JUST LIVE MORE −刀剣戦姫伝・鎧武− 作:春風駘蕩
事の発端は、弓美達が行きつけの店に行った時まで遡る。
〈ふらわー〉という名のその店。一人の中年女性が切り盛りするお好み焼き屋は、店主の明るく気さくな人柄のおかげで根強い人気を誇っていた。
常連客相手にサービスを行ってくれる時もあり、学生やサラリーマン、近所の住民達からの支持も厚い。
弓美達も〈ふらわー〉のお好み焼きの美味さや店主の人柄を気に入り、度々訪れるようになっていた。そして食べながら、依然として行方知れずの友人に関する情報交換を行ったりする。
今では専ら、彼女達の響探しの拠点のようになっていた。
「どこ行っちゃったんだろうねぇ、ビッキーってば……」
熱々のお好み焼きを少し冷ましてから一口頬張り、はふはふと咀嚼しつつそう呟く創世。
ごくりと飲み込んでから、行儀が悪いと承知しながらも頬杖をつき、深い溜息をこぼす。積もり積もった疲労が、彼女に気怠さをもたらしていた。
「こうも手掛かりがないと、向こうもこっちを避けてるんじゃないかって思えてくるわね」
「もしそうだとしたら……どうして」
「ん〜、わかんない。何してんのかさっぱりわかんないんだもの」
箸を咥え、弓美がふてくされたような顔で虚空を見下ろす。どちらかといえば、考えるより先に手が出る質である彼女には、探しても探しても見つからない現状は歯痒くて仕方がないのだろう。
「アニメ的にはこう……なんかの事件に巻き込まれてて、友達を巻き込まないためにとか? 一人で決着をつけるためとか? そういう遠慮とか罪悪感とかで姿を隠してるとか……」
「……それは流石に」
「荒唐無稽すぎませんか?」
「だよねぇ……アニメだもんねぇ」
創作物上ならば三十分、あるいは一週間もすれば新たな展開が訪れてくれるのだが、やはり現実はそう甘くはないと項垂れる。
いくら響と未来が波乱万丈な人生を歩んでいて、未だ自分達に語られていない深い事情があるという滅多にいない人物達だからといって、そうそう都合良く世の中はできていないのだ。
三人ははぁ、と同時に深い溜息をこぼし、そしてちらりと自分達の隣、店の奥の席を見やった。
「……響」
出されたお好み焼きに手をつける事もせず、虚ろな目で消え入りそうな声を漏らす未来。数日前より明らかに顔色は悪く、目に力が籠っていない。
触れれば儚く壊れてしまう硝子細工のような弱々しさを見せる彼女に、弓美達は顔中から冷や汗を垂らして目を背けた。
「……やばい、どうしよう」
「手掛かりの一つでも見つかれば絶対復活するのに…! どこで何やってんのよあんちくしょう…!」
探し始めた時と比べるまでもないほど消沈している友人に、ひそひそと小声で囁き合う弓美と創世。尋常ではない程の空気の重さに、それ以上食事を進める気にもなれない。
挙句この場にいない響に対して、八つ当たりじみた呟きをこぼすほどだ。同時に、そう考えてしまう自身に嫌悪感を抱く創世だった。
「やっぱり……警察に頼ったほうがいいのではないでしょうか。ここまで探して、何も見つからないというのは明らかに……」
「ヒナの昔の話聞いてそれでも頼れる?」
「……すみません、不用意でした」
疲労を顔ににじませた詩織がそう提案するも、創世の返しに即座に俯く。
そもそもの発端と言える事件、その後に起こった、人間の悪性をこれでもかと知らしめる蛮行の数々。過去の報道である程度知り、そして当人から少しではあるが教えてもらい……聞いた事を激しく後悔した三人。
頼りになるべき法の番人でさえも敵であった、という話には、最早頭を抱える以外になくなっていた。
「どーしたもんかなぁ……」
「お友達は……まだ見つからないのかい? 探し始めて随分経つみたいだけど、ここまで音沙汰がないと流石に心配だねぇ」
ふてくされたような表情でお好み焼きを突く弓美に、〈ふらわー〉の店主が困り顔で話しかけてくる。
食材を切りながら、この場にいない、まだ顔も合わせていない少女の事を案じてくれる店主に、弓美達は申し訳なさそうに手を合わせた。
「ごめんねおばちゃん、長いこと作戦会議のために場所借りちゃって」
「もうちょっと…! もうちょっとだけ借りさせて! すっごい迷惑かもしれないけど!」
「いいんだよ、そこは気にしなくて。私も好きであんた達のこと手伝いたがってるだけなんだから」
「……すみません、ありがとうございます」
ざくざくとキャベツを切り分けながら、恐縮し俯く弓美達を笑って宥める。本心から気にするなといってくれている店主に、詩織が目を伏せながら礼を言う。
今や常連となった少女達。いつも来てくれる彼女達への礼の気持ちもあって、店主は微力ながらも助力ができないかと考えていた。
暗い表情で下ばかり見つめている未来を憐れみ、同情を抱いた事もあり、他の客に少し話を聞いてみる程度の事だが、どうにか支えになれないかと苦心していた。
それでも、助けてくれる味方が一人でもいる事は弓美達にとって喜ばしく、頼もしい事だった。
「私も結構いろんなお客さんに聞いてみたけど、中々ねぇ……力になれなくて悪いねぇ」
「いえ、そんな……充分過ぎるくらい、助かってます」
不甲斐ない、とばかりに顔を歪める店主に、黙り込んでいた未来がぱたぱたと手を振り、首を左右に振る。
助けられているのはいつも自分の方だ、と、他人に気を遣わせた事を恥じ、余計に暗い顔で俯き始めた。
しん、と静まり返る〈ふらわー〉。
弓美達が引きつった顔で所在なさげに辺りに視線を彷徨わせた時、じゅわっと野菜を焼く音が響き渡る。
「ほら、どんどんお食べ! お腹が空いたまま考え込むと、嫌な事ばっかり浮かんでくるもんだよ! ……反対に、暗い気持ちだと、どんなに美味しいものもちゃんと食べられないからね。休憩も兼ねて、食べとくれ」
「おばちゃん……」
諭すように笑いかける店主の優しさに、思わず未来の目が潤む。
溢れ出しそうになるのを必死に堪え、ぐっと唇を噛み締める少女が乱暴に目元を拭う姿は、痛々しくもどこか憂いが晴れて見える。
弓美と創世は危うく貰い泣きしかけ、咄嗟に強く拳を握りしめて衝動に耐えると、箸を持ち直し改めて目の前のお好み焼きの皿に向き直った。
「うっしゃあ! また聞き込みするかぁ!」
「おう! ビッキーめ……こんないい女達をこんなに心配させて! 見つけたらただじゃおかないよ!」
「今度は逃げられないように、しっかり捕まえておきましょう」
先程の箸の重さが嘘であったかのように、がつがつとお好み焼きを平らげていく二人と、静かに箸を運びながら確固たる決意を秘める詩織。
中々努力の結果が実らない事への苛立ちを、探している本人にぶつけるつもりで、途端に空いてきた腹にものを収める。
飢えた獣もかくやと言わんばかりの勢いを見せる弓美と創世、上品ながら怒りを滲ませる詩織の姿に、未来はくすりと笑みをこぼし、自身も箸を手に取った。
「……いただきます」
ここまで背中を押してもらったからには、前を向こう。
どんなに時間がかかってもいい。助けてくれる人達をこれ以上心配させないように、確と歩いて頑張り続けよう。
そう心に決めて、お好み焼きを一口頬張ろうとした……その時だった。
「───よぉ、その友達って、明るい髪色に赤い髪飾りつけた子か?」
不意に、聞き慣れない声が〈ふらわー〉の中に響き、未来の手が止まる。
いきなり話しかけてきた男に、弓美達が「ん?」と首を傾げながら振り向く。
その男───ヘッドホンを首にかけ、赤いバンダナを額に巻いた中年は、奥の卓席に腰を下ろしたまま未来の方に振り向いた。
「…⁉︎ も、もしかして知ってるんですか⁉︎」
「俺の見た子とお前さんの探してる子が同じかどうかは知らんが……こういうギザギザの飾りをつけてる子なら知ってるぜ。丁度さっき見たところだ」
「ど……どこに行きましたか⁉︎」
がたっ、と椅子から腰を浮かせ、男に飛びかからんばかりの勢いで詰め寄る未来。焦るあまり、赤の他人が相手だとか常識が一切頭から抜け落ち、必死の形相で身を乗り出してしまう。
男は特に気にした様子も見せず、顎に手を当てて考え込む仕草を見せると、徐に店の外を指差した。
「そうだな……公園の方にとぼとぼ歩いて行ってたっけな」
「公園……! ありがとうございます‼︎」
未来の目に光が灯る。希望の光……というには刺々しく、執着じみた濁った光であったが、暗かった少女の表情が一変する。
がばっ、と勢いよく頭を下げ、未来は自分が座っていた席に引き返し、鞄を引っ掴んで走り出した。
脇目も振らず出口に向かう未来に、お好み焼きを頬張ったままの弓美達が慌てて制止の声を吐く。
「ちょっ、未来⁉︎」
「おばちゃん、ごめん! 私、行かなきゃ!」
「……い、いいけど、そんなに慌てて怪我しないでよ?」
〈ふらわー〉から走り去る寸前に引き返し、代金を卓上に置いて再び頭を下げる未来。店主は困惑しながらも、焦る少女に頷き身を案じる。
未来は申し訳なさそうに、半分以上残っている皿を一瞥し、凄まじい速度で走り出す。
置いてけぼりを食らった弓美達は唖然とした表情で互いに見つめ合い、次の瞬間、大急ぎで自分の目の前のお好み焼きを口の中に収めた。
「んぐっ! えほっ……えっと…ごめん、おばちゃん。未来を放って置けないから私たちも行かなきゃ」
「すみません! 次はちゃんと残さず食べさせるから!」
「失礼します!」
「ヒナ! 待ってってば───くっそ速いな陸上部!」
熱さに悶え、喉に詰まらせかけながら、なんとか完食した弓美達はすぐさま財布からそれぞれ代金を引っ張り出し、卓上に差し出す。
目を瞬かせる店主に一斉に頭を下げ、先に店を後にした未来の後を必死に追いかけ始めた。
「……見た目はおとなしそうな子なのに、走り出すとすごい勢いになる子だねぇ。ごめんなさいねお客さん、騒がしちゃって───」
一気に静かになった〈ふらわー〉の中で、店主が思わず独言る。
食事処で慌ただしくし、しかしちゃんと残さず食べようとし、謝罪する様は礼儀正しいのかそうでないのか。
はぁ、と溜息をつき肩を竦めながら、後片付けを始めた店主がもう一人の客に少女達に変わって詫びの言葉を吐く。
だが、振り向いた先に……確かに席に着いていたはずの男の姿は、影も形もなくなっていた。
「……あら、どこ行っちゃったのかしら」
皿も箸も何も残っていない机を見やり、首を傾げる店主。
いつ来店したのか、注文を取ったかどうかさえあやふやな見慣れない客に、不思議そうに首を傾げ考え込む。
彼女がそこにたった一つ残されたもの───葡萄の意匠が施された錠前の存在に気付くのは、それからしばらく経っての事だった。
そうして……二人は再会した。
幼い頃からいつも一緒で、隣にいるのが当たり前で。
けれど、二年前の悪夢によって地獄を見て、謂れなき罪を押し付けられ、傷つき続け……ついには姿を消してしまった唯一無二の親友。
以来、ありったけの時間を費やし、探し続けてきた。
そして、新たにできた友人達や親切な人々、見知らぬ他人の助けまで借りて、ようやく見つける事ができた。
実に感動的だ───ようやく見つけた親友が、怯えた様子で身を強張らせ、じりじりと後退っている事を除けば。
「…………」
春の風が心地よく吹き抜ける、街中の公園。
遠くで子供達がはしゃぐ声や、夫婦に恋人達が仲睦まじく語り合う声が聞こえ、長閑な空気が流れる明るい空間だ。
心地よい環境に、誰もが笑顔で思い思いに穏やかな時間を過ごしている。
……だが、その場所だけは。
立花響と小日向未来、二人を取り巻く空気は───異様な緊張感が漂っていた。
「…………」
公園の敷地の一角に置かれた木製の椅子に並んで腰を下ろし、しかし可能な限り距離を開けている二人。
未来はじっと真剣な眼差しを向けているが、響は引きつった顔で項垂れている。最初に乞われた通り逃げはせずとも、頑なに親友との対面を拒もうとしていた。
そんな彼女達を、弓美と創世、詩織は近くの木陰に身を潜め、緊張の面持ちで見守っていた。
「……やばい、二人の空気が鬼重い。めっちゃ緊迫してる」
弓美が頬を引き攣らせながら呟く。後ろに隠れる創世と詩織も同じく冷や汗を垂らし、ごくりと息を呑む。
数日に及ぶ地道な捜索の末、ようやく見つけた友人の探し人。
また逃げられないようにと未来が先に牽制し、響が足を止めると、弓美達は機を見て二人のそばを離れたのだ。
積もる話は当人達で、ちょっと首を突っ込んだだけの邪魔者は退散しておこう。そんな軽い気持ちで、二人きりでゆっくり話ができるようにと気を遣ったつもりだった。
最初はかなりの満足感を抱き、再会を喜ぶ様を覗かせてもらおうとその場を離れたのだが……今は激しくその行いを悔いていた。
「ど、どうしよう……余計な事しちゃったかな…!? あの辺の空気、色まで変わって見えるんだけど…!」
「い、今更しょうがないじゃん! ヒナがあれ以上やつれる姿とか見たくなかったし、あの場にいても余計空気悪くなるだけでしょ!」
「そうだけどぉ…!」
「一度首突っ込んで、途中で放ったらかしにするような奴が、友達名乗れる? 違うでしょ!?」
「うぅ……創世ぉ……!」
重い空気に耐えかねた弓美が泣き言を口にすると、創世が男らしい堂々とした口調で叱咤激励する。
しかし、叱りつけた創世も青い顔で顔中脂汗まみれになっている。彼女もここまで剣呑な雰囲気になるとは思っていなかったようで、弓美に見えないところで目を泳がせていた。
「空気が重いのは……どちらかというと小日向さんが咎める雰囲気を発しているからに見えますね。立花さんはむしろ、重苦しい空気から逃れたがっているような……」
慌てふためく友人二人をよそに、詩織が冷静に場の状況を分析する。
互いに負の感情をぶつけ合っているわけではない。未来が向けているのは怒りではなく、相手を案じるが故の思い遣りからくる気持ちで、響はそれを知りつつ何か後ろめたさを感じている様子に見える。
何か、相互理解を阻む要素が彼女達の間に立ちはだかっているような、そう考えた詩織の前で。
それまで沈黙を保っていた未来が、不意に口を開いた。
「……響」
「っ…!」
久しぶりに対面した響は、恐怖感に満ちた表情で未来から目を逸らし、冷や汗を垂らす。
以前の仕事先で話した時よりも、より一層余所余所しい態度を見せる彼女を、未来は困惑しながらもじっと見つめる。たった数日で別人に変わってしまったかのようで、戸惑うばかりだった。
しばらくの間、黙り込んでいた響はやがて険しい視線を未来に向け、感情を押し殺した抑揚のない声を発した。
「……何、かな」
「ずっと探してたの……何も言わずにいなくなっちゃったから。何かあったんじゃないかって、不安で……」
突き放すような物言いに聞こえ、一瞬気圧される未来だったが、すぐに気を持ち直し一歩近付き語りかける。
安堵や困惑、喜びや不安が胸中で渦巻き、ぶつけようと思っていた言葉が絡め取られ、上手く話せなくなっていた。
「響が働いてた職場の人達に話を聞いて、それでも見つからなくて、手掛かりもなくて……色んな人達に助けてもらって、やっとあなたを見つけられたの」
ちらりと、響の目が遠くから様子を伺っている弓美達に向けられる。
探るような、信用するに値するか測るようなやや思い視線を向けられ、弓美達は思わず息を呑む。初対面の人間に向ける目ではない。
響はしばらく少女達を見つめ、次第に気持ちが落ち着いたのか、先ほどよりも険しい表情で未来に向き直る。
「……黙って消えた事は、ごめん。色々と事情があったんだ」
「それはなんとなくわかってた。響はそういうの……一人で抱え込んじゃう人だから。何も言わなかったのは、抱えてる事情に巻き込みたくないって思ったからなんだろうなって……響きがそういう人だって、わかってる」
咎める視線が弱まり、逆に自身を責めるような痛々しい声が漏れる。
響はぐっと唇を噛み締め、きつく拳を握りしめる。己の行いで親友が傷ついている事に、激しい罪悪感に苛まれる。
しかしその時、俯く響の隣で未来がぼそりと呟いた。
「───でも、頼って欲しかった」
ひゅっ、と響の息が止まる。
思わず振り向き、隣に見えた親友の横顔に……切なさで満ちた痛々しい表情に、より強く胸に痛みが走る。
二人の少女が各々を責め苛み、項垂れる。そうしてまた黙り込んでいると。
『───ハロー、TOKYO CITY! 今日も俺様の時間がやってきたぜぇ!』
そこへ不意に、何処かから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
空気を読まない明るく騒がしい声が、どこかの誰かが持ってきたらしいラジオから喧々と流れる。
誰かが思い出せないが、自分達の今の状況を嘲笑うような響きに、思わず苛立ちが湧き上がる。
『早速今日のお悩み相談のコーナーだ! まずはペンネーム:終音くみからのお便りだ! Listen!《DJサガラさん、いつもラジオを楽しみにさせてもらってます。》嬉しいねぇ。それで…?《私は最近、友達に隠し事をされていたことがわかり、その人との関係がとてつもなくギクシャクしてしまっています。》……そりゃ辛いねぇ』
「っ⁉︎」
『俺はそういう隠し事とかしないタチだから、相手の子の気持ちはよくわかんないけど、大事な事を秘密にされてるってショックだよねぇ。気持ちはわかるヨ!』
その上、この場を見ているのではないかと思えるほどぴったりすぎる話題が出てきて、響は咄嗟に肩をびくっと震わせる。
つい恨みがましげな視線を声の主に……ここにはいない為ラジオに向けてしまうが、腹立たしい陽気な声は止まらない。
身を隠す弓美達も思わず頭を抱え、「タイムリー過ぎる…!」と嘆きの声を漏らしていた。
『んー、そういう時はな? 聞いてみるのが一番なんじゃないか? 疑ったり不安になったり、もやもやした気持ちを押し殺すよりはさ、発散したほうが心にも体にもいいと思うゼ⁉︎』
「っ⁉︎」
『隠してる方も、思い切ってぶちまけた方が気が楽になるかもよ? 一人で抱えてたってどうしようもない問題ってのもある! そういうのは友達とか親とか、大事な奴らに聞いてもらえばいいだろ! はい、それで解決ぅ!』
ぎょっとラジオの方を振り向きそうになり、慌てて視線を足元に戻す響。
顔ごと未来から逸らしながら、辺りに目を凝らす。やはりこの声の主、どこかで身を潜めて自分達の話を聞いているのではないだろうか。
突拍子も無い考えを疑わない程、響はこの場で精神的に追い詰められていた。
『……おっとそろそろ時間のようだぜ、リスナー諸君。じゃあまた! エンディングはツヴァイウィングの名曲、〝逆光のフリューゲル〟だ!』
男の声が途絶え、続いて激しい音楽が鳴り出す。
かつて未来に誘われ、ライブで生で聴いた歌……楽しみにしていた思い出の曲であり、同時に悪夢の始まりと繋がる記憶の楔。
それをわざわざラジオで流され、やはりどこかで自分を見張って時機を見計らっていたのではないかと思う。
「……話せたらそもそもこんな苦労してないっての……!」
じっと耐え続けていたが、やがて耐えきれなくなり微かに悪態が口から漏れる。どこかにいるよく知らないDJの嫌がらせに、ぎりりと歯を食い縛る。
より一層重くなる空気、痛み出す胸と胃腸。
徐々に吐き気まで催してきた気がして、響は血の気の引いた顔で黙り込む。
「……ごめんなさい」
内心で悶絶していた響の耳に、隣の親友がこぼした呟きが届く。
我に返った響ははっと振り向き、苦しげな顔で俯く少女の横顔をじっと凝視する。
「あなたを困らせたかったわけじゃないの……苦しめたいわけじゃない。こんな、響を咎めるような事、言いたくない。でも……私、怖くて」
「未来…?」
「あなたがどこか遠くに……私の手の届かないどこか知らない場所に行ってしまう気がして。そのまま、帰って来てくれないんじゃないかって……恐ろしくて仕方がないの」
ぐ、と響の顔がくしゃくしゃの紙屑のように歪む。爪が掌に食い込むほど、血管が太く浮かび上がるほど強く、己の拳を握り締め声が出そうになるのを堪える。
未来の懸念は、響の行動を見透かしているようだった。
護送任務中、暴走し意識を失い、目覚めた直後に明らかになった自分の異常。二課の天才ですら全貌を把握できない異質な力を目の当たりにし、度々浮かぶようになった考えを見抜かれた気がして、冷や汗が止まらなくなる。
「そんな、事は……」
「わかってる、私が勝手に不安がってるだけかもしれない……でも、今の響を見てるとそう思わずにはいられないの。まるで───」
───立花響という人間を、この世から消そうとしているみたい。
もはや何も口に挟む気になれず、響は口を閉ざす。
自分自身に、その意思はない。響はそう思っていた。
だが自分の異能が目醒め、異常が明らかになった事で、無意識下に行われていた行動がより大きく、目立つようになってきた事には気付いていた。
それを誰かに……誰よりも大切な親友に知られたくない。見られたくない。
「お願い、響。行かないで。何に苦しんでるのか、何を恐れてるのか、私にはわからない。でも、これだけは言わせて……一人になんかならないで」
じ、と目の前にいる親友に乞い願う。
それは親友にこれ以上の苦しみに囚われて欲しくないという想いが半分と……自分がそんな少女の姿を見たくないという想いが半分。
その為ならば、何が彼女を苦しめていようとも手を伸ばす、そんな覚悟を秘めた目で見つめ続ける。
「───ごめん。私はもう……未来の知ってる私じゃ、ない」
だがそんな未来の想いは、響を説き伏せるには至らなかった。
悲しみに顔を歪め、絶句する少女を横目に見ながら、響は想いを振り切るように顔を背け立ち上がる。
想われて、嬉しくないはずがない。何もかも放り出して縋り付きたくなる。
だが今の自分にそんな資格はないのだと、優しく温かい光を拒み距離を取ろうとする。
皮肉な事に、未来の思い遣りはより一層自身の心を頑なに閉ざす結果に繋がっていた。
「もう、探したりしないで。本当に……私は大丈夫だから、それじゃあ…」
もう振り向く事もせず、その場から立ち去ろうとする響。
呆然とした表情で固まっていた未来は、しばらくしてはっと我に返り、足早に姿を消そうとしている響に手を伸ばす。
「響、待っ───」
未来は焦り、動揺から覚束なくなった足で必死に響の後を追う。よろよろと倒れそうになりながら、消え入りそうな親友の肩を掴もうとする。
このまま、二度と会えないかもしれない。
背筋が凍りついたように冷え、焦燥に突き動かされた未来が走り出そうとした時。
「───⁉︎ 未来‼︎」
突如、響が肩を震わせたかと思うと、血相を変えて未来の元へ引き返してくる。
咄嗟に安堵の表情が浮かびそうになった未来に、響は決死の形相で飛びかかり、二人まとめて地面に倒れ込む。
その直後、二人が直前まで座っていた腰掛けに紫色に輝く金属の鞭が襲いかかり、粉々に粉砕してしまった。
「……え?」
「っ⁉︎ きゃ、きゃあああああああ⁉︎」
「うわぁぁぁ!」
倒れ込んだ未来は、響の腕の中で目を瞬かせ、ぎこちなく轟音がした方を見つめる。
ぱらぱらと飛び散る木片、土煙をあげる陥没した地面、長く続く轟音の余韻。何かが爆発したかのような跡に、ただ困惑する。
少女が状況を理解するよりも前に、周囲の他の者達が悲鳴をあげ、脇目も振らずに逃げ出し始めた。
「え? え? な、何? 何が起こったの?」
「ちょ……爆発⁉︎ 不発弾⁉︎ こんな平和な公園に⁉︎」
「い、一体何が…⁉︎」
離れた場所にいた弓美達は、轟音の衝撃に煽られ、一緒くたになって地面に倒れ込んでいた。
わん、と嫌な反響音がする耳孔に顔をしかめながら、何が起こったのかと辺りをきょろきょろと見渡す。
あちこちから悲鳴や泣き声が響き渡る惨状の中、唯一落ち着いた様子で……しかしきつく歯を食い縛った険しい顔になった響が、ゆっくりと立ち上がる。
「……ごめん、未来。巻き込んじゃったみたい」
「ひ、響……?」
未来は目を白黒させながら、周囲と響を交互に見つめ、引き攣った呼吸を繰り返す。
響はそんな彼女をそっと抱き起こし、近くの木の幹に凭れ掛からせる。その間の未来は、人形のようにされるがままになっていた。
「よぉ、生きてたんだな。半信半疑だったが、二課の技術ってのは相当なものらしいな」
「……よく、ここがわかったね」
「お前の動向は把握してるんだよ、今はこっちの最優先の標的だからな」
固まったままの未来の傷の有無を確かめ、無事である事を確認し、ほっと安堵の息をつく響は静かに背後に視線を向ける。
向けられる視線の先、僅かに殺気の混じる眼差しの先に彼女はいた。
最早見慣れた白銀の鎧を纏い、不気味に光る鋼の鞭をくねらせる少女が、街灯の上に立ち響を……標的を見据えている。
「こっちも後がないんだ。いつまでもお前に邪魔されてちゃ、成すべきことも成せない……何よりも、あたしの
少女から向けられる視線は、以前よりも鋭い。それでいて、前にはなかった焦りの感情が滲んで見える。
デュランダルの奪取に失敗し、やはり少女の方で何か不都合な事が起こったのだろうか。もう一つの確保すべき目標であり、失敗の最たる原因である響への敵意が凄まじく膨れ上がっているようだ。
「……私は」
「お前の戯言を聞くのもうんざりだ。さっさと出せよ、アレ……じゃなきゃ、お前のお友達からバラバラにするぞ。いい加減、ケリをつけさせろ……立花響」
じゃらり、と陽光を受けて煌きながら蠢く鋼の鞭を見せつけ、少女が凄んでくる。その気になれば、凶器は少女が告げた通りに未来を狙うだろう。
響は唇を噛み締め、瞼を閉じてしばし項垂れる。
できれば来ないで欲しかった瞬間が、よりにもよって最悪の時機に訪れた事で、一層激しい悔恨に苛まれる。
「な、に……あの子」
訳のわからない事態を前に、意味のない呟きをこぼしてしまう未来の前で、響が徐に立ち上がり、未来を背に庇うように佇む。
その背中を……かつては同じ高さだったのに、今はまるで先に歳をとったかのように大きくなってしまった後ろ姿を凝視し、未来が息を呑む。
違う───最後に顔を見た時と、明らかに何かが異なっている。直感的にそう感じた。
「ごめんね、未来……私ね、もう───普通じゃないんだ」
「響……?」
「言ったでしょ。未来の知ってる私は……もう、いないって」
【オレンジ!】
戸惑う親友を、親友だった少女に背を向け、告げる。
懐から取り出した機械を手にし、腰に巻きつかせながら、橙色の錠前を目前に掲げて枷を外し、自嘲気味に告げる。
自分を想い、探し続けてくれた少女と───決別するかのように。
「ここにいるのはただの……化け物だよ。変身」
【ロック・オン! ソイヤッ!】
機械の音声が鳴り響き、響の頭上に謎の裂け目が現れる。
裂け目の中からゆっくりと降りてきた鋼鉄の球体が、響の頭をすっぽりと覆い隠し、全身を眩い光が包み込む。
光の下から現れる光沢のある装束に、球体が展開して貼り付き、鎧となる。
【オレンジアームズ! 花道・オンステージ!】
只管に驚き、言葉を失くすばかりの少女の目の前で。
彼女の親友は派手な色合いの鎧を纏い……決してその手に握るはずのない二振りの武器を携え、〝敵〟の前に重々しく立ちはだかった。