「姫柊雪菜っていうんだってさ。明日、
「なーんだそうだったんだ!凪沙勘違いするとこだったよ。そうだよね、古城君には凪沙がいるもんねそんなことないよね。雪菜ちゃんて言うんだあたしは暁凪沙、よろしくね!」
後半はいま思いついたばかりの嘘だが、凪沙はあっさり信じた。雪菜が固まっているのは、兄の言葉を疑う事無く信じた妹の純真さに故か。立て板に水を流すような口数に圧倒された故か。肉親への親愛にしては些か不穏なセリフが混ざっていた故か。古城は目元を抑えて天を―マンションの廊下なので見えないが―仰いだ。浅葱は三者三様の表情を見てくすくすと笑っている。
「じゃあ今日の夕飯は歓迎会にしよっか。古城、あんたとあたしで下拵えよ。凪沙ちゃんは主賓をトークでもてなして」
「あいあいさー」
「了解だ。鈍ってないだろうな」
「誰に言ってんのよ」
「それもそうか……どうした、雪菜?」
「あの、いいんですか?いきなり歓迎会なんて」
とんとん拍子で話が進んでいく状況に、雪菜が問いかける。根が真面目で人生経験が乏しい雪菜は、初めて会って人間から祝われる経験に慣れていないのだろう。
「いいのいいの。ご飯はいっぱいあるんだから。みんなで食べたほうが楽しいって!さあさ我が家にごしょうーたーい!」
「あ、あの……!」
凪沙に手を引かれ、雪菜が暁宅へと入っていく。自分が友達と思った者への凪沙の行動力に逆らえるものなどいない。
だが古城は特に問題視していない。凪沙が友達と見込んでそれが間違ったことはないから。
例えそれが――
「どうしたのよ古城」
「ん――いや、雪菜は嫌じゃなかったかなってな」
思考を断ち切るように浅葱が問う。反射的に出た疑問は嘘ではなかった。折角の歓迎会、祝う相手が迷惑がっていたら意味がない。だけどその心配はないとは思っていた。
「大丈夫でしょ。あれはちょっと凪沙ちゃんのテンションに戸惑ってるだけで、煩わしいなんて思ってないわよ」
「……解るんだな」
古城も同じ意見だったが、殆ど初対面の浅葱がそう言うのは少し意外だった。浅葱が雪菜について知っているのは、その顔と『古城と凪沙に稚拙な尾行を行っている怪しい女子学生』という古城からの情報だけだったはずだ。
「解るのはあんただから」
「はあ?」
どういう意味だよと古城が疑問を表情に浮かべると、浅葱は古城の鼻頭を人差し指でつつきながら、
「あんたが
朗らかに、自信を込めて言った。その穏やかな笑顔と優しい言葉は自分よりもずっと年上のようで、思わず古城の心臓が少し跳ねた。
「さっさと行くわよ。あたしもお腹減ってるんだから」
照れた様子も無く浅葱は身を翻し玄関を上がっていく。浅葱の方から目を逸らしてくれてよかったと、古城は鼻を抑えながら思った。
§§§§§§§§§§§§
「――というわけで、路地裏に連れ込まれたところを通りがかった古城先輩と協力してナンパしてきた人を昏倒させて逃げたの」
「うんうん、雪菜ちゃんみたいな可愛い子を路地裏に誘ってナンパなんて十分ギルティだよ。絶対それだけじゃすまなかったよ。はったおして正解!」
「そ、そうだよねっ。わたし間違ってないよね!」
リビングのテーブル席に着いた雪菜は、対面の凪沙に自分が古城と出会った経緯の詳細を事実と虚構を交えつつ話していた。二人はすっかり打ち解け、古城は浅葱と共に鍋物の下拵えを進めながらその話を聴いていた。古城は食材の下茹で、浅葱は野菜のカットだ。
雪菜が語った経緯に獅子王機関だの第四真祖だの、伏せなければならない事実を伏せつつ語ったストーリーにとくに破綻は無い。少なくとも凪沙は疑っていない。気になるとすれば、そのストーリーに登場するナンパ男も雪菜の中では古城の姿をしていることくらいか。
――浅葱はどう思ってるんだろう。
古城は隣の浅葱をそっと窺う。野菜を一口サイズにカットしていく手並みは古城や凪沙よりも早く、正確だ。
浅葱は凪沙と同様、古城が異界記憶保持者である事を知っているが第四真祖であることは知らない。その理由は凪沙と一緒だ。だが浅葱と凪沙では、古城に対する認識に大きな差異がある。その差異ゆえに、浅葱は凪沙よりも雪菜よりもある意味難儀な相手だった。
浅葱は古城が何かを隠していることに感付いている。雪菜の存在が、その秘事に纏わる某かであることも。古城と雪菜が語ったことが作り話であることだって解っているだろう。
それでも浅葱は何も訊かない。浅葱のスペックなら自力で解き明かすことも不可能では無いことは古城も良く知っているが、恐らくそれもしていない。
古城と雪菜の間に漂う隠微な事情を察していて沈黙を選ぶ理由はきっと――
――待ってるんだろうな。
浅葱は古城の方からその秘密を話してくれるのを待っている。その選択が、古城の胸に不実という言葉を思い起こさせる。第四真祖に纏わる厄介事に巻き込みたくないという思いも、浅葱の微笑みを前にすると霞んでしまいそうになる。その微笑みが、確かな心の強さが生み出しているものだと解るから。
古城との間にある不言の秘密が、浅葱にとっては今の自分を構成する宝物。古城にとっては――
「大の男を殴り倒すなんてね。雪菜って護身術でもやってたの?」
「あ、はい。本土にいた頃に、少し」
浅葱の雪菜への問いかけで古城は物思いから覚めた。慌てて鍋の中の根菜をつついてみれば、十分柔らかくなっている。古城を横目で見るその顔には呆れたという文字が書いてあった。古城はぐうの音も出ない。
「雪菜ちゃん、護身術やってたんだ……ねえ、雪菜ちゃんて、どうして絃神島に来たの?」
凪沙の疑問はもっともだった。絃神島の住人の大半は、魔族や特殊能力者、及びその研究に従事する者と、彼らの家族である。外部から来た者が新規の住人になるということはその何れか、ということになる。
また、魔族の場合は体の見える位置に魔族登録証の着用が義務付けられる。絃神島では着用者に不快感を与えないよう装飾品のような見た目をしているが、一見したところ雪菜はそれらを持っていない。
……すぐ近くに魔族登録証を着用していない吸血鬼がいるが、今は別の話だ。
「一ヶ月前、わたしに霊視能力があるとわかったの。何でも未来予知ができるとかどうとか。それで研究の為、絃神島へ移住するようにと政府の方から」
予め用意していた
「未来予知!すごーい、じゃあテストとかでどんな問題が出るのかわかっちゃったりするのかな?いーなー。あ、でもそれ、周りに驚かれたりしなかった?」
「そんなに便利なものじゃないよ。たまに一瞬先の事が見える程度なんだ。周りのみんなは寧ろ良くしてくれたくらいで――」
剣巫は、霊視という極短時間の未来予知を戦闘に用いる攻魔師だ。全国各地からその素養のある少女たちを集め、訓練を施す。たまにしか見えないということはない。寧ろ見ようと思えばいくらでも見ることができる。
とはいえ、霊視の精度はその時のコンディションやメンタルに強く左右される。だから路地裏で古城がやったように、相手に裏をかかれるということもあり得る。
そして良くしてくれたというのは紛れもない真実だ。たった一人で第四真祖の監視を行うという前代未聞の任務に赴く雪菜を、友人たちはひどく案じていた。
――兎に角訓練だな。付き合うよ。お前に降りてきた情報から察するに、やりようはある。
――いっそ恋させちゃえば?それなら
――有り得ないから!おのれ第四真祖、世界の裏側からでも呪殺してやるから……!
……ひどく、案じていた。嘘ではないはずだ。ちょっと恋愛脳過ぎる先輩は雪菜の気を楽にさせようとしただけだし、ルームメイトが呪殺してやると息巻いていたのも雪菜を心から想ってのことだろう。だから、畑違いなのに実戦を模した訓練に付き合ってくれた舞威媛の先輩が一番まともだったなどと考えてはいけない。いや、その二人も色々と力添えはしてくれたのだが。
「そっか。周りの人は雪菜ちゃんに優しくしてくれたんだ」
雪菜の答えを聞くと凪沙は、
「そうだよね。そういう人たちだって、ちゃんといるんだよね……」
ほんの少し、陰を宿して呟いた。だがさっきまで太陽のような笑顔で談笑していただけに、そのわずかな陰がいやに目立つ。廊下で悋気を溢れさせていた時にさえも見えなかった陰だ。
どうしたの?そう問おうとしたところで、
「はーい、下拵えが終わったわ。そんじゃ始めていくわよー」
タイミングを見計らったように浅葱が鍋に入れる具が乗った皿をテーブルに置いた。凪沙はわーいとはしゃぎ、一瞬前の陰が消え去っていた。
気になりはしたが、しかしあの陰の差した表情を凪沙に再出させるのは躊躇われた。
その後は本当に楽しい歓迎会となった。意外なのは浅葱で、細い体でよく食べた。食べた分だけ調整すりゃいいのよとは本人の談だ。
古城はコートでのリバースダンクから察した通り、やはりバスケットボール部だったらしい。試合での思い出話になると古城はよく話した。雪菜は少し盛り過ぎだと思ったが。特に青だの赤だのカラフルな名前の選手が出てくる試合の話は。
凪沙は雪菜が3年C組に編入予定だと伝えると、凪沙もC組がいーなーと言った。在校生の凪沙のクラスがどこになるかは、明日の始業式までお預けだ。
そうして晩餐を楽しみながらも、雪菜にはある一つの疑問を抱き始めていた。答えを持っているであろう少年は、おじやに舌鼓を打っていた。
§§§§§§§§§§§§
「じゃあね、みんな。また明日。寝坊すんじゃないわよ古城」
「しねーよ。おやすみ」
「じゃあね浅葱ちゃん」
「浅葱先輩、今日はありがとうございました」
絃神市内の主要交通機関は跨座式の無人運転モノレールだ。絃神市内を南北に貫く南北線と、東西を縦断する東西線、島をぐるりと一周する環状線の三路線が存在する。
浅葱の自宅は
古城が出るというなら監視役の雪菜もついていかざるを得ない。わたしも一緒に行きますと言った。ギターケースを自宅から持ち出すと浅葱と凪沙は訝しげだったが、
――た、大切なひとからの贈り物で外出するときは常に持ち歩いてないと落ち着かないんです!
ごり押しした。二人はそれで納得した。凪沙はともかく、浅葱は笑いをかみ殺していたが。古城は中身を見ていないが既に察しがついているため、何とも言えない表情だった。
そしてみんなが行くならと、当然のように凪沙も同行。結局、歓迎会参加者全員が浅葱の帰路に付き合うことになった。
浅葱が駅に到着した車両に乗車する。思い思いの挨拶を交わした後、浅葱を乗せたモノレールは出発した。
階段を下り、3人は高架式の駅を後にする。帰り道についている途中でも、雪菜は珍しいものを見るような目でしげしげと空中に架けられたレールを見ていた。
「どうしたの雪菜ちゃん?」
「本当に絃神島って技術が進んでるんだなって。あれってリニアモーターカーって言うんでしょ?」
「うん、見た目はモノレールだけど、実際はそうなんだって。線路と車体の間に隙間があるみたいなの。車輪の音がしなかったでしょ?」
絃神市は人類と魔族の共存を図るためのモデル都市だけではなく、科学と魔術を組み合わせた新たな技術と産業を生み出す揺籠でもある。
雪菜が感嘆の息を漏らして眺めるモノレールもその一つ。世界でも決して多いとは言えない磁気浮上式鉄道は、絃神市ではより安価に小型化され、応用までされている。
飛行機ほどではないが、あんな細い空中のレールの上を走る鉄塊に乗るのは少し気後れする。絃神島に足を踏み入れてから巫術で居所を探知した古城の尾行を開始するまでに使用した移動手段は足だ。だが、顔見知りが何でもないようにそれに乗り込んでいるのを見たら、本土では未だ試験運用中だという未来技術への好奇心が不安より少し勝った。
「どうして絃神市の技術はあまり本土では見ないんだろう。便利そうなのに――」
「……外に出したくても出せないんじゃねえか」
「?」
ぼそりと呟いたひとり言に古城が答える。雪菜は怪訝な視線を古城に向けるが古城もひとり言のつもりだったのだろう、それ以上は何も言わなかった。
「暑ーい……古城君、アイス買って帰ろーよー」
「太るぞ」
「これだけ歩いて汗かいたんならちゃらだよちゃら!」
建造物の緑化が進められ、地域冷房システムが市を駆け巡っても、絃神島の夜は暑い。流石に天候までは絃神島の技術は凌駕できない。年々マシになっているとのことだが、この暑さ、肌を舐める湿度はそれを一笑に付すかのようである。
凪沙は近場の無人コンビニに雪菜を連れて入っていく。古城もそれに続こうとしたが、パーカーの裾が進行方向とは逆に引っ張られ、足が止まった。
「――遊んでくれませんか。私たちと」
背後にいたのは、10歳に届くかどうかといった藍色の髪の少女。感情の見えないガラス玉のような目で、少女は古城を見上げていた。
次回、「第四章 未完成の獣たち」
◆補足
藍羽浅葱:原作では化学兵器級のメシマズでしたが、本作では全く問題無し。空気も読めるできる女性。
暁凪沙:本作ではブラコン面がマシマシ。そしてちょっと残念。
絃神島:モノレールが主要交通機関なのは原作通りですが、東西線の部分とリニア云々、緑化、地域冷房システムの部分は本作オリジナルでほぼフレーバー。重要なのはそれらに共通するある背景で……
カラフルな名前の選手:ネタです。深く考えなくていいです。