JUST LIVE MORE −刀剣戦姫伝・鎧武− 作:春風駘蕩
「……! ハァッ…ハァッ……!」
呼吸が乱れる、肺が灼けたような痛みを訴える。
霞む視界に映るのは、仕事で何度かお邪魔した事がある気がする、日本庭園のような場所。手入れが行き届いた枯山水や松が置かれた、荘厳な雰囲気を感じる広い庭。
その一角、芝生が敷かれた地面の上で、響は肩を大きく上下させて立っていた。
両手には一振りずつ、硬く思い木刀が握り締められ、しかし今は疲労の所為で切先が地面についている。
既に何度も振り回しているお陰で、木刀の柄には血と汗が滲み、掌では潰れた血肉刺がじくじくと痛む。
そんな彼女の前に、仁王立ちする豪傑の姿が。
赤い襟シャツの袖を捲り、隆々とした肉体で拳を構える赤い髪の男……弦十郎は、鋭い目で響を見据えて口を開いた。
「―――来い、響君! 君の全力を俺にぶつけてこい‼ 遠慮はいらない、全力で来い‼」
「ハァッ……ハァッ……! は、はい!」
びりびりと大気を震わせる声に、響は息を切らせながらも木刀を構え直し、やや覚束ない足取りで地面を踏みしめる。
切先はぶれまくり、膝はがくがくと震え、頼もしさとは程遠い。
しかし、弦十郎に向ける眼差しは力強く、一切揺らぐ事なく―――その中に昏い闇を宿し、数時間にも及ぶこの遣り取りへの意欲を示す。
「行き、ます…! ―――ハァアアアアアアア‼」
「ふんっ!」
雄叫びを上げ、己の体を苛む疲労を吹き飛ばさんとしながら、弦十郎に飛び掛かり木刀を振り抜く。
素人丸出しの、斬るというより叩きつけるだけの攻撃。しかし、他者を殺傷できる、得物の硬度と自前の膂力任せの一撃を放つ。
言われた通り遠慮なく、しかし命に関わらないようにと急所を避けて放ったそれは、弦十郎に容易く弾かれ跳ね返される。
「へぶっ⁉」
「加減は無用と言った筈だ! 今の君にどうこうできるほど、俺の鍛え方は甘くない!」
「ごへぇっ⁉」
その上、空中で体勢を崩した響の額に、弦十郎の掌底が叩き込まれ、続けて腹に横薙ぎの手刀が食い込む。
その威力たるや、人の体から放たれたものとは到底思えないほど硬く、重く、一瞬本当に意識が飛ぶほどの破壊力があった。
呻き声を上げ、背中から草の上に倒れ込んだ響。
そこへ、跳躍した弦十郎が硬く拳を握り締め、隕石か何かかと錯覚するほどの勢いで肉薄してくる。
「そして、攻撃を放った直後に気を抜くな! 常に気を張り続けろ!」
「ひぃいっ⁉ ひゃ、はいぃっ!」
直前で我に返った響が地面の上を転がり、紙一重で弦十郎の拳を躱す。
が、弦十郎の放った正拳は地面を大きく罅を入れ、陥没させ土塊と衝撃波を辺りに撒き散らす。それに巻き込まれ、響の体は木の葉のように軽々と宙を舞う羽目になる。
まるで漫画のような光景である。
響は目を回しながら、地面に足が着くや否や必死で体勢を整え、木刀を握り直し切先を弦十郎に向ける。
しかし、響の視界はぐるぐると歪み、立っているだけで吐き気を催してくる。
吹き飛ばされた際に三半規管でもやられたのか、足元は先程以上に覚束なくなり、弦十郎の姿も真面に認識できない。
「ハァッ……っ、ぐ、おぇ…! あ、あの…! 司令…さん!」
「ん? 何だ? 待ったはナシだぞ?」
「…! 今さら、聞くのは無駄だと思うんですけど……! ―――こんな修行で、本当に強くなれるんですかね⁉」
戦闘訓練―――という名目の、響に宿る力を制御する為の鍛錬。
その指南役、そして有事の際に体を張って止める役目だと弦十郎が相手を務めてくれて、本当にありがたく申し訳なさを抱く。
だが、修行が始まると、響は徐々に困惑に襲われ出した。とても自分が強くなれる……そして力を制御できる内容とは思えなかったのだ。
「飯食って映画観て寝る! 男が強くなるのに、それ以上の事は必要ないさ!」
「わかりません! 何を言いたいのか全くこれっぽっちもわかりません‼ ……ていうか私、女です‼」
自信満々に理解のできない言葉を発する弦十郎に、響は頭を抱えたくなりながら吠える。
弦十郎の言葉に偽りはない―――アクション映画鑑賞から始まり、規則正しい食事と睡眠、そして筋トレを含む鍛練。
しかし鍛錬の内容はごくごく普通で、弦十郎の身体能力に繋がるとは到底思えない。しかし実際に身についている感覚があるのだから、自分を含む人間の可能性に絶句する以外にない。
力の制御に関する方法も、今度は特撮やアニメ映画……危険な魔の力に苦しむ主人公が、汗と涙と愛と根性で乗り越え我が物としていく、という内容。
ふざけているようで、本人はいたって本気なのだから、乾いた笑い声がこぼれた。
「アクションはいいです、アクションは……体の動かし方とか注目すれば、参考にはなります。けど! 特撮とアニメは違う気がします! あっちは思いっきり作り物ですし! フィクション中のフィクションでしょう⁉」
「シンフォギアは使用者の心象によってその在り方すらも左右される……ならば! まずは己が心を制御するのみ! そういう参考資料だ!」
「…! 納得できないのに、納得してしまいそうな自分がいる…! じょ、常識に罅が入る音がする…!」
ぐぬぅ、と悔しさから歯を食い縛り、顔中くしゃくしゃにして悶える響。
現実と虚構を一緒にするな、と普通なら一蹴されそうなのに、弦十郎が口にすると何故だか本気で捉えなければならない気がしてくる。
自分の中の常識、固定概念がメキメキと捻じ曲げられている気がして、非常に複雑な気分を味わう。
「さぁ! 無駄話はこれで終わりだ! ラストスパート掛けるぞ! ―――おおおおおおおおおおおおおお‼」
「く…はい! ぅおおおおおおお‼」
黙り込む響に向けて、雄叫びと共に弦十郎が拳を振り上げる。
釈然としない気持ちを押し殺し、表情を改めた響は木刀の切先を突き付け、自らも突進を始める。
今度こそ、鋼の肉体に一矢報わんと、力任せな鋭い一撃を叩き込もうとし。
「ぎゃ――――――っ⁉」
案の定、簡単にいなされ弾かれ、響は悲鳴と共に宙を舞うのであった。
芝生の上で大の字になり、天を仰ぐ。
荒い呼吸で胸が大きく上下し、汗が滝のようにとめどなく地面に流れ落ちる。
半ば朦朧とする意識の中、すっと視界の端に大きな手が……ペットボトルを持った弦十郎の手が映り込む。
「お疲れ様。しばらく休憩にしよう、水分補給を欠かせるなよ」
「……ぅ、あ、はぃ……」
「はは、すまん。少しヒートアップしすぎてしまったようだな」
ぶるぶると震える手でペットボトルを受け取り、しかしうまく蓋を開けられず、挙句取り落として自分の額に落としてしまう。
痛みに呻き、しかし動く事もままならない響が涙目で悶える様に、弦十郎は苦笑し宥めるように肩を叩く。そして代わりに蓋を開け、響の頭から水をかける。
熱を持った身体に心地よい冷たさが行き渡り、はぁ、とため息をこぼす。
徐々に心拍が落ち着き、疲労がましになって来ると、響は億劫さを押さえながら体を起こし、深々と頭を下げた。
「……すみ、ません。お忙しいでしょうに、私なんかの為に、こんな、面倒臭い、事を…」
「気にするな、俺も久々に気分転換ができた。……それに、これは君にとっても俺達にとっても必要な事だ。遠慮は必要ないといっただろう?」
穏やかな口調でそう告げる弦十郎だが、響はどうしても暗い表情を捨てきれない。負担になっていないはずがないのだ、優しいこの人の。
謎しかない、今のところ迷惑しかかけていないこの力の所為で、見える所でも見えない所でも他人に迷惑を掛け続けている……誰かに言われるまでもなく、察せられるその事実に胸が痛む。
だが、弦十郎の方こそ響に申し訳なさそうな目を向ける。横たわる響の近くに腰を下ろし、胡坐をかいて虚空を見やる。
「君の力は、未だ了子君でも解析しきれていない。
「……はい」
「だが現状、動ける奏者は君一人になってしまった。奏も翼も意識不明の重体……回復はしているとの事だが、いつになるかはわからない。そんな時にもし、ノイズや例の少女の襲撃があれば……という事だ」
何から何まで自分の所為だ、と響は唇を噛みしめるのだが、弦十郎が責める事はない。了子も二課の者達も、面と向かって何かを言ってくる事はなかった。
……実際に何を思っているかはともかく。
擦れ違った職員の誰もが目を擦り、寝不足気味に見えた事が思い出され、響は俯ききつく拳を握り締める。
少女の苦悶に気付いている弦十郎は、厳つい顔をさらに険しくさせて目を逸らす。二人して目を合わせられなくなった、気まずい空気が流れる。
「…すまない。元は俺達が巻き込んだからなのに、君にここまでやらせてしまって……」
「…それこそ、気にしないでください。戦うって決めたのは、私ですから」
響は苦笑し、弦十郎の前で首を横に振る。
自分自身の決断まで、この人に背負わせたくはない。全て未熟な自分が逸って前に出過ぎて、取り返しのつかない失態を犯した所為なのだから。
言ってから、響は思い出す。
惨劇のあの夜、親友と共に極彩色の災害の魔の手から生き延びた後……知人や赤の他人から齎された悪意の数々を。家族にまで及びかけた凶刃を。
そして―――自らの手に今でも残る、生温かい赫色の感触を。
脳裏に焼き付いて離れない、親友の怯えた表情を。
「……未来」
微かに、隣の弦十郎にも聞こえないような小さな声で、その名がこぼれる。
虚ろな、どこを見ているかもわからない闇を宿した瞳で地面を見下ろし……己の足元にしがみつく、黒い無数の手を見つめる。
聞く気がなくとも、その声が聞こえる……他人には聞こえない、延々と自分に取り憑く誰かの影が、響の全身に纏わるついて囁く。
―――死ね。
べこっ!と、手の中のペットボトルが握り潰される。
中身が飛び出し、半透明の飛沫が地面を濡らす。飛び散る様は何の色もついていないが、響の目には赤く染まって見える……何度も見た
振り向いた弦十郎の訝しげな視線も気にせず、響は勢いをつけて立ち上がり、深々と頭を下げた。
「―――もう一本、お願いします!」
「…! うむ、よしきた!」
「……え? 辞めたって……どういう事、ですか?」
通い慣れてきたフルーツパーラー。
下校時刻になるや否や、友人達と共に訪れ親友の姿を探した未来に告げられたのは、そんな無慈悲な事実だった。
「あぁ、何でも別のバイトを始める事になったとかで……つい最近だな。あの~……あれだ、この近くでノイズ警報が出た後だ」
「そんな……ど、どこのバイトですか⁉」
「いや~、そこまでは聞いてないな。なんか守秘義務があるとかなんとかは言ってたけど」
店主の男が、悲痛な顔で立ち尽くす未来を前に申し訳なさそうに顔を歪める。
本来、元とは言え店員の個人情報を晒すのは問題があるが、未来があまりにも悲しげな顔で項垂れるもので見かねたからか、店主は険しい顔で唸りながらも自分の知る情報を語る。
「俺の印象で悪いんだか……なんかうちで働いてる時よりは希望に満ちた顔してた……と、思うぞ、多分。何だったかな……人助け的な仕事だ、とか言ってた気がする」
「人助け……ですか?」
「そりゃまた何とも曖昧な……でもアニメ的な秘密感があって悪くないな」
「ちょっと、やめなよ」
未来に付き添う詩織、弓美、創世が首を傾げ、まるでわからなくなってしまった友人の友人の行方を訝しむ。
未成年、それも同年代で毎日只管に働く姿を見せていた、翳を感じる少女。
何が理由かは知らないが、流石に頑張り過ぎではないかと思うほどに労働に勤しむ姿は必死で、時に痛々しさを抱かせる横顔を見せていた。
そんな彼女が、新たに見つけたという仕事―――然程関わりがないとはいえ、かなり心配になる情報だ。
「大丈夫かな……守秘義務って、やばい仕事だったりしないよね?」
「そんな不安を煽るような事言ったら…!」
創世が思わず呟くと、はっと目を見開いた弓美が振り向き、その口を塞ごうとする。詩織も顔から血の気を引かせ、三人揃って恐る恐る、先程から黙り込んでいる黒髪の少女の方を向き、様子を窺う。
「……そんな……響、響が……そんな、私……私……!」
真っ青な顔でぶつぶつと呟き、未来は立ち尽くしていた。目の焦点は合っておらず、暗く深い穴の底のような虚ろな目が宙を彷徨っている。
ひゅーひゅーと乱れたか細い呼吸を繰り返し、手足を振るえさせる様は見る者を怯えさせる。
何かよくない想像をしている事は明らかで、原因である創世が迂闊な発言をした自分自身に激しい後悔を抱く。
「ご、ごめん未来! 変な事言って! だ、大丈夫だって! ビッキー、結構しっかりしてるっぽいし、そんなやばいバイトなら自分からしようとしないって!」
「……本当に?」
慌てて説き伏せようと肩を掴むと、未来は華奢な身体をぎぎぎ…とぎこちなく動かし、ゆっくりと振り向く。相も変わらず闇に染まった目を浮かべたまま、壊れた人形のように歪な動作で見つめてくる。
創世達だけでなく、店主もひゅっと息を呑む。
極寒の冬空の下に放り込まれたかのようにがたがたと震え、真っ青な顔で頬を痙攣させる。何をどういえば落ち着くのか見当もつかず、途方に暮れるばかりだ。
「…! ビ、ビッキーってさ! ここ以外にも色々バイト掛け持ちしてたみたいだしさ! そっちにも聞いてみようよ! 手掛かりがあるかもだし!」
「そ、そうよ! そんな絶望顔してないでまず探してみよ⁉」
「せっかくここまで来ましたし……私達も最後までつき合いますよ。立花さんとは、私達もちゃんとお話がしたいですし」
幽鬼のように立ち尽くす未来の姿を見ていられないあまり、必死の形相で華奢な肩を叩き、縋るように語りかける。幸いにも、漏れ出た言葉は全て本音で、心から友人の心を案じるものであった。
それが伝わったのか、未来は瞳に光を取り戻し、創世達にややぎこちなくも微笑みを浮かべてみせた。
「……ありがとう、みんな」
少しだが正気に戻った友人に、創世達はほっと安堵の息を吐く。
前々から感じてはいたが、未来と響の間にある関係は本当に深く、複雑な物なのだとわかる。外野が簡単に察せるものでも、慰められるものでもないのだという事も。
―――だからこそ、それが遠のきかけて苦しむ友人の力になりたいと、三人は心から思うのだ。
「よぉし! それじゃあ早速行ってみようか! ……えーっと、どこの何業者さんだったっけ?」
「もー、しっかりしてよ!」
「校舎に来た事のある業者さんですし、調べればすぐに分かる筈ですよ」
「ふふっ…響の仕事先は全部覚えてるから大丈夫だよ」
「「「えっ」」」
何やら不穏な事を呟きながら、未来はフルーツパーラーの店主に頭を下げ、その場を後にする。
一瞬、呆然と固まっていた創世達だったが、未来がどんどん先へ行く姿にはっと我に返り、慌てて後を追いかける。未来と同じく、店主にぺこりと頭を下げる事も忘れずに。
そんな四人の後姿を見送り、店主の男は肩を竦め、長い溜息をこぼした。
「……仲良きことは美しきかな、羨ましいねぇ」
そこまで想われる、突然辞めた少女に内心で文句を垂れつつ……彼女の行く先にそこはかとない不安を抱き、険しい顔で虚空を見上げていた。
ぎしっ…と、金属が軋む音がする。
両手両足を拘束する輪、長時間にわたり手首と足首に食い込むそれらが、身動ぎする度に耳障りな音を鳴らす。
薄暗い部屋の中心……冷たい無機質な壁に囲まれたその中で、少女は十字架の体勢で囚われていた。
小柄ながら豊満な己の身体、真っ白な肌を隠すのは革の布地で、纏うというよりも巻き付け捕えているといった方がいい。局所を覆っているだけで、裸よりもいっそ煽情的に少女の肢体を見せつける。
その身に―――突如、青い電光が迸る。
四肢を拘束する機械、青白く発光する金属板から放たれた電流が、少女の全身に走り、激しい衝撃を齎す。
「がぁあああああああ‼」
脳天から指先まで、激痛に襲われ悲鳴を上げる少女。
全身ががくがくと痙攣を繰り返し、機械の上でのたうつ。四肢が勝手に暴れ、しかし拘束に邪魔され大きく仰け反る羽目になる。
しばらくして―――電光が収まり、少女ががくんと脱力する。
項垂れ、荒い呼吸を繰り返す少女は、疲れ切った表情で虚空を見下ろし、大量の脂汗を垂らす。朦朧とした意識の中、力の入らない身体を酷使し、ゆっくりと前を見やる。
「ごめんなさい、クリス……だけどこれはお仕置なの。役目をきちんと果たせなかったあなたに下さなければならない、私からの愛情なのよ」
そこに立っていたのは―――金色に輝く美女だった。
絹のような白い肌、均整がとれていてかつ豊満な女神の様な肢体。それを薄い衣だけで覆った、長い金の髪を宙に揺蕩わせる女。
髪と同じく金に輝く瞳に憂いを宿し、美女は少女に―――クリスと呼んだ彼女に語り掛け、頬をそっと撫でる。
怯えたように呼吸を乱す少女を、我が子のように穏やかに見つめ―――同時に、人外じみたその瞳の奥に冷酷な光を孕み、薄い笑みを浮かべる。
「困った子ね、クリス……あなたに下したお願い事は、融合症例を捕らえてここへ連れてくる事よ。戦う事でも殺す事でもない……簡単な役目だったはずよ?」
「ハァッ……ハァ……!」
「戦う事を望む割に、人を傷つける事を忌避する精神の脆弱な子。力を手にしたい実をまるで理解できていない、振り回されるだけの憐れな子……そんな子の相手なんて、簡単にできていなければおかしいのよ」
つ、と美女の爪が少女の頬に刺さる。傷こそついていないが、少し力を入れれば少女の柔肌には容易く赤い筋がつく……少女は頬に走る痛みに眉間に皺を寄せ、美女に縋るような目を向ける。
母を求める子のように、救いを求める罪人のように。
自分を苦しめ、仕置きと称した拷問を行う常軌を逸した精神の持ち主に、弱々しい眼差しを送り続ける。
「なのにあなたったら、不必要に頭に血を昇らせて、暴れて……その上融合症例を暴走させて死にかけるなんて。ネフシュタンの鎧もこの有様、貴重な完全聖遺物をこうも無惨な姿にさせて―――悪い子ね、クリス」
そんな少女に対し、美女は慈愛に満ちた声のまま冷徹に告げる。
表情こそ、悪戯をした子供を叱る母親の様だが、縋る眼差しと視線を合わせても解放する事はない……少女の両手が自由で、必死に伸ばされようとも、おそらく掌を重ねる事はないだろう。
冷笑を浮かべたまま、そしてその胸の内にある本当の感情を一切悟らせぬまま、美女は手元の機械を操る。
次の瞬間、再び走る雷光。
少女の身体に電撃が食らいつき、華奢な体が震える。打ち上げられた魚のように激しく上下する。
「――――――――⁉」
少女はもう声もあげられず、半ば白目を剥いて涙を流す。大きく開いた口から舌を出し、端から唾液を垂れ流し、顔中をぐちゃぐちゃにして悶え苦しむ。
数秒か、数分か。時間の感覚も無茶苦茶になる程の衝撃が続き、唐突に止む。
少女の体から力が抜け、一拍遅れて胸の膨らみが揺れる。まだ電流が抜けきっていないように、四肢の先が勝手に震えて感覚が覚束なくなる。
掠れる声、叫びすぎて痛む喉。
体全体に走る苦痛、気をやりかねない程の責め苦。それらを一身に受けながら、少女はぎこちなく顔を上げ、消え入りそうな声を振り絞った。
「これで……いいん、だよな…⁉ あんたの言う通りにすれば……戦争は……人間の争いは、止められるんだよな…? 全部なくせるんだよな……⁉」
その姿は、響と戦った時とは比べ物にならないほど弱々しい……迷子の幼子のように儚げで痛々しい姿。
自身にたった一つ残された導、今の自身を支えるたった一本の柱。それに間違いがない事を心から願い―――否定される事を何よりも恐れている。
美女は満足げに―――蠱惑的に嗤う。
たった一つの道標を頼りに、疑う事を知らない愚かでいじらしい少女の想い。それが只管に愛おしい。
「そうよ。だから不確定要素は全て取り除いておきたいの―――けれどそれ以上に、利用できるものは利用しておきたい。そう思ったから、融合症例の改修をあなたに願いしたの。期待していたのよ…?」
つ、と少女の頬から美女の手が離れる。温もりが離れた事で、少女が怯え、不安気な表情に変わる。
そして次の瞬間、再び少女の全身に電撃が迸った。
ばちばちばちっ!と辺りを照らす眩い光の中、少女の華奢な身体ががくがくとのたうつ。
「ああぁあああぁぁああぁああぁあああ―――‼」
「可愛いわ、クリス……あなたを愛してあげられるのは私だけ―――次はもっと上手にやりなさい」
雷撃が停止し、少女ががくんと項垂れる。しゅぅ…と手足の拘束から白い煙が上がる中、びくびくと身体を痙攣させ、荒い呼吸で胸の膨らみを大きく揺らす。
それでもなお―――美女に縋る眼差しは変わらない。
とてつもない苦痛ばかりを与え、只管に妖しく嗤う美女を唯一の希望と見る気持ちに変わりはなく、焦点の合わぬ眼でじっと裸体を見つめ続ける。
「覚えているかしら? あなたに最初に教えた事を……」
「―――痛み、だけ、が…………人を、繋ぐ」
「よくできました」
ふわ、と少女の銀髪を美女が撫でる。それこそ幼子に、我が子にするように、優しく慈愛を込めて。
少女は疑わない、美女の言葉を。教えられた全てを。
強大で凶悪な人間の悪意に晒され、あらゆるものを失い続けてきた地獄の中……見つけた希望の光を信じ続けると決めた。
たとえそれが、どんなに血塗られた道であろうとも―――どんなに罪深い行いであろうとも。
「さぁ、食事にしましょう―――次こそ、役目を果たすのよ」
「―――……ここが、奏さんと、翼さんのいる…」
弦十郎との修業の日々が続き、一週間ほど経ったある日の事。
響はある病院――聞けば、二課と深く関わりを持つ施設の一つらしい――を訪ね、一つの病室の前に立っていた。
一人ではない。背後には二人、黒服の男性が控えており、響の動向を監視している。何かあれば、懐に隠れている硬い金属の得物が火を噴き、容赦なく息の根を止める事だろう。
彼らに横目を向けてから、響は深く深呼吸を繰り返す。
あの日以来……自信が暴走し二人を巻き込んでから、歌姫達とは会っていない。治療を終えて療養中との事だが、どこまで回復できているのか全く知れていない。
どんな顔で会えばいいのか……どんな謝罪の言葉を吐けばいいのか。
逃げ出したくなるのを必死で耐え、歯を食い縛り、どくんどくんと煩い心臓を胸の上から押さえて長く息を吐き、ふっと強く吸い込む。
「……し、失礼します!」
意を決し、怒鳴られるのを覚悟の上で、引き戸を開けて中に入る。
許されるつもりは毛頭ない。殴られる事すら覚悟の上だ。何なら土下座したまま只管に嬲られたっていい……緊張のあまり、鬼のような形相で病室に入り。
響は、絶句した。
病室の中に広がっていた光景に―――衣類や塵が散乱した、見るも無残な惨状を目の当たりにして。
「……⁉ そ、そんな……奏さん‼ 翼さん‼」
響は慌てて奥へ飛び込み、二人の姿を探す。
二つ並んだ白い寝具、そのどちらにも姿がない。誰かが寝ていた痕跡はあれど、本人達の姿は影も形も見当たらない。
何故か片方の寝具だけが矢鱈と乱れ、その上下に塵が撒き散らされているのが気になったが、動転している響は疑問に思わない。
「どうして……何で、何でこんな事に…⁉」
自分が来る前に何が起こったのか。この状況、もしや攫われたのか。だとしたら誰が何の為に。二人は今どうなっているのか。
呼吸は乱れ、思考も纏まらない響は髪を掻き毟る。
まさか……と脳裏によぎる考え。
二人を、歌姫であり戦士である奏と翼を襲う者が、そして彼女達を拐える者がいるとすればーーーそれはもう、一人しかいない。
銀の鎧を身に纏う謎の少女。ノイズを操り響を狙う彼女しか、負傷していても奏者である奏達を捕らえられる者は考えられない。
だとしたら、以前に聞いた少女の言葉とこの状況からーーーこの襲撃もまた、響を狙っての事態という事になるまいか。
「また…また、私の、私の所為で……! 私が……!」
ひゅっと息を呑み、胸にぐっと指を立てる。呼吸も脈動も乱れ、立っている事すら覚束なくなる。
ぐにゃりと歪む視界を前にし、よろよろと後退りかけたその時。
きぃ、と車輪が回りながら軋む音が聞こえ、響ははっと目を見開いて振り向く。
そこにいた二人組の女性……病院着に身を包み、点滴を腕に刺したまま立っている歌姫達の姿を目の当たりにし、へなへなとその場にへたり込んだ。
「か…! 奏さん……翼さん! あぁ……よかった、よかった…! 無事で……無事なんですね⁉︎ 私、私…! また、私のせいでお二人がって……!」
直前の恐怖感と凄まじい安堵で思考が乱れている響には、二人の表情が見えていなかった。とてつもなく居心地悪そうにそっぽを向く奏と、顔を両手で覆って項垂れる翼、ついでに病室の外で目を逸らしている緒川と黒服達。
響一人だけが深刻な顔で座り込み、涙を滲ませているのをよそに、なんとも言えない微妙な空気が漂っていた。
「……だからな、翼。部屋の片づけぐらいちゃんとできるようになっとけって言っただろ?」
「……う、うぅ……」
はぁ、と溜息交じりに片翼に話しかける奏。その指摘に、翼は苦悶の声を漏らして縮こまる。後ろの緒川は苦笑いするばかりだ。
「…………へ?」
ここにきて響は、ようやく自分が何か大きな勘違いをしている事に気づき……しかしどう間違っているのか全くわからず、間の抜けた声をこぼして呆けるのだった。
「……お騒がせしました」
「いや、いい。気にすんな。これに関しては全面的に翼が悪いから」
「……すまない」
数分後、響は病室内に散らばった衣服と塵を拾い集める作業を行っていた。頬を赤く染め、気まずげに目を背けながら。
奏もそれを手伝い、ついでに片方の寝具に腰を下ろしている翼にきつい視線を向ける。自分もと意気込みながら、逆に散らかし邪魔だと片付けられ、申し訳なさそうに顔を手で覆う翼に、奏は深い溜息をこぼす。
「ていうか、荒らされた部屋みて攫われたって勘違いするとか……ネガティブすぎるぞ、響はさ」
「で、でも、あの子の事もありましたし……その」
「ははは……でもまぁ、心配してくれてありがとうな。あと見舞い、来てくれた事にも……そうだろ、翼」
「……あぁ」
がさごそと塵袋を膨らませ、乱れまくった病室内を元通りにしつつ、他愛も無い話をする。が、すぐにお互いに口を閉ざし、気まずい沈黙が流れ出す。
響はチラチラと視線を二人に向け、何度も口を開き、閉ざすを繰り返す。
感情が喉元までせり上がり、出口付近で止まって出てこないもどかしい気持ちを持て余しながら、ぎゅっと塵袋の口を締める。
「あ、あ~……今、弦十郎の旦那に訓練に付き合って貰ってるんだってな? 名誉な事なんだぞ? 旦那は日本最強の戦力って言われててさ、旦那がいるから日本は核を所有してないとか言われてるぐらいだ」
「……本気で言ってます、それ?」
「マジマジ、マジだって。そんぐらい強い人なんだよ旦那は。シンフォギア纏ってても未だに勝った事ないからな、私も翼も」
気まずい空気に耐えかねたのか、奏が笑みを浮かべて話題を上げてくる。
明らかに冗談にしか聞こえない内容で、思わず響も呆れた目を向ける。が、弦十郎の異様な強さを体験している身として否定できない自分がいる事に気付き、引き攣った顔で目を逸らす。
しかし、会話はそれで終わってしまい、また微妙な空気が漂い始める。
奏は失敗した、と渋い表情になり、ぎこちなく掃除の手を再開する。とはいえもうほとんど元通りの病室になりつつあり、どうにかして空気を変えねばと必死に話を考えているのが傍目から察せられた。
やがて響は、意を決したように立ち上がると二人の方に振り向き、額と膝を床に強く叩きつけ、身体ごと深々と頭を下げた。
「あ、あの…! 改めて、あの時はすみませんでした! 私の所為で……奏さんと翼さんをあんな目に……!」
「気にすんなって、あれはお前だけの所為じゃない」
「け、けど…!」
「あー、いいからいいから。つか、そんな情けない格好すんな。こっちが落ち着かなくなる」
今度こそ罵倒される事を覚悟しながら土下座する響に、奏は呆れた表情で手を振る。恥も外聞も捨てた後輩の謝罪の姿に、心底嫌そうに顔を歪めている。
先ほどまで羞恥に顔を隠していた翼も、似たような顔で響を横目で見ている。態度こそ素っ気ないが、二人とも響に対し、微塵も敵意や憎悪を抱いているようには見えない。
響はおずおずと顔を上げ、怒るどころか穏やかな表情で見下ろしてくる奏と翼に困惑の眼差しを返した。
「すでに痛いほどわかっていると思うけど……あれが戦場よ。敵も味方も、命が恐ろしく軽くなる場所」
「……はい」
「私は生まれた時から防人の血が流れていて、奏は自らの血河を流す覚悟で戦士となった。その瞬間から……私達は力無き人々を守る盾で、
顔を覆うのをやめて、平静に戻った翼が静かに語りかける。
以前に感じた分厚い壁のような距離感は、今は然程感じられない。何らかの心境の変化があったのだろうか、じっと真っ直ぐに目を見つめてきている気がする。
「政府は貴方の力を恐れ、そして欲しがっている。最早逃れられる領域を越えてしまっている……だけど、戦場を離れるという道は閉ざされたわけじゃないわ」「え……」
「櫻井女史がそれを可能にし、奏がそれを体現した……色々と言いたい事はあるけれどね」
「お、おいおい。今はそれは勘弁してくれよ」
じろり、と翼が奏を睨み、奏は頬を引き攣らせる。
翼の言葉に、思い返される記憶―――自身が生み出した錠前を使用し、了子が再現したベルトを用いて生まれた、果実の騎士の姿。
反動を受け、膝をつく場面もあった。だが、かつて見た奏のガングニールの力を大きく超える威力を、あの鎧と馬上槍は発揮していた。
つまりは……直接戦わずとも、そういう貢献の仕方もある、という事だ。
「あなたがこれ以上気負う必要はないわ。政府が欲しがっているのはあなたの力そのもの……戦士としてのあなたに期待しているとは言い難い。自覚があるでしょう?」
「…………」
「ん~、翼の言い方は辛辣だけど……まぁ、そうだな。あの苦しみを背負いたくないんなら、もう
思わぬ邂逅であったとは言え―――明確な敵を前にして、剣を振るう事を躊躇ってしまった響に、奏と翼はやや厳しく聞こえる声で告げる。
その結果がこれだ、と自分自身を見せつけるようにして、はっきりと。
これで退いてくれたら、気持ちを改めてくれたら。そんな意思を滲ませ、厳しく突き放す態度を取る二人。
だが……響は儚げに首を振り、二人の目を順に見つめ返した。
「―――それでも、私は戦います。戦わなきゃ、いけないんです」
以前に見た、強迫観念に囚われた姿とは異なる、決意を秘めた表情。
内なる恐怖に駆られ、突き動かされている様子には見えなかったが……危うさは以前にもまして酷くなったように見受けられる。
例えるならば……何かに追われる立場から、自ら恐怖の対象である何かに向かって近付こうとしているような。
逃げる事を止め、因縁に立ち向かおうとしている……と言えば聞こえはいいが、今の彼女から感じる雰囲気は自棄に似たものを感じる。放っておけば、容易に自らの命を懸けかねないほどに。
(お前……何を背負ってるんだよ、響……?)
後輩の抱える、闇。行動の根底にある、何らかの想い。
それが何かを理解しない限り、自分達に彼女を止める事は叶わない……そんな気がして、奏は悔しさに唇を噛み締める。
その時、不意に響の懐から電子音が鳴り、響は奏達に軽く会釈してからその場を立つ。
一旦病室から病室に出てから、懐に入れた携帯端末を取り出し、電話をかけてきた相手を確認してみて……それが弦十郎からである事を知ると、訝し気に眉を顰めながらも通話ボタンを押す。
「はい、響です…………え、今、何て」
端末を耳に押し当て、切羽詰まった様子で聞こえる弦十郎の声を聞き、響は唖然となる。
奏と翼がぴくりと反応を示すのを他所に、黒服達を置き去りにしている事にも気づかず、二課を目指して只管に走る。齎された凶事の報せに、寒気を抱きながら。
―――二課の後ろ盾となっていた広木防衛大臣が、何者かに暗殺された。
そして、その彼に会いに行った了子が、二課を出たまま行方不明になった、と。