序章 -Intro-
青い海洋を、白亜の貨客船が航行している。名を絃神丸。「魔族特区」絃神島と日本本土を結ぶ定期航路の一つである。
そのデッキの一角に姫柊雪菜はいた。本土から約6時間。飛行機を使えば2時間足らずで来れるこの島に船で訪れるのは、飛行機が苦手な彼女に、上司達が気を利かせた故だった。
潮風に黒髪を棚引かせながら、手の中の写真に目を落とす。写っているのは一人の少年。狼のように前髪の色素がやや薄い。一見すればどこにでもいる普通の少年であり、隠し撮りされていることに気付いている様子は無いように見える。だが雪菜にはその眼差しに一抹の緊張が滲み出ているような気がした。或いは、撮影者の気配を感じ取っているのかもしれない。
写真から顔を上げ、雪菜は水平線上に移る島影に視線を移した。脳裏に去来するのは一か月前。自分にこの任務が下された静謐な夜の事――。
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「第四真祖が、日本の絃神島に……!?」
「然り」
その日、雪菜はある神社の境内で上司で三人の人物と面会していた。面会と言っても上座に座るその者達は御簾に遮られて姿は見えない。御簾の向こうから響く声の高さから、辛うじて
彼女らは三聖。国家公安委員会内に設置された特務機関、獅子王機関治める長老達であり、雪菜をはじめとする剣巫達の師である。その力量は弟子達どころか一流の攻魔師とも一線を画す。
見習いである雪菜にとっても彼女達は攻魔師として目指すべき銀嶺である。そんな者達から飛び出てきた言葉は、まさに慮外の事だった。
第四真祖が日本に出現した。その意味するところに、うっすらと冷や汗を流した。攻魔師として、その名を知らないということはない。一切の血族同胞を持たない唯一孤高の吸血鬼。十二の眷獣を従える、世界最強にして四番目の真祖――。
「第四真祖は、存在しない筈では?ただの都市伝説の類だとばかり……」
「今年の春の京都での爆発事故、四年前のローマの列車事故、中国での都市消失事件、その他諸々。あらゆる状況証拠が、第四真祖の実在を示唆しています」
「そしてつい先日、第四真祖本体を補足した。其方にはその監視役を命ずる」
「待ってください。何故わたしが……」
「不服かい?」
「不可解です。私はまだ見習いです。第四真祖を相手取るには不足過ぎると思います。この任務は監視だけではない筈。対象が危険と判断したら、監視役の判断で排除するのでしょう?」
「理由の一つはこれだ」
ぱちんと指のなった音が響くと、次の瞬間には雪菜の膝元に桐の箱が現れていた。三聖が物質を転移の術を行使したのだろう。今更その程度に驚きは無い。無言に促され、雪菜はその箱を開封した。中に収まっていたのは、一振りの銀の槍。その銘を、雪菜はよく知っていた。
「
「魔力を無効化する“神格振動波駆動術式”が組み込まれたその機槍、第四真祖への対抗手段に成り得るものだが、適格者はやはり其方だけじゃった」
雪霞狼は獅子王機関が有する武器の一つだ。古代の宝槍を核にした高度な金属精錬技術で作られているため量産ができず、世界に3本しか存在しないとされる。
その力は、あらゆる魔力の無効化。眷獣という吸血鬼が操る膨大な魔力の塊で構成される異界の獣にも、この槍ならば対抗できるとの触れ込みだ。
それ故に、内包するその力を制御できる者は非常に限られた。すでに一人前の剣巫の中からは適格者と呼べるものは現れず、駄目元で見習いにまで視野を広げてみたところ、どういう因果か、雪霞狼は雪菜を選んだ。
並みいる先輩達を差し置いて一級品の武神具の適格者となった時は興奮よりもいたたまれなさが勝った。姉代わりのルームメイトはすごいじゃないと喜んでくれたが。
「貴女にはそれを預けます。現状我々が用意できる最強の武神具です。受け取って頂けますね」
「承知しました。それで……」
困惑の表情で雪菜は雪霞狼から視線を移した。先の雪霞狼と同様、いつの間にか雪菜の膝元に現れた服装一式。白と水色を基調にした、セーラー襟のプリーツスカートだった。
「えっと、これは……」
「対象が通っている学校、その女子学生用の制服です」
「通っている……?第四真祖は、学生なのですか……!?」
「ああ。そっちを先に話すべきだったね」
御簾の隙間から一羽の蝶が現れた。否、蝶ではない。蝶の形に折りたたまれた写真だ。三聖の術によって、本物の蝶さながらに舞う式神だった。それは雪菜の手元へ舞い降りると、折り目一つない正方形の形に戻った。
写真に写っているのは、一人の少年。話の流れから察するにこの人物が第四真祖なのだろうが、やはり信じ難い。聞きしに勝る伝説を連想させる雰囲気など全く感じられない。
「これが、第四真祖……?」
「名は暁古城。絃神島の中高一貫校、私立彩海学園中等部3年A組。ですが絃神島は9月入学制なのでもうじき高校生です。年齢は15歳で貴女より1つ上」
「第四真祖に抗するその雪霞狼を十全に扱い、尚且つ監視対象と穏便に接触できる身の上。お前が監視役に選ばれた理由は、これで十分かい?」
「……はい」
未だ不可解な部分が無いとは言えないが、これ以上問い詰めても答えは返ってこないことは御簾の向こうから漂う空気で解った。
「最後にもう一つ」
覚悟を決めるしかない。そう腹を括ろうとしたとき、水を差すように三聖の一人が語り始めた。
「その童は未だ眷獣を制御できておらず第四真祖としては未覚醒じゃが、それとは別に、由来を異にする能力を持っている」
「第四真祖とは異なる能力……?」
「彼は異界記憶保持者、俗に言う転生者です」
この短い時間に自分は何度驚愕すればよいのかと、雪菜は思った。
異界記憶保持者。或いは転生者。此処とは違う世界、違う人物の記憶を持つ者の総称。今や魔族よりも遥かに稀で、第四真祖がそれに該当するという。しかも、語り口から察するに前世の能力まで有している。そのような転生者は最早稀とかそういうレベルではない。第四真祖以上に実在が疑わしい存在だ。
だが、雪菜はもう彼女らの言葉を疑いはしなかった。より詳細を訊ねた方が話が早く、効率的だと思ったからだ。
「その能力とは?」
「おそらくは瞳術。本人は写輪眼と呼んでいるようです」
「前世での名はうちはイタチ。異世界の忍だそうだ」
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血染めの大地を、黒衣の少年が見渡している。名はうちはイタチ。■■■隠れの里において最強と目される、うちは一族に名を連ねる一人である。
その少年の隣に、暁古城は居た。双方ともに見るからに幼い。互いに10歳どころかその半分にも達していないことが一目でわかる。
――こ…くん――
これが夢だと、古城は解っていた。古城の現実の体は既に15歳であり、イタチの傍らに、暁古城という異世界人がいたという頓狂な記憶も無い。
嘗て古城が夢で見たイタチの記憶の断片。それが再び夢という形で古城の感傷を交えて半覚醒の意識に再構成されたのだろう。
イタチの横顔を、古城はそっと覗き見る。血に染まり屍で埋まった大地を、真っ直ぐに見つめるその眼には憂いがあり、悲しみがあるように見えた。暖かい、人の感情が見えた。だが、その手に握るクナイは血が滴っている。
――こじょ…ん――
「イタチ、あんた、どんな気持ちだったんだ?血が流れる悲しみを知っていて手を汚す矛盾を背負って、自分を擲って……それで何かを得られたのか?幸せになれたのか?」
問を投げることに意味などある筈もない。何か障りの良い答えが返ってきたところで、このイタチは古城の記憶と感傷で造られた幻。うちはイタチという男の本音ではない。
それでも問わずにはいられなかった。4歳の頃から少しずつ見えてきたうちはイタチという男の記憶と感情には共感するところがあったから。刃の下に心を宿して闇を駆けてきたこの男の人生に光が差してほしいと願ってしまう。
一歩、イタチは足を踏み出す。その姿は15歳になっていた。その精悍な顔立ちに、幼さは無い。古城が知る限り、最も成長した姿だ。
振り返ることなくイタチは進んでいく。その孤高な背中に追いつきたくて、古城は駆け出した。古城もまた、15歳の姿になっていた。
だがいくら走っても差は縮まらず、開く一方。疲労ではなく、焦燥で息が上がる。待ってくれと、空を切るしかない手を伸ばし――。
「古城君!」
その呼びかけが、夢に終わりを告げた。
お読みいただきありがとうございます。
夢のシーンを見てん?思った方はいると思います。
古城の転生事情は次回で詳しくやります。