2021/11/08:後書きに補足を追加しました。
スヘルデ製薬から500m程離れた海浜公園の芝生に、古城は荒い息を上げて転がり込んだ。スヘルデ製薬の培養室から雪菜を抱えて、人目につかないようここまで来た。瀕死の体で瞬身の術を全身に働かせながら。
雪菜は古城に涙ながらに止めてくれと目で訴えたが、古城はそれを全力で無視し、窮地を脱出することを最優先にした。
そして無理を重ねた体からは、秒単位で古城の生命力が零れ出ていく。オイスタッハから受けた傷は回復の兆しを見せる様子は無い。
これまで進んできた道にも抱きかかえた雪菜の制服にも古城の地がべっとりとこびりついている。
「古城先輩!」
「雪菜、人払いの結界だ。急げ!」
古城の気迫に圧され、雪菜は歯を噛みながら結界を張る。このような状況を見られたら誤魔化しきれない。だが、今は一秒が惜しい。雪菜は地面に倒れこんだ古城を抱きかかえて声を張り上げる。
「古城先輩、早く手当てを……!」
「もう、間に合わねえよ」
古城の言葉に雪菜は背筋を凍らせる。だが、古城は自身の命脈よりも重要なことがあると考えているようだった。古城はポケットから通信端末を取り出すと、〝藍羽浅葱〟を選んで通話ボタンをタップした。
雪菜は古城の考えが理解できず、反射的に止めようとしたが古城が雪菜の口を塞ぎ、鋭い目で「止まれ」と言った。古城の手を払い除けようとしたが、3コールもせずに古城の通信端末から応答があり、雪菜は黙らざるを得なかった。
『あたしよ。どうしたの?』
「……頼みが、ある」
『また?昨日と今日と、人使いが荒いわね。聞くだけ聞いてあげるけど』
「もうじき、キーストーンゲートに……聖職者風の金髪の男と、白い眷獣が襲撃をかけてくる。お前のちからで、どうにか死人が出ないよう手を打ってくれ」
雪菜は目を見開いた。古城は浅葱を巻き込む気なのか?いや、そもそもなぜ二人の行き先が解る?
『まだ授業があるのよねー』
「頼む。時間が、無いんだ」
『ふーん……』
通信端末の向こうにいる浅葱からは焦燥する古城とは違い緊張感が無い。だが、浅葱が次に言った言葉は雪菜を驚愕させた。
『その2人組が、アンタを殺しかけた連中でいいの?』
「――!」
『誰か息を呑む気配がしたわね。中等部じゃ話題の編入生がいきなり姿を消したってことで話題になってるんだけど、もしかして雪菜もそこに居るのかしら?』
なぜ通話越しの会話でそれが解るのか。雪菜は我知らず身体を硬直させる。まるで証拠を突き付けられた犯罪者の気分だった。古城が受けた傷は、自身の所為でもあると雪菜は感じているのだから。
「何言ってんだよ、オレは――」
『アンタと何年の付き合いだと思ってんの。そのくらい、声聞きゃ解るわよ』
古城は精神力で荒い息を抑えていた。だが、浅葱は古城のそんな虚勢を声だけで見抜いていた。その洞察が、古城の気を緩ませたのだろう。一際多い血をげほ、と吐いた。今のは浅葱にも聞こえたはずだ。
『ねえ、古城。あたし、今凪沙ちゃんと一緒にあんたの家にいるの』
「は……!?なんで――」
『雪菜が居なくなった後、あんたまで学校からいなくなって、変な予感がしたんだって。体調不良って言って早退したんだってさ。あたしはそれを偶然見つけたってていで付き添ったの。何かの間違いで、凪沙ちゃんがあんたのとこに行ったらまずいと思ったから。余計だった?』
「いや……助かったよ。凪沙はそこで引き留めて――」
『凪沙ちゃん、今泣きそうよ。あんたの部屋からSTキットがなくなってるって』
古城の言葉を遮って、浅葱は今の凪沙の状況を伝えた。古城は今の凪沙の有り様を想像して言葉に詰まった。妹が泣きそうになっているなら、それは古城の所為だ。
『古城。あたしはあんたの事情はあんたから話してもらうのを待ってる。でも、凪沙ちゃんは違うんじゃない?』
「………」
『さわり程度でも、話しておいたほうがいいんじゃない?あんたたちはたった二人の兄妹なんだから』
§§§§§§§§§§§§§
「浅葱ちゃん、古城君から電話がかかってきた!」
通信端末に映る〝暁古城〟の文字に凪沙は声を張り上げた。凪沙の背後で古城のクローゼットを形だけでも物色していた浅葱は表面上はそれに驚いて見せる。
凪沙は一にも二にもなく通話に出る。開口一番、凪沙は怒鳴った。
「古城君今どこにいるの!?写輪眼移植キットなんて持ち出して!」
写輪眼移植キット。或いは携帯型眼球摘出・移植医療器具。それが、スヘルデ製薬に潜入する前にドローンに持ってこさせたものだった。もしもの為にと、古城が母である深森に無理を言って作ってもらったツールだ。
凪沙はこの医療器具についてものすごく渋い顔をした。「縁起でもない」と言って。だが古城はあったほうがいいと言って常に手元に置いていた。
それが今、なくなっている。古城が必要になると考えて持ち出したのだと凪沙は直観した。古城が嘗て言った「もしも」が現実になりつつある。凪沙は冷静でいられなかった。
『凪沙、落ち着け……なんて、言っても無理だよな』
「落ち着けないのは古城君の所為――」
凪沙は気づいた。通話口から聞こえてくる古城の声。それに混じる呼吸の音がひゅーひゅーと、聞いたことのない色を宿していることに。
「古城君、もしかして、怪我してるの……?」
凪沙の直観は語っていた。古城は今、怪我どころではないと。凪沙は古城にそれを否定してほしかったが、古城の答えは肯定だった。
『……ああ、ちょっと、な』
「なんで……!どうしてそんなことになってるの!いや、理由なんかいいよどこにいるの救急車は呼んだの怪我はどの程度――」
「凪沙」
矢継ぎ早に言葉を畳みかける凪沙に古城は静かに名前を呼んで静止をかけた。凪沙は優しくも思いのほか力のこもったその呼びかけに凪沙は押し黙ってしまう。
『今、家にいるなら今日は外に出るな。浅葱の言うことを聞いて、大人しくしているんだ』
「何勝手なこと言ってるの!?古城君が大変な時に――待って、浅葱ちゃん?なんで浅葱ちゃんの名前が今出てくるの……?」
『そこに、いるんだろ?浅葱、聞こえてるなら凪沙の事、任せていいか』
「……ええ、いいわよ」
言葉少なめに浅葱は答えた。その二人のやり取りが、なぜか凪沙の癇に障った。
「何を……二人で話を進めてるの!?浅葱ちゃん、古城君の居場所を知ってるなら凪沙にも教えて!」
「できないわ。それを古城が望んでいないから」
凪沙の刃の様な詰問に、浅葱も揺らぐことなくはっきりと返す。その眼差しが、古城を挟んだ凪沙と浅葱の差を雄弁に物語っているようでもあった。凪沙はもう一つの嫌な予感を確かめるべく、電話の向こうの古城に問いかけた。答えによっては、それで本当に打ちひしがれてしまう自分を幻視しながら。
「古城君。学校では、雪菜ちゃんもいなくなってちょっとした騒ぎになってたの……もしかして、雪菜ちゃんもそこにいるの?」
通信端末の向こうで凍り付くような気配があったのはきっと気の所為ではない。凪沙の心にぐつぐつとした黒い感情が湧き出てくる。これは――嫉妬だ。
「なんで、皆凪沙を除け者にするの!古城君のきょうだいは凪沙なのに……!」
『何も言わなかったのはお前を巻き込みたくなかったからだ。傷ついてほしくなかった。お前にはずっと助らればかりだったから、今度はオレがってな』
古城の優しさがこもった言葉に凪沙は沈黙する。違う、今までずっとあたしが守られてたから、今度は古城君をあたしが守るのだと、そう言いたかった。
『でも、やっぱり不義理に過ぎたと思う。こんなことになる前に、もっと早く……話しておけばよかったな。お前にしてやれることもしてやりたいことも、たくさんあったはずなのに……』
「何よ、それ……」
まるで遺言の様な古城の言葉に凪沙は言葉を失くす。凪沙の胸中に恐怖が湧き出でる。それは、魔族を前にした時とは別種の恐怖だ。
『凪沙、後で必ず、事情は知らせる。だから――悪いな。また後で、だ』
「古城君!?」
その言葉を最後に通話は切れた。
悪いな。また後で、だ。それは古城の話によればイタチがよく弟に行っていた言葉をもじったものだという。古城も、都合が悪くなったときはそういって凪沙の額を小突いて誤魔化した。
だが、通話越しにその言葉を言ったことは無い。それがひどく、凪沙には切ない。
歯を噛んで俯く凪沙の手から通信端末を取り戻すと、浅葱は何も言わずリビングの椅子に座った。
「浅葱ちゃん――」
「古城の事なら、あたしも凪沙ちゃんと同じ立場よ。でも、校門であなたを見かけたのは偶然じゃないわ」
「……どういうこと」
凪沙は責めるような視線を浅葱に向ける。浅葱と知り合って以来、凪沙がそのような目を浅葱に向けたことは一度も無い。
「万が一にも、凪沙ちゃんが古城の今いるところに行かないようにするため。だから、あたしは凪沙ちゃんについてきた」
「……どうして、浅葱ちゃんはそんなに落ち着いていられるの」
「あいつを信じているから。それじゃ理由にならない?」
浅葱はふっと微笑んでみせた。凪沙にはそれがひどく眩しく見えた。
「どうして――」
§§§§§§§§§§§§§
「古城先輩……」
「雪菜、よく聞け。今後の事について、今からお前に話す」
雪菜は古城に聞きたいことが山積みだった。オイスタッハとアスタルテの行先がなぜ分かるのか。写輪眼移植キットとは何なのか。
「多分…オレはもうじき死ぬ」
「な…!何を言ってるんです!真祖だったら――」
古城の予測に雪菜は総毛立つ。仮にも真祖なら、この程度の傷は傷の入らない筈だ。例え心臓を突きさされようと首を刎ねられようと回復する。だが、古城は自身の状況について確信があった。
「昨日、〝神格振動波駆動術式〟てやつを喰らってそこから回復したから、解るんだ……。あの時は少しずつでも始まっていた再生の兆候が、今は無い。あれは、サービスと警告ってことだったんだと思う。次は無いって」
古城の眷獣たちは古城が未だ誰からも吸血せず、挙句忍術だの写輪眼などという、第四真祖とは異なる由来の能力を行使することに腹を立てている。
我等以上に頼りになる力があるというなら、多少の障害もその結果も甘んじて受け入れるべし――眷獣たちの言い分は、そんなところだろう。
だから忍術の発動に枷をかけ、今は傷の回復さえも阻んでいる。ここで古城が死ねば眷獣たちも道連れだが、眷獣たちはそれで構わないと思っているのだろう。
今、辛うじてでも話すことができるのは、吸血鬼としての基本的な生命力と、古城の精神力故だ。それも、もうじき尽きる。その前に、古城にはしなければならないことがある。
「オイスタッハたちが向かった先は、キーストーンゲートだ。人工島中央区の……あの、ピラミッドを逆さまにした建物。もし後を追うなら、其処に――」
「それよりも古城先輩の事です!早く手当てを――」
「間に合わねえって。大体、未登録魔族のオレを受け入れる医療機関が、どこにあるって……」
「だったらわたしの血を吸ってください!」
雪菜は焦燥を露わに古城に言い放った。雪菜の提案は、間違いではない。雪菜程の高い霊媒体質者なら、眷獣も文句は言わない。ここで回復能力を司る眷獣を引き当てれば今後の古城の回復力、否、再生力の問題は解消する。そうでなくとも、今の傷は治る。だが、古城は苦笑して首を横に振った。
「第四真祖の、監視役であるお前が、その覚醒を手助けして……どうするんだ。寧ろ、ここは見殺しにしても……いいとことだろ」
「そんなこと言っている場合じゃ……!それにわたしだけではオイスタッハ殲教師を止められません!」
「今の力だけじゃ足りないっていうならオレの写輪眼をお前に託す」
古城は肩に担いでいたリュックからケースを取り出した。中に入っていたのはドローンと何がしかの器具。先の話から、これが一体何のためのものかは察しがついた。
「写輪眼移植キットだ。オレの眼球を摘出、保管、移植を自動的に行う。これで、オレの眼を摘出できる。移植するかどうかは……お前の判断に任せる」
古城の決断に、雪菜は一瞬言葉を失う。去来するのは疑問符ばかりだ。何故この人は、ここまで――。
「どうして……わたしにそこまでするんですか。わたしは、古城先輩の敵といってもいい人間なんですよ?」
「………」
「わたしが凪沙ちゃんの……妹さんと同じクラスになったのは偶然ではない筈です。いざとなれば、彼女を人質に使って第四真祖の行動を抑止する。わたしはそういうことができる立ち場なんです。なのに――」
――妹と同じ学年か。益々厄介――
古城は雪菜と初めて会った時、確かにそう言った。雪菜の立場でできることを、古城が想像できていない筈がない。だが古城は、雪菜と凪沙が親密になることを止めなかった。古城が雪菜に見せる態度はどれも後輩に向けるような親切さばかりで、敵に成り得ることを想定していたとは思えない。挙句、そのような人間を命がけで庇おうとする。雪菜には、古城の行動が全く解せなかった。
「こんな状況になってまで……命の際になってまで、敵の立場とかそんなことを考えないでください。今は、自分の事だけを――」
「雪菜」
雪菜の言葉を遮り、死に瀕しているとは思えない力を宿して、古城ははっきりと問いかけた。
「オレに血を吸わせること……それも、獅子王機関の任務の為か?」
雪菜の瞳孔が極限まで拡大する。気付かれていた――
§§§§§§§§§§§§
――一週間前 高神の杜
「いっそ恋させちゃえば?それなら
午前の座学が終わり、雪菜は級友たちと共に高神の杜の敷地の内の森の中にいた。既に夏だというのに木漏れ日は優しく、小鳥の囀は軽やかだ。耳を震わす川の潺は歌のようで、肌に触れる風は静謐でさえある。
高神の杜は優れた剣巫を養成するため神域に設けられた。そのような場所に在ってこの森はさして特別というわけではないけれど、雪菜はここで過ごす時間が好きだった。もうじき、ここに来れなくなる。第四真祖の監視役任命の話から四週間余り。もうじき雪菜は魔族特区絃神島へ赴く。それまでに少しでもここの空気を感じていたかった。
羽波唯里が頓狂な事を言ったのはそこで皆と昼食を囲んでいた時。第四真祖の監視という任務にどのように当たっていくべきかという、雑談とも相談ともとれない話題の中で出てきた言葉だった。
「唯里、あなた、何を、言っているの……?」
煌坂紗矢華が射貫くような視線を唯里に向ける。男嫌いの上雪菜を溺愛している紗矢華にとって、唯里の発言は聞き逃せない暴言である。
「い、いや!暁古城って人、殆どわたしたちと同い年っていうしそういうロマンスもあるんじゃないかなって!」
「あ!ん!た!の!趣味のマンガと現実を一緒にすんなっての!」
「何よー!紗矢華ちゃんだってこの前貸したヤツは面白かったって言ったじゃない!第四真祖と真剣勝負するよりそっちのほうが夢があるし命の危険も無いでしょー!」
唯里の愛読書は少女向けのベッタベタな恋愛マンガである。高神の杜は全寮制の女子高でもある為、異性との出会いは少ない。そのような環境で過ごしているためか、唯里は男女の恋愛について些か夢を見過ぎているきらいがあった。
「姫柊、どうした」
斐川志緒は先程から黙ったままの雪菜に声をかける。志緒は雪菜、唯里とは違い、剣巫ではなく舞威媛と呼ばれる特殊な攻魔師の候補生だ。唯里と口争いをしている紗矢華も舞威媛として、高神の杜で優秀な成績を残している。
普段は紗矢華が噛みつくのは実力が拮抗している志緒の方の為、この構図は少し珍しかった。澄ました顔でお粗末な漫才を見ているような気持ちで眺めていたが、視界の隅の雪菜の意外な表情が気になった。
恋愛脳丸出しの唯里に溜め息でも零して呆れているかと思いきや、思案気な顔で俯いている。まるで唯里の言葉に思うところがあるとでも言うかのように。
「……三聖様に訊いたんです。わたしが吸血されるリスクについてどう考えているのか、と」
第四真祖だの異界記憶保持者だのといった情報の衝撃で頭から抜けていたが、雪菜は暁古城がうちはイタチなる人物の転生者であると聞いた後、そのことについて訊ねた。暁古城は未だ誰からも吸血行為を行っておらず眷獣も掌握していないとのことだが、これからは解らない。
三聖達は暁古城に全力で接近し彼を監視せよ、と言った。その任務の中で何らかの事故で――或いは、暁古城が邪心から雪菜の血を求めたら。第四真祖の監視を担う獅子王機関がその覚醒の一助になってしまうという本末転倒は、決して無視していいものではない。
吸血は第四真祖を抹殺してでも避けよ。そう答えが返ってくるものとばかり思っていたが、実際は違った。
「わたしの判断に任せる、とのことでした。どう思います、これ……」
「……は?何、それ――」
唯里との戯れ合いを打ち切って紗矢華は間抜けな声を漏らした。唯里もきょとんとしている。志緒だけは何か察しがついたのか、痛ましいものを見るような目で雪菜を見つめている。
三聖の答えは全く理解できない。それはまるで、第四真祖の覚醒を問題視していないように聞こえる。雪菜が血の伴侶になっても構わないと、言っているように聞こえる。
「姫柊と第四真祖との間に合意があれば、吸血させても良いってことだろうよ」
「そんなの有り得ないから!万に一つでもそんなことになったら生かしておかない!おのれ第四真祖、世界の裏側からでも呪殺してやるから……!」
「仮定の話だ、落ち着け煌坂」
その猛りは果たして憎たらしい監視対象への嫉妬だけだろうか。第四真祖の監視だけではない裏の任務を予想して、紗矢華は雪菜を勇気づけようとしたのかもしれない。
「志緒ちゃん、いくら何でもそんなの有り得ないよ。第四真祖の覚醒を獅子王機関が促すなんてそんなこと……何の意味もないじゃない」
唯里もまた志緒の予測に懐疑的だった。反論としてはもっともだ。伝説によれば、第四真祖はまさに破壊の申し子。噂に聞く他の真祖の眷獣の力も戦略兵器に例えられる程。そのような力など眠らせておくに限る。それが最も平和的で良識的な判断だ。
「意味ならあるだろ。世界最強の吸血鬼の力の獅子王機関の制御下に置く。それは獅子王機関にとっても日本にとっても大きな財産に成り得る。今の時代、力なんて幾らあったって困ることはない。姫柊の監視任務の裏にそういった打算がもしあるとしたら――」
志緒の言葉はそこで途切れた。紗矢華がその胸倉を思いきり掴んだからだ。紗矢華の視線は先程唯里に向けていたものよりも鋭く、怒りに満ちている。
「ふざけんじゃないわよ!それじゃ雪菜は――!」
「生贄だな。有体に言って」
志緒に向かって挙がりかかった手は、唯里が後ろから羽交い締めにする形で止めた。喧しい乍らも親しい空気が漂っていた級友たちの空気は、いつの間にか剣呑としている。雪菜はそれをどこか他人事の様な面持ちで眺めていた。
「紗矢華ちゃん、志緒ちゃんにあたっても意味ないって!志緒ちゃんも煽るようなこと言わないで!
皆の視線が雪菜に集まる。雪菜の表情は変わらない。相変わらず、感情の読めない表情のまま手元に視線を落としている。
「雪菜!こんな任務拒否しなさい!」
「以前も言いましたけど、わたしが拒否しても他の誰かがやらされるだけですよ。だったらわたしがやります」
「こんなヤクザの美人局のような役回りの為に訓練してきたわけじゃないでしょう!雪菜はあの人みたいに――」
「紗矢華さん!」
紗矢華ははっとなった顔で口を噤む。唯里の目が陰り、志緒の瞳に憤怒が宿る。紗矢華が口にしかけた何がそうさせた。それを知っている紗矢華はバツの悪い顔をしていた。
「姫柊。一応、言うだけ言ってみたらどうだ。替えの人材が要るというなら私を推して構わない」
「し、志緒ちゃん!?」
志緒の発言に皆が一様に驚く。雪菜の立場を生贄と言ったのは彼女なのだ。そんなものに自らがなろうと言う。
「斐川、あんた、それでいいの……?」
「いつか、魔導テロリスト相手に命懸けの殺し合いをするかもしれないのに吸血鬼から血を吸われる程度の事を恐れてどうする」
「それとこれとは話が違うでしょ!?暁古城がどういう吸血鬼かもわかんないのに!」
「逆を言えば、暁古城に吸血されることが不幸な結末になるとも限らないというわけだ。万に一つの様な話だが」
「だったら――」
「その時は殺せばいい」
明日の朝食はパンにすればいい。そんな気軽さで志緒は言い放った。唯里らは絶句している。
「監視役を通して第四真祖を獅子王機関の制御下に置くだの、結局は憶測だ。だが、第四真祖を監視し、その監視役の一存で抹殺の権限まで与えられているのは事実。身の危険を感じたら――なんなら、初見で殺しにかかってもいい」
「そ、そんな乱暴な……。攻魔特別措置法に抵触するよ。何の容疑もかかっていない魔族を相手に――」
「それを言うなら、暁古城は未登録魔族だ。治安維持の観点から言って、未登録魔族はテロリスト扱いされても文句は言えない。なら、動機は後で用意すれば良い。いや、その必要さえない。暁古城を処分したあと、その死体を事故死のように細工すれば面倒な追及は避けられる」
ここにはいないとはいえ仮にも一個の人格があるはずの魔族―それも元は人間―に対して辛辣な物言いを重ねる志緒。歯に衣着せぬ発言はいつも通りだが、それにしても冷徹に過ぎると思った。自分でもそれは解っているのだろう、志緒は棘の抜けた言葉を雪菜に向けて続けた。
「私は私なりに、姫柊を気遣っているつもりだ。姫柊、三聖様への失望や自分への悲観があったとしても、打開の方法はある」
「……ありがとうございます。斐川さん」
雪菜は気丈に笑って見せた。
「大丈夫ですよ。相手が第四真祖でも転生者でも、わたしは任務をやり遂げます。手を抜くような真似はしません」
「雪菜……」
「だったら、兎に角訓練だな。付き合うよ。お前に降りてきた情報から察するに、やりようはある。放課後、時間はあるか?」
それが絃神島に来る前にあった級友たちとの会話。三聖達の意図が何であれ、暁古城が何者であれ、訓練に見合った能力を発揮できるのだと無邪気にまだ信じていた時の自分の口から出た言葉だった。
§§§§§§§§§§§§
だけど結局、雪菜は非常になり切れなかった。絃神島で出会った暁古城は、善良な少年だった。
「気付いていたんですか……わたしが、古城先輩の首輪になる為の監視役だと……」
「もしかしたらそういう、目的もあるんじゃないか……くらいだ」
「だったら尚更解りません!どうして……!」
「理由、か……」
雪菜とその上位者にたちの目論見を察しながら、何故古城は雪菜に親しみを持って接してきたのか。そのような感情を古城に抱かせ、利用することこそ目的だったかもしれないのに。雪菜の倫理観から言って、そのような者は軽蔑に値するはずなのに。
「一瞬でも……そうかもしれないと思ったら、嫌いになれなかった。お前は強い女の子だと、思ったから……」
「わたしが、強い?」
雪菜の腕に抱えられながら、古城は雪菜の疑問を紐解いていく。それが最期の言葉であるかのように。
「強いだろ。身一つ命一つで第四真祖に立ち向かっていく女の子、なんてのは……。それは、誇っていい強さだと、オレは思う。この状況が全部……雪菜と獅子王機関の思惑通りだとしても、恨みなんてない」
「……っ」
その言葉が一番、雪菜の心を穿った。違う、と言いたかった。わたしは強くなんてないのだと。この任務を受けて絃神島に来た時にあったのは殆ど諦観だった。古城が言うような強さを、わたしは持っていないということ。
そして何よりも、古城が死に瀕する今の状況を、私は望んでなんかいないのだと――
「獅子王機関の目論見は……当たってる。そんなやつの血を吸ったら、もう……知らんぷりなんてできない。オレ、割と惚れっぽいからさ。それが雪菜みたいな可愛いヤツなら、結構何でも言う事聞いちまうと思うんだ」
「い、今はそんな冗談を言わないでください……!」
冗談じゃないんだけどな。そう言おうとしたが、喉からせりあがる液体が言葉を打ち消した。がはっと勢いよく吐き出された血が、朱に染まった雪菜の頬を汚した。
「やっぱりそれは、悔しいから……まあ、意地だ。それがこの結果なら、受け入れるさ。それに雪菜だって本当は……好きでもない男に血を吸われるなんて、嫌だろ?」
「……古城先輩は、どうしてそこまで強いんですか」
古城の言葉を敢えて無視して、雪菜は問いかけた。
「……強いかな」
「わたしは、強いと思います。敵かもしれない相手にやさしくして、命を懸けて守ったりなんかして……その結果は受け入れるなんて言って。そんなの心が強くないとできないと思います。どうしてそこまで、強くなれるんですか」
それを聞かないとわたしはここから進めない。自分の心ながら具体的なことは解らずとも、その確信があった。
雪菜は初めて何かに祈った。お願いだから、この吸血鬼の命をまだ召し上げないでくれと。古城を抱く手は震えながらもこれ以上になく強く優しく力が込められていた。
「オレは……信じていることがある。誰かが強くなる、その理由ってやつを――」
「それは――?」
瀬戸際に立った命であるにも関わらず。古城は朗らかに、雪菜に告げる。自分が信じる強さの理由。大事な宝物を自慢する子供のように。
雪菜にはそれが、いつかの誰かの笑顔に似ているように見えた。
§§§§§§§§§§§§
「どうして――浅葱ちゃんはそんなに強いの」
凪沙は悄然とした表情で浅葱に問いかけた。浅葱は古城が抱える事情を知らないという。それでも普段と変わりのない浅葱が凪沙には不可解だった。いつも通り――整然とした、かっこいい、憧れの女の人だ。
「あたしが強いように見えるなら、あたしには信じていることがあるからよ。凪沙ちゃんも、古城から聞いたことがあるんじゃない?だれかが強くなる理由を」
「………」
浅葱の言う通り、凪沙は知っている。古城が大切にしている、強くなれる理由。きっと聞かれれば、いつだって誰にだって話すだろう。
浅葱が言う。愛しい男と共有したその思いを。
「ひとは大切な何かを――」
§§§§§§§§§§§§
古城が言う。ずっと信じ続けている己の信念を。
「守りたいと思った時に――」
§§§§§§§§§§§§
一人の女が言う。雪菜の大切な記憶の彼方から。
――本当に強くなれるものなの。
§§§§§§§§§§§§
「だからあたしは古城を信じる。帰ってくるって。今、どんな苦境にいるとしても、必ず」
歌うように語る浅葱の目から凪沙は顔を逸らした。悔しさ、悲しさ、多くの感情が綯い交ぜになったまま凪沙は背を向けた。
「あたしには……わかんないよ!」
そう言って、凪沙は古城の部屋を飛び出し、向かいの自分の部屋に閉じこもった。浅葱はそれを黙って見送った。
浅葱は、通話を着る直前に古城に語った言葉を思い返す。
――古城。あんたの頼み、聞いてあげる。
――だから必ず帰ってきなさい。
――凪沙ちゃんを救えるのは、あんただけなんだから。
その言葉が、蚊帳の外にし続けてきた凪沙と言葉を交わすことを決断させた。凪沙に関しては何かと判断が鈍る抱え込み症の古城がそう決断しただけでも、浅葱から見れば大きな変化だ。
――ありがとな、浅葱。
――必ず、教えるから。待っててくれ。
「古城。教えるってのは、あんたの口から面と向かってってことだと思ってるから。遺書だのビデオレターだの、そんなものから教えてもらうつもりなんてないんだからね」
ここにはいない男に向かって語り掛ける。浅葱は古城の部屋からベランダに出た。視線の先にあるのは、この島のどこからでも眺めることができる、絃神島の中枢、キーストーンゲートだ。
§§§§§§§§§§§§
雪菜の心臓が大きくどくんと跳ねた。雪菜を救い、多くの事を教えてくれた人の顔が、はっきりと古城と重なった。
「雪菜、オレにとっては、お前ももうその中の一人なんだよ……お前は道具なんかじゃない。お前は生贄なんかじゃない。大切な……友達だ。だから、お前にとって辛いことや悔しい事なんてできないさ」
大事なことはそれで言い切ったつもりなのだろう。ふうと一息つくと、古城はゆっくりと瞼を閉じた。
「オイスタッハとアスタルテは……那月ちゃんに任せていいと思う。お前は――」
「いいえ。わたしにはまだ、できることがあります」
涙を拭い、震えを止めて、雪菜は決然と言った。その瞳には決意が込められていた。雪菜は雪霞狼の刃を押し当てる。雪霞狼を脇に置き、古城の上半身を起こしてその傷と口が触れ合うよう抱きしめた。
「もう一度言います。わたしの血を吸ってください。今ならまだ間に合います」
「やめろ、雪菜……お前は――」
「違います。わたしは任務の為に生贄として第四真祖に血を吸わせるのではなく……古城先輩を助ける為に、自分の意志で血を吸わせるんです」
今の古城に雪菜の表情は見えない。解るのは、触れ合う肌から漂う血の臭いと甘い体臭。そして黒い髪から覗く、真っ赤に染まった小さな耳。
「それが、獅子王機関の目論見通りだとしても、か……?」
「古城先輩、わたしにも守りたいものがあるんです。この先何があっても、決して後悔なんてしません」
「……おまえは、ばかだ」
溜め息を零しながら、古城もまた決意を固めた。こんなふうに迫られたら、古城は弱い。これ以上は雪菜の意思を貶してしまうと思ってしまうから。
古城の牙が、ゆっくりと雪菜の首筋に埋まっていく。雪菜はそれに耐えた。首筋からジワリと染み渡っていく痛みと快楽に。唇から漏れ出そうになる甘い吐息を必死に噛み殺す。
海に沈んでゆく夕日が映す影は融け合うように一つになっていた。
遅くなりましたが・・・ストブラ完結おめでとうございます!&虚なるレガリア、応援してます!
◆補足
第四真祖監視任務の真意:原作と同じく、監視任務の真意は第四真祖の制御で、雪菜はそのための人材です。が、本作では雪菜はそれに気付きかけていることが原作との相違点です。
古城の生命力:古城くんの予測通り、再生能力はガタ落ち。大体某海賊漫画の麦わら帽子被った少年レベル。え、十分人外?はっはっは。忍と写輪眼でバフがかかっている分、吸血鬼として原作以上のデバフがかかってます。
羽波唯里:雪菜と同じく剣巫の少女。「性格は」原作からの変更点無し。ついでに趣味嗜好も変更無し。
斐川志緒:紗矢華と同期の舞威媛。性格面で原作からの変更点が大きい人。本作では原作以上にクール。だが身内への情は深い。
あの人:本作において唯里と志緒の心に陰を差す何者か。そして雪菜に大きな影響と言葉を残した何者か。詳細はいつの日か・・・。