いつからだっけか、あの子がこのお社に来るようになったのは。
何十年、何百年の退屈を欠伸で紛らわしていると、風に揺られる木々の隙間から、小鳥たちが嫉妬する声が聞こえてきたんだ。
よく聴いてみると、それは歌声だった。拙いながらも、はっきりと聞こえて来るような、いつか聞いた、天女の声のような、そんな歌声。
社の中から盗み聞きしてしばらく、そろそろ声も掠れてきた頃合いだったから、いたずらでも仕掛けてやって、感想でも伝えてやらないとな、なんて、柄にもないようなことを考えていたら、病魔だって逃げ出しそうな恐ろしい形相をした女性、恐らく、その女の子の母親なのだろう、それが石段をものすごい勢いで登って来たと思うと、しゃがれた声でなにやら叱りつけて、うたっていた女の子を連れて、さっさと行ってしまった。
つまらないな、と、ちょっとため息をついて、またちょっとしたら、その女の子はやってきた。
日が沈んで登って、沈みかけているので、一日くらいは経っているだろう。
見慣れて、嫌になってきていた、社から見える夕日も、その女の子がいるだけで、どうやら胸を打つような絶景になるようで。
今度こそは逃がすまい、と息巻きながら、うたとうたの間の、ひと呼吸、ぱちぱちと大げさな音を立てて手を叩き、ばぁ、と、安っぽい脅かしの声を発しながら、その女の子の背後から現れる。
はじめは、狐の面なんかに驚いていたのか、ぽかんとした表情を浮かべていたけれど、わたしが称賛の言葉を一言二言かけると、とたんに嬉しそうにして、また歌い始めた。
それが、あの子とのはじめての出会い。
「うたいにきてもいいの?」
なんていう質問を、取るに足らない、答えるのも面倒なほどの質問と思って、ただ、首を軽く縦に振ったことを、今は後悔をしている。
あの時、首を横に振っていただけで、わたしがこんなにも、一人で居ることを寂しく思うことも、あの子がここに来ることを考えて、待ち遠しくも哀しい気分にならなくて済んだんだろう。
あの子が、苔むした石段に腰をおろして、独り言のように身の上を語り始めたのは、わたしが首を縦に振ってしまってから4日ほどだったと思う。
わたしに人間のことはあまりわからないけれど、その子が苦しんでいることは、話を聴いていれば、いや、途中から咳き込むことの多くなる歌声を聴いていれば、すぐにでもわかることだ。
その子は、「うた」という名前らしい。
よく似合っていて、素敵な名前だと褒めたら、少し、もの悲しそうに目を伏せたことは、そのあとの話を聞くと理由ははっきりした。
うたがここにうたいに来る理由は、喉を病んでいて、声を出すことも良しとされていないからだそうで、病院から抜け出しては好きなようにうたって、好きなように話すことができるところを探し回っていたそうだ。
どうやら、わたしがここでうたっても良いと許可を出したおかげで、病院を抜け出す頻度はより高くなって、しかも、数刻程うたい続けているわけだから、当然喉の調子は段々と悪くなっていくばかりだ。
このままうたい続けていると、うたをうたうどころか、声を出すこともままならなくなってしまうそうだ。
それを聞いた時は、流石に医者の言うことを聞いておいた方が良い、と指摘したけれど、うたの意思は強固で、しかも最初にわたしが褒めて、うたう許可を出したせいで、毎日毎日わたしにうたを聞かせに来る、なんてことも言い出した。
幾度か、うたのためを思って、竹箒でお社の境内から追い出したりもしたけれど、少し遠くから聴こえてくる、うたの見事なうたごえを聞くと、どうしてももっと近くで聞きたくなって、また、招き入れてしまうんだ。
うたがうたってしばらくすると、いつも、あの母親らしき女性が必死になって迎えに来る。
うたを叱る強い言葉も、全てうたのことを考えるものだ、と、考えるとあの母親の方が正しいような気もしないでもないけれど、わたしはあどうしても、うたの味方をしてしまうそうだ。
さて、そうやってうたの美しい声を、数刻に渡って聞けていたのも、最初の半年ほどだけで、紅葉が散って、葉っぱが枯れ始めたころには、うたのうたごえも、喋り声もすっかり痩せこけて、一曲をうたい終えるかうたい終えないか、といったところで、いつも声がでなくなっている。
何度も咳き込んでは、ふらふらした体で、ひょろひょろとしたうたごえを出し続けるのは、見ていて、聴いていて本当に辛くて、倒れそうになっているうたの肩を支えながら、幾度幾度も、うたうことをやめるように言い続けた。
それでも、うたはうたいつづけた。
そうして、今。
うたの病気はもう限界のところまで来ているようで、呼吸器のついた車椅子で、例の母親に連れられて、数日に一度やってくるだけだ。
死んだ魚の目みたいな瞳でわたしの方を見て、力なく震える手で呼吸器のマスクを外して、か細くて、まるで死にかけてるみたいな声を出しているうたを見て、遠い昔にどこかに置いてきていた涙が、頬を伝った。
うたを自由にうたわせていたわたしが、うたをここまで弱らせてしまったのか、と考えると、どうしてもやりきれない気持ちで一杯だ。
うたのことをどうにかしてあげたいけれど、わたしにとれる選択肢は2つしかない。
一つは、人間たちの医療を信じて、ただ祈る、という選択肢。
これはまず、ありえない。
どれだけ進歩を続けている人間と言えど、もし医療でなんとかできるというのなら、うたはこんな状況になる前に治っているだろう。
悪化させた要因の一つに、わたしがあるのだけれど。
そして、もう一つの選択肢は、寂しいことになる、本当に最後の手段だ。
それでも…うたのためを思えば、とても安いものだろう。
うたが、またいつものようにうたをうたえるように、わたしは、わたしのできることをすることに決めた。
狐が、走っていった。
あたしには、誰か、うたをきかせたい人がいた気がする。
神社の境内で元気に走り回る狐をみると、すこし昔のことをおもだして、そんな気持ちになる。
あたしは昔、とても重い病気にかかっていて、うたうことどころか、歩くことすらままならないような時期があったらしい。
けれど、この神社に足繁く通っていたおかげか、奇跡的に完治したそう。
だから今日も、あたしはうたう。
助けてくれた神様に、治りましたよ、と感謝するように。
お稲荷様にお願い事をする時、なにか対価をもっていかれます。
それが例え、自分そのものであっても、お願い事を現実にするためには、差し出さなければいけません。