「それでね~、小糸ちゃんがガバって立ち上がって~」
授業が終わって、帰り道。
普段ならコマ数の違いで別々に帰ったり、途中まで雛菜ちゃんと一緒に帰ったりしているのだけれど、今日は……これからは、違う。
みんなと一緒に学校を出て、みんなと一緒に事務所に向かう。
その間に話すのは主に雛菜ちゃん。今日あった面白いことや楽しかったことをいつものように話してくれる。
「って、なんでわたしの話ばっかなの!」
もう事務所まで階段を上るだけだというのに、雛菜ちゃんはここまで一人の話題しか出していない。話題にされること自体はいやではないが、体育のサッカーでボールに思いっきりぶつかりに行ったこととか、勉強に集中しすぎて教室移動に気がつかなかったことばかり話すものだからさすがに恥ずかしい。
「え~、だって雛菜小糸ちゃんしか見てないよ~?」
つい数時間前に一緒にお昼ご飯を食べていたはずだけれども。確かにその話をここにいる三人にされてもみんな知っていることしかないけれども。
「あ、私も今日樋口しか見てないわ」
思いついたように雛菜ちゃんに対抗する透ちゃん。
「……張り合わなくていいから」
その標的となった円香ちゃんはといえば、いつも通り深くため息をついた。
「やは~、透先輩~円香先輩の面白い話聞かせて~」
「ん、えっと……」
「話さなくていいから、早く階段上って」
事務所の入り口を塞いで話し込んでしまっていた。
仕方ないなという様子で、透ちゃんが階段を上るのについていき、事務所に入る。
「あれ、今日お客さん来るんだっけ?」
「あぽなしほーもん、ですか?」
事務所の扉を開けると、奥からバタバタと音が聞こえてくる。
「えっと、すみません、今日はまだ私たちしかいなくて……」
奥から出てきたのは、園田智代子ちゃん。283プロのアイドルで、放課後クライマックスガールズに所属している。名前をもじってチョコアイドルとしてのキャラを立たせている。その後ろから顔を覗かせているのは同じユニットの小宮果穂ちゃん。小学六年生とは思えないスタイルだけれども、元気や無邪気さは小学生そのもの。
その二人が、目をぱちくりさせながらこちらを見ている。
「えっと……誰?」
「と、透ちゃん! 283プロの先輩だよ!」
透ちゃんの言葉は、きっと向こうの台詞だっただろう。
だからこそ、智代子ちゃんもびっくりしてしまっている。
「あ、ああ! 新しく入ってきたっていうノクチルの人たちですか?」
「あ――」
「やは~たぶんそう~」
聞き覚えのない単語が聞こえたので聞き返そうと思ったが、雛菜ちゃんに遮られてしまった。
「プロデューサーまだだよね? じゃあソファーは雛菜がもーらい~」
そう言って、いつの間にやら靴を脱いだ足をパタパタと鳴らしながら奥の部屋へと消えていった。
「あ、ずる」
先を越されたとでも言わんばかりに、雛菜ちゃんを追いかけていく透ちゃん。何も言わずにその透ちゃんにゆっくりとついていく円香ちゃん。
そして残されたのは……。
「え、えと、騒がしくてごめんなさい」
「ううん、大丈夫だよ。ね、果穂」
「はい! 賑やかな方が、あたしも楽しいですから!」
果穂ちゃんがぴょんぴょん跳ねる。ライブ映像を少しだけ見たけれど、そっくりそのまま画面から出てきたかのような感じがした。この純粋な元気の塊は、やはり小学生ならではかもしれない。
……そういえば、智代子ちゃんは常にチョコを携帯しているという噂があった気がする。
「あ、そうだ!」
そう言うと、智代子ちゃんはポケットに手を入れる。
「お近づきの印に……はい、どうぞ!」
本当に携帯していた。
智代子ちゃんの手に握られていたのは、プラスチックで包装されたチョコ四個。
「みんなの分も含めて!」
「あ、ありがとうございます!」
智代子ちゃんに一礼してからみんなを追いかける。
奥のパソコンとかテレビとか、居間なのか作業場なのか分からないスペースでは、もうすでに雛菜ちゃんがソファーに寝そべっていた。
「み、みんな! 先輩からお菓子もらったから食べよ?」
お菓子という単語に反応して雛菜ちゃんが勢いよく起き上がる。そしてその隙を見てソファーの半分を奪い取る透ちゃん。
「やは~お菓子くれる先輩好き~」
ソファーの背もたれ越しに手を差し出してくる雛菜ちゃんにチョコをひとつ。
隣に座る透ちゃんにもひとつ。
「円香ちゃんも、はい」
「ん、ありがと」
全員に配り終わったところで、自分の分の包装を解いて口に入れる。
学校終わりで脳が糖分を求めているちょうどいい時間帯。そこに甘い甘い香りが染み渡る。
溶けていくチョコに名残惜しさを感じていると、背後でドアが開く音がする。
「おーい智代子、果穂。そろそろ行くぞ」
「プロデューサーさん! おはようございます!」
知らない男性の声に返す元気のいい果穂ちゃんの声。
――ああ、あれが智代子ちゃんたちのプロデューサーさんなんだ。
ちょっとびっくりしてしまったが、果穂ちゃんの反応からして間違いなさそう。
「それじゃ、これからよろしくね」
小さく手を振りながら笑顔で出て行く智代子ちゃん。
「あ――」
返事を言う前に、扉は閉まってしまった。
「……やっぱり、忙しいのかな?」
調べて分かったが、放課後クライマックスガールズはいま絶好調らしく、ラジオをつけてもテレビをつけても出てくるらしい。テレビもあまり見ないし、ラジオなんてそれこそ聴かないので知らなかったが。
「まあ、そうなんじゃない?」
誰に聞いたというつもりはなかったのだけれど、円香ちゃんが返事をくれた。
と思っていたのだけれど、円香ちゃんの視線はこちらには向いておらず、事務所の入り口をじっと見つめていた。
「円香ちゃん?」
そこには何もないのに、何を見ているのか分からなくて、それが少しだけ怖くて、つい声をかけてしまう。
円香ちゃんは一瞬だけこちらに目配せして、何かを探すように目を泳がせてから深くため息をつく。
「……遅いなって」
円香ちゃんの視線を追うと、時計はちょうど五時。約束していた時間ちょうどのはず。
なるほど、それでプロデューサーさんが来ないか見ていたのか。
確かに、約束を守れないのは……あまりよくないと思う。
プロデューサーさんはプロデューサーさんで何か仕事があるのかもしれないけれど、それならそれで連絡は欲しい。
あれ、でもそれなら、何を探していたのだろうか。
「あれ~、円香先輩もしかしてプロデューサーのこと気になっちゃってたり~」
「え」
えっ。
まだ一回しか会ってないはずなのに。
しかし雛菜ちゃんの言葉は、円香ちゃんの表情が、もう今にも吐いてしまいそうなほど、もしくはとっても不味い食べ物でも口にしたかのように歪んだことで否定された。
そして、極めつけに一言。
「は?」
「や~ん、円香先輩こわい~」
雛菜ちゃんはケタケタと笑いながらソファーに沈んでいく。横に倒れたから多分透ちゃんの膝を枕にしているだろう。
「んあ?」
同時に聞こえた間抜けな声。
「あー、ふああ。みんな集まってたのか」
声の主を探すと、事務机に置かれたパソコンから顔が現れる。
「寝坊じゃん」
「寝坊だ~」
プロデューサーさんは二人の言葉に動じることもなく、苦笑しながら立ち上がる。
透ちゃんたちの座っているソファーと直角に置かれたソファーに腰掛けると、再び眠そうに目を擦る。まだアイドルとしての活動は始まってないけれど、プロデューサーさんも忙しいのかもしれない。
「えっと、二人も……」
と、対面のソファーを勧めてきたので、言われたとおりに座る。
なんだろう、少し不思議な感じだ。
「それで、なんの話ですか?」
ああ、そっか。円香ちゃんが隣にいるんだ。
いつも隣にいるのは雛菜ちゃんで、円香ちゃんとは一番遠い位置にいるから、それで違和感があったようだ。
「うん、そんなに長くはしないよ。顔合わせ程度に思ってもらえればいいかな。といっても、四人は幼なじみだから、顔合わせするのは俺の方か」
愛想笑いをひとつ飛ばしてから、しかし表情は笑顔のまま続ける。
「まず、ユニット名は――」
「ノクチル」
そしてすぐに、プロデューサーさんの言葉を透ちゃんが遮った。
豆鉄砲を食らったような顔で固まったプロデューサーさんに、透ちゃんが続ける。
「さっき先輩から聞いた」
そういえば、さっき智代子ちゃんが言っていた。ノクチルの人たち、と。
「でも花は持たせてくれよ~」
「ふふ、ごめん。私も持ってみたかったんだ」
「ま、ならいいか。スケジュールとか、悩みとか意見とかあれば、遠慮なく言ってくれ。それと……」
プロデューサーさんはソファーに座りながら後ろに腕を伸ばして、事務机に置かれたプリントファイルを手に取って、机に広げる。
「最初の目標は、年末に行われる新人向けオーディションWING優勝だ。早速だけど、レッスンの予定を決めようと思う。都合のいい日悪い日ってある?」
置かれたファイルには、マス目のようなものがびっしりと埋まっており、左には日付が、上には時間が書かれている。
プロデューサーさんはペンをノックして、さあ来いと言わんばかりに構えた。
「あ、えと、七時には……家にいたい、です」
それ以上遅くなると、お母さんに不審がられそうだった。それまでなら、なんとかみんなと遊んでいたとか、図書館で勉強していたとか言ってごまかせる気がする。
「小糸」
「ぴゃあっ」
突然円香ちゃんに呼ばれて、肩が跳ねる。
いつもより近い声で、いつもより大きな声で。
「な、なに、円香ちゃん」
隣に座る円香ちゃんの表情を伺ってみるものの、その表情から受け取れる情報はほとんどなかった。
でも、円香ちゃんの視線は何か、表情とかじゃなくてもっとなにか別のものを探るようなもので、少しだけ、怖かった。
「……いや、なんでもない」
円香ちゃんが何を受け取ったのか、それで何を感じたのかなど分からない。目を逸らした円香ちゃんは小さくため息をついてから、プロデューサーさんの目の前に置かれたスケジュールに視線を向ける。
「他のみんなは?」
「ないかな」
プロデューサーさんが目配せすると、透ちゃんが答える。
「雛菜もべつに~」
「ありません」
続けて雛菜ちゃんと円香ちゃんが答えたのを聞いてから、プロデューサーさんはスケジュール表に一本縦線を引いた。
ちょうど一八時のところに線を引いて、それより右に大きなバツをつける。
平日の左側はもともと灰色に塗りつぶされている。これで平日は一二時から一八時がレッスンとして使える時間になる。
「それじゃあ、まずは明日やってみようか。土曜日だけれど大丈夫?」
プロデューサーさんはとんとんと表の一番上を指で叩く。
「時間は……昼過ぎ一時から、二時間くらいでどうかな」
明日は土曜日で、もともと特に予定がない日。時間も二時間ということなので、おやつ時には終わりそうだ。
「具体的な内容は?」
「初回だから、踊りと歌のレベルをトレーナーさんに見てもらおうかな。それから先はどうするか考えるけれど、大体週に三回か四回レッスンがあると思ってもらっていいよ」
円香ちゃんの質問にもプロデューサーさんはすぐに返す。まるでその質問が来ることを期待していたかのように。
そして、その回答も知っていたかのような速度で、円香ちゃんが返す。
「随分とゆっくりなんですね」
それは確かにそうだなと思った。
週に三回、四回だと習い事と同じくらいの頻度しかない。休日なんて朝から晩までレッスン漬け……なんて想像していたものだから、少しだけ安心できる。
「のんびり、いいんじゃない?」
ここに来て、ようやく透ちゃんの口が開く。その隣にいる雛菜ちゃんは横になって寝てしまっている。
「雛菜も~」
そんな寝ているはずの雛菜ちゃんが透ちゃんの言葉に重ねる。何が雛菜もなのか分からないけれど。
「雛菜、起きて」
透ちゃんが雛菜ちゃんの肩を揺すると、呻きを上げながら意識を戻す。
「雛菜はこの日がいいとかあるか?」
プロデューサーさんの問いかけに、少しだけ考えてから、隣に座る透ちゃんを見て抱きつく。
「透先輩がいる日がいい~」