというよりも新人アイドルフェスといったところだろう。それでも、一万人近くの人たちがこの会場にやってきているのだから驚きだ。
三十六ものユニットが集まれば、通常三十六もの控え室が必要になるものだが、残念ながらこの会場にはそれほど部屋はない。それでも控え室は必要なのだから、公平を期すために一部屋あたりを六つのユニットが使うことになっている。
「……」
きっと、いまここに集まっている人たちは、今日のために一年間……もしかしたらもっとずっと前から頑張ってきた人たちなのかもしれない。そんな人たちが集まっている控え室が、明るい雰囲気になるはずもない。
なんというか、ずっとピリピリしている感じがする。互いに距離を取って、話しかけないように、話しかけられないように。音を出さないように、音を聞かないように。
正直、居心地が悪いと思った。
そんな雰囲気が、さらに喋りづらくする。そしてまたさらに雰囲気が悪くなってと、悪循環を生み出す。
「なんかやな感じ~」
「ひ、雛菜ちゃん……!」
そんな沈黙を、雛菜ちゃんは破ってしまう。その瞬間、その場にいた全員の視線が雛菜ちゃんに向く。敵意や嫌悪感といった感情が込められた視線は、とてもではないが心地いいものではなかった。
そんな視線に、雛菜ちゃんはさらに表情を歪ませる。
それでも、雛菜ちゃんにしてはよく耐えた方だと思う。もうかれこれ二時間近くこの雰囲気の中、この部屋にいるのだから。
もう衣装には着替え終わって、リハーサルも終わって、本番まではあと何時間だろう。あとどれだけ、この雰囲気に耐え続ければいいのだろうか。
「じゃあさ、外出よっか」
透ちゃんが、雰囲気を察してか囁くように言った。それでも誰一人として物音を立てていないこの部屋では、十分に全員が聞き取れてしまうのだけれども。
「で、でも、いつ呼ばれるか分からないし……」
わたしたちに伝えられているのは、もうすぐ本番で、この部屋で待機していてほしいということだけ。
この部屋を出たら何かペナルティがあるかもしれないとか、この雰囲気を耐えることもオーディションの一部だとか、そういった可能性は透ちゃんでも想像できるはず。それを踏まえてなお、透ちゃんは外に出ようと提案している。
「プロデューサーに伝えとけばいいっしょ」
それはそうかもしれないけれど、そもそもそのプロデューサーさんが許可を出すかどうかが問題で……。
「いいって」
こういうとき、円香ちゃんの行動はとても素早い。円香ちゃんが見せてきたスマートフォンの画面には、円香ちゃんとプロデューサーさんの会話で「外に出ます」「了解」という短いやりとりが映っていた。
プロデューサーさんが良いというのならば、きっと問題はないのだろう。
「他に何かある?」
円香ちゃんの言葉は、聞く人が聞いたら嫌みに捉えられるかもしれない。けれど、これはただ普通に心配しているというか、他に何か心配事があれば、確認するから教えてくれということ。
そして、特には思いつかなかった。プロデューサーさんが問題ないと判断した時点で、アイドルとしての行動はなにも問題がないはずだ。
「う、ううん。大丈夫だよ……!」
透ちゃんは小さくガッツポーズをすると立ち上がる。それを見て、雛菜ちゃんが嬉しそうに立ち上がって、一目散に控え室から出て行く。
「……小糸は行かない?」
「い、行く! 行くから……!」
円香ちゃんに急かされ、慌てて追いかけて控え室を出る。
ドアが閉まる直前、控え室の中の様子が少しだけ見えたけれども、とてもではないけれども楽しそうな雰囲気は感じられなかった。それで初めて、この気持ちの軽さは控え室を出たからなのだと実感した。
◇◇◇
会場の外には出ないように、適当に歩き回る。アリーナ席に入ってみたり、その後方からホール外に出たら二階で驚いたり。
「ぴぇっ……」
そこからさらに階段を上がってホールに入ると、二階席だった。三階から入ったのに二階席という名前で、疑問はあったけれども、そんな疑問は二階席の最前に行くことで消え去ってしまった。
高いし、柵が低い。後ろから押されたら下に落ちてしまうのではないだろうか。それに、最前列に行くまでの階段が急で、転んだりしても無事では済まなさそうだ。
「うわー、ちっさ」
透ちゃんはといえば、全く別の感想を抱いた様子。視線を向けると、ステージを見ていた。あまり下を見ないようにわたしもステージの方に目を向ける。
確かに、小さかった。ステージ上ではリハーサルをしている人たちと、スタッフさんたちが慌ただしく動き回っている。
そのどれも、顔の判別はできない。衣装や髪型で判断することはできるけれど、表情や顔の識別は難しそうだ。
「十分でしょ」
円香ちゃんが、呟くように言う。
いわゆる三階席はなくて、一番後ろは二階席の一番後ろ。十列以上後ろで、ここから最後列の席でも小さく見えてしまう。
「あは~、円香先輩視力いい~!」
「違う」
なるほど、ものの小ささを言っているわけではないということか。
なんとなく、円香ちゃんが言わんとしていることが理解できた。
「き、きっと届けられるよね……た、たくさん!」
距離があろうと、画面越しだろうと、ステージが小さかろうと、関係ない。わたしたちが伝えられるものが伝われば、感じてほしいことを感じてもらえれば。
「おお~、小糸ちゃんかっこいい」
透ちゃんに褒められて、少しだけくすぐったい。
「え、えへへ」
「……泥棒」
照れていたら、円香ちゃんが呟いた。
「ぴ、ぴえぇ……っ。そ、そんなつもりじゃ……」
確かに最初に気がついたのは円香ちゃんで、わたしは気付かされて、自分なりに噛み砕いて言葉にしただけ。
透ちゃんに褒められるべきなのも、照れる権利があるのも、円香ちゃんだ。普段の振る舞いから照れるようには思えないけれど。
「冗談」
それを聞いて安心する。
「あ~円香先輩が小糸ちゃんいじめてる~!」
安心したところに不満を漏らしたのは雛菜ちゃんだった。何も知らない人が見たらいじめにも見えるかもしれない。けれども、これが本当に冗談だということはわたしにも分かる。多分、きっと。
だからこそ笑うことができる。
円香ちゃんが冗談を言って、わたしが慌てて、雛菜ちゃんがそれを咎めて、透ちゃんが便乗して、円香ちゃんが呆れて。
そんなやり取りを楽しむことができる。
ふと、何かが胸を指したような気がした。振り向いてみるけれど、なにもない。
「そろそろ、戻ろっか」
透ちゃんが言うと、雛菜ちゃんが眉を寄せる。
「え~、あそこやだ~」
確かに、あの暗い雰囲気に戻りたいかと言われれば、答えはノー。けれども、もうそろそろ戻らないといけない。
「大丈夫。すぐ出番だから、戻ったらすぐに出る」
◇◇◇
ステップを三回踏んで、一回ターン。そのまま中央に向いて二歩。ここで手を意識する。よく動きが小さくなりがちだから。
その頃には雛菜ちゃんも真ん中に寄っているから、より動きを合わせて踊る。それから――
「あは~」
隣に立っている雛菜ちゃんが、突然嬉しそうな声を上げる。
閉じていた目を開けて、見回す。騒がしいステージをすぐそこに、今はまだ舞台袖にいる。
せっかく上手くできていたイメージを遮られて、何事かと雛菜ちゃんを見ると、正面に立つプロデューサーさんを指さして笑っていた。
「めっちゃ足震えてる~おもしろい~!」
見ると、言葉通り生まれたての子鹿のように足を震わせていた。テレビで見たことがあるのは子馬だけれど、似たようなものだろう。
人間、ここまでなるものなのだと感心してしまった。そしてそれを見て、少しだけ肩の力が抜けた気がする。
「ほんとだ、めっちゃガクガク」
するとプロデューサーさんはぎこちなく笑って答える。プロデューサーさんには申し訳ないけれども、笑顔の引きつり方が少しだけ気持ち悪い。
「み、みんなすごいな。俺なんて……ははっ、こんな歳にもなってこのザマだよ。正直胃薬持ってこればよかったと後悔してる」
想像していた以上に、緊張しているようだ。
わたしは違うのかといえば、そんなことはない。もちろん緊張しているし、怖くもある。
「もうできることなんてありませんし? やって、終わるだけでしょう?」
円香ちゃんの言う通り、あとはやるしかない。今までやってきたことを、何もかも全部出し切るしかない。
「そう割り切れないのが大人の……いや、俺の弱さだなあ」
いつになく弱気だなと思った。
お仕事を取ってくるときは、子供にでも戻ったかのようにはしゃいでいるというのに。WING本選への出場を教えてくれたプロデューサーさんの面影は、微塵も残っていない。
そんな弱々しい姿を見たくないと思ったのか、不安そうなプロデューサーさんを励まそうと思ったのかは分からない。けれども、何か言わなければと思った。
「だ、大丈夫です! ま、任せてください……!」
不安でないわけがない。優勝できる保証もどこにもない。
けれど、約束したかった。言っておきたかった。それで、プロデューサーさんが少しでも楽になるなら。なってくれるなら。
「これくらいよゆーですよ……!」
「そうそう、よゆーよゆー」
わたしの言葉に対して、雑な便乗をしたのは透ちゃん。
「あは~よゆ~」
さらに雑な便乗をしたのは雛菜ちゃん。そのどちらも、緊張していないわけがないのだ。多分、きっと。……違うかも?
それでも、気がつけばプロデューサーさんの足の震えは、大分小さくなっていた。まだ少しだけ震えているけれども、胃薬はもう必要ないだろう。
そして、会場が静かになる。
次はいよいよ、わたしたちの出番。
会場が静かになって、初めて心臓がうるさいことを知った。でも、嫌ではない。
「よし、出番だな……楽しんでこい!」
プロデューサーさんが背中を押すと、透ちゃんは一歩二歩と前に進んで、止まった。
今のは、さすがのわたしでも、違うと気づいた。
円香ちゃんが後ろで小さくため息をつくと一言。
「違う」
「こい、じゃなくて、もうだって」
透ちゃんは一度言葉を止めて、何かに気がついたような素振りを見せてから、一文字ずつ区切って、はっきりと続ける。
「たのしもう」
「あは~雛菜楽しむのは得意~!」
それで、ようやく気がついた。この胸の高鳴りは不安などではない。
これが、楽しみなのだということ。
プロデューサーさんは苦笑いして頬を掻くと、大きく深呼吸をした。
「それじゃあ、改めて……楽しんでいこう!」
再びプロデューサーさんの手を離れた背中は、今度はまっすぐステージへと向かっていった。わたしも、今度は置いて行かれないようにではなくて、一緒の景色を見るために走り出す。
一瞬だけ振り返った透ちゃんは、今まで見た中で一番楽しそうだった。
ライブ最後列は当たりだと思ってます。景色が綺麗すぎるん