JUST LIVE MORE −刀剣戦姫伝・鎧武−   作:春風駘蕩

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15.終わり(フィーネ)の名を持つ者

 森の奥深くに築いた我城にて、その女は沈黙していた。

 

 広い広い部屋……広大な空間の最奥に豪奢な玉座が一つだけという、冷たく寂しい、それでいて絶対的な存在感を放つその場で一人。

 一糸纏わぬ純白の肌を晒して、豊満な美体を見せつけながら、玉座に腰かけ気怠げに頬杖をつく。

 

 美女は官能的に足を組み、一切の羞恥を見せる事なく、瞼を閉じたまま物憂げな表情で佇んでいた。

 

 その目が……不意にうっすらと開かれ、虚空を鋭く睨みつける。

 

「…………やはり、貴様だったか」

 

 美女が告げたのは、何もない空中。しかし、確かにそこに誰かがいるような素振りで、忌々しげに顔をしかめ吐き捨てる。

 ふんっ、と鼻を鳴らし、苛立ちを露わにした彼女が豊かな胸の膨らみを強調するように腕を組んだ時。

 

 ───何もないはずの虚空で、ざざざざっと波が、異常(ノイズ)が起こる。そこに、()()が現れる。

 

『おいおい、貴様はないだろ貴様は? これでも俺は、お前さんの想い人の同僚なんだぜ? もっと敬意を持って呼んでくれてもいいだろ。なぁ───終わりの名を持つ巫女よ』

 

 空気が揺れ、色が歪み、少しずつ鮮明になるそれ。

 玉座の正面に現れたそれは、気安げな口調で美女に話しかけ、にたりと意味深な笑みを浮かべる。

 

 それは、一人の男だった。

 分厚く、複雑な模様の施された外套で全身を覆い、同じく分厚い布で目の周りを包む中肉中背の男。

 同時に、ヘッドホンに短パンTシャツという若々しい格好にも見え、ふと視線を逸らすとまた別の姿に───今度は緑を纏う蛇のような姿にも見える。

 

 確かに現実にそこにいるのに、意識が逸れると姿も曖昧になる、謎の存在。

 そんな不確かさの所為か、あるいは身に纏う布の所為か、それが発する声も奇妙な響きを持って聞こえていた。

 

「気安く呼ぶな。貴様が人に親しまれるような存在か……盤上をルール無用に引っ掻き回す慮外者の分際で」

『厳しいねぇ。昔、お前さんの恋の手助けをしてやった時を忘れたか? もうちょっとくらい、恩に感じてくれたっていいんじゃないか?』

「抜かすな、貴様はただ自分が楽しめればただそれでいいだけだろう」

『おぉ、怖い怖い』

 

 美女が向ける視線、それは氷の刃のように冷たく鋭く、実際に玉座の間の気温さえ下がったように感じられる。

 なのに、それは微塵も臆さない。対岸の火事でも眺めるように呑気に、それでいて苛立つ美女の反応を心から愉しんでいるように見える。

 

 じ、と目を細め、美女は男の思考を探るように目を合わせ、低い声で尋ねた。

 

「今度は何が目的だ。あんな小娘を選んで……」

『ちと、昔と趣向を変えてみたんだよ。前のやり方も楽しかったが、今回は思い切って逆にしてみようと思ってな……毎回同じ展開じゃつまんねぇだろ?』

 

 けらけらと笑う男に邪気は感じられない。子供のような純真な表情で、何の悪意も感じさせずに得意げに自分の行いを語ってみせる。

 

 それが一層、不気味さを醸し出す。

 

 男が過去になした行いをよく知る美女は、男を鋭く睨みつける。想い人の同僚だろうと同胞だろうと関係ない、心の底から不快で穢らわしい存在に、全身全霊で嫌悪と拒否感を示す。

 

『怖い顔すんなよ……お前さんも同じ穴の狢だろ?』

 

 それでもなお、男の表情が変わる事はない。

 大気が震えんばかりに冷たく重い殺気を真正面から受けても、顔色一つ変えず美女に挑発じみた言葉を投げかける。

 

 やがて、美女は諦めたように目を逸らし、深い溜息をこぼした。聞いても無駄だ、そう察したように。

 

「……一つ、聞かせろ」

『ん?』

「……私の目と鼻の先で獲物を選んだのは、わざとか」

 

 目元を覆い、苛立ちを抑え込無用に表情を隠しながら、美女は男に向けて問う。

 最初から最後まで、存在するだけで自身の神経を逆撫でする、招かれざる客人の根底にある思考を確かめようと、有無を言わさぬ抑揚のない声で訊く。

 

 その問いに男は、やがてにやりと満面の笑みを浮かべてみせた。

 

 

『何言ってんだ───当たり前だろ』

 

 

 どごん!

 

 美女の掌から放たれた光が宙を貫く。

 男を狙って差し向けられた光弾は、男が立っていた地面に炸裂し、床の一部を大きく抉り粉々に砕く。

 

 無数の破片が飛び散り、土煙が立ち昇るが、男の姿はとうに消え失せ、ぱらぱらと塵が虚しくその場に降り注ぐだけだった。

 

「……ふん」

 

 不満げに鼻を鳴らし、美女は掲げていた手を下げる。

 心底気に入らない、不快だという気持ちをこれでもかと両の目に表し、気怠げに玉座の肘掛けで頬杖をついた。

 

「何が同じ穴の狢だ……我が悲願をお前と一緒にするな、愉快犯が」

 

 その呟きは、姿を消した大嫌いな男に向けたものというよりは。

 自分自身に言い聞かせるような、自分を納得させようとするかのような、どこかそんな響きを持っているように聞こえた。

 

 

「おらあああああああああ‼︎」

 

 雄叫びと共に振るわれる、鬼の形相となった少女が振り回す鋼の鞭が四方八方から響に迫る。

 空中で模様を描くように複雑に、不規則な軌道で振るわれるそれが、響の視界の中と死角の両方を狙ってうねる。まるで鞭が無数に増えたかのような軌道だ。

 

「っ……!」

「無理すんなよ! ボロカスのお前に本気出すような、イカれた趣味はあたしにはねぇ‼︎」

 

 先の戦いで、失われた片腕と焼け焦げた姿が脳裏に浮かび、咄嗟に少女の口からそんな言葉が漏れる。

 表情は強張り、そうなる事を拒みたがっているような必死の声が無意識にこぼれ出す。胸中がざわつき、常に落ち着かなかった。

 

 しかし……それを聞いた響は動きを止め、躱そうともしなかった。

 真正面から迫る凶刃も、側面から挟み込んでくる刃も、足元から振り上げられる斬撃も、背後からの奇襲も。

 全てに対して避けも防ぎもせず、それどころか視線を向ける事すらしない。

 

 視線を向けているのは、目の前の少女のみ。

 高速で走りながら、二の腕や腿、脇や頬から血を噴き出させるのも構わず、少女の元を目指す。

 

「は…⁉︎ ふざ、けんなっ!」

 

 痛みも何も感じていないような無表情で、二刀を手に向かってくる響に、少女は目を剥き思わず罵る。

 普通ならば……少なくとも前回激突した時の響ならば、間違いなく顔を歪めて動きを鈍らせているはずの攻撃。それをものともしていない彼女に、やや恐怖感が滲んだ声が漏れる。

 

 皮膚が裂け、肉が抉れ、血が噴き出す。なのに響の速度はまるで変わらない。

 耳をちぎられ、顔の半分と橙色の鎧を真っ赤に染めながら、響はただ無言で走る。

 

 迫り来る鎧武者、いや、生きた屍の如き不気味な標的を前に、覚悟を決めていたはずの少女の精神が大きく乱れる。

 その心の動揺が、彼女が操る鞭の軌道を大きく乱す。

 

「まずっ…!」

「…⁉︎」

 

 鋼の鞭は響にとっても少女にとっても予想外の軌道を描き、響の右の二の腕に巻きつき食らいつく。

 ほんの一瞬、少女の制御下から外れた鞭の刃は皮膚を、肉を容易く斬り裂き、さらに骨を粉砕する。一瞬にして、響の右腕が再び宙を舞う。

 

 噴き出す血潮に、少女はさっと顔から血の気を引かせて硬直する。

 響も流石に目を見開き、しかしすぐに目を虚ろに戻し、少女に向けてさらに加速する。

 

 響は瞬く間に懐に潜り込み、少女の腹に左の拳を叩き込んだ。

 強烈な一撃が炸裂し、鎧の一部が砕け、少女は唾液を吐きながら勢いよく吹き飛ばされる。そして、公園の植木の幹に激突し崩れ落ちた。

 

「がはっ! が…ぐ、けほっ、く……ち、く、しょう!」

 

 咳き込みながら、涙目になった少女は腹を押さえて項垂れる。口からは胃液と唾液が混ざって垂れ落ち、酸味が喉の奥から広がる。

 それでも懸命に立ち上がろうともがくが、衝撃は彼女の思っていた以上の損傷を与えているようで、足は震えてまるで真面に動かない。

 

 それを響は、ただただ冷酷に見下ろすだけ。ぼたぼたとどす黒い血を流す切り株のようになった右腕を晒し、立ち尽くすだけだった。

 

「な……な、な、な」

 

 そんな光景を、弓美達は真っ青になった顔で凝視していた。

 倒れ込んだ未来のもとに、響と交代するような形で駆けつけ抱き起こして、何が何だかわからないままに逃げ出そうとした最中に始まった、まるで夢か幻覚のような異常な戦い。

 

 変身する訳ありの少女と謎の敵。

 という彼女が好きな創作物が現実になったかのような光景に、只管に呆然となるばかりだった。

 

「何なのよ、これ……⁉︎」

 

 放映するなら間違いなく年齢制限がつくような、残酷な展開。腕を斬り飛ばされ大量の血河が流れる、しかもそれが知り合いの身に起こっているという、自分の正気を疑うような光景。

 傍に創世や詩織がいてくれなければ、間違いなく弓美は気を失っていただろう。

 

「ビ、ビッキー…? なに、やって……う、腕、腕が……!」

「立花さん……⁉︎」

 

 創世と詩織の二人も弓美と未来に縋り付く事でようやく意識を保っていた。四人で一塊になりながら、粉塵立ち込める戦場を眺めている事しかできないでいる。

 

 未来は三人に寄り添われながら、さらに血の気が引いた顔で息を呑んで……いや、呼吸を忘れていた。

 奇妙な装束に身を包み、武器を手にして立つ親友の背中を見つめ、湧き上がる様々な感情に振り回される。何故、何がどうなってという疑問符で頭の中がいっぱいになった状態で、思考がぐちゃぐちゃに乱される。

 

「ひび、き」

 

 自分がそんな声を漏らした事にも、未来は気付かずにいた。視線を変わり果てた姿になった親友に釘付けにされたまま、胸の奥でばくばくと煩く脈打つ鼓動を聞くしかない。

 

 困惑し、唖然となり、そして恐怖する少女達。彼女達の目の前で、響がおもむろに動く。

 

 いや、正確には響自身は動いていなかった。

 突如、彼女の胸、心臓のあたりから半透明に光る植物の蔓のようなものが生え、半ばから断たれた彼女の腕に絡みついていた。

 

 蔓は響の腕を覆うように伸び、代わりとなるように腕の形を作り出し。

 やがてその形が萎み出し、光が弱まったかと思うと、僅か数秒の間に彼女の元通りの腕と、新たに装甲を生み出していた。

 

「……そっか、こうして生えてたんだ。二回目でもちゃんと生えるんだ」

 

 再生された自身の右腕を掲げ、ぐっぱっと握ったり開いたりを繰り返し、一切の違和感なく使えている事を確かめる。

 

 傷痕すら、右腕が斬り落とされた事実すらなくなったかのような。

 自分の目で見てもなお信じられない現象に、響は虚ろな目を向けたまま、ふっと自虐的に、卑屈な笑みを浮かべ、俯き肩を揺らした。

 

「……何だよ、お前、それ」

 

 薄ら寒い笑みを浮かべる響に、少女は血の気の引いた顔で後退り、震えた声を零す。生えた腕と、響を交互に見つめ、不規則で引きつった呼吸を何度も繰り返す。

 

 まるで悪夢を見ているような気分だった。

 植物の早送り映像のように、あっという間に筋繊維が、骨が伸び、皮膚が覆って装甲を纏い、元通りになった。幻覚としか思えないが、粉塵の噎せる臭いや血の匂いがそれらを現実だと証明している。

 

 それでもなお、自分の見たものが信じられない、受け入れられない。

 自分は狂ったのだと言われたほうが納得できる、異常すぎる光景だ。

 

「右腕も、足もなくして、黒焦げの死体みたいになってたくせに、何でお前はまだ生きてんだ……⁉︎ 何でそんな平然としてんだよ⁉︎」

 

 義手か何かを嵌めて、再び戦場に来たのだと、思っていた。そう思おうとしていた。

 それほどまでに、目の前の標的の精神は壊れていて、どうしようもなくなっているのだと思い込み、胸の内を握り潰されるような気分に陥りつつも役目を、使命を果たすつもりでいた。

 

 だが、これはもう違う。

 壊れているどころではない。もう、人として当たり前の感性すら失われているような、あるいは、元から無かったかのような、そんな途方もない印象さえ抱いてしまっていた。

 

「何でそんな血まみれになってんのに、眉ひとつ動かしてねぇんだよ……痛いんじゃないのか! 辛いんじゃないのか! 苦しいとは思わねぇのか‼︎」

「…………」

「そんだけやられて、傷ついて……痛みも何も感じねぇのか、お前は‼︎」

 

 少女の慟哭に、響は何も答えない。

 虚ろな目で少女を見つめ返し、先ほどの薄い笑みも消して無言で佇むだけ。

 

 ぞっ、と背筋に走る寒気をなけなしの意地で抑え込みながら、しかし冷静さを失った少女は、感情のままに言葉を吐き出していた。

 

 

「だったらお前は本当にただの───化け物じゃねぇか‼︎」

 

 

 激突の余韻が少しずつ消えていく、夕暮れの公園。

 ほとんどの民間人が避難済みで、残っているのは数人の少女と騒動の原因である二人のみ。

 

 静まり返った淡い橙の光の中で。

 はっ、と……響の口から嘲笑の声が漏れた。

 

「……そんな事、とっくに知ってるよ」

イチゴ!

 

 響の右手に再び半透明の植物の蔓が伸び、掌の中で眩い光の玉を生み出す。

 

 光は瞬く間に一つの物体を───赤い苺の意匠のついた錠前へと変化し、かちりと拘束が独りでに外れる。

 響はベルトにはまった柑橘の錠前を取り外し、苺の錠前と交換する。そして、小刀の仕掛けをやや乱雑に傾け、錠前の前面を切り開いた。

 

ソイヤッ! イチゴアームズ! シュシュっと、スパーク!

 

 橙の甲冑が光の粒となって弾けると、響の頭上に丸くジッパー状の穴が開くき、どことも知れない異空間へと繋がる。

 開かれた空間の穴からゆっくりと、苺を模した鋼鉄の塊が降りてくる。

 

 少女ははっと我に返ると、響と響の頭上の鋼鉄の苺に鋼の鞭を振るう。

 片方の鞭は見事に苺に命中し弾かれ、しかしもう片方を響は一歩動くだけで易々と躱してみせる。

 

 さらに、弾かれた鋼鉄の苺が地面に落下し、跳ね返った衝撃で下部が蓋のように開き、響の頭上へ再び戻る。

 開かれた箇所が響の頭に被さると、しゅぱっと飛沫のような光が弾け、展開して装甲へと変形する。これまでのどの甲冑よりも薄く軽い、身軽さを重視したような赤い鎧に変ずる。

 

 最後に顔の下半分が覆面で隠され、長く白い首巻き(マフラー)がたなびき、まるで忍者のような外観へと変わった。

 

「……ふっ!」

 

 響は赤く染まった瞳で少女を見据え、いつの間にか両手に現れた小さな刃───苦無を握り飛びかかる。

 

 すぐさま鞭を振り回し、迎撃に移る少女。恐怖と困惑で強張った顔のまま、響の自由を奪うような鋼の鞭による檻を形成し、拘束を目論む。

 

 だが、響は少女の予想を超えた俊敏な動作で接近し、鋼の鞭の猛攻を紙一重で躱し距離を詰める。少女がぎょっと目を見開く間に、一瞬で背後に回り込み死角をとる。

 戦慄の表情を浮かべる少女に冷たく乾いた目を向け、響は鋭く回し蹴りを放ち、少女の脇腹に強烈な一撃を叩き込んだ。

 

「ガッ───」

 

 軽量化による加速で威力を増した蹴撃をくらい、吹き飛ばされる少女。多量の唾液を吐きながら、小石のように地面を転がり、跳ねて俯せに倒れ込む。

 意識が混濁したのか、噎せるばかりで立ち上がる様子が見受けられず、地を突いた手がぶるぶると震える様がひどく痛々しく見える。

 

 少女を見下ろしたまま、響はベルトから苺の錠前を外し刀の唾部分の窪みに嵌め込み、封を掛ける。

 

ロック・オン! イチ・ジュウ・ヒャク……イチゴチャージ!

 

 錠前から刀身へ、赤い力の奔流が流れ込み、光を放つ。ばりばりと赤い電流が迸り、嵐の中のように轟きを発する。

 

 響は無表情のまま、雷を纏い眩く輝き出すそれを振り上げ、少女に狙いを定める。そして、少女ではなく、少女の頭上に向けて刃を振るい、巨大な苺状の力の塊を発射する。

 空中へ射出された巨大な苺型の光は尖った先を地面に向け、次の瞬間、表面に生えた無数の種がそれぞれ苺の苦無へと変化し降り注ぐ。

 

「く……そ……!」

 

 凶器の雨が一斉に襲いかかり、我に返った少女が急ぎ立ち上がろうともがくが、膝を立てた瞬間にはもう刃が目前にまで迫っている。

 目前に迫る命の危機、自らを貫き切り刻まんと襲い来る無数の刃。絶体絶命の窮地に、少女の思考は凍りつく───その刹那、脳裏をいくつもの記憶が通り過ぎていく。

 

 無意味に散っていった父母の顔、尊厳を破壊され泣く難民の顔、それを下卑た顔で眺め嗤う(武器)を持った男達の顔……そして、自分を拾ってくれた金色の女の顔。

 

 気付けば少女は、その目にさらなる激情の火を灯して叫んでいた。

 

「ナメんな! アーマーパージだ‼︎」

 

 ぼっ!と突然少女を中心とした衝撃波が発生し、無数の銀色の金属片が打ち出される。放たれた金属片の波は頭上から迫る苺の刃を弾き、そのまま響にも向かう。

 

 響は咄嗟にその場から飛び退り、地面を滑り少女から距離を取る。何発か装甲をかすり、火花を散らせる様を尻目に、響は目を見開いたまま少女が立っていた場所から立ち上る土煙を凝視する。

 

「…⁉︎ 鎧を、吹き飛ばした……⁉︎」

 

 苦無の雨が炸裂する寸前、一瞬だけ見えたその光景。

 少女の纏う銀色の鎧が、無数の金属片に変じてあたり一面に撒き散らされた事だけが理解できた。その散弾によって、苺の苦無も全て弾き飛ばされたのだと。

 本気で少女を殺す気は無かった。威力は抑え、気絶させる程度に控えるつもりだったが、それでも十分強力だった一撃がかき消された事に動揺を隠しきれない。

 

 瞬きほどの時の中で装甲を脱ぎ捨て、自ら一矢迷わぬ素肌を晒した少女の謎の行動に戸惑い、響は立ち尽くす。一体何のために、戦う力を放棄し無防備を晒したのか───その疑問に答えるように。

 

 その場に一節の、歌が響いた。

 

 

「───Killter Ichaival tron」

 

 

 軽やかに、凛と響く短い旋律。

 その直後、歌の発生源から赤い光が迸り、少女の姿がその中に消え去る。

 

 咄嗟に後退る響の目の前で、一糸纏わぬ少女の肢体が、次々に見慣れた装束に変わっていく。

 長く華奢な手足、凹凸の激しい体を素肌に張り付く水着のような衣装が覆い、その上から赤い装甲が張り付く。さらに両手の手甲の一部が展開、変形し二丁の弩銃(ボウガン)へと変わり、少女の手にそれぞれ収まる。

 

 その姿に……自分の先輩達が纏うものとほぼ同じ戦装束を纏って再び現れた少女に、響は大きく目を見開き、言葉をなくしていた。

 

「シン…フォギア⁉︎」

「歌わせたな……あたしに!」

 

 立ち尽くす響を前にして、少女が重くのしかかるような低い声で呟く。兜のような装甲の下、前髪に隠れた眼差しをぎらぎらと鋭く光らせ、響を睨みつける。

 先程の困惑や迷い、躊躇いが消え去った凄まじい殺気を放ちながら、少女は───失われたはずの聖遺物、〝イチイバル(光輝なる神弓)〟を携え、吠えた。

 

「教えておいてやるよ…! あたしは歌が……大っ嫌いだ‼︎」

 

 がしゃん、と音を立てて弩銃がさらに変形していく。銃身が伸び、膨らみ、双方に分かれ、あっという間に六つの穴の並んだ巨大な連射銃(ガトリングガン)へと変わる。

 弓とはもう呼べない、圧倒的大火力を誇る重火器の砲口が響きに向けられ、銃身が回転を始める。

 

 我に返った響が慌てて真横に飛び退いた直後、銃口から無数の弾丸が放たれ、大気を焼きながら迫り来る。どどどどどど、と猛牛の群れが大移動するかのような轟音と共に、視界いっぱいに弾丸の雨嵐が降り注ぐ。

 

「うわっ、く───⁉︎」

 

 身を翻し、襲い来る弾丸の雨を躱し、そして苦無で弾こうとする響だが、次々に殺到する銃撃に耐えきれず、反対に両手の得物が甲高い音を立てて吹き飛ばされる。

 武器を失い、響はもう銃弾の雨を躱す他に身を守る手段がない。装甲の身軽さを利用し走り回るが、少女の放つ銃弾は響から逃げ道を奪うように広域に飛来してくる。

 

 たなびくマフラーが撃ち抜かれ、引きちぎられぼろぼろになり、装甲と装束を掠って素肌に傷が付く。ものの数秒で一つ一つの裂傷は塞がっていくが、それよりも早く新たな傷が刻まれ、全身を赤い血潮が濡らし続ける。

 

「言ってみろよ、いつもの臭ェキレイごとをよ‼︎ 今、あたしの前で‼︎」

 

 整った顔立ちを苛立ちと怒りに歪め、少女が胸の内から溢れる歌を紡ぎ出す。

 理不尽への憎悪、偽善への嫌悪と落胆、周りの全てに対する激情を詰め込み、破壊の力として撒き散らす。その勢いたるや、もはや災害と呼ぶに相応しい凄まじさだ。

 

「持ってけ、ありったけバーニングだ‼︎」

 

 ───MEGA DEATH PARTY

 

 金属音を立て、少女の腰から生えた羽根ような装甲が展開する。横に広がるように変形し、内部から巨大な円柱、弾頭を出現させ巨大化させると、響に向かって容赦なく射出する。

 

 誤爆をふせぐためか、弾頭の発射と同時に降り注いでいた銃弾の雨が一瞬止み、動く隙が生じる。

 即座に爆発から逃れようとした響だが、彼女の思いに反し、がくりと膝がその場に崩れる。困惑する彼女の視界がぐにゃりと歪み、地に手をついて項垂れてしまう。

 

「ぁ……ぅ、あ」

 

 貧血に似たその症状に、目の焦点を失った響は己の失態を悟る。

 どれだけ傷を負おうが、皮膚が避けようが腕が斬り飛ばされようが傷跡も残さず再生する己の身体を過信しすぎたのか、流血の続いた体はその場に縫い付けられてしまう。

 いや、過信ではない、自暴自棄になった末の自爆だ。

 

 身動きの取れなくなった響に、弾頭は一切の慈悲なく飛来し、先端が触れ───直後、大爆発が生じる。

 

 爆風が辺り一帯に吹き荒れ、びりびりと大気と地面が振動する様を少女は無言で睨みつけ、苛立たしげな表情で佇む。

 遠くで身を寄せ合い、頭を抱える未来と弓美達があげる悲鳴にくっと歯を食いしばりながら、捕獲対象を呑み込む爆炎を見据える。

 

「……ちったぁ効いたかよ、くそっ…!」

 

 咄嗟に、威力は抑えた。常人なら多少の火傷を負うだろうが、あの再生能力ならどうせすぐに復活するだろう。

 そう思考する少女は、自分がそう考えてしまっている事自体に嫌悪感を抱き、両手の連射銃の柄をきつく握りしめる。

 

 これだけやったなら、最早動く事は叶わないはず。倒れた捕獲対象を持ち帰れば、自分の役目は終わる。ただそれだけの作業を酷く憂鬱に感じながら、響を捕らえに歩き出そうとして。

 

「……⁉︎」

 

 少女ははっと目を瞠り、即座に立ち止まる。

 目の前に……自分と捕獲対象の間に、何かが聳え立っている。まず見えたのは赤い装甲を纏った自分自身で、やがてそれが鏡のように磨き上げられた金属の壁である事に気付く。

 

 響もまた、やや朦朧とする意識の中、自分を映す……いや、自分を守るその壁を凝視し、困惑の声を漏らした。

 

「これは……盾?」

「否……剣だ」

 

 呆然と呟く響に、遥か頭上から声がかけられる。思わずはっと息を呑み、振り仰げば、聳え立つ壁の……いや、深々と突き立てられた巨大な剣の柄の上に立つ青髪の少女の姿が目に映る。

 風に髪をなびかせ、腕を組み佇む先達。未だ病院で入院しているはずの歌姫・翼が、響に振り向きながらふっと不敵な笑みを浮かべてみせる。

 

 絶句する響の耳に、どこからともなく大気を揺るがす何者かの咆哮が、轟音と共に届けられる。

 

「うおらぁぁぁぁぁ‼︎」

「うわっ⁉︎」

 

 その声が轟いた次の瞬間、突如地面から湾曲した光る槍───巨大な芭蕉(バナナ)型が乱立し、少女に襲いかかる。

 咄嗟に飛び退く少女の真下で、生えた芭蕉が檻のように重なり合う。冷や汗を垂らす少女は、ざっと地面を滑りながら巨剣の前に立ちはだかるもう一人の歌姫・奏に忌々しそうに顔を歪める。

 

「やれやれ、どうにか出番にゃ間に合ったな……待たせたな、響!」

「翼さん……奏さん…!?」

 

 倒れ込んだまま、響は自身を庇う歌姫達を凝視し、未だ力の戻らない体に叱咤し上半身を浮かせる。地面に手をつき体を起こそうとするが、血を流しすぎた体はそれ以上言う事を聞かない。

 奏はそんな響にそのままでいいというように手を振り、果実の馬上槍を携え、頭上の翼と共に再度敵対する少女と鋭い眼差しを向けて対峙する。

 

 二人の表情に、先日にあった憎悪はない。因縁からくる複雑な感情こそまだ残ってはいるが、前回のような激情に突き動かされる様子は見受けられない。

 

「……まさか、ネフシュタンだけじゃなくイチイバルまで関わってくるとはな。人生ってのはこうも驚きを連続で押し付けてくるものなのかねぇ?」

「そうね……少なくとも、これを愉しめると思っている者がいるとすれば、その者とは関わり合いになりたくないわね」

 

 天羽々斬、ガングニールに続く新たなシンフォギア 、そしてその適合者。

 この数日間で矢継ぎ早に露わにされる驚愕の展開に、翼も奏も内心の動揺と呆れを悪態としてこぼしてしまう。彼女達の耳に備わった通信機からは、二課本部での阿鼻叫喚の大騒ぎが聞こえ、ますます気分が落ち込まされる。

 

 だが、すぐに二人は表情を引き締める。

 任務と感情は切り離して考えるべき、そう頭では思いつつ、胸中に湧き上がるやる気が、獲物を握る手に力を強めさせる。

 

 まるでこの場に趣味の悪い脚本の縁者を揃えようとする、何者かの悪意があるような気がしていた。

 

「だがまぁ……好都合だな。お前さんは、いろんな事件に関わっている中心人物ってわけだ。事情聴取にここまで最適な奴はいないだろ」

「ここからは私達が相手だ。生憎万全とはいかんが……十分な枷だろう」

「っ…! ちょせぇ! やれるもんなら、やってみろ‼︎」

 

 激昂するように声を荒げ、少女が双方の銃口を上下に突きつけ引き金を引く。途端に無数の弾丸が発射され、翼と奏に同時に襲いかかる。

 

 翼は颯爽と剣の上から跳躍し、己の名を表すように飛翔し銃撃を躱す。奏は再び地面に馬上槍を突き立て、生やした幾本もの芭蕉を重ね合わせて壁を作る。

 芭蕉の壁は火花を散らしながら銃弾を防ぎ、同時に奏の姿を少女の視界から隠す。

 

 標的が二手に分かれ、少女は苛立たしげに顔を歪めると、視界に入ったままの翼に狙いを定める。

 高速で回転する銃口が赤く光る弾幕を生み出すが、翼はそれを羽のように軽々と身を翻し躱し続ける。数日前まで重傷者とは思えない、なんなら前回の戦闘よりも速く鋭い失踪を見せている。

 

「く、この───」

「どぉりゃあああああああ‼︎」

 

 連射銃に加え、さらなる兵器を生み出し撃ち出そうとした少女だが、突如凄まじい気合の咆哮が轟き、足元の地面が爆発する。

 ぎょっと息を呑み、咄嗟の判断で後ずさった少女の目の前み、馬上槍で地面を抉り掘り進んで来た奏が凄まじい勢いで飛び出してくる。撒き散らされる土塊の中、赤い髪と黄の装甲が陽光に輝く。

 

 一瞬圧倒された少女だが、すぐに我に返ると次なる標的を奏に変える。至近距離に現れた敵を排除せんとし……その動きがぴたりと止まる。

 

「───!」

「前回は随分と失礼した。私も奏も冷静ではいられず、幾度も醜態を見せた……だが、流石にもう、これ以上恥を晒す気はないのでな」

 

 いつの間にか、少女の背後に立っていた翼が背中合わせで立ったまま、少女の首元に刀を突きつけていた。

 少女は目を見開き、冷や汗を垂らしながら横目で翼を睨む。接近を許した覚えはない、だが、奏の襲撃で気を逸らされた一瞬を詰められたのかもしれない。

 

 数秒、本人からすれば数分にも感じる沈黙と静止の後、突如少女が大型連射銃を手放す。がしゃん、と巨大な鉄の塊が落下し金属音が響き渡ると、一瞬だけ翼の意識がそちらに向かう。

 

 その刹那を果敢に攻め、少女は首元に添えられた刃を蹴り付け外させる。直後に足首の装甲がひとりでに射出され、少女の手首に収まると展開し、小型の拳銃へと変わる。

 両手に構えたそれを、少女は己に得物の鋒を突きつけてくる歌姫達に向け、再び静止する。近付けば撃つ、動いても撃つ、一瞬で油断を許さない緊張感が張り詰める。

 

 一触即発の緊迫の糸を最初に破ったのは……少女でも、奏でも翼でもなかった。

 

「───ぁああああああ‼︎」

 

 雄叫び、というよりも断末魔の叫びにも聞こえる声をあげ、倒れていたはずの響が頭上から飛来してきた。

 三人が一斉に混乱の視線を響に向けた直後、響は三人が立つ中心に向けて、落下の勢いを纏わせたまま高く振り上げた踵を振り下ろす。

 

 ごっ、と地面に強烈な一撃が食らいつき、一瞬遅れて衝撃波が発生し、三人をそれぞれ異なる方向に吹き飛ばした。

 

「うおっ⁉︎」「うっ……!」「がはっ⁉︎」

 

 予想外の攻撃をくらい、倒れ込む三人。

 しかしすぐに体勢を整え、最も早く体を起こした少女がぶるぶると顔を振って土埃を払い、響を睨み怒鳴りつける。

 

「てめぇ…何しやが───」

 

 怒りに満ちた抗議の声をあげようとして、その表情が凍りつく。

 同じく立ち上がった翼と奏も、謎の行動に走った響に当詰めるような視線を向け、即座に目を見開き顔を蒼褪めさせる。

 

 三人の視線が集まる中心、突然の踵落としを放ったその場所で。

 響が力なくがくりと膝をつく───装甲の隙間を、肩と脇を深々と、極彩色の槍に、ノイズに貫かれて。

 

「え───」

「た……立花⁉︎」

 

 絶句する少女を放置し、翼と奏が響の方へ走る。驚愕と焦燥に顔を歪め、必死の声をあげて後輩の隣へ駆け寄る。

 

 二人が辿り着くよりも前に、響は自身に突き刺さったノイズの槍の一本を無造作に掴み、力尽くで強引に引き抜き、地面に叩きつける。

 一撃でノイズは潰され、炭の欠片となって消滅する。一方で栓を抜かれた傷口から鮮血が噴き出すが、響は構わず残りの槍も引き抜いていく。

 

「おい、待て、抜くな! 血が……」

「平気です……どうせすぐに塞がるんで」

 

 奏の制止も無視し、残りの一本も抜いて握り潰す。

 悲痛な顔で固まっている二人の歌姫に気付かぬまま、響は血の気の失せた白い顔を後ろに向け、へたり込んでいる少女を見つめる。

 

 何故か響の視界はぼやけ、目を凝らしても目の前にいるはずの少女がどんな表情をしているのか確かめる事はできなかった。

 

「……だい、丈夫? ごめん……いきなりすぎて、荒っぽい方法しか取れなくて」

 

 荒い呼吸を繰り返し、だくだくと背中の傷口から血を流す響に、少女は小さく悲鳴のような声を漏らす。

 

 ぞわっ、とこれまで感じてきたものの中でも特に強く、心臓を冷たい氷の手で握られたような衝撃を抱き、絶句する。

 安否を問われても、それに答える事も応える事もできなくなっていた。

 

 三人がそうして、響を中心に初めて全く同じ感情と表情を浮かべ、呆然となっていた、その時だった。

 

 

「───命じられた事も満足にこなせないなんて……どれだけ私を失望させれば気が済むの、クリス」

 

 

 その場に集った全員の鼓膜を、その声が震わせた。

 苛立ちと蔑みを帯びた、どこかで聞いた事があるような、あるいは全く聞いた事がないような、奇妙でありながら間違いなく女性だとわかる声だった。

 

 はっ、と響を除く全員が目を瞠り、声がした方を振り向く。

 そこに、街灯の上に立っていた金色の髪をなびかせる黒衣の美女を凝視し、翼と奏は困惑に硬直し、少女だけが目を吊り上げて声を漏らす。

 

「フィーネ……!」

「フィーネ…? 〝終わり〟の名を持つ者だと……⁉︎」

 

 明らかになった、目の前の謎の人物の名前。

 険しい表情で謎の美女を見上げる隣で、奏はしばらくの間呆けていたが、やがてにやりと鋭い眼差しのまま笑みを浮かべる。

 

 少女が見せる焦燥を滲ませた横顔、態度、見せつけられた全てから、少女と美女の、そして美女がどういう存在かを一瞬で悟ってみせた。

 

「あぁ、なるほどなぁ……あんたが黒幕って事か。こいつを操ってノイズを撒き散らしたり、響を狙ったり、デュランダルを狙ったり……影でこそこそと暗躍し続けて、悲劇を生み出す傍迷惑な卑怯者」

 

 ぐつ、と奏の中で感情が煮えたぎる。

 かつての屈辱と悔恨、それを裏から引き起こした、あらゆる件における根源的な敵が目の前にのうのうと現れた事で、感情が早々に昂り始めている。

 

 そして、もう一つの苛立ちの原因を横目に見ながら、奏は沈黙したままの謎の美女に問いかけた。

 

「だが解せないな……今、響を傷つけたノイズを出したのは間違いなくあんただろうけど……あいつが庇わなきゃ、あたし達だけじゃなくお前の手駒もノイズにやられてたんだぞ」

「…………それがなんだというのかしら」

「なんだと…⁉︎」

「使えない道具をもののついでに処分しようとしただけ……それが何か不自然だとでもいうのかしら」

 

 すっ、と謎の美女は静かに、黄金の瞳で……人間離れした、自分以外の全てを同類と見ていないかのような、冷たく渇いた冷酷な眼差しで射抜く。

 その目にさらされた奏は、思わず硬直し呼吸も忘れる。空気が圧縮され、重力までもが増したかのような凄まじい重圧に、翼共々冷や汗が止まらなくなる。

 

 謎の美女はやがて、興味を失くしたように翼と奏から目を逸らし、自分を見つめるもう一人を見下ろし、深い深い溜息をこぼした。

 

「クリス、あなたは本当に……使えない子」

 

 ひゅ、と少女の呼吸が止まる。地に着いた手が震えだし、体の芯から凍りつき動けなくなる。

 まるで自身が薄い氷の彫像になった気分だった。僅かにでも動けば、簡単に跡形もなく砕け散る、そう思えて瞬きすらもできなくなる。

 

 呼吸は乱れ、吸い込むばかりで肺が膨れ続ける。息苦しさにより、目の焦点も乱れ始める。揺らぐ視界の中、美女の姿だけが妙に鮮明に眼に映った。

 

「なんだよそれ……何言ってんだよ、フィーネ」

「…………」

「あんたが言ったんじゃないか……戦争の火種を消せば、力を持った奴を全部滅ぼせば、誰も傷つけられない世界が作れるって……そうすれば、バラバラになった人類を一つにできて、呪いを解く事ができるって」

「…………」

「頼むよ、待ってくれよ、フィーネ! 命令は必ず成功させる、あんたの言う事は絶対に叶える……だから……だから、見捨てないでくれよ」

 

 足元がぐらぐらと揺れ、今にも倒れそうになる。脆い氷の体を守るために必死に意識を保とうとし、ぎこちなくゆっくりと手を伸ばす。

 

 ただ一つ、確かに見えていた道標。自分を拾い、これまで道を示し続けてきてくれた存在。この世で唯一信じられていた、唯一の人物。

 たった一つ残された命綱を手繰り寄せようとするように、少女は震える手を伸ばし縋り付く。

 

 その姿を、ひとりぼっちの幼い子供のような姿を。

 金色の美女は冷たい眼差しで一瞥し、そして、何の躊躇いも迷いも見せる事なく、少女に背を向けた。

 

「さようなら、馬鹿な子───」

 

 とん、と美女が宙に跳ぶ。瞬く間にその姿は森の木々を越え、海へと姿を消す。

 

 少女の目から光が消え、伸ばされた手が虚しく虚空を掴む。力が抜け、手が地面に垂れ、体勢を崩した少女はその場に崩れ落ちる。

 俯せになった少女は、地面に指を突き立て、土を抉る。激情のまま歯を食いしばり、少女はくしゃくしゃに歪んだ顔で勢いよく天を仰ぎ、力の限り吠えた。

 

「待て、待って……待てよフィーネぇええええええええええええええええ‼︎」

 

 感情が抜け殻となった体に鞭を打ったのか、少女は立ち上がり走り出す。

 奏や翼、響の存在を視界から除き、忘却しながら、美女の後を追い跳躍する───現実を拒絶するように、全てが嘘であると思おうとするように。

 

 悲痛な悲鳴が響き渡り、遠ざかっていく少女の背中を、翼と奏はただ呆然と、響は虚ろな眼差しで見送る他になかった。

 

 

 

 ざわり、と公園の木々が風に揺られ、不気味な音を立てる。

 激戦があった事など夢だったかのような静寂の中、しかし大地に確かに残る戦いの跡を見やり、奏と翼は立ち尽くしていた。

 

 彼女達の脳裏には、少女と姿を見せた黒幕の言葉が、あまりにも突然で荒唐無稽な言葉が何度も繰り返されていた。

 

「……バラバラになった人類を一つに」

「……何を言っていたんだ、あいつらは」

 

 一体それは、何を意味しているのか。何を目論んでいるのか。唐突な展開が過ぎて、何もかもがわからず、考えても考えても答えなどでない。

 通信機の向こうもしんと静まりかえり、誰の声も聞こえない。視界の全てが黒く塗り潰され多様な気分で、しばらくその場から一歩も動けなくなっていた。

 

 動く事ができたのは、背後から聞こえた金属音に……響が自力で立ち上がり、どこかに向けて歩き出そうとする音に気付いたからだ。

 

「…! 響! お前……無理して動くな! 旦那に迎えを寄越してもらうよう頼むから、ここでじっとしてろ」

 

 我に返った奏が響に駆け寄り、肩を掴んで引き止める。

 体幹が揺らぎ、ぐらぐらと左右に傾く、どう見ても無事とはいえない痛々しい姿に、触れる箇所に最新の注意を払いながら止める。

 

 しかし響は、その手をそっと取って外す。虚ろな目で振り向き、渇いた笑みをこぼすだけだ。

 

「平気です。さっきも言いましたけど、このくらいすぐに塞がりますから……それより、すみません。未来達に奏さん達の秘密、見られちゃって……」

「…そんなのはどうでもいい。まずはお前の体が優先だ」

「それこそ……どうでもいいですよ。私の事なんかより、もっと大事な……あの子の事とか、黒幕とかいうあの女の人の事とか、呪いだとかなんとか……重要な情報がいくつもあるでしょう……?」

 

 ふっ、と自嘲するように鼻を鳴らし、未来達を一瞥しかけ、すぐに逸らす。

 無意識に視界に入れかけ、無理に無視したかのようなぎこちなさを見せてから、歌姫達に意識を戻す。

 

 それでも視界の端で、悲痛に歪んだ親友の表情が見えてしまう。

 弓美達に左右と背中を支えられながら、涙に濡れた目で親友を見つめ続けているのが見える。

 

「さっさと本部に戻って司令さん達に……報、告、を……」

 

 遠くから向けられる困惑と畏怖、悲しみに満ちた視線に気付きながらも無視し、響は二人に告げて覚束ない足取りでその場を後にしようとする。

 

 だが、一歩を踏み出した直後。

 元から揺れていた響の体が、持ち直せないほどに大きく傾き始めた。

 

「あ……れ…? おかしい、な……力…入ら、な───」

 

 ゆっくりと直角に傾いていく景色。近付いてくる地面。

 自分が倒れているのだという事にも、膝から力が抜けて再び崩れ落ちた事にも、何より、貫かれた背中の傷が塞がらず、未だにどす黒い血を流し続けている事にも気付かないまま。

 

 響は音もなく、まるで糸の切れた人形のように、力無く倒れ伏した。

 

「───響ぃっ‼︎」

 

 遠のいていく意識の中、響は歌姫達の安否を問う声の他に。

 何故か近付いてくる、親友の切羽詰まった声が聞こえ───響は暗く深い闇の中に沈んでいった。

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