JUST LIVE MORE −刀剣戦姫伝・鎧武− 作:春風駘蕩
響の頭上に出現する、鋼鉄の果実―――鰐の鱗のように凸凹とした歪んだ球体。
それは響がベルトの刀を傾け、錠前の前面を切り開いた途端に響の頭に覆いかぶさり、展開し上半身に張り付く。
十字に分かれた果実は正面が響の胸を覆い、黒い球体が中心に備わった分厚い装甲に。
左右部分は折り畳まれ、扇状の装甲に。
背中部分はそのまま裏返しになり、淡い緑色の部分を晒した雫型の装甲となる。
兜にも変化が起こり、
最期に瞳の色が明るい若草色に変わり―――光が消え虚ろになる。翳っていた表情すらも消え、完全な無の表情となる。
そして、響の右手には太く長い鉄の筒……抱える程の直径と身の丈以上の大きさを持った、機械的な大砲が提げられた。
その姿は、いうなれば重装砲兵。
実際の戦場ではまずありえない、単独で大砲を担ぎ戦地に突っ込む事を想定したような、重さと硬さに特化した鎧だった。
「……はっ、そいつがお前の切り札か。
突如自分の前に割って入り、姿を変えた響を見やり、鎧の少女は嘲るように吐き捨てながら、その目は警戒心を緩ませず相手の動作を監視する。
見掛け倒し、であるはずがない。由来も正体も不明の鎧と武器が、何の脅威もない
「何だありゃ…⁉」
『大砲だと…⁉ 響君、おい響君! 聞こえているか、響君!』
奏も翼も、二課の誰もが初めて見る新たな鎧。そして、再びなってしまった響の無の状態。
戦闘能力においては比類なき力を見せつけるも、敵味方の区別がついているのかも曖昧な、意思を感じさせない人形のような不気味さを見せるその状態に、弦十郎が通信越しに必死に呼びかける。
だが、誰の声も響の目を覚まさせることはなく―――響は徐に大砲に備わった持ち手を引っ掴み、砲口を少女に向けて構えた。
「―――っ!」
瞬間、ぼっ!と爆発音が響き、響の構える砲口から若草色の閃光が走る。
少女ははっと目を見開くと咄嗟に鋼の鞭を操り、交差させて即席の盾を作り出す。
直後に光る砲弾と鞭の盾が激突し、凄まじい衝撃と轟音が辺りに撒き散らされた。
「ぐ……ぁ…! この…! こんな、もんで……あたしを……‼」
閃光を押しとどめる鋼の鞭。しかし、砲撃は撃ち出されてなお勢いを落とす事なく、少女の防御を貫かんと前進し続ける。
ぎりぎりぎりぎり…と軋む金属音が鳴り響き、少女は必死に踏ん張っていないと容易く吹き飛ばされる程の重力に苛まれる。実際、鎧は無事でも、華奢な少女の体は徐々に後ろに押し出されつつあった。
みしみし、めきめき、と鎧と身体、両方から嫌な音が聞こえてくる。
血が滲むまで歯を食い縛り、砲撃を逸らし受け流す隙さえないほどに追いつめられ、少女の貌は引き攣り始める。
そこへ―――ずどん、と。
響が再度砲弾を装填し、全力で留めている先の砲撃に重なるように容赦なく、三発連続で撃ち放った。
「ぐ…ぐぅううう…! ―――ぁああああああああああ‼」
二発、三発、四発と立て続けに真横の重力を押し付けられ、少女は苦悶に顔を歪め、それでも耐えようとした。
しかし五発目を受け止めた瞬間、少女の体は木の葉のように吹き飛ばされ、続いて五つの砲撃が纏めて炸裂し、若草色の爆発に呑み込まれる事となる。
黒煙に包まれながら、少女は放物線を描きながら地に墜ち、全身を強かに打ち付け転がり回った。
「が、ぐっ…がはっ…! 畜生! こいつ…急に別人みたいに容赦なく撃ちまくりやがって! ……流石にキレたかよ、図星ばっかり突かれてよ‼」
咳き込むと微量だが血反吐がこぼれ、鋭い痛みに襲われ視界が揺れる。空中で散々回転し、あちこち硬い地面に叩きつけられた所為か平衡感覚が損なわれ、とてもではないが立ち上がれない。
それでも少女は、悪態を吐き響を睨む。
甘い考えをひけらかしていたくせに、何かの枷が外れたらしい敵に気丈に立ちはだかり、戦意を見せつける。
だが……響はその言葉に何も答えない。
白煙を上げる果実の大砲を再び構え、照準を少女に―――標的に定め直す。
「⁉ …お、おい、待て、やめろ!」
少女は流石に慌て、その場を離脱しようと四肢に力を込める。相手が明らかに己を殺す気で平気を向けている事に気付き、ぎょっと目を剥く。
「お、おい。響……⁉」
歌姫達も異変に戸惑い、瞠目し言葉を失っている。
周囲の視線に構う事なく、響は何の感情も悟らせない虚ろな眼で、凶器を突き付けていた―――そして再び、一切躊躇いのない砲撃を行った。
「がぁああああああああああああああ‼」
防御もなく、真正面から砲撃を喰らった事で、強固を誇っていた少女の銀の鎧についに罅が入る。
胸を覆う鋼が蜘蛛の巣状に砕け、一部が剥がれて肌を露出させる。無数の銀の破片を辺りに撒き散らし、華奢な身体ががしゃんと音を立てて地面を転がる。
だが、まだ止まらない。倒れた少女に、響は二発、三発と立て続けに砲撃を放ち、無防備な敵の体を空中へと撥ね上げさせた。
「あぐ…がはっ⁉ ぐがっ、ああぁあああ‼」
肩に、胸に、腹に、手足に若草色の閃光が炸裂し、その度に鎧は罅割れ砕け、身体に傷を与えていく。
放たれた砲撃は外れず、しかし凄まじい硬度を維持する鎧は一発では砕けない。一箇所ずつ、少女を守る鋼を削ぎ落し激痛を味わわせる様は、惨い拷問のように悍ましく痛ましい。
少女が悲鳴を上げ、時に血反吐を漏らすも響の猛攻は止まる事がない。ただ淡々と、敵を排除するという行動だけを貫いていた。
「くっ…! やめろ響! それ以上やったらそいつ死ぬぞ! 目ぇ覚ませ‼」
「…………」
奏が息を切らせて呼びかけるも、一切の反応を返さない。人の形をした平気か何かになってしまったかのように、轟音とともに砲弾を放つ果実の大砲を支え、照準を合わせ引き金を引く作業を繰り返すばかりだ。
「がはっ…! ……ぁ、ぐ、あ……!」
十数発、或いは何十発という砲撃を何度も喰らわされ、少女は白煙を立ち昇らせながらついに地に伏せる。
鎧は最早ぼろぼろで、手足に僅かな欠片が張り付いているだけで頼りない。火傷と擦傷だらけになった肌の殆どを露出させられ、小柄ながらも豊満な肢体を晒す羽目になっている。
悪態をつく余裕すらなくなった様子で、か細く呻き声を漏らし、がくがくと痛々しく痙攣する身体を伏せさせる。
『やめるんだ、響君! …翼、奏、そっちで止められんか⁉』
「く…! そうしたいのは……山々、なんだが…!」
「絶唱のフィードバックが……五体満足なだけでも僥倖だが、何だこの、異様な虚脱感は…!」
血反吐を吐き、地を転がる少女の姿に、通信機越しに弦十郎も今にも飛び出しそうな勢いで焦り、奏達に呼びかける。
いくら自ら敵を名乗り、
ましてや―――それを行っているのが、本来虫も殺せぬような優しい後輩であるならなおさらだ。
だが、そんな奏や弦十郎の想いとは裏腹に、地に伏した少女を冷徹に見下ろした響は、ベルトの小刀に手をかけ傾ける。
【アボカドスカッシュ!】
「…⁉ 待て、待て待て待て待て! やめろォ‼」
果実の錠前が切り落とされた直後、がこんと大砲を両腕で支え、その場で強く踏ん張る。
砲口の奥に若草色の光が灯り、それは見る見るうちに大きく膨れ上がり、やがては蟒蛇の口からばちばちと雷電が走り出す。
間違いなくそれは、必殺の一撃の前兆……最大出力の砲撃を以て、すでに息も絶え絶えな少女の息の根を止めるつもりだ。
響の体を乗っ取った何かが、響の意思を精神の奥底に封じ込めたまま、本人が拒み疎み嫌がってきた行為を―――命を奪う行為に手を出そうとしている。
「くそ……動け、動けよ、この…! ぅおあああああ‼」
がっ、と地面を殴りつけ、奏が呻き声を漏らしながら、残ったなけなしの力を搔き集め、起き上がろうと藻掻く。
まるで、先程とは真逆。標的にされた後輩を守っていた数秒前と立場が入れ替わったように、その手を殺めようとしている背中を見つめている事しかできない。
地に落ちた力無き鳥畜生のように、無様を晒す以外に何もできない。
だが、どんなに苦痛が体を襲っても、虚脱感に苛まれようと。
守ると決めた後輩が手を汚す、そんな未来だけは……決して受け入れられなかった。
「がぁああああああああああああああああ‼」
「⁉ 奏‼」
悲痛な雄叫びを上げた奏が、どっ!と地面を踏み砕く勢いで宙へ跳び出し、馬上槍を握り締めて突進する。
翼が悲鳴交じりの声で呼び止めるのも構わず、感情の消え失せた顔で敵を見据える響でも、痛々しい姿で倒れ伏す少女の元でもなく、二人の間の地面に向かってその身を躍らせる。
「間に合え…! ぅおああああああああ‼」
【バナナスカッシュ!】
ベルトの小刀を三回、力任せに傾け、錠前から流れ出した力を両手で構えた馬上槍に流し込む。
骨が軋み、筋肉が泣き喚き、心臓が狂ったように脈打ち、肺が破裂しそうなほど痛みを訴える―――体がかつてないほどの悲鳴を上げるが、止まらない。止まるわけにはいかない。
「あああああアアアアアア――――――!!!」
血反吐を吐くような雄叫びと共に、己自身を一振りの槍に変え、渾身の力を込めて地面に深々と槍の穂先を突き立てる。
瞬間、辺り一帯に大量の黄色の果実が生え、同時に大地に深く巨大な亀裂が走り、砕ける。
無数の瓦礫が宙に浮かび、一定の地形が大きく変動し、重力までも異変を起こしたかのように、大地に立つ者達の平衡感覚を狂わせる。
それは勿論響にも影響を及ぼし、襲い掛かった揺れによって踏ん張っていた体はぐらりと傾ぎ、大砲の照準も大きくずれる。
その結果、自揺れの直後に放たれた砲撃はあらぬ方向……響の足元を自ら爆破する形となり、若草色の閃光が響を中心に弾ける。
地中に撃ち込まれた砲弾は然程深くない位置で炸裂し、蜘蛛の巣状の亀裂の中で光を広げ、強烈な衝撃波を辺りに撒き散らす。
どんっ!!
一拍の遅れと共に、衝撃波は大地も人も、その場にあった何もかもを吹き飛ばし、光の中に呑み込んだ。
景色の全てが、光の中に呑まれる。翼と奏が使った絶唱、その威力を凌駕する激しさを見せつけ、天空に眩い光の柱を立ち昇らせる。
いっそ神々しく、見る者に畏れを抱かせる光景。
半径数㎞にわたって地震に似た揺れが発生し、いくつかの建物を倒壊させ、被害がさらに拡大していく。
それはまるで、この世の終わりの一部を再現したかのような、最悪の現象であった。
そして……少しして。
数秒か数分か、他人によっては小一時間にも思える時間が経ち、公園で発生した光が収まっていく。
光が消え去った後は……目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。
大地は砕け、焼け焦げ、擂鉢状に足場が抉れている。煙を上げる土は放たれた砲撃の熱量をそのまま示し、抉られた深さは威力の高さを示す。
爆撃を受けた戦場そのもの、それよりも無慈悲で一切の感情が感じられない、あまりにも無惨な景色が出来上がっていた。
その中心に―――無傷の響がへたり込んでいた。
膝をつき、大砲を掴んだまま、虚ろな瞳で虚空を見下ろし、微塵も動かず沈黙している……糸の切れた人形のように。
「……え」
消失した地面の上で、はたと響が意識を取り戻す。
俯かせていた顔を上げ、見慣れぬ景色に目を瞬かせる。公園は、ビルは、ノイズの軍勢は、一瞬前まで見えていた景色はどこに行ってしまったのかと、ぎこちなく辺りを見渡す。
「…⁉ え……なに、これ、え……⁉」
だが、どんなに目を凝らしても、視界に映るのは抉れ手下に下がった、真っ黒に焦げた地面だけ。
はっ、と肩を震わせ、響は急ぎ立ち上がろうとして、よろよろと膝をつく。
まるで長時間全力疾走した後のような疲労感に襲われ、がくがくと震える両足は動いてくれない。それでも己の体に叱咤し、無理矢理一歩を踏み出し窪んだ地面を登る。
「く……ぐっ! い、一体……何が、起こったの…⁉」
重く邪魔な大砲を撃ち捨て、姿の見えない先輩達を探そうと、窪みの縁を少しずつ目指す。
何も覚えていない。数十秒間の記憶がぷっつりと切り取られたよう。
鎧の力に目覚めて以来、何度も味わってきた感覚だ。その間に何があったのか、不安で寒気が全身に走り、震えが止まらない。
まさか、という考えが脳裏に過り、心臓を握り潰されている気分で坂を登り切り―――そして、二人を見つける。
地溜の中に横たわる、無残な姿の歌姫達を。
「―――か、奏…さん、翼…さん…? こ、これ……これって…⁉」
ひゅっ、と呼吸が止まる。心臓までもが停止したかのように硬直する。
倒れ伏した二人は、ぴくりとも動かない。割れ、砕け、跡形もなくなった地面の上に襤褸雑巾のような姿で俯せになり、手足を投げ出し沈黙している。
その下に広がる鮮やかな紅色は、歌姫達の体全体にびっしりと散布されている。
思考が真っ白に染まる―――凄まじい恐怖で、何も考えられなくなった。
「……ぁ、あぁ、ああぁああ…!」
後退り、踵で躓いて尻餅をつきながらも、ずるずるとその景色から逃げようと体を引き摺る。
これは、何だ。何が起こった。誰があの二人をこうした。
答えはわかりきっているのに、心がそれを受け入れる事を全力で拒む。静まり返っていた心臓が、今度は胸中で不規則な爆音を響かせる。
考える必要もない、教えられる必要もない。この惨状を生み出したのは―――お前だ、立花響。
「うわぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!」
頭を抱え、左右に振り乱し、がりがりと頭皮を掻き毟り、限界に達した響の口から、悲痛な慟哭が迸った。
「…! くそ、ふざけやがってあいつ…!」
人気の消えた街を、身体を引きずり歩く少女がいた。
体の局所を辛うじて隠すだけ残った鎧を纏う、銀髪の少女……その身に張り付く金属片が、ぐじゅぐじゅと蠢き徐々に膨らんでいく。
強烈な砲撃で破損し、砕かれた鎧が、生物のように徐々に再生を始めていた。
だが、再生する度に少女の顔には苦悶が浮かぶ。
蠢く鎧の一部が、少女の真っ白な肌にまで伸び、侵食し一体となろうとしていたからだ。
肌に突き刺さる金属片を意志の力で拒み、しかし同時に〝敵〟の猛攻を受けて疲労困憊、満身創痍の体で敵の組織から逃れようと歩を進める。
今にも意識が飛びそうで、悪態など独り言を口にしていなければ正気も保てそうにない。
それほどまでに協力で無慈悲で―――何よりも悍ましく、憎たらしい敵だった。
「まるで……バケモンじゃねェか………!」
吐き捨てながら、少女は夜の無人の町に姿を晦ませる。
負けたまま逃げ去る気は毛頭ない。だが、無謀に再度挑めば同じ結果にしかならない事はわかりきっている。
新たに胸の内にくべられた憎悪の炎を燃やし、少女は〝標的〟から〝敵〟となった少女の事を想うのだった。
―――ノイズの発生した地点は、謎の爆発が生じ壊滅状態に陥った。
二課及びに政府の工作で、事実は隠され一体は封鎖される事となる。
衝撃で照明の類はほとんど破壊されたようで、周囲の家屋やビルはほとんど廃墟と化している。人が避難し終えた、或いは既に灰の躯と化した為であるが、状況はまるでその者達の命すら奪った跡のようにも見える。
だが、辺りから人の気配が一切消え去った後である事が幸いし、惨状を生み出したのがたった一人の少女であった事を知る者は―――当事者を含む、ごく限られた者だけとなった。
ぴ、ぴ、ぴ、ぴ。
規則的な電子音が鳴り、医療用寝具に横たわる二人の歌姫達の鼓動を正確に測り、伝える。
全身に包帯を巻かれ、無数の管を血管に挿入された奏と翼。
限界を超えて力を発揮しようとし、それに加えて広大な爆発によって全身の火傷と打撲を食らい、重症の身となった二人は意識不明に陥ったまま、二課の集中治療室で眠り続けていた。
それを、弦十郎は治療室の外から険しい表情で見つめ、唇を噛み締めていた。
「……二人の意識は、戻るか?」
「大丈夫よ。いつになるかはわからないけど、必ず目覚めるはず……出血の割に体へのダメージは少なかったもの」
「……そうか」
傍らに立った了子の言葉を聞いても、弦十郎の表情は晴れない。了子自身も、何を言っても気休め程度にしかならないという事はわかっていて、一応の報告としてだけそう伝えただけだった。
「ちょっと不思議なんだけどね。絶唱で生じた力の反動は、確実に奏ちゃんと翼ちゃんの体に返ってきてた……なのに二人とも、肉体的にはほとんど損傷はなかったの」
「…ならば、何故まだ目覚めないんだ?」
「単純に、これまで激務が続いて溜まりに溜まった疲労の所為よ。弦十郎君が気にする事じゃないわよ? ちゃんと二人への負担を考えていたのに、翼ちゃんは自己鍛錬なんかで、奏ちゃんは未完成のデバイスを使って勝手に自分を痛めつけたから……つまり二人の自業自得ね」
はぁ、と溜息を吐き、じとっとした半目で硝子越しに奏と翼を睨む了子。
二人の焦りもわかる。ノイズの被害は日に日に増加し、その上二年前のライブの事件の生き残りが偶発的に力を得、戦場へと出て来てしまった。
責任やら後悔やら、不甲斐なさに対する自己嫌悪に苛まれ、さらなる力を……今度こそ守らなければ、そんな想いに突き動かされていたのだろう。
「……本当に、そんな役目は俺達大人に押し付けてくれればよかったんだ。あの子達が背負う必要なんて……微塵も」
「そう言って納得してくれる子達じゃないけどね。全く……世話が焼けるわ」
「……君にも、かなり負担をかけてしまっているな」
「今更でしょ、そんな事。……それより、今心配なのは」
「……ああ」
それまで浮かべていた苦笑を消し、いつもより遥かに真剣な声音で尋ねると、弦十郎はより一層眉間に深くしわを寄せて頷く。
彼らが今、最も懸念しているのはただ一人―――現在、拘束され二課の独房に囚われている、響の事だ。
「あそこから出す事、出来る?」
「今はまだ難しいな……結果が結果だ。あれだけの大暴れを見せつけた響君を、何の枷も無しに開放する事はまず無理だ」
そう告げる弦十郎だが、この状況も彼にとっては不本意でしかない。
謎多き、果実の錠前の力を用いて、襲撃者―――完全聖遺物ネフシュタンの鎧を纏った少女を撃退した。ただし、その余波により奏者二人が戦線離脱、その間の響は意識がなく、暴走状態にあった。
この結果に、二課に対する苦情が相次ぎ、そして何よりも響を危険視する声が多く上がった。
弦十郎も流石にそれら全てを説き伏せる事などできず、仕方なくできる限り厳重な拘束を行い、響の身柄を押さえる他になかった。
「まぁ、無理よね。どんな聖人君子だって、戦闘中に自我を失って、周りへの被害をガン無視して暴れ回るような子を放置できるわけないもの。……弦十郎君は、出来る事をちゃんとやったわ」
「こんな事態でもか…⁉」
「ここまでやってのけたのよ。大丈夫……生きてさえいれば、立場を取り戻させることはできるわ」
今度の言葉は気休めではない。項垂れ、血が滲むほど拳を握り締める弦十郎だが、組織の長として役目をこなしつつ、響を守ってみせたのだ。
「…‼ 何が、『殺処分』だ…‼ 響君は、動物じゃない……人間だ、本当なら、友達と笑いあって、遊んで、幸せに平和に暮らしている、只の少女だったはずなんだ…‼ それを……それを…‼」
「……研究目的に引き渡せ、って声もあったそうね」
「引き渡してどうなるか…‼ 頭のおかしな研究者達に、骨の髄までばらばらにされて辱められる未来しかないじゃないか……‼」
『殺処分』から、そして『生体実験』から『監視』に。
上層部の懸念から危うく命の危機に陥りかけた響を、弦十郎は必死の説得と懇願、そして彼の感情には反するが、響を生存させる
―――自由と引き換えに、だが。
それがどうしても許せなくて、弦十郎は首を左右に振った。
「……それでも、俺は不甲斐なくて仕方ない。せめて、あの子の自由だけでも守ってやらなければならなかったのに」
「そんなの、私も同じ事よ。もっと詳しく、早くにあの子の力を調べられていれば……いいえ、そもそもあのライブの時に気付いていれば」
「……こうなるともう駄目だな。もしも、と可能性を上げ続けるときりがない」
「そうね……今考えても仕方がない事だわ」
響自身に罪はない―――少なくとも、弦十郎も了子もそう思っている。
体内に取り込まれたシンフォギアの破片を力として起動させ、その上得体のしれない力によって更なる変化が生じ、何らかの要因によって自ら動く兵器と化すようになって。
そして―――二年前の事件から生じた悪意によって、響の心は歪んだ。
背負う必要のない罪を背負い、見知らぬ他人の影に脅され、半ば自ら戦士となるように強要され。
挙句の果てに、人でありながら危険な兵器のように扱われ、再び命を奪われかけている―――理不尽にもほどがある、悪夢の連鎖だ。
「何としても…彼女を守らねばならん。あいつらになど渡してやるものか」
「……そうね。それは、受け入れられないわ」
大人として、少女達を戦地に送り出すほかにない情けない男として、徹さねばならない意地がある。
自分がどんなに不利益を被ろうとも、立場を危ぶませようとも、自らを犠牲に戦おうとする少女の悲痛な想いを無駄にしてなるものか。
弦十郎のそんな真っ直ぐな想いを横目に、了子も鋭い眼差しで虚空を見つめ―――弦十郎とは決して交わらない、どす黒い思考を抱く。
―――渡せるものか……あの力を、その価値を知らぬ只人共になど。
暗く、冷たく、乾いた空間。
二課の本部、その地下施設の中でもさらに奥底に存在する、閉鎖された立方体の部屋。
そんな寂しい空間で響は独り、両腕と両脚を分厚い金属の枷で拘束され、中央に置かれた椅子に座らされていた。普段の作業着姿も相まって、囚人にでも成り果てたようだ。
いや、実際に今の響は囚人であった。
力を制御できず、意識を失ったまま暴れ回り、味方である二人の先輩奏者達を危険に晒したのだから。
「…………」
暗闇の中で俯き、虚ろな目で虚空を見下ろす響。身動ぎもせず、呻き声すらもこぼさず項垂れる彼女の胸中では……激しい後悔の念が渦巻き、響自身の心を責め苛んでいた。
(……私が、やった。私が…奏さんと、翼さんを…あの子を―――殺そうとした)
思い返しても、記憶の底を探っても、その時の光景が思い出せない。
自分の知らないうちに、人を殺めかけた。後から聞かされたのではない、己が眼で確と目の当たりにした揺るがぬ事実に愕然とし、恐怖し、絶望した。
共に戦うと、贖罪を行うと、戦えない誰かを……親友を守る道を自ら望んだというのに、これでは、これではまるで。
―――人殺し。
「⁉ う……ぅあ…! ―――ぁあああああああ…‼」
身動きの取れない身体で、歯を食い縛り慟哭する。拘束されていて良かったのか悪かったのか、これでは―――痛みを訴える自分の胸を掻き毟る事もできない。
無数の針を喉奥から胃の腑へ突っ込まれたように、ずきずきと鋭い痛みが延々と貫いてくる。何もされていないのに拷問されている気分だ。
「ハァ…! ハァ…ッ‼ ……もぅ、いやだ。いやだよォ……! どうして……どうして、こんな、こんな……!」
何が悪かったというのか、素人の分際で戦場に足を踏み入れた事か、先輩たちの言う事を聞かなかったからか―――それともやはり、自分が生きている所為か。
今が苦しくて、辛くて、悲しくて、どうしようもないくらいに心が痛い。
だからこそ、許しを請いたくて戦場に立ったというのに……苦痛はより募り、怨嗟の声はますます強く聞こえる。何もかもが裏目に出ている。
「ごめん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさい……ごめん、なさい…‼」
囚われているだけで、何もされないままである方が苦しくて仕方がない……いっその事、殴られ罵られる方がましな気すらしてくる。
手足に、肩に取り憑き圧し掛かってくる黒い影の声に蝕まれ、響の心がどす黒く染まっていく―――そんな時だ。
『―――そうやって、ただ泣いて謝ってるだけなのかぃ? そりゃちょっと無責任が過ぎないか?』
不意に、どこからともなく、聞き慣れない声が響く。
封じられた、放送機も何もない無機質な空間。響以外に何もないその場に突如、軽薄な男の声が聞こえてくる。
のろのろと顔を上げ、響は声がした方を……どこから声が聞こえたのかもわからず、ぼんやりと虚空を見上げて眉を顰める。
「……誰、ですか……?」
『俺が何者かって? そいつは今はどうでもいい……お前さんが知るべきなのは、この先どうすりゃいいのかって事だ』
慟哭により掠れた声で尋ねるも、声の主は惚けた様子で答えを拒み、一方的に響に話しかけてくる。
響は、深く考える事を放棄していた。
その声がが誰なのか、何を言おうとしているのか。心が折れてしまった響には、誰かと関わり、言葉を交わす気力すら失っていた。
やる事なす事、全てが無意味に終わり……もう、何もかもがどうでもよくなりつつあった―――自分の命すらも。
「……どうするも、何も。私は……私には、もう」
『戦えないって? そいつはお前さんの我儘だ……お前さんは力を持っちまった。ならそれを使う運命にある……それはお前さんにも、誰にも拒めない。力ってのは、そういうふうにできてるんだよ』
「……! 私は…! 私はこんな力、望んでない‼」
かっ、と頭に血が上り、響が吠える。何が無責任だ、こっちの気も知らずに好き勝手宣って、どっちが我儘だ。黙れ、煩い、口を閉じろ。
黒々とした感情が胸中に渦巻き、口から溢れ出て止まらなくなる。普段は絶対に口にしないような汚い言葉が次々に溢れ、口調も荒々しくなっていく。
「こんなものに、期待したのが間違ってた! ノイズを殺せて! 戦えて! これでやっと…! やっと許して貰える方法が見つかったと思ったのに! なのに……なのに! こんな、こんな事になって! 私は……私は‼」
ぜぇはぁと荒く息を吐き、叫び過ぎた所為で喉が痛みを訴える。寒空の下で長時間全力疾走した後のように、過剰に呼吸を繰り返した肺が焼けるように苦しい。
募り募った不満と苛立ちをぶちまけ、けれど微塵もすっきりしないまま身を丸くしていると、声の主が小さく唸るように溜息をこぼしたのが聞こえた。
『―――まぁこっちとしても、想定外の事態だからな。だからこそこうやって介入しに来てるわけだが……思った以上に面倒な事態になってんだよな。やっぱ、思い付きで行動すると碌な事にならないな』
はぁ、と深く態とらしく嘆息する声が聞こえ、響は訝しげに顔を上げる。
何だろうか、思い切り叫んで怒鳴ったおかげで頭が冷静さを取り戻したのか、状況の異様さに今更ながら気付く。
さっきから話しかけてきているのは、誰だ、何者だ。隙間のない、空調しかない殆ど密閉された空間なのに、どこから声が聞こえているのか。
背中に流れ出す冷や汗。響は徐々に表情を強張らせ、特にその存在を感じる虚空の一点を凝視する……そこに誰か、いる、そんな気がする。
『余計なもんがくっついてるせいで、不具合が起こってるみたいだな。そんな状態で戦いに出ても、そりゃあ足手纏いになるのは当然だわな。お前さん一人のせいじゃないよ』
「……何を、言って」
『不純物を取り除くか……あるいは両方を制御するか、どっちも現実的じゃねぇな。両方ともお前さんとの相性が異様に良いようだ。取り除きようがねぇ』
本当に、これは誰だ―――いや、何だ。
口ぶりは明らかに、響の中に巣食う何かの正体を知っている。知っているどころか、それを与えた張本人であるかのような雰囲気を感じる。
この声を聞いてはならない、本能的にそう直感する……だが同時に、一言一句聞き逃してはならない、そんな風にも感じる。
自分は一体、何に魅入られたのか。これは、自分に何を望んでいるのか―――姿の見えない誰かに、凄まじい恐怖が湧く。
『このままだと、せっかくくれてやった
「…私は…!」
『拒むか? どちらにせよ、お前さんが死んだところで
ぞっ、と。
響は凍りつく。声の主が示した恐るべき未来に……その関係を知っているという事実に。
『連中も馬鹿じゃないさ、調べりゃすぐにわかる事だ。お前さんが
「……未来を、私のお日様を、どうするつもり……⁉︎」
『俺は何もしないさ。俺はただ見届けるだけ……お前さんの選択の行く末をな。それだけの事さ』
思わず凄み、姿の見えない誰かを睨みつける。
何よりも、誰よりも大事で、汚させたくない、傷つけさせたくない人。それに危害が及ぶかもしれないと仄めかされ、どす黒い炎が腹の奥から膨れ上がる。
そんな彼女に……声の主は、ただ嗤っていた。
『俺はお前さんの選択を尊重するよ……どんな結末を迎えようと、祝福しよう。お前さんに預けた
声はやがて、溶けるように消える。
まるで最初から何もいなかったように……もともと姿形を見せない何者かだったが、唯一の痕跡すらも消え失せる。
再び、独房に残された響は無言で項垂れ……虚ろだった目に光を灯し、思考の渦に潜った。
数分、数時間、数日。
暗く冷たい闇の中で、じっと身動ぎ一つせず。
そしてやがて、響の視界に変化が訪れる。
固く閉ざされていた壁が、重い金属音を響かせたかと思うと、ぎりぎりと音を立てて開かれていく。
その奥から、熊のような巨体と、聞き覚えのある穏やかな声が届けられる。
「―――待たせたな、響君。早速で悪いが……もうしばし、付き合って貰えないだろうか」
開かれた独房の入り口、外の光に照らされて立つ弦十郎が、そう申し訳なさそうながらも有無を言わせぬ口調で語りかけて来た時。
もう、逃げる道は存在しないのだと、響は覚悟を決める。
望む望まないに関わらず、自分にとっての唯一の希望の光を守る為には―――戦い続けなければならないのだと。
親友の表情を脳裏に思い浮かべながら、そう、心を決めた。