この眼に視えるモノ   作:ニコフ

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06話 傷の男

 

「おいおいマスタング大佐さんよ。俺ぁ生きてるタッカー氏を引き取りに来たんだが……」

 

 アメストリス東部、綴命(ていめい)の錬金術師ショウ・タッカー邸。

 昨日から降り続く雨により街は灰色に染められ、大きな雨粒は邸宅の窓をパタパタと叩く。

 街を行き交う市民の姿は少なく、湖の底にでも沈んだかのように静謐で暗鬱とした街の雰囲気に反して、この埃っぽい邸宅の中は多くの軍人や憲兵に溢れせわしない空気が漂っていた。

 

「死体連れて帰って裁判にかけろってのか?」

 

 タッカー邸の床には防水性のシートが広げられ、その端からは中年男性と思しき人間の腕が零れるようにはみ出していた。

 大きなシートでも隠しきれないほどに床一面に、酸化し黒々と変色した血の海が広がっており、タイル地の床にこびりつくように乾ききっていた。

 どうやらその遺体はここの主、ショウ・タッカーその人のようだ。

 遺体の側には()()()彼を引き取るために中央から派遣されてきたヒューズ中佐が、突き立てた親指でシートを指差しながら、困ったと言わんばかりに眉間に皺を寄せてマスタング大佐へと尋ねる。

 ヒューズ中佐の護衛役も兼ねて共に中央からやってきたアームストロング少佐も傍らに立ち、後ろ手に手を組み無駄にその胸筋を張りながら参ったものだと髭を撫でる。

 

「たくよ――、俺たちゃ検死するためにわざわざ中央から出向いて来たんじゃねぇっつーの」

「こっちの落ち度はわかってるよヒューズ中佐。とにかく見てくれ」

 

 ヒューズ中佐の詰問に思わず額に手を当て頭を抱えるマスタング大佐。忌々しげに口元を歪ませながら彼ら二人に遺体の確認を求める。

 

「ふん……、自分の娘を実験に使うような奴だ。神罰がくだったんだろうよ」

 

 シートの端を摘まみ上げて中の遺体を確認するヒューズ中佐がその凄惨な遺体に表情を歪める。

 

「うええ……案の定だ」

 

 その遺体の損傷は想定内だったのか、シートを持ち上げてその状態をアームストロング少佐にも確認させる。

 

「外の憲兵も同じ死に方を?」

「ああ、そうだ。まるで内側から破壊されたようにバラバラだよ」

 

 ヒューズ中佐の質問に、外の憲兵の遺体の状態を思い出したのか眉間に皺を寄せ腕を組み嘆息混じりに答えるマスタング大佐。

 それを聞くとヒューズ中佐はピンッと弾くようにシートを離し、その手をハンカチで拭きながらいつになく真剣な面持ちで傍らの少佐へと尋ねる。

 

「どうだ、アームストロング少佐」

「ええ、間違いありませんな。“奴”です」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「ごらんなさい、グラトニー。人間はどうしようもなく愚かだわ」

「おろか、おろか」

「……」

 

 リオール。かつて偽りの神の名の下に、欺瞞の教主に支配されていた東部の片田舎の町。しかしそれは鋼の錬金術師の活躍によって阻止され、町には安寧が訪れるはずだった。

 アルフォンス兄弟の活躍も虚しく、町が(くだん)の新興宗教、レト教から解放されることはなかった。

 町は荒れ果て血と埃にまみれた瓦礫と怨嗟の声に満ち満ち、住民達は暴徒となって争い続けていた。

 瓦解したかつての家に力無く座り込む子供。路地裏で力尽きたまま放置され虫と鼠にたかられる死体。倒壊するレト教の石像、鉄パイプを担ぎ血走った目で周囲を威嚇するように練り歩く大人達。飢えと渇きは泥の水にも手を伸ばさせ、人の尊厳が軽くなっていく。

 辺りは、血が混じり黒々とした泥と瓦礫、怒号と罵倒、子供達の鳴き声が響き渡るこの世の地獄の様相を呈していた。

 そんな町の様子をレト教の教会、その上層階のバルコニーから見下ろすのは人造人間(ホムンクルス)色欲(ラスト)暴食(グラトニー)、そして憤怒崩れ(エクスラース)。足下で争う人間達を見下ろすラストが侮蔑するように冷めた目で吐き捨てると、傍らに控えるエルバは何を言うでもなく強く手を握りしめ、ただじっと逸らすことなく、その瞳は地獄の光景を反射していた。

 

「ああ、まったくだ。こうもうまくいくと、その愚かさも清々しくさえあるな」

「これはこれは“教主様”」

「さまー」

 

 のっそりと重い足取りで階段を上ってきたのは影が、ラスト達の後ろから声をかける。それはかつてこの町を支配し、エルリック兄弟に敗走し、そしてラストに殺されたはずのレト教の教祖、コーネロその人だった。

 しかしコーネロの登場に人造人間(ホムンクルス)の三人は驚く様子もなく、ラストはどこか呆れたように薄く笑った。

 

「悪いわね、手をわずらわせちゃって」

「ああ、これが終わったらさっさと受け持ちの街に帰らせてもらうからな」

 

 コーネロもまたラスト達に怯えた様子もなく肩をすくめた。

 

「本当に……、鋼の坊やに邪魔された時はどうしようかと思ったけど……。結果として予定より早く仕事が終わりそうで助かっちゃったわ」

「ふふ……、それにしても……」

 

 コーネロが彼女の傍らへと歩み寄り、バルコニーの柵へ手をかけて同じく街を見下ろす。

 

「あんたがちょっと情報操作して、わしが教団の者どもを煽ってやっただけでこの有様だ。まったくもって単純だよ、人間ってやつらは」

「流血は流血を、憎悪は憎悪を呼び、膨れ上がった強大なエネルギーはこの地に血の紋を刻む……」

 肩にかかるその長く艶のある髪をかき上げながら再び街を見下ろすラスト。愉快そうにその瞳を歪め笑う教祖の言葉にラストは静かに冷徹に、そして心底呆れ返ったように続けた。

 

「何度繰り返しても学ぶことを知らない。人間は愚かで悲しい生き物だわ」

「だから我々の思うツボなのだろ?」

 

 ニヤリと嗤い人間を嘲笑するコーネロの言葉を肯定するように、ラストの口角もまた愉悦に釣り上がった。

 難しい話は分からないと言わんばかりにグラトニーはきょとんとしたまま二人の話を聞き、エルバは逡巡するようにその視線を自身の足下へと伏せた。

 

「また人がいっぱい死ぬ?」

「そうね、死ぬわね」

「死んだの全部食べていい?」

「食べちゃダメ」

 

 まるで子供がおやつをねだるように尋ねるグラトニーに、ラストもまた子供を優しく咎める母のようにその頭をそっと撫でた。

 純粋な()()のいないこの場では人の命の価値はあまりに軽く、彼女らの会話を聞いたエルバは静かに踵を返す。

 

「もう、よろしいですね。私は戻ります……」

「……そういえば、憤怒崩れ(エクスラース)……」

 

 足早にその場を後にしようとするエルバをラストの艶やかな声が呼び止めた。

 

「建国祭では、随分と熱が入っていたようね」

 

 こちらを揺すり、その氷のように冷たい視線で心根を覗き込もうとするような、彼女の探るような言葉に思わずエルバの足が止まる。

 

「あんなの大事の前の小事を起こさないための、人間達を高揚させて扱いやすくするための、ただの張りぼてのお祭りよ」

 

 腕を組み頬杖を突くようにそのシャープな顎のラインに細いしなやかな指を絡ませるラストが、振り返る様子のないエルバの背中に続ける。

 

「最近、人間に肩入れしすぎじゃないかしら?」

「……なにが、言いたいのですか」

 

 思わず鋭く研ぎ澄まされるその眼光を見られぬように、エルバは振り返らず尋ねた。

 その凜と伸びた背筋(せすじ)に大きく広がる広背筋、だらりと適度に脱力した腕は素早く動かすことに適していた。仲間と会話を交わす、と言うには余りに隙の無いその佇まいと、ほのかに冷気を帯びた声色に辺りの空気がピンと張り詰めた。

 

「ただ、そのままの意味よ。人間に入れ込んでないかしら、って……」

 

 対するラストはエルバを値踏みするように瞳を細め、口元は愉快そうに綻ぶ。まるでイタズラをした子供の言い訳に耳を傾ける母親のように。

 

「あなたはあくまで人心を操るために英雄として祭り上げられただけ。まさか本当に、()()()()()()にでもなったつもりじゃ、ないわよね?」

「……あなた達が指示した通りに、……人々が望む英雄の姿を、私は演じているだけです」

「そう。わかっているならいいわ。忘れちゃダメよ。北に送り込んだのも、いざその時が来たら北の大地に――」

「血の紋を刻むため……。心得ています」

 

 エルバとラストが言葉を交える度に空気は不穏な色を帯びていく。

 指を咥え眉尻を垂らしたグラトニーが困惑するように二人を交互に見比べ、コーネロも片眉を吊り上げどこか訝しがるような視線をエルバの背へと向ける。

 

()()()の連中を捨て置いているのも、万が一にも隣国(ドラクマ)にあの()()を取られると計画に支障をきたしかねないから。その時が来るまで国境を守らせるためよ」

「……私はその任を全うしているつもりですが……」

 

 ラストの瞳が怪しく光り、(あで)やかな唇が下弦の月のように釣り上がる。

 

「そうね……。あの少将閣下も有能みたいだし」

「……っ」

「……でも、少し有能すぎるかしら?」

 

 ラストの口元からオリヴィエを示唆する言葉が零れると、エルバの指先が思わずピクリと跳ねる。

 

()()()()分にはほどほどが一番なのよね。……必要であればあの少将にも、少し早めにご退場して頂いて代わりの人員を――」

「――――ッ!」

 

 ピンと伸ばしたその白く細長い指先を艶めかしく顎に這わせ、視線を宙に彷徨わせながらわざとらしく挑発するように呟くラスト。思わず振り返ったエルバの、刺し貫くような鋭い瑠璃色の眼光が向けられた。

 

「あら、やっとこっちを向いた」

「っ……!」

 

 振り向いたエルバの胸元をトンと人差し指で突く。彼にも気取られないほど静かにその背後に佇むラストが、楽しそうな、それでいて少し拗ねたように眉尻を垂らして彼の瞳を見上げる。

 

「冗談よ。そんな恐い顔しないで。……でも、そうならないように、自身の立ち位置を見誤らないでね」

「――――ッ、失礼します……っ」

 

 いつもの、まるで子供に言い聞かせるような、いたずらを咎めるようなその声色と、掌の上で転がる様を楽しそうに眺めるような瞳を前に、思わず眉間に皺を寄せてしまうエルバ。

 深く息を吸い込むと、その甘く絡みつく蜜のような視線を振りほどくように力強く踵を返し部屋を後にした。

 

 

 

*****

 

 

 

「な、なんで軍人がこんなところにっ」

「……」

 

 教会を後にしようと階下へ降りる途中コーネロの部下、と言うより未だコーネロの宗教を信奉している教徒と鉢合わせるエルバ。

 思わぬアメストリス軍人の登場に困惑する男を気にもとめる様子もなく、エルバは彼の横を通り過ぎる。

 

「お、おいっ」

「……お気になさらず。何かを咎めに来たわけではありません」

 

 呼び止める男に振り返ることもなくそう告げると、エルバは再び歩を進める。エルバの態度にいささか戸惑うも、男も急いでいるのかエルバを捨て置き上階へと向かう。

 

「……上へは……」

「な、なんだ?」

 

 しかしエルバは階段を駆け上がろうとする男に声をかけてしまう。振り返らないその表情は読み取れないが、その沈黙には男を呼び止めてしまったことへの戸惑いのような色が滲んでいた。

 

「上へは、行かない方がいいですよ。……あなたのために」

「な、何を言っている? 急いでいるんだ、早くコーネロ様にっ」

 

 エルバの言葉に耳を傾けることもなく、男は慌てた様子で駆け足に階段を登っていってしまう。

 しばらく立ち止まっていたエルバの耳に届いたのは男の叫び声、水気を帯びた肉の潰れる音と骨の砕ける不快な咀嚼音だけだった。

 小さく鼻から息を零して、エルバは地獄の街を後にした。

 

 

 

*****

 

 

 

 不愉快そうな足取りでエルバが階段を降りていく音が遠のいていく。残されたコーネロが変わらず怪訝そうな視線をその階下へと向けたまま懐疑的に声を上げる。

 

憤怒崩れ(アイツ)、大丈夫なのかよ、ラスト」

「あら、大丈夫って?」

「だから、あんたが言った通り人間に肩入れしすぎだって話だよ。さっきも焦臭(きなくさ)い雰囲気だったぜ。なんか考え込んでるっていうか迷ってるって言うかさ」

「ふふっ、そこが可愛いんじゃない」

 

 不信感を隠すことなく尋ねるコーネロにラストはあっけらかんと答える。両手を組んで微笑む彼女はさながら子供の成長を楽しむ母親のような寛容さが見え、それでいて恋する少女のように明るかった。

 

「ところでエンヴィー。いつまでその口調と格好でいるつもり? 気持ち悪いわね」

「やだなあ、ノリだよ、ノリ。でもどうせ変身するならさぁ、やっぱりムサいじいさんより――――」

 

 微笑んでいたラストの瞳が呆れたような半眼となりコーネロ、もとい彼に姿を変えた嫉妬(エンヴィー)へと向けられる。

 エンヴィーがニヤリとイヤラシく笑うと、そのコーネロの姿から赤く瞬く漏電のような反応が走り、見る見るうちにその姿を少年とも少女ともとれるような中性的な姿へと変貌させていく。

 

「――――こういう若くてかわいい方がいいよね」

 

 得意気にニヤリと笑うエンヴィー。その声色もしゃがれた老人のものから若々しい声変わり前の少年のように高くなる。

 

「中身は仲間内で一番えげつない性格だけどね」

「ケンカ売ってんのラストおばさん」

 

 からかうように大きく笑うラストに対してエンヴィーの声は静かにドスが効いていた。

 

「ばっ……化け物……!!」

 

 この血と憎悪と瓦礫にまみれた地獄でも和気藹々と言葉を交わす人造人間(ホムンクルス)達。その空気を裂くように男の叫び声が響き渡った。

 

「どういうことだ……、教主は……、本物のコーネロ教主はどこへ行った!? なんなんだお前達は!!」

 

 目を見開き顔を驚愕に染める男。額に滲む汗は急いで階段を駆け上がってきたからだけではなく、目の当たりにした異様な光景への恐怖も溶け出していた。

 対する人造人間(ホムンクルス)たちは面倒くさそうに男を眺める。

 

「……どうする?」

「化け物だってさ。失礼しちゃうよね」

「食べていい?」

「「……」」

 

 男の()()は空腹を我慢できなくなったグラトニーに任せ、その鳴り響く血肉を貪る音を気にする様子もないエンヴィーとラスト。

 エンヴィーが錆びた鉄柵に身を乗り出すように寄りかかり、ラストは肘を突き柵に背中を預けて髪をかき上げる。

 

「そういえばさぁ。イーストシティのショウ・タッカーが殺されたって」

「タッカー……。ああ、綴命(ていめい)の錬金術師。いいんじゃないのべつに、あんな雑魚錬金術師」

「タッカーの事はいいんだけどさ。また例の()なんだよね」

 

 エンヴィーの言葉に鋭く瞳を吊り上げるラスト。

 

「イーストシティって言ったら焔の大佐がいたかしら」

「そ。ついでに鋼のおチビさんも滞在中らしいよ」

「鋼の……。私達の仕事のジャマしてくれたのは腹が立つけど、死なせる訳にはいかないわね。大事な人柱だし」

 

 意味深に呟くラストにエンヴィーも同意するように口角を吊り上げる。

 

「ラスト~~~~~、ごちそうさまでしたー~~~」

「ちゃんと口のまわり拭きなさいグラトニー」

 

 骨の一片も残さず男を平らげたグラトニーが、相変わらずこの場の雰囲気に似つかわしくない無邪気な声を上げる。呆れたようなラストの指摘に、その手の平でごしごしと口元を拭う姿はさながら大きな幼児のようだ。

 

「どこの誰だか知らないけど、予定外の事されちゃ困るのよね。……わかったわ、この街もあらかたケリがついたし、そっちは私達が見ておきましょう」

 

 気が進まないとでも言わんばかりにのっそりと身を起こしたラストがグラトニーを傍らに携え、腰に手を当ててエンヴィーへと向き直る。

 

「――で、なんて言ったっけ、例の()

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

傷の男(スカー)

「ん? よう、来たかエルバ。そっちの仕事はもういいのか?」

 

 イーストシティにてショウ・タッカーの死体を確認するマスタングやヒューズたちに聞き慣れた声がかけられた。

 ヒューズからの問いかけに微かに表情を曇らせたエルバだったが、誰にも聞こえないほど小さく息を吐き、いつものように柔和な笑みを浮かべた。

 

「ええ、先程……戻ってきたところです」

 

 脳裏に過ぎていくリオールでの光景が彼に言葉を詰まらせた。

 

「それで、傷の男(スカー)とは?」

「ああ、素性がわからんから俺達はそう呼んでいる」

 

 腕を組むマスタングが訝しげに聞き慣れないその通り名について尋ねる。ヒューズは参ったと言わんばかりにため息を吐く。

 アームストロング少佐が申し訳なさそうに自身の額を指差し、ヒューズは指折り(くだん)の被害人数を数える。

 

「素性どころか武器(エモノ)も目的も不明にして神出鬼没。ただ額に大きな傷があるらしい、という事くらいしか情報が無いのです」

「今年に入ってから国家錬金術師ばかり中央で五人。国内だと十人はやられてるな」

「ああ、東部(こっち)にもその噂は流れてきている」

 

 辺りを気にするようにキョロキョロと見回してから、ヒューズは眼鏡を持ち上げて小声で続ける。

 

「ここだけの話、つい五日前にグランのじじいもやられているんだ」

「『()()()()()()()』グラン准将がか!? 軍隊格闘術の達人だぞ!?」

 

 ヒューズからの思いも寄らない報告にマスタングも思わず声を荒げて聞き返す。

 

「ついこの間の建国祭の軍事演習も見ただろう!? ただの殺人犯が()()を相手取って殺したって言うのか!?」

「しっ、声がでけえよ。わかってる、あの演習での活躍は軍部だけでなく一般の国民にも知れ渡っている。だから准将の死は公にはまだ伏せてある。国民の不安を煽るだけだからな」

「准将の件は私も先程伺ったところですが、にわかには信じられませんね」

 

 目を見開き驚愕するマスタングを落ち着かせるように、口元に指を当てがい静かに声を潜めるヒューズ。エルバもグラン准将の死を聞かされていたものの、准将と闘った彼だからこそ尚のこと信じられないようで、不愉快そうにその眉間に皺を深く刻む。

 

「信じられんかもしれんが、それ位やばい奴がこの街をうろついているって事だ。悪いことは言わん、護衛を増やしてしばらく大人しくしててくれ。これは親友としての頼みでもある」

 

 真剣な眼差しでマスタングに言い聞かせるヒューズにはいつものひょうきんな雰囲気も

なりを潜め、純粋に友を心配しているようだ。

 

「ま、ここらで有名どころと言ったらタッカーとあとはお前さんだけだろ? タッカーがあんなになった以上、おまえさんが気をつけてさえいれば……」

「まずいな……」

 

 顎に手をあてがい、何かを考え込むようにヒューズの言葉に耳を傾けていたマスタングの表情が徐々に焦りにかられる。

 

「? おい!」

「エルリック兄弟がまだ宿にいるか確認しろ。至急だ!」

「あ、大佐。私が司令部を出る時に会いました。そのまま大通りの方へ歩いて行ったのまでは見ています」

「こんな時に……!」

 

 どうやら未だエルリック兄弟はこのイーストシティに滞在しているようで、ホークアイ中尉の報告にマスタングも思わず苛立たしげに舌を打ってしまう。

 その様子からヒューズやアームストロング少佐達も事の次第を理解したようだ。

 

「車を出せ! 手のあいている者は全員大通り方面だ!!」

「では私は裏道から回り込んで捜索します」

 

 マスタングの号令に応えるように皆が散開し、エルバも足早にその場を後にする。

 空から零れはじめた雨粒は次第に勢いを増し、瞬く間に街を濃い灰色へと染め上げていく。鈍色(にびいろ)の曇天は太陽を遮り、昼間だというのに辺りは薄暗い影の中へと沈んでいく。

 地を打つ雨粒の音は、報復者の力強い足音をも掻き消すほどに。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 降り出した雨が顔を濡らし、それを鬱陶しそうに拭うエルバ。マスタング隊とは別ルートから大通りへと来たものの、エルリック兄弟の姿は見当たらなかった。

 当てが外れたか、と踵を返そうとした彼の耳に届いたのは、街の喧騒と雨音に掻き消されそうになりながらも確かに響く発砲音だった。

 その音に振り返るやいなやエルバは駆け出した。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「そこまでだ」

 

 その言葉と共に、己に注意を引くように上空へと威嚇射撃を行ったのはマスタング大佐。車から降り散開するマスタング隊が各々に銃を構え目の前の容疑者へとその銃口を向ける。

 大きな体躯のシルエットに褐色の肌、灰色がかった白く短い頭髪。額に残る大きなクロスの古傷、視線の読めない色の濃いサングラス。そしてその恵体にコートを纏った男、傷の男(スカー)は背後からの発砲音にゆっくりと振り返った。

 スカーの眼前には右腕の機械鎧(オートメイル)を破壊されたエドワードがへたり込み、少し離れた路地の方には体の半分を分解され身動きが取れなくなったアルフォンスが文字通り()()()()()いた。

 スカーと戦闘により窮地に追い込まれていたというのは誰が見ても一目瞭然だった。間一髪のところで間に合ったようだと、マスタングも思わず小さく息を()く。

 

「危ないところだったな、鋼の」

「大佐ッ、こいつは……」

「その男は一連の国家錬金術師殺しの容疑者……、だったがこの状況から見て確実になったな」

 

 銃口を向けられるスカーはエドワードへと向けていたその凶手を止め、マスタングへと向き直る。サングラスの奥の瞳は見えないが、その悠然たる所作は諦めや恐怖のそれではなさそうだ。

 

「タッカー邸の殺害事件も貴様の犯行だな?」

 

 マスタングの確認するような問いかけに、エドワードはスカーへと向き直りその横顔を睨み付ける。

 地面を打つ雨音さえも聞こえる静寂の中で、スカーは己の内に溢れかえりそうになる熱き信仰心を抑え込み、努めて冷静さを保ち静かに口を開いた。

 

「……錬金術師とは元来あるべき姿の物を異形の物へと変成する者……。それすなわち万物の創造主たる神への冒涜。……我は神の代行者として裁きを下す者なり!」

 

 スカーはその大きな右の手を己の眼前で力強く握りしめ宣誓する。対するマスタング大佐は眉間に皺を寄せ、スカーの挙動に注意を払いながらも問いかける。

 

「それがわからない。世の中に錬金術師は数多いるが、国家資格を持つ者ばかり狙うというのはどういう事だ?」

「……どうあっても邪魔をすると言うのならば、貴様も排除するのみだ」

「……おもしろい!」

 

 スカーの一言に大佐のこめかみがピクリとヒクつき、目の色が変わる。手にしていた銃をホークアイ中尉へと預け、錬成陣の刻印された発火布製の手袋を装着する。スカーの言葉は大佐のプライドを刺激し、些か聞き捨てならなかったようだ。

 

「マスタング大佐!」

「お前達は手を出すな」

「マスタング……国家錬金術師の?」

「いかにも! 『焔の錬金術師』ロイ・マスタングだ!」

 

 マスタングの名前を耳にしたスカーの声色が呻るように重く低く響く。不快さと怒りを隠そうともせず眉間に深い皺が寄せられ、クロスの古傷が歪む。己の内に巣くう負の感情を握りしめるように指の骨が軋んだ。

 

「神の道に背きし者が捌きを受けに自ら出向いて来るとは……。今日はなんと()き日よ!!」

「私を焔の錬金術師と知ってなお戦いを挑むか!! 愚か者め!!」

「大ッ……――」

 

 まさにマスタング大佐とスカーの戦いの火蓋が切って落とされようとしたその瞬間、大佐の傍らに控えていたホークアイ中尉が咄嗟にマスタングへと強烈な足払いを見舞った。

 

「おうっ!?」

 

 足が抜けたようにガクリと体を仰け反らせたマスタングに、スカーの凶手も空を切った。そのまま尻餅を着く大佐を横目にホークアイ中尉は大佐から預かった銃と自身の腰から引き抜いた銃の二丁拳銃の銃口をスカーへと向ける。躊躇う間もなくその銃口は火を噴くも、スカーは身を翻し距離を開ける。

 

「いきなり何をするんだ君は!!」

「雨の日は無能なんですから下がっててください大佐!」

「あ、そうか。こう湿ってちゃ火花出せないよな」

 

 スカーから視線を外さぬまま素早くリロードするホークアイ中尉。彼女の辛辣な言葉に思わず項垂れてしまうマスタング大佐を横目に、ハボック少尉は掌で雨の具合を確かめながら納得していた。

 

「わざわざ出向いて来た上に焔が出せぬとは好都合この上ない。国家錬金術師! そして我が使命を邪魔する者! この場の全員滅ぼす!!」

 

 一同から距離を取り体勢を立て直したスカーが改めて自身を囲む軍人達へと怒号にも似た雄叫びを上げる。

 しかしその張り上げた声に応えたのはまた別の男。そのちょろんとカールした黄金の前髪と張り裂けそうな程に膨れ上がった筋肉が特徴的な、豪腕の錬金術師アレックス・ルイ・アームストロング少佐だった。

 

「やってみるがよい」

「ッ!?」

 

 振り抜かれる少佐の拳を身を屈めてすんでの所で躱したスカー。空ぶる拳はコンクリート製の建物の外壁を穿つほど。

 

「新手か……!!」

「ふぅーーむ……。我輩の一撃をかわすとは、やりおる、やりおる」

 

 ボコリと壁にめり込まれた自身の右拳を引き抜きながら思わずスカーの身のこなしを賞賛するアームストロング少佐。

 その拳には少佐の大きな拳を覆う程の更に大きなアイアンナックルにも似たガントレットが。拳骨部分に太い棘が備え付けられ戦闘時の実用性が考慮されており、また手の甲には錬成陣が刻まれていた。

 

「国家に(あだ)なす不届き者よ。この場の全員滅ぼす……と言ったな」

 

 決して焦ることのない優美で力強い所作でゆっくりとスカーへ向き直るアームストロング少佐。

 彼の強烈な一撃により崩れていく外壁を背にその拳を見せつけながらスカーへと宣戦を布告する。

 

「笑止!! ならばまず!! この我が輩を倒してみせよ!! この“豪腕の錬金術師”アレックス・ルイ・アームストロングをな!!」

「……今日はまったく次から次へと……。こちらから出向く手間が省けるというものだ、これも神の加護か!」

 

 筋骨隆々な大男の突然の登場にも焦ることはなく、スカーのその色の濃いサングラスの奥で見開かれた瞳は血走っていく。

 闘う意思の消えないスカーに対し少佐もどこか得意気に応える。

 

「ふっふ……やはり引かぬか。ならばその勇気に敬意を表して見せてやろう! わがアームストロング家に代々伝わりし芸術的錬金法を!!」

 

 少佐がレンガほどの大きさの瓦礫を上空へと放り投げ、準備運動と言わんばかりに右の肩をぐるりぐるりと回す。そして拳を大きく振りかぶるやいなや、眼前に落下してくるその瓦礫を力の限りぶん殴り飛ばす。

 拳と瓦礫のインパクトの瞬間に青白い漏電にも似た錬成反応が起こり、瓦礫は見る見るうちに極太のアンカーへとその形を変えた。

 まるで少佐の拳から発射された徹甲弾かのように飛来するそれをスカーは体を横に逸らして躱す。背後のコンクリート製の外壁に容易に突き刺さる程の威力であるそれをまともに受けるわけにはいかない。

 

「もう一発!!!」

 

 しかし少佐の攻撃は止まらない。再び振り上げた拳で今度は地面を殴りつける。

 その衝撃が走るように少佐の拳からスカーの足下まで、青白い錬成反応を伴って地面が波打つように瓦解しながら隆起する。

 その瓦礫の波がスカーに到達すると一際大きな錬成反応と共に、地面は幾本もの太く巨大な円錐状の棘となってスカーへと襲いかかる。

 

「この……ッ」

 

 その猛攻は流石に躱しきれないとスカーは自身の右腕を大きく振り払った。彼の腕が錬成された巨大な棘に触れるやいなや錬成反応が瞬き、棘はまるで泥か発泡スチロールで出来ているかのようにあっさりと崩れ去ってしまう。

 

「少佐! あんまり市街を破壊せんでください!!」

「何を言うッ!! 破壊の裏に創造あり! 創造の裏に破壊あり! 破壊と創造は表裏一体!! 壊して創る!! これすなわち大宇宙の法則なり!!」

 

 少佐の苛烈な戦闘に思わず外野からハボック少尉が注意喚起してしまう。隣で呆然と佇むエドワードも少佐の闘い振りに口を噤んでしまっている。

 注意された少佐はおもむろに自身の軍服を脱ぎ捨て、その破壊にも創造にも使えそうな屈強な肉体を誇示しながら自身の理念を雄叫ぶ。彼が声を張り上げる度にその胸筋がピクピクと脈動する。

 

「……」

「なぜ脱ぐ」

「て言うかなんてムチャな錬金術……」

 

 少佐の雄々しき姿にスカーも言葉を失った。

 ハボック少尉とホークアイ中尉の至極真っ当な反応に、少佐はスカーへと勘ぐるような視線を向けながら応える。もっとも、なぜ脱いだのかについての返答はなかったが。

 

「なぁに……、同じ錬金術師ならムチャとは思わんさ。そうだろう? 傷の男(スカー)よ」

「錬金術師……、奴も錬金術師だと言うのか!?」

「やっぱりそうか」

 

 少佐の言葉に驚嘆する大佐。得心した様子のエドワードは直接手合わせしたことでおおよその見当はついていたようだ。

 

「錬金術の錬成過程は大きく分けて“理解”“分解”“再構築”の三つ――」

 

 少佐が再び瓦礫へ拳を振り抜けば礫は砲弾の如くスカーを襲いかかるも、彼が右の手でそれを防げば礫はダメージを与える間もなく粉砕され四方へと飛び散ってしまう。

 

「なるほど、つまり奴は二番目の“分解”の過程で錬成を止めているという事か」

「自分も錬金術師って……。じゃあ奴の言う神の道に自ら背いてるじゃないですか!」

「ああ……。しかも狙うのは国家資格を持つ者というのはいったい……」

 

 少佐の言葉にスカーの能力には得心のいったマスタング大佐だったが、隣のハボック少尉はその目的や意図についてはますます理解が及ばないと困惑する。

 しかしその間もスカーと少佐の激しい攻防は止まらない。スカーとの距離を詰めるアームストロング少佐が、遠距離から得意の肉弾戦と錬金術のハイブリッド戦術に切り替えるもスカー相手では一筋縄ではいかない。

 白兵戦を繰り広げる二人の大男へと銃を構えるホークアイ中尉だったが、入れ替わり立ち替わり素早く動き回る二人に照準が合わせられない。

 

「ぬうッ!?」

「ここだッ――くッ!?」

 

 大振りの攻撃を放つ少佐の一瞬の隙を突いたスカーだったが、彼の破壊の右手が少佐の脇腹に触れるすんでの所で二人の間を裂くように何かが高速で飛来した。

 鈍色(にびいろ)の軌跡を残しながら壁に突き刺さったそれがアメストリス軍支給の軍刀サーベルであると理解すると同時に、そのサーベルを追うように何者かが目にも止まらぬ速さで駆け抜ける。

 迎撃する間もなく迫ってきたその影が、突き刺さったサーベルを引き抜く勢いそのままに円を描くような切り上げをスカーへと見舞う。

 認識して躱せるような速さではなかった。しかしスカーのこれまで修羅場をくぐってきた経験と、獣のような野性とも呼べる危機察知能力が無意識に大きく身を仰け反らせた。

 

 もともと殺す気が無かったであろうその剣先は致命傷を負わせる軌道を描いてはいなかった。そこにスカーが身を引いたことで刃先は浅く彼の右こめかみを裂くのみだった。

 同時にスカーのかけていたサングラスの柄は一刀に切り飛ばされ、石畳の上に砕けながら転がっていった。

 

「ぐっ……!」

「エッ、エルバ殿ッ、かたじけないッ」

「クライス大尉!」

「……ふう、出遅れたようですね。咄嗟のことで思わず割って入りましたが………彼が一連の騒動の容疑者ということでよろしいですね?」

 

 エルバの登場に体勢を立て直すアームストロング少佐。微かに刃面に付着した血を振り払ったエルバがその刃面を眼前に突き立てながら、チラリと視線だけを大佐へと向け現状の確認を行う。

 エルバの問いかけに小さく頷いたマスタング大佐が右の手を上げると、ホークアイ中尉やハボック少尉をはじめとした周囲の軍人達が改めてスカーへと銃口を構える。

 スカーは後ろへ下がり突然現れた新手の脅威から距離を取る。自身のこめかみから吹き出す血をジャケットの裾で抑えて出血を止めると、自身を落ち着かせるように深く息を()きながら持ち上げた顔の眉間には忌々しげに深いしわが湛えられ、サングラス下の鋭い視線が露わとなった。

 しかしその場に居合わせた一同が驚愕したのは今にも爆発しそうな彼の怒りの表情のせいではなかった。

 

「褐色の肌に赤目の……!!」

「……ッ、イシュヴァールの民か……ッ!」

 

 真っ先にその赤い双眸に反応したのはマスタング大佐とアームストロング少佐。しかしスカーの瞳を見て驚いた様子の彼らと同じかそれ以上に、スカーも目の前の男、エルバ・クライスの姿を目の当たりにして驚愕に目を見開く。

 

「……ッ、エルバッ、クライスゥッッ!!!! 我らが神イシュヴァラッ、そしてイシュヴァール人民最大の怨敵ッ!!」

 

 その男がそこらの国家錬金術師とは比にならぬ程の憎き仇敵であると理解するやいなや、周囲の者を思わず萎縮させるほどの雄叫びが轟く。その怒気に当てられて幾人かの軍人が思わず銃口を下げてしまう程だった。

 

「私はあなたを知りませんが。……なるほど、確かにイシュヴァール人であれば私のことを心底憎んでいて当然」

 

 対するエルバは至って冷静にスカーを視界に捕らえながら応える。

 

「先程の身のこなし、少佐との拮抗した闘い振り。確かに腕が立つようですが、その程度でグラン准将を()ったとは些か信じられませんね。さぞ、()()()()を使ったのでしょう」

「ッッ!!」

 

 サーベルを構え刃面にスカーを反射させながら眉尻を吊り上げるエルバもまた、グラン准将を殺害したスカーに静かな憤怒を燃やしていた。

 己の行いを神罰の代行と信じているスカーにとってもまた、それを姑息と(さげす)まれては、ましてや憎き相手に煽られては頭に血が上っていく。努めて冷静さを欠かぬよう繰り返す呼吸も次第に荒くなり、思わず噛みしめた歯がギチリと鈍い音を立てる。こめかみの血管がピクリとヒクつけば止まりかけていた血が再び吹き出してくる。

 

「お相手致しましょう、あなたが望まなくとも――ッ」

「願ったりだッ、邪神の権化めッ!!」

 

 重く熱い怒りと殺意が二人の男の間に黒く激しく渦巻いていく。腰を落とし刃先を自身の後方へと振りかぶり構えるエルバと、目を血走らせ飛びかかりたい衝動を抑え込むように身を低く油断せぬよう構えるスカー。

 ジリリと転がる細かな瓦礫の破片を踏みしめたのはどちらの靴か。今にも踏み込みそうな一触即発の張り詰めた空気を引き裂いたのは一発の銃声だった。

 

「そこまでだ、スカー。()()()が現れたことで、状況はお前にとってますます悪い方へと進んでいる。先程までとは比にならない程にだ」

 

 忠告にも似た言葉で降伏を迫るマスタング大佐。その横には彼の合図で威嚇射撃を行ったホークアイ中尉がライフル銃を構えたまま。先程までの混戦とは違い、その銃口は確実にスカーのみを捕らえて放さない。

 スカーはチラリと横目に大佐を見やると、心底忌々しそうにエルバを睨み付けてから何とかその怒気を押さえ込むように一際大きく深く息を吐いた。

 

「……やはり、この人数を相手では分が悪い」

「おっと! だからといって逃がすとは言っていないぞ。それとも、この包囲から逃れられると思っているのかね」

 

 大佐が再び右の手を掲げれば、スカーの怒気に飲み込まれていた周囲の軍人達が慌てて銃を構える。

 しかし大佐達に捕獲する意思はあれど殺す気は無いと察していたスカーは、迷うことなく自身の右腕を掲げそのまま地面を叩きつけるように振り下ろした。

 スカーの手が触れるやいなや周囲の地面広範囲に大きな錬金反応が走り、瞬く間に地面は瓦解していく。

 

「うわあああ!!!」

「おおおお!!?」

 

 自身を包囲する軍人達の足下もまとめて崩し、地面の下、陥没した地下水道へと飲み込んでいく。

 石レンガが崩れ落ちる騒音に立ち上る粉塵、穴に落ちないように距離をとる者や落ちかける仲間を慌てて引っ張り上げる者。現場が騒然とする中でスカーはその隙に地下水道の奥へと身を隠す。

 周囲が慌てふためく中、地下水道から見上げたスカーの視線の先には同じくこちらを見下ろしてくるエルバの姿があった。

 

「……」

「…………」

 

 地下の薄暗い影の中、見上げるのは復讐に燃えた赤き双眸。対するは、降りしきる黒々とした雨粒を背で受け止め見下ろす深き瑠璃色の隻眼。

 その姿を目に焼き付けると言わんばかりに眼光鋭く睨み付けたスカーは、何を言うでもなく身を翻し地下水路の奥へと溶けるように消えていった。

 エルバは追うでもなく、去って行くスカーの背中を見送った。復讐者の背中に己の過去の行いが重ね合わされるようで、その瞳は微かに歪んでしまう。

 そして後悔や自責、葛藤と責務で惑う己の心中を誤魔化すように、天を仰いでゆっくりと息を吐くのだった。頬を伝う滴が鬱陶しく、一向に止む気配のない灰色の空が忌々しく思えた。

 

「あ……、野郎、地下水道に!!」

「追うなよ」

「追いませんよ、あんな危ない奴」

「クライス大尉、君もだぞ。奴は特に君を……憎悪しているようだからな。なりふり構わない奴は何をしでかすか分からんからな」

「……ご忠告痛み入ります」

 

 足下に広がる大穴を見下ろしながら悪態を吐くハボック少尉に警告する大佐。もっとも少尉はスカーを追う気など更々ないようだが。

 大佐の言葉に小さく黙礼するエルバが抜いた剣を鞘へと収め、雨でほつれた前髪を撫で上げる。

 

「すまんな。包囲するだけの時間を稼いでもらったというのに」

「いえいえ。時間稼ぎどころかこっちが()られぬようにするのが精一杯で……。エルバ殿の助力が間に合わなければもしかしたら今頃……」

 

 アームストロング少佐の奮闘を労う大佐だったが、少佐は滅相もないと額の汗を拭いながら安堵の溜め息を零すのだった。

 すると事態が落ち着いたのを確認して路地の奥からひょっこりと顔を覗かせるヒューズ中佐。

 

「お? 終わったか?」

「ヒューズ中佐……、今までどこに」

「物陰に隠れてた!」

「おまえなぁ、援護とかしろよ!」

「うるせぇ!! 俺みたいな一般人をおまえらデタラメ人間の万国ビックリショーに巻き込むんじゃねえ!!」

「デタ……」

「オラ! 戦い終わったら終わったでやる事沢山あるだろ! 市内緊急配備! 人相書き回せよ!」

 

 後ろでのマスタング大佐とヒューズ中佐の漫才を尻目にエルバは一人、スカーの去って行った巨大な暗い陥没孔を見つめながら、その眼帯にそっと触れ物思いに耽る。

 忘れまいと思っていた彼の地での己の蛮行。しかしそう思い込んでいただけで心のどこかで風化しそうだった記憶が、スカーの遠慮の無い怨嗟の念に当てられて鮮明に蘇ってきたのだ。

 かつては何も考えるでも思うでもなく、人造人間(ホムンクルス)としてもアメストリス軍人としても()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 しかし今はどうか。エルバは自身の心に暗雲のような感情が広がれば広がるほどに、己の剣先が鈍っていくような気がした。

 

「――ッ!!」

 

 ふと視線を感じ顔を上げると、遙か遠くの建物の屋上。おおよそ常人では肉眼で視認できない距離に二人の人造人間の影があった。どこか楽しげに口角を吊り上げてこちらを見下ろす色欲(ラスト)の視線から逃れるようにエルバは背を向け踵を返した。

 

「……どうやら彼らの方は一段落といったところか」

「こっちはまだ一段落とはいかねぇだろ。やっかいな奴に狙われたもんだな」

「……イシュヴァールの民か……」

 

 エドワード兄弟の一悶着は解決したようだが、こちらはまだだとヒューズ中佐は頭を抱える。マスタング大佐とアームストロング少佐も足下に広がる雨の波紋へと視線を落とし、小さく呟いた。

 

「まだまだ荒れそうだ……」

 

 

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