JUST LIVE MORE −刀剣戦姫伝・鎧武−   作:春風駘蕩

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13.それぞれの苦悩

 静かな湖畔、風ひとつなく凪いだ湖面。

 肌寒い空気の中、水と草木の柔らかい匂いだけが鼻腔をくすぐる。

 

 淡い光に照らされる暁の空が反射され、上下に二つの世界が並んでいるように見える鏡写しの景色を見つめ、桟橋の上で一人の銀髪の少女が佇む。

 

「…………」

 

 少女―――雪音クリスの顔は険しい。

 数日前の戦い、融合症例の少女……立花響という名の奏者に()()()()()()()()との衝突を思い出していたからだ。

 

「……! ふざけ、やがって…!」

 

 胸中に沸くのは、怒り―――そして何より、恐怖感。

 

 完全聖遺物デュランダルをめぐる激突の最中、発生した不測の事態。デュランダルの起動と立花響の暴走。

 

 デュランダルの起動には、相当な量のフォニックゲインが必要。クリスはそう、己を操る者から聞かされていた。

 現在使用されている完全聖遺物……ソロモンの杖という名の物も、クリスが半年以上かけてようやく起動させた代物なのだ。

 

 それを一瞬で、しかも戦闘の余波ともいうべきフォニックゲインの発生で、起動まで持っていった。

 

 無論、立花響の持つ謎の力も恐ろしい。

 歌による発動もなく、謎の空間の裂け目から鎧のような何かを生み出し、無尽蔵に動力を発生させ、膨大な破壊力を齎す。

 

 そして、暴走した際に見せる機械的な冷酷さ。

 荒事を好まない性格が封じられ、無慈悲に敵と定めた存在を排除しようとする、危機に陥った時に発動する姿。

 

 完全聖遺物ネフシュタンの鎧をほぼ全壊させ、再生能力ごと街の一角を木端微塵にしたあの威力は、正直今でも夢に見る。

 

 それらも充分恐ろしいが、クリスの心を騒めかせているのはその点ではない。

 

 それは、二度目に起こった暴走の際に見た、立花響の根本的な精神性―――極端なまでの自己犠牲の衝動だ。

 

 他人の為に命を懸ける、いや、懸けるどころか代わりに死を選ぶような精神の持ち主を、同じ人間とどうして認められようか。

 戦場で人を傷つけたくないなどと宣う意気地なし、どころの話ではない。

 

 何かが壊れている。真面な人間として当たり前にあるべき何かが、あれからごっそり抜け落ちているとしか思えない。

 

 

 ―――紛争地で両親を喪い、捕虜として囚われ、あらゆる虐待を受けてきた自分でさえ、そこまでの域に至っていないというのに。

 

 

「……パパ、ママ、あたしは……!」

 

 脳裏に浮かぶ、父と母の顔。

 音楽の才に溢れ、その力で世界を平和に導きたいと、娘を連れて紛争地帯を巡っていた両親。

 

 その夢は道半ば、人間同士の争いによって惨たらしく散らされ、父と母は変わり果てた姿を晒す羽目になる。

 

 そして自分は……地獄に引きずり込まれた。

 国に戦争を撒き散らす碌でもない集団に捕虜として捕らわれ、理不尽な暴力に嬲られる悲惨な時を過ごしてきた。人として扱われず、家畜か物の様に乱雑に、何度も死を近くに感じる暮らしをしてきた。

 

 幸運にもそんな地獄から救出され、表立った争いの見当たらない日本に戻って来てからも、その過去はクリスの精神に翳を残していた。

 

 兵器があるから、人は殺し合う。力があるから、人は奪い合う。

 強い者だけが己の欲望を叶えられ、弱者はただ虐げられ、理不尽に搾取される。

 父母が求めた平和など……人同士が繋がり合える、分かり合える世界など存在せず、人が存在し続ける限り争いは消えない。止まらない。

 

 クリスは〝力〟そのものを嫌悪し、世のどこかに存在し暴威を振るう力を持つ者を憎悪した。

 

 そんな彼女に近づいてきた、一人の魔女。

 彼女の言葉は、クリスの罅割れ弱り切った心の隙間に入り込み、見事に己の掌の上に収める事に成功した。

 

 

 ―――力を持つ者を全てこの世界から消せば、世界は平和になると思わない?

 

 

 クリスにとってその言葉は、さとりに近い衝撃を齎した……故にクリスは差し出された魔女の手を取り、力を求めた。

 

 そして、己以外の暴力をこの世から消し去る事を決めた。

 己が世界最悪の犯罪者になろうとも、誰かを傷つける、父母が目指した理想と真逆の道を行く事になるとわかっていながらも、血に汚れた世界へと足を踏み入れた。

 

 

 ―――言葉があるのに、理解できるのに!

    傷つけ合って、相手を無理矢理黙らせるようなやり方で……終わらせたくない‼

 

 

 だからこそ、道の半ばで遭遇した立花響に抱いた恐怖は、クリスの足を鈍らせていた。

 

 その気になれば、自分に盾突くクリスを捩じ伏せられよう力があるくせに、そうしようともしない愚者。

 クリスが嫌悪する力の持ち主だというのに、それを態々クリスの目の前で落とし対話を望む……狙ったようにクリスの神経を逆撫でする思考の持ち主。

 

 気に入らない。相対するだけで苛々する。

 クリスを殺さないよう、自ら死に近付こうとした様も……ただ只管に、クリスの胸の内を騒めかせた。

 

「……そんなに恐い? あの子が」

 

 ふと、背後から聞きなれた声が届く。

 思考に没頭しすぎたのか、はっと我に返ったクリスはやや強張った顔で振り向き、自分を見つめる美女―――終わり(フィーネ)の名を持つ者を見つめ返す。

 

「フィーネ…」

「そういう顔になるのも、まぁ、仕方がないわね。あれは……立花響は異常よ。あれの精神は、すでに人のものとはかけ離れているわ」

 

 喪服のような黒い衣服を身に纏い、帽子で顔の半分ほどを隠した美女は、物憂げな表情で小さく溜息を吐く。

 

 クリスは内心で、ほっと息を吐く。自分があの狂人に対して抱く感想は間違っていない、この女も同じ気持ちを抱くのだとわかり、静かに安堵する。

 もしくは、常人と異なる思考と価値観を持つこの女であっても引くほど、立花響の精神状態が悲惨であるという事かもしれない。

 

「フィーネ……あたしは、間違ってないよな。この世の力を持つ奴全員を消し去れば、平和な世界にできるんだよな」

「……」

「あたしはあんたにそう教えられて育った。あんたに力を与えられて、平和な世界を造る為ならどんな事もする覚悟も決めてきた。痛みだけが、人を繋ぐものだから……だから、あたしが人の痛みそのものになる。そう決めた」

 

 美女は、答えない。少女が悲壮な眼差しと共に語る、唯一と信じた解決策に頷きもしない。

 

 何処か冷酷に見えるその目は、ふと気付く。

 桟橋の上に一人佇むクリスの肩が、震えている事に。

 

「あぁ、認めるよ…! あたしは、あいつが怖い……敵の為にも命を投げ出すあいつが怖い! あたしにはあいつが……人の形をした化け物にしか見えない…!」

 

 由来も不明、得体の知れない強大な力を持つ、その気になれば全てを破壊しかねない危険極まりない存在。

 立花響は、クリスにとって嫌悪の対象そのもの。父母を奪った、自身を苦しめ続けた理不尽と同じ、何に代えても排除すべき敵だ。

 

 だが本人はおそらく、それを殺戮には齎すまい。

 先日に見せた片鱗のように、例え自分の命を完全に絶つ事になろうとも、その刃を他者に向ける事はあるまい。

 

 その在り方が堪らなく……例えようもないほどに、悍ましく不気味だった。

 

「あれじゃまるで、他人の痛みまでも全部、自分一人で引き受けようとしてるみたいじゃないか…!」

 

 しばらくの間、震える自らの体を抱きしめながら黙り込むクリス。

 嫌悪に顔を歪ませ、歯を食い縛りながら、虚空を睨みつけ波が収まるのを無言で待つ。

 

 やがて、顔を上げた彼女は、背後に立つ美女に向けて、自分の持つソロモンの杖を投げ渡し、鋭い目で睨みつけた。

 

「―――あいつはあたしが否定する。あんな奴が〝力〟を持ってていいはずがねぇ。今度あいつに会ったら、必ず叩き潰してやり遂げてみせる……平和の為に」

 

 もう二度と戦場に立てないような姿を思い浮かべつつ、まだ終わってはいないと無意識に確信を抱きつつ。

 

 痛みと苦しみに満ちた血塗られた過去を背負い、覚悟の眼差しを向けるクリスに。

 美女は何も答える事なく、薄ら寒い笑みを浮かべてみせるだけだった。

 

 

「くぅ…ぁああああ‼」

 

 一歩を踏み出す。ただそれだけの動作で、天羽奏の口から悲鳴が漏れる。

 自力で立つ事もまだ苦痛で、壁に備えられた手摺にしがみつきながらの歩行。しかも片手に点滴を持ちながらで、ゆっくりとしか歩けない。

 

「はぁ…っ! はぁ…! く、そっ……久、々、だな、この、感じ……!」

 

 寝具の上で寝たきり、運動も最低限。そんな生活がしばらく続いたせいで、全身の筋肉が鈍りに鈍っている。

 その上、絶唱という禁じ手を使った事による反動。それが今なお自身らの体を蝕み、自分自身を痛めつけている。

 

 もっとも、奏が苦痛に満ちた声を上げている理由は別にもあり、それは比較的自業自得といっていいものであったが。

 

「あ、天羽さん…! いくらリハビリの為とはいえ、頑張り過ぎです! いい加減休んで……」

「悪ぃ、止めないでくれ……やらなきゃならない事、だからさ」

 

 看護士に止められるが、奏はそれを首を振って拒否する。

 入院生活中、ようやく認められた身体を動かせる時間。定められた時刻を優に超えているが、それでも奏は止まらない。止まれない。

 

 傍らで自身と同じく、顔中汗まみれで藻掻く片翼の姿を目にしているのも、抗い続ける理由であった。

 

「ぐ、く…! まだ、まだ…!」

「……じっと、して、なんか…いられ、る、か……!」

 

 きつく歯を食い縛り、手摺を握り締め、ただ只管足を動かす。

 鬼気迫る奏と翼、両方の表情に、強引にでも制止すべき立場にある看護士も口を挟みづらく、近付く事も躊躇われる。

 

 二人の歌姫の苦悶に満ちた声がそれから何十分も続き、途切れたのは時計の針が二周もしてからだった。

 

「―――っ! はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」

「…! ふぅぅぅぅぅ…!」

 

 病院の廊下に置かれた腰掛に、二人並んで乱暴に腰を下ろす。

 乱れた襟も裾もそのままに、荒い呼吸を繰り返す。体中、肌という肌が汗を噴き、病院着にくっついて気持ち悪い。

 

 熱く煮えた胸元をぱたぱたと仰ぎ、奏と翼はしばらくの間無言になっていた。

 奏は背凭れに身を預けて天井を仰ぎ、翼は膝の上で指を組んで項垂れ、それぞれ虚空を見つめて黙り込む。

 

 止まらなかった汗が落ち着き、呼吸も穏やかになってから、二人はようやく口を開いた。

 

「……なぁ、翼。響は、大丈夫、かな」

「……わからない、わ。少なくとも、今何ができるかなんて、何も思い浮かばないわね」

「だよなぁ…」

 

 がっくりと肩を落とし、深い溜息をこぼす奏。翼も同じ重い気持ちで、眉間に皺を寄せ額に手を当てる。

 

 すると不意に、二人の顔の横に一つずつ缶が近づけられる。

 ひんやりと冷えたそれらを咄嗟に受け取り、歌姫達は渡してきた相手を……自分達のマネージャーである緒川の顔を見上げた。

 

「根を詰めすぎると、入院期間が延びますよ。今日はもう休んでください」

「……悪い、緒川さん」

「……すみません、いただきます」

 

 小さく礼を言い、それぞれ受け取った缶を開け、中身を一気に呷る。

 程よく冷えた飲料水が喉を癒し、発汗で失われた水分を補給する。熱を持ったままだった脳が少し落ち着いた気がして、二人で唸るように息を吐きつつ、脱力した。

 

「何かしてないと落ち着かなくってさ……あれ、見ちまったから、さ」

 

 ぎこちなく奏が呟くと、翼は思わず手にした缶を握り潰し、緒川も顔を歪める。つい数日前の光景を思い出してしまい、全員が唇を噛み締める。

 

 負傷し、戦場から退かされた自分達の代わりに出動した少女が―――痛ましい姿で戻ってきた。

 

 病室で報せを受けた歌姫達は呆然となり、緒川達に無理を言って本人の安否を確かめようと治療室まで赴き……そこで目にする変わり果てた響の姿。

 半死半生の惨たらしい姿に、最早二人に言葉を紡ぐ事はできず、その場にへたり込むばかりだった。

 

「翼、あたしさ……甘く見てたわ。お前が言ってた通りだ……歪んでる、あいつ」

「…いいえ、違うわ。私の思っていた以上の歪みよ」

「おそらくですが……我々全員の認識を越えるものではないかと。司令もみんなが見ていない所で頭を抱えていましたし」

 

 誰かに命じられても、脅されてもいない。

 暴走状態にありながら、気合いと根性で辛うじて意識を取り戻し、人命を守る為に行動した。その点だけならば評価できるかもしれないが……その方法があまりに狂気的だ。

 

 自らを傷つける事に、躊躇いが無さすぎる。自傷どころか、致命傷をも迷う事なく引き受けようとするのだから、二課の者が頭を悩ませるのも当然だ。

 

「……ほんっと、何やってんだろうな、あたしらは」

 

 自らを責める口調で、奏が呟き掌を見下ろす。

 元はといえば、役目を果たせなかった自分が―――弱すぎる自分自身の怠慢が招いた事態、そうとしか思えない。

 

 過去の自分に力があれば、二年前の舞台の惨劇で彼女が巻き込まれる事もなかったかもしれないのに。

 

 憂いに満ちた表情で苦笑する奏を横目に、空気を換えようと思ったのか、翼が隣で居心地悪そうに目を逸らす緒川に声をかける。

 

「……緒川さん。それでその、立花は、今どこに…?」

「司令からお暇を出されて、自由行動を()()()()()います」

「おいおい、よく上層部(うえ)が許したな」

「その上層部からの指示のようでして……」

 

 響の暴走を間近で目撃した奏は、緒川の話に思わず顔を顰める。

 あれだけの暴走を見せた後なのに、よくも自由など認めたものだ……と、予算やら何やらで二課を厭う上層部の反応を良く知るが故に、疑いの目を向ける。

 

 そんな奏の胸中を察してか、緒川もやや渋い表情で頷きながら語り出した。

 

「一時は確かに、響さんを危険視して徹底的な管理、あるいは封印を提案した方々ですが……今回の一件は流石に思うところがあったようです。代弁するならば―――『猟奇的な自傷行為をこれ以上見せて欲しくない』といったところでしょうか」

 

 しん、と三人は黙り込み、奏は目を手で覆って項垂れる。

 再び脳裏に、事件後の響の無惨な姿を思い浮かべてしまい、深く長く溜息をこぼし、より深く首を垂れる。

 

「……今回ばかりは、同意だ」

「……私もです」

「僕もですよ。……運び込まれた響さんを見て、藤堯さんは戻すし、友里さんは泣き止まないし、二課がしばらく地獄と化しましたよ」

 

 味方に甚大な被害を齎す、響の過ぎた自己犠牲の姿勢。

 決して受け入れられるものではない、あまりに惨すぎる歪んだ在り方に、全員が最早言葉も出ない。

 

 奏はぼんやりと窓の外を見やり……憎たらしい程に晴れ切った空を見上げ、誰にともなく願う。

 

「デュランダルは、結局二課の〈アビス〉に保管されたんだっけ?」

「ええ……おかげで本部の防衛システムも強化される事になったので、よかったと言えばよかったですけど」

「素直に喜べないんだよなぁ……」

 

 がしがしと頭を掻き、はーっと乱暴に息を吐く。

 

 かつての後ろ盾であった広木防衛大臣は、本部の改修などに待ったをかけたりして、敢えて二課への当たりを強くしていた。

 そうする事で、非公開かつ超法規的な存在である二課に法令を遵守させ、他所からの余計な横槍を封殺するという措置を取っていた。

 

 彼の後釜に座った副大臣は二課の改修を後押しし、心強い支援者に見えるが、彼は親米派であり米国との協調路線を強く推している。これは日本の防衛体制に対し、米国の意見が通りやすくなる事を意味する。

 

 国が、人々が一丸となって対処すべき危機に、政治や思惑が絡んで一層面倒臭い事になっている。

 頭の痛くなる状況に、奏も翼も幾度も漏れ出す溜息を堪えられなかった。

 

「……頼むから、あいつがこれ以上あたし達の心に傷を残さないように、誰も何も事を起こさないでくれよ」

 

 縋るように願いながら、何故だかそれも無駄に終わりそうな気がして。

 強烈な無力感に苛まれた奏は、静かに瞼を閉じた。

 

 

 目の前を行き交う街の人々をぼんやりと眺め、無言で佇むこと約一時間。

 何をするわけでもなく、何を呟くわけでもなく、背後の建物の壁に背中を預けて、ただ時間だけを無駄に浪費する。

 

 休養という名目で二課本部から外に出された響は、目の前を歩く自分以外の人間を眺め、深く長く溜息をこぼす。

 

 忙しそうに小走りで歩くサラリーマンらしき男性。

 恋人同士であろうか、手をつないで歩く若い男女。

 洒落た格好で笑いながら通り過ぎる中年女性達。

 友達同士で愉しげに話しあっている惜し生徒達。

 明るい顔で走り去る少年少女達。

 

 何の変哲もない、ごく普通の人々。ノイズという理不尽な天敵さえ現れなければ、平穏に日々を過ごすだけのそれぞれが平凡な人間達。

 態々探さなくても、どこにでもいるような人々が、響の目の前を行き来している。

 

 だが今は……彼ら彼女らが、遠く見える。

 当たり前のように存在している人々が、何となく、硝子の向こう側に、テレビの画面の向こう側に立っているような、そんな錯覚に陥る。

 

 そう思うのは、自分が人間にあるまじき〝力〟を手に入れてしまったからだろうか。

 

「っ……!」

 

 思わず、胸の内に黒い感情が湧きあがる。唇を噛み締め、衝動のままに声が漏れそうになるのを堪える。

 目の前を行き交う人々の視線が、自身を嫌悪し蔑んでいるかのような気分に陥り、居心地の悪さからそそくさとその場から立ち去った。

 

 

 

 響の足は自然と人通りの少ない場所を求めて、やがて静かな公園に辿り着く。

 時刻は夕方、学校もそろそろ授業が終わり出す頃。だが、何故だか放課後に遊びに出て来た児童の姿や、自分の子供を遊ばせにやってきた主婦達の姿はほとんど見当たらず、しんと静まり返っている。

 

「…追い出されちゃった、なぁ」

 

 木々が風に揺られ、囁く音だけが聞こえる中、響はそこらで見つけた腰掛に腰を下ろし、空を仰いで溜息をこぼした。

 

「何が、この力で誰かを助けられれば、だよ。何にもできないどころか、足ばっかり引っ張って……」

 

 詫びるつもりで、何か仕事を引き受けたいと思っていたのだが、その考えを見透かしたように休息を与えられた。

 先日の一件が起こってそう経っていない今、心身共に宥める時間が必要なのはわかっているが、何もする事がなくなると落ち着かなくて仕方がない。

 

 もっとも、何もさせて貰えなくなったのは……自分の自業自得なのだが。

 

「何やってるんだろうな、私……勝手に、我を失って暴れて、誰かを傷つけて」

 

 休め、と命じた時の弦十郎の顔が思い出され、憂鬱な気分になる。

 

 何とか平静を保とうとしていた様子だったが……まず間違いなく、弦十郎の中には畏れの感情があった。藤堯や友里、他の職員達にも同様に。

 その事自体に思う事はない。失った腕が後から勝手に生えてくるような存在など、恐怖を抱かないわけがない。自分自身、何に変貌してしまったのかと嫌悪感が湧き、気持ち悪くて仕方がない。

 

「こんな人間……お父さんが見限るのも仕方ないよ。こんな、誰かを傷つけるばかりの、化け物……娘だなんて、思いたくないの……当たり前だよ」

 

 辛いのは、異能の力が明らかになった瞬間、弦十郎達の視線が変わった事……信用や期待が、正反対にひっくり返ったように見えた事だ。

 

 その変化は、二年前のライブから生還した響に、同級生や知り合いから悪意を向けられだした時を微かに彷彿とさせ、より一層に気分を落ち込ませた。

 

「久々だったな、ああいうの。ああなった後は、あっという間だったもんな……みんなみんな、私を人殺しだって」

 

 ずきり、と胸の傷が痛む。自分が生き残った証はそのまま、自分の生を否定された過去の記憶に直結している。

 

 

 ―――あの日、あの時、何が起こったのか、実は響はよく覚えていなかった。

 誰かを助けようとして、いきなり胸に衝撃が走り、未来を置いて意識を失った。そこまでは辛うじて覚えているが、それ以外の記憶は何も残っていない。

 

 そこからしばらく、響は意識不明のまま眠り続けていたらしい。目を覚ましたのは数日経ってからで、ライブの途中からそれまでの記憶は一切残ってなかった。

 

 ただ、酷く衰弱していたらしく、しばらくの間は体調検査とリハビリで病院に入院し続ける事となり、数週間は自由を許されなかった。

 それでも見舞いに来てくれた父母や祖母、そして同じく惨劇を生き延びた未来は心から響の生還を喜んでくれ、泣きながら互いの無事を称えあったものだ。

 

 検査とリハビリを終え、再び登校した時……大勢が無事を祝ってくれた。ノイズの襲撃から生き延びたというだけで、ちょっとした英雄のような扱いをされた事を覚えている。

 

 その時だ。ある一人の同級生から『なぜお前が生き延びているのか』と鬼の形相で告げられたのは。

 

 彼女の憧れの先輩が同じライブに来ていて、響と異なり帰らぬ者となったのだと涙ながらに語った事で、響への、そして未来への同情の視線が少しずつ変わり始めた。

 そこから次々に……入院費が政府の負担になった事や、被害者の多数がノイズとは関係のない、避難時の混乱による圧死であったと明らかになった事を理由に、生存者への迫害が始まった。

 

 罵倒や陰口はまだ優しいものだった。机や家に落書きをされた事も、比較的ましな部類だった……誰かから石を投げられ、祖母が怪我を負うようになってから、事態は悪化し始めた。

 人目のつかぬ物陰に引き摺り込まれ、殴られ蹴られ汚され、只管悪意をぶつけられた。時に命に関わる傷を受ける事もあり、痛みを感じない日はなかった。

 

 自分が傷つくより、何よりも苦しかったのは、目の前で未来も同じ目に遭わされているのを見せつけられた時だ。

 何度も謝られた。自分の所為だと、何もかも自分が悪いのだと……青痣のついた顔を涙で濡らしながら、悲痛な声と共に縋り付かれ、泣かれた。それが一番苦しく、切なくなった。

 

 堪らず誰かに、当時の教師達や周りの大人、それこそ正義の味方たるべき警官に助けを求めた事もあった……だが、手を伸ばした誰もがそれを拒絶した。

 どんなに悲惨な目に遭っていようとも、彼らにとって響と未来は他人を犠牲に生き延びた卑怯者……人殺しと同じだったのだ。

 

 絶望する響達をよそに、悪意はより辛辣に、醜悪に強まった。

 

 携帯端末一つであらゆる情報を得られる現代。

 何の縁もゆかりもない他人が、唾棄すべき程の醜い悪意を、自分勝手な欲望持って近付き。

 

『これは制裁だ』と嘯き、力尽くで押さえ込んだ響の目の前で、泣き叫ぶ未来を―――

 

 

「―――っ‼︎」

 

 はっ、と目を見開き、荒く息を吐く。

 込み上がる吐き気を無理矢理に押さえ込み、虚空を見つめて耐え忍ぶ。

 

 心の奥底に押し込めていた記憶、最も忌まわしき思い出が危うく蘇りそうになり、急ぎ自分を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。

 呼吸がようやく落ち着いてきてから、響は顔を手で覆い、力なく項垂れた。

 

「……忘れちゃ駄目なのは、わかってる。でも、でも……!」

 

 胸中に沸々と湧いてくる衝動、黒い感情。

 それらが漏れ出さないよう、薄れる様に深く長く呼吸を繰り返し、懸命に耐え抜く。

 

 思い出してしまった過去と、その時生じた闇を―――殺意を、どうにかして自分の奥底に再び封じ込めようとして。

 

 

「……響?」

 

 

 不意に、その場に響いた声。

 響は弾かれた様に顔を上げ、声の主の……親友の立っている方へと振り向く。

 

 驚愕と安堵、様々な感情がないまぜになった悲痛な表情で立ち尽くす未来を前に、響も絶句し硬直していた。

 

「あっ! やっっっと見つけた!」

「探したよビッキ〜」

「お久しぶりです。一体今までどこにいたんですか?」

 

 未来の後ろから、見覚えのある三人も駆け足で近づいてくる。フルーツパーラーで働いていた時以来だろうか、響を前にして、ほっと安心した様子を見せる。

 

「っ…!」

 

 反射的に、響はその場で踵を返し、立ち去ろうとしていた。

 なぜかはわからない。ただ親友と目を合わせていられず、衝動的に顔を背けようと、その場から逃げ出そうと体が勝手に動いていた。

 

 だが、走り出そうとしたその瞬間、響の手が未来の華奢な手に捕まり、引き止められる。

 一体いつの間に距離を詰めたのか。以前所属していた、陸上部での実力は健在なのだろうか、接近する気配すら気付かなかった。

 

「未、来……」

「響―――逃げないで。ちゃんと、私の話を聞いて」

 

 凍りつき、ぎこちなく振り向く響に、未来はまっすぐに……しかしどこか不安げな眼差しを向け、響をその場に留めさせる。

 どうしようもないくらい逃げ出したい気持ちでいっぱいになる響だったが。

 

 やがて観念したように、強張らせていた両肩から力を抜き、未来と正面から向き合った……向き合わされた。

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