今日の授業もほとんど聞いていなかった。
とは言っても、ほとんどが中学の延長で、ほとんど頭に入っていることの復習だったりするのでそんなに問題はない。
それよりも重要なのは今日これからの面接。
やってきたのは283プロダクションの事務所。
一階はペットショップかなにかだろうか。
見上げてみると、二階の窓には大きく283の文字が書かれている。
スマートフォンの地図で確認しても、住所はここで合っている。
ペットショップらしき店の横から建物に入り、階段を上がって二階へ。
一歩一歩上る度に、狭い空間に足音がこだましてくる。
服装は、とりあえず制服にしておいた。
スーツは持っておらず、私服にしようかと思ったけれども、どんな服を着ていけばいいのか分からなくなってしまった。
なので無難に、学生らしく、制服で挑むことにした。
それに、この制服は努力の末に勝ち取った制服でもある。
中学時代をずっと一人で過ごして、透ちゃんと円香ちゃんがこの高校に進学したのを知ってからずっと憧れていた制服。
ちょっとしたお守りのようなものだから。
二階にたどり着くと、アルミ製の扉に霞がかったガラスが貼られていて、ドアの横には「283プロダクション芸能事務所」と書かれた表札が取り付けられている。
ここで間違いない。一度大きく深呼吸をしてから、インターホンを押す。
インターホンを……。
「あ、あれ? えっと……あれ?」
インターホンがない。
かといって、勝手に入ってしまうのはいかがなものか。
いや、いかがなものかではない。ダメだろう。不法侵入だろう。
ともすれば、ノックでもしてみよう。
そう思ってガラスの部分を軽く二回叩く。
「……」
しかし、中から反応はない。
「え、えっと……」
一応、念のため、ドアを開けてみる。
……開いた。
「あのー、すみませーん」
顔だけをドアの中に入れて、誰かを呼んでみる。
顔だけなら不法侵入にならないよね……?
しかし、事務所に明かりが灯っているにもかかわらず、中から涼しげな空気が流れてきたにもかかわらず、返事はない。
振り返ってみれば、暗い廊下に白い蛍光灯がチカチカと音を立てている。
「で、でも、来るようにって言われたし……」
そんな言い訳を誰にするでもなく声に出して、事務所の中に入る。
これで立派な不法侵入だ。
いや、呼ばれているのだからきっと大丈夫。
人の気配を残したままの事務所の中は、想像していたものよりずっと綺麗だった。
もっとタバコの匂いが強かったり、その辺にゴミが散らかっていたり、怖そうな顔の人がいるものだと思っていた。
「あの~」
控えめな呼びかけを行いながら、奥へと進んでいく。
校長室に似たような部屋や、おそらく給湯室というものだろう部屋。
寄り道をしているうちに少しだけ楽しんでいる自分に気がついて、少し恥ずかしくなる。
そして、一番奥。
何をする部屋なのかは分からないけれども、事務机が二つと、ソファーがコの字に置かれている。
壁際の棚にはテレビが置かれていて、社員の人たちはここでくつろいで……いや、お仕事をしているのだろうか。
そもそも、どんな仕事をしているのかも知らないので、いまいちイメージできないものの、今ここに誰もいないのだからそれなりには忙しいということだろう。
「……すぅ」
小さく呼吸音が聞こえて肩が跳ねる。
悪いことをしているのではないと頭で理解していても、勝手に入ってしまったという事実は他人から見れば悪いことになりかねない。
声のした方向に視線を向けると、ソファーに女の人が横たわっていた。
一瞬だけ、倒れているのかと心配したが、よく見てみるとアイマスクまでしっかりと着けていて、寝ていることを全く隠そうとしていない。
最初に感じたのは、いくら夏とはいえクーラーが効いた部屋で寝ていては風邪を引きそうだということ。
次に思ったのは、女性が一人で、それも鍵も閉めずに無防備に寝ているのは危ないということ。
「って、そうじゃないって」
方に手を伸ばして、軽く揺する。
「あ、あのう、すみません」
そこまでしてようやく、その人の腕が動く。
「ん、ん~」
うめき声をあげながらアイマスクを取ると、あたりを見回して、目が合う。
「……あ、えっと」
そういえば、何も言わずに入ってきたのだった。
今更ながら、罪の意識が芽生え始めていた。
「あー。福丸さんですね~。おはようございます~」
もう日も暮れるけれども。
いや、芸能界の挨拶はおはようございますだと聞く。
これはきっとそういう挨拶だろう。
「お、おはようございます!」
戸惑いが口から出てしまったものの、とにかく元気よくを意識した。
「おはようございます~。えっと、プロデューサーさんはまだみたいなので、もう少し待っててくださいね~」
無限ループに陥るかと思われた挨拶は、彼女が続けた言葉によって終わった。
そして、そんな彼女の、のんびりとした優しい口調には聞き覚えがある。
「あの、はづきさん……ですか?」
言ってから、間違っていたらどうしようと、いらないことを聞くべきではなかったと後悔したが、はづきさんの反応は後悔する未来とは真逆のものだった。
「はい~。覚えていてくれて、ありがとうございます~」
そういう彼女の反応は、どこか嬉しそうな印象を受けた。
とはいえ、印象のほとんどはもとからのほほんとした掴みどころのない印象なので、確かなものかは分からない。
「一昨日から続けて、福丸さんで四人目なんですよ~」
「は、はい」
透ちゃんたちのことだろう。
はづきさんはアイマスクを外してソファー前のテーブルに置くと、手を差し出して座るように促した。
一礼してはづきさんが座るソファーと直角に置かれたソファーに腰掛ける。
鞄はとりあえず膝の上。
対面に近い形で、一気に緊張が高まる。
「あ、面接はまだなので、気楽にしていいですよ~」
まるで見抜いたかのような物言いに、肩が跳ねる。
「えっと……なんの話でしたっけ~?」
「えと、透ちゃんたちの……」
「ああ、やっぱりお友達なんですね~」
「ぴ、ぴゃあ! え、えと、そ、そうなんですけど……えっと」
友達が始めたから、自分も受けてみようと思った。
なんて志望理由は、多分最悪。
では、その友達が辞めたら辞めるのか。
その友達と同じにはなれないがいいのか。
そんな質問が飛んでくるに決まっている。
「いいと思いますよ~。お友達といると、楽しいですからね~」
はづきさんはくすくすと笑っていた。
友達といると楽しい。
それは本当にその通りだと思う。
でも、楽しいだけでアイドルがやっていけるとは思えない。
それでもやはり、楽しくいたいと思ってしまう。
みんなと一緒にいるのは楽しいし、そういたいと思っているから今ここにいる。
アイドルになる理由として、それでいいのだろうか。
はづきさんにそれを聞こうとしたちょうどその時、廊下からガチャンと音がした。
「あ、プロデューサーさん。例の子、来てますよ~」
「ほんと? ごめんね、少し遅れちゃったかな」
廊下からやってきたのは、雛菜ちゃんと同じくらいの背丈をした、男の人。
まだ暑さは残っているというのに、スーツをしっかりと着ていて髪も整っており清潔感がある。
でも、どこか少しだけ頼りなさそうで、なんというか、喋りやすそうな人だ。
「い、いえ。大丈夫です!」
この人がこれから面接をする相手だと思うと、喋りやすそうでよかったと思う反面、緊張で膝に載せた鞄を抱く手に力が入る。
プロデューサーさんはソファーの後ろを通って机に鞄を載せた。
「それじゃあ、面接は一つ上の階でやるから、ついてきてくれるかな?」
「は、はい!」
いよいよ、これから先の二年間を左右する面接が始まる。