JUST LIVE MORE −刀剣戦姫伝・鎧武− 作:春風駘蕩
(何……何なの、この格好…⁉)
金属に覆われた自身の手を、全身を見渡し、響はひたすらに困惑する。
胸の中心―――2年前に負った傷跡から、まるで炎が噴き上がるかのような熱を感じ、気付けば格好が丸々変化していた。
まるで、テレビの中のヒーローのよう―――現実とは思えない、あまりにも唐突過ぎる展開だった。
「お姉ちゃん、カッコイイ…!」
「う、うん! ありがとう……⁉」
背後に庇う少女の称賛を浴びつつ、困惑は収まらない。
一体自分に何が起きたのか、この格好は何なのか、訳がわからない事ばかりが起き続け、まるで思考がまとまらない。
響はその場で棒立ちになったまま、動けずにいた。
「一体……何が」
甲冑を纏う自分の手を見下ろし、小さく呟く響。
その時、響の脳に突然強烈な痛みが走り、呻き声を漏らして体勢を崩しかける。
「うぁっ⁉ く……な、何、この痛みは…⁉」
よろよろと足元を覚束なくさせ、どうにか転倒しないよう堪える。
いきなり起こった自分の身体の異変に、何が起こっているのかと困惑していると、不意に響の視界に無数のノイズが走り始める。
―――お前は、何者なんだ―――⁉
鼓膜に蘇る、一人の女性の声。
戦慄と困惑、疑念に満ちたその声を余所に、歪む視界の中で極彩色の怪物が次々に屠られていく。
走る銀の閃光、迸る雄叫び、舞い上がる黒い粉塵。
人類の天敵を次々に斬り伏せていくそれらが、自分の手から放たれている事に気付き、響は痛むを頭を抑えたまま目を見開く。
「これって……⁉」
これは夢か幻か、はたまた自分の知らない自分の記憶なのか。
理解ができない現象に翻弄され、響は刀を片手に握りしめたまま、応えてくれる誰かを無意識に探し、棒立ちになり続けていた。
『*****************』
『**************』
「―――へ? え、あ! うええええええ⁉」
故に響は、迫り来る極彩色の災害に気付けなかった。
人型のノイズが、響を炭素の欠片に変じさせようとその両手を振り上げる。
ハッと我に返り、反射で防御の体勢を取るものの、頭の中の冷静な部分が、自分はこれで終わりだと諦めを抱く。
思わず目を瞑った響、彼女の手にある刃に、ノイズの手が触れる。
そして響は―――それを
「お―――おぉ⁉」
ズシリと刀にかかる重量に、響はギョッと目を見開き、次いで押し倒されそうになるのを必死に耐える。
ノイズの手が、武器に触れている。
なのに、すり抜けない。しっかりとした物質として、刀はノイズを受け止めている。
「こっ……のぉ‼」
考える余裕もなく、響はのしかかってくるノイズを押し退け、腹に当たる部分に蹴りを入れる。
ノイズは大きく吹き飛び、他のノイズを巻き込んで盛大に転倒、そして炭素の欠片となって霧散する。
「嘘……ほんとに倒せてる」
武器を使わず、自分の身体を使っての攻撃も当たり、響の困惑はますます大きくなる。
倒せない、ただ殺される事を待つしかない災害に、確かに立ち向かえているという事実が、目の当たりにしてなお信じられなかった。
「何が何だかわからないけど……ぃよぉぉぉしっ‼」
五体満足な自分の身体を見下ろし、響は次第に笑みを浮かべる。
周囲にはわらわらと集ってくるノイズの群れ、背後には力無き少女、そして手元には
まるで理解できない状況の中、たった一つだけ道筋を見出す。
脇に刀を挟み、ノイズ達に背を向け、少女を抱き上げ、響は―――跳んだ。
「逃げるぞぉ~~~‼」
ドンッ!
人間が出せる音ではない轟音が轟き、甲冑を纏った響の身体が、夕焼け空に舞い上がる。
踏みしめた屋上の足場は陥没し、一拍遅れて崩壊する。
ノイズ達の包囲を軽々と超え、響は高々と、遥か上を跳躍していた。
「――って跳び過ぎたぁ⁉」
「キャーッ⁉」
気づけばツキが手元に届きそうなほど、高々と跳躍していた響。
腕に抱えた少女が怯えた声を上げる中、ばたばたと両足をばたつかせて大慌てする。
見る見るうちに地面が迫ってより焦り、思わず目を瞑り、少女を強く抱きかかえて衝撃に備える。
直後、響はアスファルトの上に蟹股で着地し、ズシンッ!と凄まじい轟音が鳴り響く。
足元を引責でも落下したように陥没させ、響は五体満足で着地してみせた。
「……あれ? なんともない」
思わず目を瞬かせ、呆けてしまう。
多少の怪我、足が折れるくらいの代償を覚悟していたのに、と拍子抜けする。
呆然としていたその時、彼女達の背後からずるずると極彩色の災害が染み出し、響は慌ててまた跳躍を行う。
「うわわわわわ!?」
咄嗟に飛び退いたおかげで、人型ノイズが放ってきた一撃を躱す事に成功する。
しかし、ノイズ達は逃げ惑う響達を狙って何度も攻撃を仕掛けてきて、休む暇を与えない。
真横から、足元から、そして頭上から、あらゆる方向から人体を炭素分解する凶器を繰り出し、少女達を追い詰めていく。
「お姉ちゃん…!」
「こんのっ……この子を怖がらせるなぁ!!」
ついに響の我慢も限界に達し、手にしていたオレンジの刀を横薙ぎに振るう。
伸ばされてきた触手が一刀両断され、バラバラになると、一瞬のうちに炭素の欠片となって消えていく。
響は歯を食いしばり、少女を必死に守りながら、迫り来るノイズに刀を振りかざしていた。
「このっ、このっ! 近づくな!」
ぶんぶんと、届きもしない刃を振り回す姿は、癇癪を起こした子供のよう。
片手に怯える少女を、しかし戦う術を知らない響には、こうして距離を稼ぐことしかできない。
「くっ、このっ、せいやっ! こんなの……キリがない!」
このままでは十分に力を振るえない、と響はつい歯噛みしてしまう。
それはこの手にある命を見捨てる考えだ、と自らが抱いた不安を首を振って否定し、必死に武器を薙ぐ。
一歩ずつ後退り、距離をとる響。
しかしやがて彼女達は、壁と水路に阻まれた行き止まりまで追いつめられてしまった。
「…! ここにいて! お姉ちゃんがあいつら、みんなぶっ飛ばしてきてあげるから!」
響は少女を一度壁際に下ろし、背にする。
一人、ノイズの軍勢に退治すると、左手にオレンジの刀を、右手に腰に提げていた刀を持ち、構える。
「…! これ……この部分ってもしかして…」
ふと、オレンジの刀の柄頭部分にある窪みに気付き、続いて黒い刀の柄頭の突起にも気づく。
試しに二頭の柄頭を組み合わせてみれば、ぴったりと嵌まり固定される。
二刀は一瞬のうちに、双方に刃を持つ薙刀の形状へと変化を果たした。
「よぉし…! この子に手を出すな! どうしてもやるってんなら、私だけにかかって来い!」
『************』
『****************』
不気味な声らしき音を発しながら、迫り来るノイズにそう凄む。
はっきり言って、見様見真似の武術の構えだ。無茶苦茶な事を承知で、ややへっぴり腰になりながら、目前の敵に切先を向ける。
それでも後ろへは決して向かわせまいと、歪な薙刀を我武者羅に振り回す。
「このっ! このぉっ‼」
振り回した刃は確実に当たっている。ノイズの表面に傷跡が刻まれ、急所に当たったのか炭素の欠片となって崩れ落ちる個体も出始める。
しかし、響が一体倒す時には、さらに数体のノイズが姿を現し、一歩ずつ近づいてくる。
響がどれだけ裂帛の咆哮を上げ、抵抗する姿を見せても、響と少女に迫る死は着実に大きくなっていた。
「く…こうなったら!」
背水の陣、これ以上先へは逃げる事は叶わない、と響は覚悟を決める。
自身が傷を受ける事を覚悟で、何が何でも少女と共にこの窮地を脱出してみせる、とノイズの包囲網へ突っ込もうとしたその時。
凛、と。
静かに響く、鈴の音のようなものを感じた気がした。
はた、と振り回していた両手を止めた響は、思わず目を見開いて辺りを見渡す。
世界の時が止まったかのような静けさの中、響は不意に、眩しい光と共に歩み寄ってくる少女の姿に気付いた。
「…………未来?」
少女の顔を見て、思わず声を漏らす。
呆然としていた彼女は、やがて少女の外見の全てが自分の知っている親友とはまるで異なる者である事に気付く。
髪型や体型、顔立ちは同じ。しかし全ての色彩が異なる。
髪は黄金色、肌は陶磁器のように白く、両眼は赤と青という異なる色を見せる。
そして何より―――彼女は人ではない、と響は何の根拠もないままに、一目見た時から確信していた。
―――気をつけて。
あなたは……運命を選ぼうとしている。
固まる響に向けて、金色の少女が不思議な声で語りかけてくる。
耳に空気が震えて響く声ではない、頭の中に直接届いているような、聞く事を強制する声であった。
戸惑う響の前まで近づき、金色の少女がじっと彼女の目を見つめる。
―――この先に踏み込めば、もう二度と後戻りはできない。
最後まで……戦い続ける事になる。
世界を、己の色に染め上げるまで。
少女が何を伝えたいのか、何を止めようとしているのか、響には全く理解することができない。
しかし、響は
「だけど……だけど私は! 私のような人を生み出させたくない! 理不尽に苦しむ人がいるのに、それを見捨てる事なんてしたくない!!」
言ってから、響は再び二刀を構える。
目と鼻の先にまで近づきつつある人類の天敵を前に、それを退けられる力を手にした響は、強張った表情で相対する。
「力があるのに! それを誰かを助ける事に使えないまま終わるなんて……ダメだ!」
冷や汗を垂らし、じっと極彩色の災害を見据える。
金色の少女は彼女をじっと凝視していたが、しばらくすると悲しげに顔を歪め、顔を伏せる。
金色の少女はおもむろに響の腰元に手を伸ばすと、正面の巻かれたベルトの中心にはまった錠前を器用に取り外す。
「…な、何を…?」
響の問いに、金色の少女は錠前を渡し、響の右手にある薙刀を指差す事で答える。
困惑しながら、示された通りに錠前を黒い刀の方の鍔部分にある窪みに嵌め込み、掛け金を下ろして固定する。
すると、黒い刀から何やら軽快な音楽が鳴り響き始めた。
【イチ! ジュウ! ヒャク! セン! マン!】
「え……こ、こう!? こうなの!?」
オロオロと刀と金色の少女を交互に見ようとした響だったが、気付けば少女は忽然と姿を消しており、また唖然とさせられてしまう。
言葉をなくす響だったが、近くから聞こえてくる雑音にハッと我に返る。
『************』
『******************』
立ち止まったまま動かなくなった獲物に焦れたように、ノイズの集団が一斉に体の一部を伸ばし、響と幼き少女に襲い掛かる。
あわあわと慌てふためいた響は、咄嗟の思い付きで薙刀を両手で持ち、プロペラの様に高速で回転させた。
「おりゃりゃりゃりゃりゃりゃぁ!!」
橙色に輝く薙刀の旋風は、響の狙い通り迫り来るノイズの触手を片っ端から斬り裂き、細切れにしていく。
ノイズも斬り裂かれる自身の肉体に危機感を覚えたのか、ザザッと一塊になって後退り始めた。
「これまでの分…! 全部まとめて返してやる!!」
【オレンジチャージ!】
交代を始めるノイズに、響は好機とばかりに薙刀を振り回し、刃を振りかざす。
オレンジの刃が光を放ち、響はそれをノイズめがけて×字に振り回す。
すると、オレンジの刃から二迅の斬撃が放たれ、ノイズの群れに食らいつく。
斬り裂かれたノイズ達からは橙色の炎が噴き上がり、まるで巨大なオレンジのように燃え上がる。
「どぉりゃああああああああああ!!!」
煌々と炎に包まれるノイズ達を見据え、響は薙刀を二刀に戻す。
雄叫びと共にそれぞれ左右横薙ぎに刃を振るえば、再び斬撃が放たれ、ノイズ達を上下に真っ二つに両断してのける。
集まっていたノイズ全てが叩き切られ、直後に爆炎を噴き上げ、轟音と共に粉微塵に四散していった。
「…や、やった……の?」
ぱらぱらと降ってくる黒い破片を見つめ、肩を上下させる響がそう呟く。
ノイズがいた場所は真っ黒に焼け焦げ、隕石でも落ちた後のように陥没している。
ほとんど無我夢中で、何をやったのかも覚えていない響は、災害の消え去った痕を呆然と凝視し、立ち尽くす。
彼女が我に返ったのは、背後から聞こえてきた感嘆のため息のお陰だった。
「おねえちゃん、すごい…! ノイズをやっつけちゃった…!」
「……え? あ、うん、えっと…」
称賛の声をかけられ、響は半ば呆然となりながら、五体満足なままでいる自分の身体を見下ろす。
どういう理屈かは全くわからないが、ノイズに触れて斬り裂いた刀。
それを操り、自分は窮地を乗り越えたのだ。
「そっか…そっか……! やった…やったんだ、私…ノイズを倒したんだ…!」
高揚が全身を駆け抜け、暑く燃え滾るような感覚を覚える。
人類の敵をこの手で討ち取った、2年前に自身の人生を狂わせた相手に、確かに一矢報いたのだと心が震える。
もう何も恐いものなどないと、一時的な全能感さえ感じ始める。
の、だが―――。
『************』
ずん、と頬を赤らめて刀を見下ろす響の視界に、巨大な極彩色の足が映る。
キョトン、と呆けた顔になった響は、何度か目を瞬かせると、目の前に聳え立つ巨大な足を見上げ。
自身を見下ろす、巨人のようなノイズの顔を目の当たりにし、ぎょっと目を剥いた。
「でぇええええ!? まだこんなのがいるのぉおおお!?」
手元にある刀では、間違いなく叩き切る事などできない大きさ。
腕の一振りでぺしゃんこに潰されそうな巨体を誇るノイズに見下ろされ、わたわたと慌てふためく。
悲鳴をあげる彼女の元に、巨大ノイズが巨腕を振り上げ、響の頭上に容赦なく振り下ろそうとした。
……だが。
―――天ノ逆鱗
ギィン!…と。
甲高い金属音が鳴り響き、巨大ノイズの動きがピタリと止まる。
何事か、と目を瞠る響の目の前で、巨大ノイズの首に一筋の線が走り、突然そこから上下に別たれる。
首を落とされた巨大ノイズは、途端に炭素の欠片となって崩れ去ってしまった。
「な……え、え!?」
あまりに突然の出来事に、少女と共に困惑し、言葉にならない声が漏れる響。
立ち尽くす彼女の目の前に、不意に青く長い髪をたなびかせ、白い装いと剣を備えた女性が降り立つ。
ゆらり、と立ち上がったその女性が横目を向けた瞬間、響は絶句し息を呑む。
「か、風鳴……翼さん!?」
2年前のライブで初めてその存在を知ったトップアーティスト、日本で今や知らぬ者のいない歌姫の片割れ。
そんな、このような惨状にいるはずのない人物の登場に、響も少女もまるで理解が追い付かず、その姿を凝視する他にない。
「…こちら翼、要救助者を確認。これよりノイズ掃討を再開します」
《うむ! 気をつけろ!》
呆ける二人を放置し、翼は耳に備えたヘッドホンをいじり、どこかと通信を始める。
ヘッドホンから野太い男の声が響くと、翼は自身の得物である刀を構え、目前へ―――再び姿を現すノイズの軍勢に切先を向ける。
その直後に、背後で棒立ちになったままの響を睨みつけ、冷たい声を発する。
「呆けないで。貴女は、そこの少女を守っていなさい」
「え、あ、あの…」
「呆けないで、って言ったわよね? そんな覚悟で戦場にいるのなら……死ぬわよ」
有無を言わさぬ、優しさの欠片もない声に、響は思わずごくりと喉を鳴らす。
数歩後退り、しかし言われた通りに刀を構え直すのを確認すると、翼は迫り来るノイズ達に向かって走り出す。
そして放たれる、青い一陣の風。
斬撃を乗せた風が、瞬く間にノイズの胴体を両断し、粉微塵に消し飛ばしていく。
可憐な口から歌を唱え、衣装のように髪を揺らし、崩壊した街の末路である戦場を駆けながら、手にした刃を振り下ろす。
炎が舞う、瓦礫が転がる惨状の中を、舞台のように踊り、美しく斬り裂いていく。
その様を、歌姫のステージが終わるその瞬間まで、響はただ茫然と見ている事しかできずにいた―――。
全てが終わった後、響は瓦礫の上に座り込んだまま動けなくなっていた。
周りでは、やってきた自衛隊が動き回っているのが見える。
炭化したノイズや犠牲者の灰を回収し、瓦礫の撤去や道の封鎖、怪我人の治療などを行なっている。
多くの人々が忙しそうに動き回る中、響は一人所在なさげに、橙色の鎧武者の格好をしたまま呆けていた。
「……生きてるなぁ、私」
人生で二度目の、人類の天敵との遭遇。
逃げ遅れた少女を抱えてシェルターに向かおうとして、逃げ道を塞がれ窮地に陥ったと思えば、突如謎の変身ヒロインに進化した。
言葉にしても訳のわからない状況で、脳が働く事を完全に放棄していた。
「お母さん!」
「ああ…! よかった……本当によかった! 心配したのよ…本当に!」
ふと、聞こえてくる声にハッと我に返る。
振り向けば、先ほどまで自分が必死に守っていた幼い少女が、母親らしき女性に抱きついている姿が目に映る。
ノイズの犠牲になったわけではなかったのか、と響がこっそり安堵していると。
「それでは、この同意書に目を通したあとサインをしていただけますでしょうか。本件は国家特別機密事項に該当するため、情報漏洩の防止という観点から貴女の言動および言論の発信には今後、一部の制限が加えられることになります。特に外国政府への通謀が確認されますと政治犯として起訴され、場合によっては―――」
母娘の元へ、一人のスーツを纏った女性が近づき、ファイルに挟んだ書類を渡す様が視界に入る。
返答も聞かず、淡々と機械のように喋る女性に、母娘は再会の感動も忘れてぽかんと固まってしまっていた。
「……あれ、私も書かなきゃいけないのかな。いやだなぁ、ばっくれよっかなぁ」
「それは遠慮してもらえるかしら? はい、あったかいものどうぞ」
遠目から見ても、びっしりと文字で埋め尽くされた書面があることに気づき、げんなりとした顔になる響。
ふとこぼした呟きに、知らない誰かが苦笑まじりに答えてくる。
はっと目を見開き、体ごと向き直った響の前で、黒髪の若い女性がカップを手渡してきた。
青い制服に、肩までで切りそろえた髪が特徴的な美人である。
彼女が手に持った、ホカホカと湯気が立つカップからは、香ばしいコーヒーの香りが漂ってきていた。
「…あ、はい。あったかいもの、どうも」
思わず、どこの誰ですかと言う疑問も忘れて、疑いもせずカップを受け取る。
怒涛の展開が多すぎて、反応を返す暇さえなくしていたのだ。
「……てかこれ、どうやったら脱げるんだろう」
じんわりと手に伝わる熱に目を細めていた響は、一向に変わらない自身の格好に困惑する。
いい加減、こんなコスプレじみた格好から戻りたいのだが、何をどうすればいいのか全くわからない。
周りで真面目に働いている人からの視線が気になり、さっさと元に戻れ戻れと強く念じるもまるで変わらない。
「あ、そういえばこの部分……」
ふと、響は自分の腰に巻かれたベルトの中心に嵌った、先ほど外した錠前を見下ろし気付く。
二つの輪が並んだ形のそれは、中心で折り畳める仕組みになっている。
もしや、と思いついた響が錠前を折り畳んでみる。
すると、響の全身で橙色の光が弾け、元のつなぎ姿に戻る事に成功した。
「うわっ…とととぉ!? あ、戻れた」
いきなり姿が変わった事で驚き、立ち上がった響の膝からカップが落下する。
ばしゃっと溢れるコーヒーに慌て、のちにがっくりと肩を落とすと、自分の腰の謎の機械をまじまじと凝視する。
「…何だったんだろ、あれ。なんかもう、全部夢だったとか言われたほうが納得できるかも…」
「残念ですが、全て現実ですよ」
首を傾げていると、また知らない声が聞こえてきたため、勢いよく振り向く。
先ほどカップを渡してくれた女性の隣に、端正な顔立ちをした男性と青い髪の女性翼が、いつの間にか立っていることに気づく。
「…? あなたは……って、翼さん!?」
訝しむ響は、青い髪の女性―――翼を見てぎょっと目を見開く。
翼は先ほどと同じく、険しく刺々しい表情で響を見つめ、唇をへの字に曲げて黙り込んでいる。
隣の男性が朗らかに笑っているせいで、より彼女が不機嫌になっているようにに見えた。
「あ、あの! お礼を言うの忘れてまして……ありがとうございます! 翼さんに助けられたの、これで二回目なんです! 本当に助かりました!!」
「二回目…?」
がばっ、と勢いよく頭を下げる響の前で、翼は眉をひそめる。
感謝の言葉を向けられても、翼には見覚えのない相手であるために、困惑し反応を返す事ができない。
あまり好意的な反応でないと察した響は、おずおずと頭を上げ、引き攣った笑みを浮かべて後退り出す。
「……あのー、何だかかなりお忙しそうですので、この辺で私、失礼しようかと」
「そういうわけにはいきません」
このままここにいても邪魔になりそうだ、と言う考えを建前に、何やら不穏な雰囲気になりつつあるこの場から離れようとする。
あの母娘に混じって流れで帰ってしまおう、と忍び足で後ろに下がる。
だが、響が走ろうと踵を返したその時、彼女の手首からがしゃんと金属音が鳴る。
え、と目を丸くし、駆け出す寸前の足を止めた響は、自分の両手に嵌められた手錠を掲げて言葉を失くした。
「……え?」
「残念ながら、あなたをこのまま返すわけにはいきません。特異災害対策機動部までご同行を願います」
ぶわっ、と響の顔中に冷や汗が噴き出す。
とっさに左右を見渡すと、サングラスをかけた黒服の男達が現れ、響の周囲をぎっちりと囲んでいる。
一切の逃げ道がなくなり、響の表情がひくひくと強張っていく。
一体自分は、このあと何をされてしまうというのか。
「えっ、あの、こ、この手錠は一体……」
「機密を知ってしまった事と……あなたに色々と確認しなければならない事ができてしまいましたので、こちらは逃亡を防止する為です」
「…拒否権は」
「ありません」
恐る恐る尋ねる響に、男性はにっこりと笑みを浮かべて首を横に振る。
一縷の望みをかけ、コーヒーをくれた女性や翼を見つめるも、片や困ったように肩をすくめ、片やすっと目を逸らされてしまう。
全ての希望を失った響は、じりじりと迫ってくる黒服達の圧に怯え、涙目になって震え出す。
「何でぇええええええええええええええ!?」
憐れな悲鳴を響かせて、少女を乗せた車は夜闇を突っ切り、遠い何処かへと走り去っていく。
その様はなぜか、食肉工場に連れて行かれる家畜を思わせた。