JUST LIVE MORE −刀剣戦姫伝・鎧武−   作:春風駘蕩

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注意! 本作品は不定期での投稿になります、お気を付けください。


プロローグ

 ───私はその日、悪魔と出逢った。

 

 親友と迎えた、二人の歌姫による宴の夜。

 熱狂と感性が響き渡り、誰も彼もが歓喜の表情で吠えていた、至福の時間。

 それが悪夢の時間へと変わった時、あの悪魔は現れた。

 その悪魔によって、親友が別の存在へと変わっていく姿を―――。

 

 私は、見ていることしかできなかった。

 

 

「……もう、何やってるのよ。流石に遅刻しすぎだよ?」

『ごめん未来! 迷子の男の子が転んで泣いてたからついほっとけなくなっちゃって!』

 

 ざわざわと、多くの人々がざわめく列の途中、黒髪にリボンを結んだ少女が、不機嫌そうに携帯電話に告げる。

 通話の向こう側にいる相手の少女は、親友が苛立っていることを強く感じ、必死な声を返していた。見えないのに、平謝りしていることがよくわかる声である。

 

「趣味の人助けはいいけど、友達との約束をすっぽかすのは感心できないな〜?」

『ほんっとうにごめんなさい未来様! いっ、いまなんとか間に合うように頑張ってるから! お願いだからもうちょっとだけ待ってて……あ!』

 

 いつもと変わらない、あまりにお人好しすぎる親友にため息をこぼす少女―――小日向未来。

 やれやれと肩をすくめる彼女の元に、パタパタと慌ただしい駆け足の音が届いた。

 

「未来ぅ〜!」

 

 新たに人が加わり、より長くなる列の横を抜け、未来の方へと向かってくる茶髪の少女。

 元気を見た目で表したような印象の彼女―――立花響が、腕を組んでじろりと睨んでくる未来の前で、パンッと両手を合わせて頭を下げる。

 が、親友の曲がってしまったヘソはそう簡単には治らないようだ。

 

「はい、約束の時間から1時間の遅刻」

「うぇっ⁉︎ そ、そんなに経ってた⁉︎ ごめん! 未来がすごく楽しみにしてたライブなのに…!」

「そうだよ…せっかく響と一緒に楽しめると思ったのに」

「ああああ…! 未来様、ほんっとうにごめんなさいっ!」

 

 寂しげに唇を尖らせる未来に、合わせた掌を頭上に掲げるようにして響が泣き叫ぶ。

 一体どうしたら親友は機嫌を直してくれるのだろうか、響はさしていいとは言えない自分の脳を働かせ、最適解を導き出そうと試みる。が、やっぱりいい案はそうそう出てきてくれない。

 

 そんな親友の必死な姿に、未来はやがてクスクスと笑みをこぼした。

 

「……ウーソ。今からでも十分間に合うよ」

「え?」

「響なら絶対、途中で何か巻き込まれてくるんだろうな〜って思って、早めに待ち合わせの時間を決めてたの」

 

 ポカン、と呆けた響は、しばらくしてへなへなと肩を落とす。

 安心はしたが、親友の思惑通りに進められてしまった気がして、なんとも言い難い気持ちになっていた。

 

「そ、そんなぁ〜。ひどいよ未来ぅ…」

「でも予想通りだったでしょ?」

「……面目次第もございません」

 

 現に待たせてしまったため、響にこれ以上何かを言う資格はない。ただ粛々と、未来からのお小言を受け止めるしかない。

 しかし未来は、しょぼんと叱られた子犬のようになっている響を見て、十分溜飲を下げたらしく。苦笑しながら、うなだれる親友の手を引いて列に招き入れた。

 

「もう許してあげるから。そこが響のいいところなんだもんね」

「わーい! 未来大好き〜!」

「もう…! 調子いいんだから!」

 

 途端に元気な声で抱きつく響。

 未来は困り顔でため息をつき、これでようやく、自分が好きなアーティストのライブに彼女を招くことができることを喜んだ。

 

 

 

 がやがやと、大勢のスタッフ達が行き交う舞台裏。

 照明、機械、音響、この会場で行われる、二人の歌姫たちによる宴を完遂させるため、各々に任された役割をこなしに、みな小走りで動き回る。

 

 主役となる歌姫も、自分の準備にかかっていた。

 物陰に腰を下ろし、顔を伏せて呼吸を整える青い髪の少女―――風鳴翼。彼女はマントで体を隠し、迫り来るかい幕の時に備えていた。

 

「おやおや? うちのお姫様は、ちっとばかしナイーブになってんのかな?」

「……奏」

 

 一人、精神統一に励む翼の元に歩み寄る、赤い髪の女性―――天羽奏。

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、やや硬い表情の相棒の隣に腰を下ろし、寄り添う。

 

「大丈夫よ、すこし…集中していただけだから」

「そこまで気負う必要なんてないだろ? …いつも通り、昨日のあたし達より強く大きな声で歌うだけだ。そうだろ?」

 

 さほど緊張感を感じさえない、自然体に見える奏に、翼も触発されたのか笑みを返す。

 

 風鳴の家に生まれ、背負った重荷に苦しむ日もあった。

 そんな自分を救ってくれている奏の言葉に、翼は胸の内に炎が宿るのを感じる。

 彼女さえいてくれれば、どこまでも行ける。翼にはそう思えた。

 

「ええ、その通りね…鍛え研いだこの身で、全力を尽くすのみだわ」

「あ〜…! 固い、固いぞ。そんなんじゃせっかく研ぎ澄ました刃もぽっきり折れちまいそうだ」

「ふふっ…大丈夫よ、奏。私はもう平気」

 

 なだめても気を張ることをやめない相棒に、困った顔で肩をすくめる奏。

 それでも自分なりの落ち着きを取り戻せたのか、翼は柔らかく微笑んでみせる。そんな時だった。

 

「ここにいたか、二人とも」

 

 互いにコンディションを整える二人の元に、一人の大柄な男が近づいてくる。赤いスーツに身を包んだ、非常にガタイのいい中年の男だ。

 彼女達にとっての上司である彼―――風鳴弦十郎は、見上げてくる二人の様子を確認し、満足そうに頷いた。

 

「緊張は……していないようだな」

「コンディションはバッチリだぜ、旦那」

「はい、全力を尽くす所存です」

「うむ、頼もしい返事で何よりだ!」

 

 奏と翼、二人の返事にも、弦十郎は頷く。

 しかしすぐに、朗らかだった笑みを消し、真剣な視線を二人に向けた。

 

「今回はお前達の大事なライブであると同時に……俺達にとって非常に重要な実験が控えている。気を抜かないように―――」

「わかってるって、言ったろ? 全力を尽くすってさ」

 

 厳しい声で告げる弦十郎に、奏はいつも通りの気安さで応える。

 気を抜いているわけではない。常に役目に対し向き合う彼女にとっては、変わらない事こそが最善の状態であるのだ。

 

 しばらくの間、口を閉ざし佇む奏。

 やがて彼女は歩き出し、翼もその後を追うように立ち上がった。

 

「さぁ、行くか!」

「ええ…!」

 

 力強く腕を当て隣り合って歩く二人。

 向かう先で何万人が待つ会場で、最高の歌姫の歌を届けるために―――。

 

 

 何百、何千もの観客によって、まるで大蛇のような列が生まれ、前へ前へと進んでいく。

 その一部となりながら、響は未来と共にチケットを確認し、ついでに途中で購入したサイリウムを確かめていた。

 

 とはいえ、ライブが初体験である響は、渡されたサイリウムを不思議そうに見つめるばかりだったが。

 

「…えっと、よく見るけどこれどうやって使うの?」

「貸して。ここをこうして…はい!」

「おお、点いた」

 

 未来が代わりに、響の分のサイリウムをパキッと折り、点灯させる。

 淡くきれいな光が灯ったそれをしげしげと見つめてから、響は未来に疑問の視線を向けた。

 

「はぇ〜…すっごい盛り上がってるみたいだけど、ツヴァイウィングってそんなにスゴイの?」

「そりゃあもう! 響もきっと来てよかったって思うよ」

「へぇ~……楽しみだなぁ」

 

 二人で話しながら進んでいると、やがて二人の分の責に辿り着く。

 席に座り、しばらくの間たわいもない会話で時間を潰しながら、ライブが始まるのを待つ。

 

 少しずつ、少しずつ時計の針は進み、やがてその時が訪れる。

 その瞬間、フッと会場内のライトが消え、辺りは真っ暗闇に包まれる。それを合図に、観客席に座っていた全員が、勢いよく立ち上がって歓声を上げ始めた。

 

 

 そして、彼女達は現れた。

 

――――――♪

――――――♬

 

 

 まるで鳥の羽を連想させる衣装に身を包み、会場全体に美しい声を響き渡らせる二人の美女。

 紡がれる声はまるで、魂の奥底にまで染み渡るように、透き通っている。

 

 続いて流れる激しい音楽。

 それに乗せ、歌姫達は素早く軽やかにステップを踏み、衣装の裾を翻し舞い踊る。

 暗い夜の真下、眩い照明に照らし出されるその姿は。

 

 まるで己の命を燃やし、存在を世界に焼き付けようとしているかのようだった。

 

「……すごい」

 

 その様を、響は呆然と凝視していた。

 歌姫達、紡がれる歌、目と耳を刺激する全てに心を奪われていたのは間違いない。

 

 しかし、彼女が真に圧倒されていたのは、観客席での一体感だった。

 二人の歌姫達、周りの観客達、そして隣にいる親友。会場内にいるすべての人々と、自分の心が繋がり交じり合っているような。

 

 そんな感覚が、響の心を震わせていた。

 

「これが…ツヴァイウィング…!」

 

 気づけば彼女も、未来や他の観客達に混じり、手にしたサイリウムを振り回していた。

 もっと、もっと繋がりたい。この場にいるみんなと、心を同じくしたい。そんな願いが、響の心に溢れ出していた。

 

『まだまだ行くぞォォォ‼︎』

 

 一曲目が終わり、どっと湧き上がる歓声に応える奏。

 たった一曲歌っただけで、顔中に汗を垂らしながらも、歌姫達は間髪入れず、次の歌に備える。

 歓喜の時間はまだまだ終わらないと、観客達も怒涛の声で応えようとする。

 

 だがその時間は、唐突に終わりを告げた。

 会場のどこかで突然起こる爆発、それに気づいた観客達が、爆心地に目を向け、大きく目を見開いたかと思うと。

 

 ―――ノイズだ‼︎

 

 そんな叫びが上がり、恐怖と混乱が辺りに拡大する。

 立ち上る煙の奥から現れる、無数のカラフルな影を捉えた瞬間、悲鳴と怒号はさらに大きく膨れ上がった。

 

 ノイズ―――認定特異災害と総称される、人類の敵。

 

 不運にも、不幸にも、それらが現れたすぐそばにいた観客達がいた。

 それに関する情報を知っていたがために、彼らは恐怖で一歩も動けなくなってしまう。

 

 ノイズ達はまるで彼らを嘲笑うように、一歩ずつ歩み寄っていき、やがてその体で人々に触れていく。

 

 その瞬間、触れられた人々は端から真っ黒に染まり、ただの炭素の塊となった体は、ボロボロと呆気なく崩れていった。

 

 きゃああああああああ‼︎

 

 人が一切の痕跡を残さず消え失せる光景に、人々はさらなる悲鳴をあげる。

 触れれば誰も生き残れない、炭素分解という恐ろしい現象を起こす〝災害〟を前に、人々はもう冷静ではいられない。

 

 誰もが我先にと、災害から逃れようと走り出し、パニックに陥った。

 

「くそ! よりによってこんな時に…!」

 

 舞台の中心で、奏が思わずぼやくように言う。

 全身全霊を込めた大事なライブ、上司達が抱える重要な実験、数多の想いを背負う挑戦が、意思なき災害によって頓挫させられる。

 これほど苛立つことはなかった。

 

「奏…! 今は一刻も早く…」

「ああ、わかってる!」

 

 怒りで歯をくいしばる奏に、翼が一喝を送る。

 奏はすぐに我に返ると、迷うことなく人々に襲いかかり、炭素の山に変えていく異形の集団を見据える。

 

 そして彼女達は突如、ある一つの歌を歌い出した。

 

―――Croitzal ronzell Gungnir zizzl

―――Imyuteus amenohabakiri tron

 

 どこまでも響き渡る、聖なる歌姫達の祝詞。

 胸の奥から溢れ出すその歌を、歌姫達は猛る闘志とともに紡ぎ出す。

 

 その瞬間、二人の姿が一瞬で変化する。

 衣装が消え去り、全身をぴったりと覆うスーツが身に纏われ、その上にいくつもの装甲が張り付いていく。

 

 それは、日本政府が所有する唯一ノイズを殲滅できる装甲。

 神代より遺されし異物を歌の力で呼び覚まし、武器として改造を施した、人類最後の希望。

 フォニックゲイン式回天特機装束〝シンフォギア〟だ。

 

「行くぞ!」

「ええ!」

 

 オレンジと青、二つの輝きを放つ戦乙女の衣装を身に纏い、奏と翼は人類の敵に向かって踊りかかった。

 

 

 

 二人の歌姫達が槍と刀を手に、人類に討伐し得ないはずのノイズと戦うその様を、多くの人々は見ている余裕がなかった。

 

 逃げ遅れた未来も同じで、ノイズが人間に触れ、次々に炭素に変えていく悪夢のような光景を、ただ見ている事しかできなかった。

 

「あ、あ…!」

 

 恐怖に呑まれた少女は、立ち上がる事さえできない。

 ぶるぶると震え、真っ青な顔でへたり込んでいた彼女は、不意に誰かに手を引かれてハッと正気に戻った。

 

「未来! しっかりして! 逃げよう!」

「ひ、響……!」

 

 必死の表情で呼びかける響に、未来は呆然としたまま、手を引かれるままに立ち上がり、ぎこちなくもどうにか走り出す。

 しかし、二人が通路へと向かおうとしたその時、突如足場が崩壊し、二人は空中に投げ出されてしまった。

 

「きゃあああ‼︎」

 

 突然の浮遊感に悲鳴をあげる未来。

 同じく目を見張る響だったが、迫る地面に屈と歯を食い縛り、未来を抱き寄せると自分が真下に回る。

 

「ぅあぐっ‼︎」

 

 かなりの高さから落下し、強く背中を打ち付けた響が苦悶の声をこぼす。

 目立った怪我もなく地面に落ちた未来は、自分の代わりに下敷きになった響に気付き、呻く彼女を慌てて抱き起こした。

 

「響…! わ、私をかばって…」

「っ…、へ…いき、へっちゃら……だよ…!」

 

 明らかに無理をしているとわかる表情で、親友に笑ってみせる響。

 痛む体を無理矢理起こし、一刻もこの場を離れなければと、未来の手を引いて立ち上がる。

 

 武器を手に戦う歌姫達と、同じ場所に降りてしまった二人。

 その光景に困惑を抱きながらも、身に迫る危険の回避を優先し、歩き出そうとしたその時だった。

 

 

 バキンッ!と音を立てた何かが、ぐさりと肉に刺さる音がする。

 

 

 響は突如、自分の胸に走った衝撃に目を見開き、崩れ落ちる自分の身体に大きな戸惑いを抱いた。

 

「―――え?」

「しまっ―――」

 

 響の視界の中で、奏が愕然と見つめてきているのに気づく。

 

 彼女の持つ槍の一部が破損し、その破片が響の方へと飛来し、突き刺さってしまった。

 そんな事実に、この時の響はまるで理解していなかった。

 

「響ぃいいい‼︎」

 

 未来の悲鳴を聞きながら、響はその場に仰向けに倒れ込む。

 破片を受けた胸からは、だくだくととめどなく鮮血が溢れ出し、彼女の前身を赤く染めていく。

 未来が傷口に手を当て、必死に流血を止めようとするが、何の意味もなさない。

 

「奏! 民間人が!」

「くそっ! 時限式じゃ人一人守れないのかよ…!」

 

 気づいた翼が声を上げ、奏が二人の傍へ駆け寄ろうとする。

 次々に湧いて出るノイズの壁を薙ぎ払い、粉砕しながら、奏は自分の失態で死にかける二人の元に急ぐ。

 

「響…! しっかりしてよ響ぃ…!」

「そこのお前! その友達を連れて早く逃げろ!」

 

 叫ぶ奏だが、未来は完全にパニックに陥っているのか、響の傷を抑えたまま動かない。

 響の傷は明らかに重傷。無理に動かせばより危険な事態に陥る事をわかってか、未来は響に呼びかけ続けるばかりで、全く逃げようとしなかった。

 

「く……待ってろ、今そっちに……!」

『***********』

 

 舌打ちし、さらに急ぐ奏。

 しかし彼女の目前に、一際大きなノイズの個体が現れ、まるで通せんぼをするように立ち塞がる。

 

「くっ…! 邪魔だお前らぁああ‼︎」

 

 すぐさま討ち、突破しようとする奏だが、大型ノイズの脇からさらに別のノイズが現れ、新たな壁を作り出す。

 しかもその内の数体は、泣き叫ぶ未来達の方へと向かい始めていた。

 

「待て…そっちに行くな‼︎」

「奏!」

 

 少女達に迫る危機に、奏は一瞬我を忘れ、無茶な特攻を行いかける。

 他のノイズの相手から手が離せない翼が必死に止めるが、焦燥に駆られた奏には届かない。

 

 巨大ノイズが自身を狙っている事も気づかず、消滅の危機にある二人に向けて、必死に手を伸ばした。

 

「やめろおおおおおおおおおお‼︎」

 

 意味のない奏の叫びが、会場中に木霊する。

 ノイズの手が無慈悲にも、叫ぶ未来と横たわる響の身体に触れようとした。

 

 

 

 その瞬間、彼女達の周囲の全てが、まるで凍り付いたように制止した。

 

 

 

 親友に必死に呼びかけていた未来は、ふと周りから何の音も聞こえなくなったことに気付き、ようやく我に返る。

 響の傷を抑えたまま、辺りを見渡し、誰も動いていない異常な事態に困惑の眼差しを向ける。

 

「こ…これは、どうなってるの…⁉︎」

『―――お前さんの意識だけ、時間の流れから外しただけだ』

 

 いつの間にか止まっている響の流血に戸惑う未来の元に、聞きなれない声が届く。

 ハッと息を呑み、振り向いた未来は、瓦礫の向こう側から歩み寄ってくる一人の男の姿を目にする。

 

『こいつはまた、派手に暴れたもんだな。…実にあの女らしい』

 

 民族衣装のような格好に身を包み、顔の半分以上を隠した、中肉中背の男。

 そこにいるはずなのに、なぜか気配が希薄に感じるような、とにかく普通の人ではないと確信させる奇妙な男が、崩壊した会場を見渡して呟いた。

 

 未来はその男に、警戒以外の何も抱けない。

 自分以外の全ての時間が停止するという謎の現象に、間違いなく関わっていると確信し、怯えながらも響を抱きしめ、威嚇するように問いかけた。

 

「だ、誰……ですか」

『そう怯えるなよ。ただそう……お前さんと取引がしたいだけさ』

「とり…ひき…」

 

 唐突な申し出に、眉を寄せる未来。さっきから冷や汗が止まらず、震えも止まらない。

 

 謎の男は覆面の下でフッと笑い、未来だ抱きしめる響を見下ろす。

 彼が指さす先は、痛々しくぱっくりと裂けた、致命傷と思わしき響の傷口を示していた。

 

『おそらくそっちのお嬢さんは、数分経たずに死ぬだろう。心臓を貫かれちまってるんだ……今から搬送したところで、時間の無駄だろうな』

「そん…な」

『だが、あくまでそれは可能性の一つだ』

 

 考えうる最悪の事態に、未来は親友を抱きしめる力をより強くする。

 響がいなくなる、大切な親友がいなくなる、そんな想像をするだけで、未来は目の前が真っ暗になる。

 

 そんな彼女を見下ろし、謎の男はさらに笑みを深めた。

 

『―――選べ。このまま親友を見殺しにするのか、この蛇の甘言に乗るのか……二つに一つだ』

 

 そう言って男は、袖の奥から両手を出し、掌を見せてくる。

 するとその上に一つずつ、眩しい金色の光が灯り、徐々に形を変えていく。そしてやがて、未来の前にそれは現れる。

 

 男の右手には、黄金に輝く果実のような何か。

 そして左手には、種のような金色に輝く何かが乗せられていた。

 

『こいつは、芽吹けば世界の全てを変え得る力を持った〝果実〟だ……これをお前さんに預けよう』

 

 右手に輝く方を掲げ、男は告げる。

 まるで太陽のように眩しく、美しく輝くそれは、未来には何故だか、悍ましく危険な何かのように思えてしまう。

 

『そして―――こっちの〝種〟をそっちのお嬢ちゃんに植えよう。そうすりゃあ、その程度の傷はすぐに塞がるはずだ』

 

 そう言って掲げるもう一つの何か、種を見せつける男に、未来はごくりと息を呑む。

 種も果実と同じだけ、恐るべき力を秘めた危険なものに思えてならない。そんなものを親友の体の中に入れて、無事で済むとはとても思えなかった。

 

 しかし、何もしなければ親友はこの世から去ってしまうのだという事実が、未来に決断を迫る。

 それを知ってか、男は不気味に笑いながら、二つの光を突き出した。

 

『だが心しておけ。大いなる力には大いなる運命が付き纏う……お前さんの選択一つで、このお嬢さんの未来が大きく変動することになるぜ』

「響の…未来」

『力を求めるか拒むか、二つに一つだ』

 

 ドクン、ドクンと、未来の中の鼓動が異様に大きく響く。

 全てを失くす未来か、何かが変わってしまう未来か、親友とはいえ、自分ではない誰かの運命を決定するという分岐路に、未来は荒い呼吸を繰り返し、思い悩む。

 

 しかしその時、彼女の脳裏に幾つもの記憶が蘇る。

 幼い頃から共にいた響との、かけがえのない大切な日々が、走馬灯のように次々に頭の中を駆け巡る。

 

「……変えたい」

 

 気づけば未来は、呟いていた。

 何処か嘲笑うように、意味深な笑みを浮かべて見下ろしてくる謎の男を、未来はキッと鋭く睨みつけ、力の限り叫んでいた。

 

「こんな…私が誘ったから、私が倒れたから…! 私のせいで響が死んじゃう未来なんて……! 絶対に変えたい! 変えてやる‼︎」

『…その先にどんな結末が待っていようと?』

「響は死なせない‼︎ 絶対に‼︎」

 

 引き返す事の出来ない決断に怯える余裕もなく、未来は決意を口にする。

 

 例え後でどんなに怒られ、責められ、憎まれようとも構わない。

 今救える、たった一人の大切な親友の命を救うために、未来は男に―――悪魔との契約に踏み切った。

 そう、決断してしまったのだ。

 

『いいだろう……せいぜい足掻いてみな』

「あぐっ…!」

 

 そう告げた男の手から、果実と種がひとりでに動き出し、未来と響の胸の中に入り込む。

 異物が体内に入り込む感覚に、未来は一瞬苦痛を訴えるが、すぐにそれは激しい熱に変わり、全身に広がっていく。

 

 同時に、響の身体もビクンッ!と震え、響がかはっと血反吐を吐く。。

 止まっていた時が動き出し、再び血潮が傷口から噴き出そうとした、だが。

 

『さぁ、始まりの時だ』

 

 謎の男が呟いた瞬間、響の目がカッと見開かれる。

 投げ出されていた両足が震え、がくがくと激しい痙攣を起こす。胸の奥に潜り込んだ何かに苦しみ、両手が勝手に傷口のあたりを掻きむしる。

 

 突如起こった自身の変化に、響は未だかつて経験したことのない感覚に襲われ、ひたすらに悶え苦しんだ。

 

「うっ…うわああああああ‼︎」

「響‼︎」

 

 悲鳴をあげ、崩壊した会場の片隅で震える響。親友の異変を前に、未来はとてつもない後悔に襲われ、頭を抱える他にない。

 

 すると次の瞬間、響の胸の傷口を中心に、大量の植物の蔓が飛び出し、会場全体に広がっていく。

 凄まじい勢いで伸びていく弦は、会場に取り残された人々を避け、人々と同じく停止するノイズに絡みつく。

 

 何が起こっているのかまるでわからず、混乱の渦に陥り、未来はたまらず響に縋りついた。

 

「何なの、これ…⁉ 響…響!」

『契約はこれで完了した……目覚めの時を、楽しみにしてるぜ』

 

 戸惑うばかりの未来を置き去りに、笑ったままの男はスッとその姿を消してしまう。

 元凶が姿を消したことにも気づかず、未来はひたすらに植物に覆われたままの響に縋りつき、名前を呼び続ける。

 

 そしてやがて、何かの枷が壊れるような音と共に、周囲の時間が動き出す。

 その瞬間、周囲に伸びた植物の蔓や、それに巻き付かれたノイズたちが、あっと言う間に炭素のかけらとなって崩れ、消えていった。

 

『―――!』

 

 断末魔の悲鳴ともとれる不協和音を残し、会場に現れたノイズ達が一体残らず消滅する。

 その様に、未来だけでなく翼や奏、そして生き残ったほかの観客達も、唖然とした様子で棒立ちになっていた。

 

「な…何だ、今の…⁉︎」

「何が起こったの…?」

 

 傷だらけになったシンフォギアを纏ったまま、目を見開く歌姫達。

 姿の変わった彼女達に気付けないほど、観客達の脳は働きをやめ、全員置物のように固まってしまっていた。

 

 そんな中でただ一人、未来は響に起こる()()を凝視していた。

 致命傷だった深い傷が、植物の蔓が消えると同時に光を放ち、小さな痕だけを残して塞がっていったのだ。

 

「……う、ぁ」

 

 光が消えると、苦しんでいた響の表情が徐々に穏やかになり、呼吸も少しずつ落ち着きを見せていく。

 一部始終を目の当たりにした未来は、恐ろしさや困惑よりも先に、大きな歓喜に包まれ、親友に勢いよく抱きついていた。

 

「響…響ぃ!」

 

 涙を流し、喜びをあらわにする未来。

 いまだ目を覚まさない響に頬ずりし、ひたすらに彼女が生き延びてくれたことに感謝する。

 

 自分の下した決断が、とてつもなく残酷で恐ろしいものであったことになど。

 この時の彼女は、まるで知らずにいた。

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