午後の授業に身が入るはずがなかった。
それでも予習はしっかりやっているので、しばらくは大丈夫だろう。
それよりも、頭の中はどうやってアイドルになるかでいっぱいだった。
休み時間の度にスマートフォンで事務所のサイトを開き、応募要項を確認していた。
授業中はどうやってアピールをしようか考えて、思いついたことをノートに整理してみようとしたが上手くいかなかった。
何か特別な才能があるわけでもなければ、アイドルになりたいという特別な理由もない。
結局、家に着いても思いつくことはなく、スマートフォンに映った応募フォームとにらめっこしているだけの時間を過ごしてしまっている。
「そういえば、どんな人がいるんだろ」
283プロダクションの公式サイトトップへと戻り、所属アイドルの一覧ページに飛ぶ。
金髪の人や、身長が高いのに小学生な人、なぜか宣材写真に鳩が写っている人、すごく胸が大きい人。
どの人もプロフィールを見ただけでその人たらしめる特徴を持っていることが分かる。
しかし、そういうものは持っていない。それを、どうアピールするか。
問題は一度棚上げして、応募要項を埋めていく。
氏名、住所、電話番号……は携帯電話にしておいて、特技、趣味、志望理由。
志望理由以外は一通り埋めることができた。
特技は……自慢できることではないけれども、勉強と書いておいた。
趣味は読書。教科書を含めて本を読むのは好きなので、嘘ではない。
さて、棚上げした問題が返ってきてしまった。
志望理由。
一度「みんなと一緒にいたいから」と書いて、消す。
そんな文章では相手に伝わらないし、アイドルになる理由として妥当ではない。
無難な回答を考えて「多くの人を笑顔にしたいから」と打ち込んでみた。
いやいや、そもそも嘘は下手くそなのだから、こんな上辺だけ繕ったところですぐに見抜かれてしまうに決まっている。
「でも、じゃあどうすれば……」
ため息交じりにベッドに飛び込む。
「やっぱり、わたしには無理なのかな」
応募する時点で躓いているようでは、仮に合格しても続けられないだろう。
仰向けに寝転がり、再び画面とにらめっこ。
すると突然、スマートフォンが震えた。
同時に、画面の上部にメッセージが。
「樋口、受かったって」
発信者は透ちゃん。
前置きが何もないけれど、このタイミングで受かる受からないの話が出てくるのはアイドルの話意外に決まっている。
透ちゃんの言うことが冗談でなければ、円香ちゃんはすぐに行動してすぐに合格をもらったということ。
少しだけ間を置いて、続けざまにスマートフォンが震える。
「わあっ!」
あまりに異常な振動で、驚いて手の力が緩んでしまう。
慌てて手を握るが、何も掴めない。
そして目の前にスマートフォンが迫ってくる景色を最後に、視界が真っ暗になる。
直後に鼻の頭に堅いものが当たる。痛い。
「わぷっ」
スマートフォンが顔に落ちてきたと理解するのに、時間はいらなかった。
たまにやらかすことだから。
顔に落ちたスマートフォンを拾い上げると、落とす前と画面が変わっていた。
「あ、あれ?」
ホーム画面ではなく、チェインの画面でもない。
ただただシンプルな白背景に黒い文字で「送信しました」と小さく書かれているだけ。
送信しました。
何を?
いや、考えるまでもない。
先ほどまでにらめっこしていた画面は応募フォームなのだから。
それを送信したに決まっている。
つまり、283プロダクションのオーディションに応募してしまったということで、それはつまり――。
「え、ええっ! ちょ、ちょっと待って、待って!」
思わずベッドから立ち上がり、スマートフォンを弄る。
なんとかして送信したものを取り消せないものかと、一つ前のページに戻ってみるが、空白の応募フォームが表れるだけ。
逆に言えば、別の何かを送信したかもしれない可能性は、これで消えた。
「い、いや。だってあんな理由で……」
どれだけ言い訳したところで、送ってしまったものが取り消せるわけではない。
そもそも、どうにかして応募しようと考えていたのだ。
応募してしまった今、書類選考で落ちないことを祈りながら、どうやってオーディションでアピールするかを考えなくては。
頭で理解している部分はあるものの、心が追いついてこない。
「ど、どうしよう……」
なんて言葉が漏れるが、どうしようもなにも、もう先に進む以外の道はない。
とりあえず、チェインを見よう。
透ちゃんの言葉が本当か嘘か分かるかもしれない。
最悪、間違って応募してしまったと事務所に連絡をすればいい話だ。
「ちょ」
「なに言ってんの」
「てかなんで知ってんの」
「プロデューサーから聞いた」
「円香先輩はや~い」
そこで会話は終わっている。
透ちゃんの言葉は本当だったようだ。
円香ちゃんはお昼に透ちゃんの話を聞いて、どうやったのかは分からないけれども、今日合格をもらってきた。
すごい行動力だと思う。
「迷ってばっかりのわたしとは……」
ため息をつこうと息を吸った瞬間、再びスマートフォンが長く振動し始め、思わず息が詰まる。
「え、あれ、この番号……」
電話をかけてきた相手番号は、先ほど調べていた場所……283プロダクションの電話番号。
なんの理由もなくかかってくるような相手ではない。
「どうしよう……」
どうしようもなにも、もう道は一つしか残っていない。
仮にここで電話に出なければ、その残された道は完全に消え去ってしまう。
だから、出るしかない。
緑の受話器マークを上にスワイプして、通話に応答する。
――あれ、電話出るときってなんて言えばいいんだっけ。
もしもし……は確か失礼だって見た気がする。
かといって、友達と話すときのような気軽な挨拶もおかしい。
「……」
なにか言わなければ。
でも、何を言えばいいか分からない。
何を言っても間違いになってしまう気がして怖い。
ここで間違えてしまえば、やはり道は閉ざされてしまうのだから。
かといって、このまま黙っていることが正解なはずもなく、何かは言わなければならない。
その言葉が発せず、数秒。
「もしもし~」
スピーカーから聞こえてきたのは、気が抜けたようなのんびりとした口調の女性の声。
不思議なことに、沈黙を破られたことで少しだけ気が楽になった気がした。
そうしてようやく、言葉を発することができる。
「は、はいっ!」
言葉を発したといっても、ただ返事をしただけ。
ここから先、何を話せばいいのか分からない。
「えっと、福丸さんのお電話でよろしいでしょうか~?」
戸惑っていることは伝わってくるのに、落ち着いた印象を受けるその声は、返事を返すには十分な冷静さを取り戻してくれた。
「は、はい。福丸です。福丸小糸です」
「あー、よかったです~。私、283プロダクションの七草はづきと申します~」
ビジネスというのは、もっと緊張感のあってかしこまったものだと思っていた。
思っていたのだが、はづきさんの声を聞いていると、もしかしてただの思い込みだったのだろうかと思えてくる。
それほどまでに、はづきさんの声は優しくて、のんびりとしていて、落ち着く。
「先ほどはオーディション応募ありがとうございます~。それで、面接の日程を調整できればと思って電話しました~」
やはり、送信してしまった応募フォームを見て電話をしてきたらしい。
わざわざウェブでエントリーしているのに、こんなに早く電話がかかってくるなら直接電話をしてもよかったかもしれない。
……つい数分前にその勇気があったならの話だけれども。
「福丸さんは学生さんですよね~。明日の放課後……そうですね、一七時はどうでしょう~?」
「え、えっ!?」
明日の用事などはないが、いかんせん話の展開が早すぎる。
まだ応募してから十分と経っていないのに、もう日程をどうするかという話が始まっている。
「もしご多忙なら、お友達との約束とかでも大丈夫ですよ~。なにか用事があれば、いつでもずらせます~」
しまった。
きっともう面接は始まっている。
面接で重要なのは相手からの第一印象。
何日にも渡って行うわけでもない面接で、参加者の評価をするのだから、第一印象の比重は当然重くなる。
つまり、今電話しているはづきさんが面接官だった場合、もうすでに第一印象のアピールは始まっている。
ここは、きっぱりと決めなければ。
「は、はい! 大丈夫です!」
「よかったです~。それでは、明日の一七時に、283プロダクションの事務所でお待ちしていますね~」
「よ、よろしくお願いします!」
気がつけば礼をしていた。
電話越しでそんな動作が伝わるわけもないのに、体が自然と動いてしまっていた。
しかし、電話が切れるまで頭を上げることはできなかった。
もしかしたらその動作さえも伝わっているかもしれないと、この呼吸ひとつひとつが伝わっているかもしれないと考えると、緊張を緩めることなどできなかった。
若干流れていたノイズが消えて、電話が切れたことが分かる。
「…………はあ~」
あまりにも、事が早く進みすぎている。
状況に対して思考が追いついていない。
しかし、事実として、間違いなく、明日面接があることは分かった。
面接が何回あるのか分からないが、最初の一回が肝心。
とはいえ、アイドルの面接は何を聞かれるのか。
芸能界に入るなんて考えたこともなければ、調べたこともない。
もう一日も時間はないけれど、準備はしておかなければ。
机の棚に置かれたノートを取り出して、ペンを握る。
自己アピール、アイドルになりたい理由について詳細に書き出していく。
こうなったら嘘でもいい、とにかく筋を通さなくては。
応募フォームに書いた事を、とにかく詳細に。
「って、そんな思いつかないよ……」
項目だけ書き出すとペンは動きを止めて、それ以上一切進むことはない。
今までの人生を振り返っても、特徴的なことなどはひとつもない。
ただただ普通の、勉強を頑張ってきた高校生。
それ以下もなければ、それ以上もない。
これだけ早く返事の電話をくれて、スケジュールの調整をしたのだから、もしかしたら人が足りていないのかもしれない。
それなら、多少理由がしっかりしていなくても……。
「なんて楽観的にはなれないよ」
いくらなんでも都合がよすぎる。
人が足りていないのはあったとしても、それで人を選ぶ基準が変わるとは思えない。
だからといって、何かいい案が思い浮かぶわけでもない。
そして、当たって砕けるような度胸もない。
嘘だって、上手くつけたことなんてほとんどない。
それなのに付け焼き刃のような嘘が通るはずもないことは分かりきっている。
結局ノートに書かれたのは項目だけで、中身は何も書かれないままその日は終わってしまった。